世界のはずれから勝手に叫んでみる男の日記・var2

このページは大量の誤字脱字の提供でお送りしています。orz

14曲目

2011年06月12日 | クラシック

 今回は変化球。とはいえ正当に評価されれば、この人も作曲家として認知されそうなんだけど。

 フリードリッヒ大王 フルート協奏曲 ハ長調 (確認とれず)

 第1楽章

 第2楽章

 第3楽章

 成立年代 確認取れず

 時代区分 バロック

 形式 協奏曲(メインはフルート)

 形態 フルート+オーケストラ

 ドイツ国王フリードリッヒ大王ことフリードリッヒ2世です。戦争と周りの国の驚異にさらされて彼自身が戦争に打って出なくてはいけないなど、当時のプロイセンの置かれていた状況は決していいとは言えませんでたし、彼自身も数奇な人生と、孤独な晩年と、流転する遺体というある種の苦しみを経験し続けていました。そんな中でも彼は音楽を趣味にして、立場故に強力なサロンを形成。さらに彼自身も作曲家として、数多くの作品を残していること。さらにバッハ(息子C・P・E・バッハがチェンバロ奏者として仕えていた)と面会をしていることから、音楽という立場からも外すわけにはいかない人のひとりだと思います。

 趣味が趣味なだけに、様々な問題があったようです。音楽に対する興味は母親からのものでしたが、教育方針を巡って母親と父親が対立。どうしても軍人にしたかった父親(当時の世界情勢を考えると仕方ないのかもしれないが)はことあることに折檻(本人は母親的基質を受けづいていた)を繰り返し、そのため何度が逃げ出すことになります。(そのたびに失敗をして協力をした友達は処刑されてしまう)先代の王は今で言う毒親の典型で、部下の生活にも口を出していたほどの人物でしたが、プロイセンの勢力拡大には成功した人物でした。結果的にはこの二人は和解することにはなるのですが、父親によって強制的に結婚をさせられてしまいます。結果的にこの状態は10年も続くことになります。

 父親の急死により、国王の地位をついだフリードリッヒ大王は、その父親への当てつけのような政策をとることになります。それは文化的政策の解放とアカデミーの復活。さらには父親によって抑制されていたことの解放という政策を打ち出しベルリンを自由な雰囲気にしました。しかし同時に父親から勢力拡大の野望もうけ付いていたらしく、軍備も増強。さらにオーストリアに戦争を仕掛けます。この戦争には勝つものの、今度は逆に進行されてしまいます。しかもロシアの後ろ盾までつけて。さらに周辺の国からも侵攻を受けるという事態になりました。(ここまで拡大した原因はフリードリッヒ大王の女性軽視でロシアのエカテリーナの怒りを買ったことから)戦術で対抗してきたのですが、数の前にはかなわず。屈してしまうのかと思われたのですが、エカテリーナの死ということもあって奇跡的に講話が成立。これにより他の国も手を引いたことで何とか滅亡は免れ、さらにその後の勢力拡大に成功しています。

 しかし父親から植え付けられた猜疑心はそう簡単にとれるわけではなく、しかも年をとって周辺の信頼できる人物がどんどん死んでいく中、彼自身も死の病についてしまいます。彼は遺言として飼っていた犬のそばに埋めてくれと言ったのですが、時代がそれを許してはくれませんでした。 協会に埋葬され、第2次世界大戦の時には各地を移動するという状況になってしまいました。結局遺言通り愛犬のそばに埋められたのはドイツ統一後の1991年。亡くなってから205年も経過したあとでした。

 次回はC・P・E・バッハ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする