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世界のはずれから勝手に叫んでみる男の日記・var2

このページは大量の誤字脱字の提供でお送りしています。orz

?曲目 (正式ナンバリング)

2014年01月22日 | クラシック

 ポーランドが続いていましたが、久しぶりにフランスの作曲家です。

 ビゼー カルメンより闘牛士の歌

 

 成立年代 1873年から74年

 時代区分 後期ロマン

 形式 オペラ

 形態 歌劇

 アレンジ/使用場面 ピアノ(たくさん)・ほかも大量/使用場面もたくさん

 ビゼーの代表作でありながら、実はこれがビゼーにとって晩年の作品群の一つとなるカルメンからの有名でありながら、ハバネラとカルメンの前奏曲に隠れる形になっている「闘牛士の歌」です。使用場面はたくさんあり誰もが知っているはずの曲ですが、それじゃあ何の曲だっけときかれると首を傾げてしまう人も多いと思います。ゆえにビゼーの一回目としてこの曲を紹介することにします。

 カルメンのストーリーは一言でいえば一人のジプシーの女性「カルメン」をめぐる物語で、本来だったら牢屋に送られるはずだったカルメンに惚れてしまったホセは逃がしてしまいます。そこからホセは婚約者がいるのにカルメンに対する思いを募られていって、ついには再開を果たすのですが、既にカルメンの心は闘牛士に向けられていました。既に盗賊の一味として落ちてしまっていたホセ。しかしカルメンは既に闘牛士と恋に落ちていた。ある意味現代でいえばストーカーに化けてしまったホセは、最終的にカルメンを刺し殺してしまうという。今だったら**と**による物語という副題がついてしまいそうな話になっています。

 で、このカルメン。色んな所でアレンジがあります。後に幾つか紹介はしてくつもりですが、一番有名なのはサラサーテのカルメン幻想曲です。(これは後で紹介する予定ですの今回ははずします)またカルメン自体が何度も再編平されたり、バレエにアレンジされたり、色々と編曲などが繰り返されています。また劇抜きで、曲だけを演奏会に持ってくるというのもよくありますので、聞こうと思えば割合どこでも聞くことができると思います。但し演じる方は大変です。あまりにも有名ですし、それゆえに比較対象が世界的なオペラ歌手たちですから、プロがこの立場に立ってしまうと正直どの超絶技巧を要する曲でも、それいじょうのものが要求されてしまうと思います。

 しかしこの作品。実は内容は大幅改変のもとで生まれています。理由は単純でホセの立場。ホセは原作では盗賊団の一味に実を落とすというところまでは変化がないのですが、その理由が上司を殺してしまったゆえにというのが原作ではあります。さらにホセは登場人物を一人殺していますが、ビゼー版では逆に殺したのはカルメンだけになっています。また劇中では出る婚約者も、原作では出ず、カルメン自身も若干の悪どさが原作には入っているといいます。またラストシーンが微妙に違うのも特徴的です。原作派はそれを嫌ってか、大幅改変をビゼーは余儀なくされていますが、逆にその改変が見事にあたってしまう形になってしまいました。ある意味原作通りだったら、今までに残らなかった可能性もあったかもしれません。

 次回はビゼーのもう一曲。


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?曲目 (正式ナンバリング)

2014年01月03日 | クラシック

 そういえば書きためはあるんだけど、今年最初のものとして。ずっと前からストップしていたゴドフスキーは黒鍵のエチュードの変化全7曲の予定だったのですが、最後まで揃わなかったのでこの曲に変更です。

 ゴドフスキー 左手のための前奏曲とBACHのテーマによるフーガ (アムラン)

 

 成立年代 1929年

 時代区分 後期ロマン

 形式 前奏曲+フーガ

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 上級・上級中

 楽譜入手 日本国内限定だとかなり難しいので、外国版を探した方がいい (IMSLPに存在を確認。ゴドフスキーが書いたものもある。ただしダウンロードには注意)

 アレンジ/使用場面 なし

 ショパンのエチュードによる変奏曲的なエチュード集のせいで、超がつくほどの超絶技巧ピアニストとして、その作曲家としては不当な扱いを受け続けたゴドフスキーの一曲です。最近では再評価されている作曲家の一人で、度々演奏する機会が多くなってきましたが、その性格上からなかなか演奏するとすれば要求されるもののハードルが高い曲が多いのも事実です。この曲もその一つですが、この曲はブラームスの左手だけのシャコンヌ同様、左手だけで弾く曲です。左手のシャコンヌのように手を大きく広げたり、無理にアルペジオを使って大きくするということはない曲ですがその分左でだけで両手で引くと同じ難易度の曲をひくことになるので、かなりキツ目の難易度だと思います。

 基本的にメロディーを弾くのは高音部の多い右手ということになるのですが、左手でそれを賄う極というのもあります。たとえばシューベルト=リストのアヴェマリアなんかは最初は両手でメロディーをとって、後半部は左手でメロディーを取る必要がありますし。ドビュッシーの「夢」の再現部の冒頭4小説は右手と左手がせわしなく動きます。アルカンの「風」も前半と後半はメロディーを取る場面があります。左手の重要性というのが大きくなって行くのそうですし、そのための技術の生み出され見かがれてきました。それゆえに左手専用の曲なんかが生まれてきたわけです。そのきっかけになったのはいろいろありますが、ゴドフスキーは左手の技巧アップをかなり重視していましたし、スクリャービンは無理な技巧曲をやったために右手を怪我してしまい、そのために左手だけでできるようなことをした結果とんでもないレベルの曲がいくつも出来上がってしまったというように、色々なきっかけがあります。それゆえに弾きこなすためにはごまかしが効かないということになってくるのですが。

 練習曲のように極めて技巧的に曲を弾きこなすのもいいでしょうが、曲ですから基本的には感情などを込めることもあると思います。そうなった時にどれだけ引き込めるのかが大きな勝負になってくるわけで、そうなると結構な場面で日本の音楽教育というのはう~んとなってしまう場面があると思います。音楽自体は自分がどんな環境にあるにおいても、まじりっけなしで勝負できる分野だと思います。前に紹介したダン・ダイソンは神で書いた鍵盤の上で指を動かしていたというエピソードがありますし、ショパンコンクールで圧倒的な存在感を示して優勝したブレパッチは、浜松で行われたコンクールの前に、自宅のピアノはアップライトピアノしか無いとして急遽、ポーランド政府がコンクール2ヶ月前にグランドピアノ(構造的にひけない曲というのが存在するため)を貸し出したという話があります。環境の問題に左右されなければ才能さえあればだれでも勝負ができるのが音楽の世界なはずなのですが、日本の場合はそういうタイプの演奏家というのが少なく、どっちかといえば経済的に余裕のある一家がやるという傾向が強いようです。それゆえに敬遠してしまう人もいるほど、日本では厳しくなっていると思います。

 ゴドフスキーが生きた時代というのはちょうどロマン派の後期から、印象派の時代を経てさらに近現代音楽の始まりを予感させる時代に入ってきています。同時代に生きたピアニストとすればラフマニノフが有名ですし、今的にいえばゴドフスキーの晩年辺りで全盛期を迎えるピアニストの録音がたくさん残っています。その時代の演奏はそのほとんどが基本的にはパブリックドメインなので探し当たればすぐにでも聞くことができると思います。ラフマニノフの演奏も残っていることを考えると時代の深化というのを感じることが出来ます。リストの演奏を誰もが聞きたいのですが、誰ひとりそれを覚えているというのは現代にはいませんし、録音機材があって録音をしたというのは、リストの現役時代の少し先に当たるブラームスのテンパった演奏ですから、そういう意味で言えば時代のニアミスというのも、時には異常なほどな残酷さを感じます。

 次は割合早くできると思います。ビゼー(2回予定)の予定。


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外伝その8

2013年11月15日 | クラシック

 偶然見ていたいたら時代の流れを感じさせるニュースが飛び込んできたので

 プレイエル フルート協奏曲 ハ長調 (パトリック・ガロワ(指揮+フルート)&フィンランディア・シンフォニア)

 

 成立年代 不明

 時代区分 古典派

 形式 協奏曲(フルート)

 形態 フルート(メイン)+オーケストラ

 アレンジ なし(というかIMSLPに楽譜の項目すらない)

 ピアノメーカーとして有名なプレイメルの創始者であり作曲者であるプレイメルの作品です。ハイドンとベートーヴェンと言う二大作曲家に挟まる形の人でしたので、有名だった時期はそれほど長くはありませんでした。しかしその短い時期において最高の作曲家であったと言われており、現在でもこういう音楽が残っています。古典派の主要な流れ的にいえばCPEバッハ→ハイドン→モーツアルト→ベートーヴェンという認識があるがゆえに、流れ的にどうしても埋もれてしまうタイプの一人になってしまいます。それゆえ最近まではあまり演奏されない作曲家の1人になっていましたが、最近では再評価がされて耳にする人も出ていると思います。何しろハイドンと同じぐらいの多作系の作曲家なので、いずれは象徴的な曲も出てくるかもしれません。今回チョイスしたのはフルートの狂想曲。ピアノとかヴァイオリンとかの狂想曲は多いのですが、なかなかフルートとかの協奏曲になると少ないので今回はその紹介も兼ねています。

 クレメンティもそうなのですが、彼の最大の成功はどちらかと言えば作曲家ではなく実業家としての場面のほうが大きいです。ロンドンで財を成したプレイエルはピアノの製造する会社を設立します。これがプレイエル社になります。ここのピアノはピアノ界のフェラーリと呼ばれるほどの存在で、後にショパンも愛用するほどのピアノを作ることになります。この会社を息子と一緒に作った後引退をして、その後会社自体もカルクブレンナー(ピアニストで作曲家でピアノ教師。孫弟子にサン=サーンスがいる)の力によって一気にその実力を上げていきます。後にドビュッシーもこの会社のピアノを愛好していきます。しかし1960年台からその運命は一気に傾いていきます。別な会社と合体したことで独自の音が消えてしまったと言われてしまい、さらに一度はドイツに映るなどの紆余曲折を経て、フランスに戻ってくるのですが、経営状態は芳しくなくピアノも受注して生産するというスタイルに切り替えていたため、徐々に資金ぐらいが怪しくなってきます。そして2013年11月に等々ピアノ生さんから撤退となり、実質的に歴史をとじることになりました。

 最近こう言う有名音楽機械製造メーカーの立場が大きく様変わりしてきています。日本で言えばヤマハとカワイが有名で、その二つの企業に関しては余り揺らめくと言うことがないのですが、海外のメーカーは耐えきれなくてその歴史身幕を下ろすと言うことがよくあります。プレイメルに関してはまだ在庫に関してはストックがあるので大丈夫だとは思いますが、それでも時代の流れを感じてしまいます。2007年から業績不振で超がつくほどの零細企業に変貌してしまったというのもありますが、ショパンが愛したピアノメーカーの終演というのも時代の流れを感じてしまいます。かつて世界のピアノの主流だったべーゼンドルファーも今ではヤマハの傘下ですし、アメリカに拠点があったが故に戦後ピアノの王者に君臨したスタインウエイももし拠点がなければどうなっていたわかりません、何せスタインウエイも元と言えばドイツのメーカーでしたので、戦争のどさくさ紛れで破壊される可能性があったわけです。(日本においてはハンブルグ作られたピアノが多く入っていますし、アメリカで作られたものは何倍に輸出されていることが多いです)ピアノのを製造しているメーカー自体がそれほど多くないので、こう言うニュースを見ると一抹の寂しさを感じてしまいます。ただ同時に騒音問題があるが故に、電子ピアノのようなものが重宝されてしまうのですが。

 楽器というの時を経ていろいろな価値を持っていくものだと思います。最近では東日本大震災で津波の被害を受けながら生き残ったピアノを復活させるということもありましたし、逆にドイツの空港でバイオリニストが持ち込む予定だったヴァイオリンが税関で差し押さえを食らうという事がありました。パガニーニのカノンのように生前の言葉「使うな」を無視して貸出をしていることもありますし、確認しただけでもグリークの使ったピアノ、ショパンが使ったピアノなどが現在でも残っていて修理と町立さえすればいつでも演奏できるようなものもあります。ただその分逆に手入れが大変なものもたくさんありまして、自分が使っていたアップライトピアノなんかは定期的に乾燥剤なんかを入れていましたし、滑りを良くするためにワックスを使ってふいていたりもしていました。一回衝撃を与えると楽器としての力が全くなくなってしまうというのもありますし、それゆえにトラブルもたくさん出ています。(泥スレで昔でていた)楽器の価値の論議はおいておくとしても自分の近くにある楽器というのは大切にしたいものです。(それ故にピアノ捨てたのはかなり来ているし、今のうちじゃ電子はOKでも無理な話だし……)

 外伝を含めてまだまだ続きますが、正式ナンバーの方はしばらくお待ちください


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???曲目(正式ナンバリング)

2013年08月25日 | クラシック

 久しぶりの更新ですがおもいっきり飛ぶので、正式ナンバリングですが不明です。全12曲で47分時間がかかります。

 ドビュッシー 12の練習曲 (内田光子)

 

 1 5本の指使いのための 2 3度のための 3 4度のための 4 6度のための 5 オクターブのための 6 8本指のための

 7 半音階のための 8 装飾音のための 9 反復音のための 10 対比的な音のための 11 組み合わされたアルペジオのための 12 和音のための

 成立年代 1913年から1915年

 時代区分 印象派

 形式 練習曲

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 上級・上級中・上級上

 楽譜入手 ドビュッシー練習曲集(簡単には見つからないので専門店か大きめの楽譜販売店に行くのをおすすめする。地元の島村楽器にもなかった)・指使いを考えるのが面倒くさければ、ショパン社の全集。

 アレンジ ニコニコに3番のアレンジがある。

 使用場面 思えば入れば11番はCMソングとして使われたことがある

 ドビュッシーの後期(晩年)の作品の一つで全音ではすべてのピアノの練習曲集の中では最高の難易度を誇るものとして表記されているものです。しかしその技巧的難易度は音楽之友社が上級程度と表記していることを考えるとショパン(このショパンのエチュードの編集をやっていて、失われていた制作意欲が戻ってきて作られた結果がこの練習曲集)よりも上で、最高難易度のものと推測ができますが、技巧的にだけ見るならばそれほど難しいというものではないと思います。しかしこれがなぜ最高レベルかというと、いくつかの要因が重なっているからです。一つは指使いは基本的に自分で決めること。IMSLPにも最近ではようやく指使いがついたものが上がってきましたが、日本ではそれ以外だとショパン社が発行しているものしか指使いは書いていません。2つ目は曲の構想を理解しなくてはいけないこと。ドビュッシーの曲の構成を理解できていればある程度はこれはこれなんだなあというのは想像がつきますが、おもむろに弾いても理解はされません。何せ練習曲の性格上、縫製があるものの実質的には無調の曲も存在していますし、ただでさえ難しいところの表現力が問われる曲集も多いので、人によってはウヘェとなってしまうことがあると思います。それゆえに敬遠されることも多いのですが、やはり避けられないものの一つだと思います。

 ショパンやリスト、ドビュッシーは練習曲に大きな革命をもたらした人たちといえまず。それまでの練習曲といえば、音楽性は少なく同じようなことを繰り返すようなことが多かったのですが、彼等の作る曲はこれらに音楽性をもたせた結果、一つのジャンルとしての練習曲というのを作り上げました。とくにショパンの練習曲集というのは革命的すぎた上に当時の有名ピアニストが舌を巻くほどの難易度を誇っていました。それゆえに批判されもしたのですが、これをショパンはあくまで技巧的に書いたのではなく、自分に足りない技工とはなんなのかというのを分析して書いたということです。結界までのレパートリーと称されるほどのOp10の12曲が出来上がったわけです。それを拡大したのがリストでした。演奏効果の高い曲を作るいにあたって、自分が14歳の時に作った曲を改造。求められている技巧はじつはその時とはあまり変わっていないものの、音楽性と難易度が格段に上がった超絶技巧練習曲が作られることになりました。

 ドビュッシーもその系図に入るわけですが、彼の場合は成立年代が最晩年の時期にあったことを考えると、それらの技工の鍛錬よりも表現技法の方に重視を置いていたものと思われます。たとえば1番の5本の指使いのためですが、サブタイトルには「ツェルニー氏による」と書かれています。一見するとツェルニーを尊敬しているように思うのですが、同時期に発表された子供の領分の1番である「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」というのがありまして、それは技巧だけを鍛える退屈な練習曲(これに関しては大きな間違いだと思う。どっちかといえば技法と表現法の練習曲集だと思う)を皮肉った内容で、そのままの内容がこの曲にも出ています。それは最初の場面から出てくるわけで規則的な場面からいきなりドビュッシー風の不規則な表現が飛び出してきて、それが曲想を崩していくという形をとっています。基本的な形を崩さない曲も多くありますが、ドビュッシーはドビュッシーなりの考えで練習曲集を作り上げたと考えます。そのため演奏技能はそれほど難しくはなくとも、指示された演奏表現方法でかなりの難しさが誇る曲というのもありますし。

 練習曲という性格上、作った曲がどうしてもナンバリングするのは無理があるという曲が幾つか存在します。たとえばリストの12の練習曲の11番(前に紹介済み)は超絶技巧練習曲に入る家庭で削られ、7番が11番に移動して「夕べの風景」に。そして開いた7番には「英雄(的)」が新しく作曲されました。ドビュッシーもその曲というがありまして、11番の「組み合わされたアルペジオのための」と、もう一曲が入る候補に上がっていました。結局選んだのは、12曲の中で冒頭部の入りは一番美しいとされる名曲ですが、もう一曲の存在は存在こそ認められるものの、楽譜はなかなか見つかりませんでした。しかし最近になって楽譜が発見され「失われた練習曲」として発刊されることになりました。(ただこれ日本で安易に入手できるのかは不明)

 ドビュッシーは3曲予定


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???曲目(正式ナンバリング)

2013年07月11日 | クラシック

 ナンバリングをいくつかすっ飛ばす形での紹介です。理由は楽譜入手なんですが、この楽譜ちゃんとしているんだけど、かなり古くて元々の値段は450円。今だと約3倍の値段がする。今回は正式ナンバーですが、彼に辿り着くまでには時間がかかりそうなので、とりあえず?扱いにします。

 ムソグルスキー 展覧会の絵 (ラヴェル編集版) (カルロ・マリア・ジュニーニ フィラデルフィア管弦楽団)

 

 作曲年代 1874年

 時代区分 後期ロマン

 形式 組曲・小品集

 形態 原曲 ピアノ独奏/アレンジ オーケストラ

 ピアノ難易度 上級中~上級上 (全体・基本的には中級レベルの曲が集まっているが、難易度の高い曲が混じっているため)

 楽譜入手(ピアノ) 全音・音楽之友社(ウィーン原典版)・ドレミ出版

 アレンジ これ。ピアノだとリムスキー=コルサコフとホロヴィッツ版あり・オーケストラもストコフスキーを含めたくさん、ギター単独で山下編があって、シンセサイザーの富田版(*1)、さらにロックアレンジもある。

 使用場面 たくさん・最近だと珍百景にキエフの大門のラスト部分が使われている。

 参考 ピアノ版 (キーシン)

 

 ピアノ楽譜に関しては全音の難易度設定が数少ない最高ランク(*)のままここまで維持してている数少ない曲集の一つであるムソグルスキーの大作展覧会の絵です。無くなった親友のハルトマンのために作られたこの曲は氷弾音楽の一つの傑作として捕らえることが出来ます。全10曲の絵とそれをつなげるためのプロムナードという編成は後に大きな影響をあたえた曲の一つとも言えます。その証拠にこの曲はかなりの数の人が色んな所でアレンジを繰り返しています。今日紹介するのはその中でも誰もが知っているラヴェル編の展覧会の絵です。最初のプロムナードをトランペットの演奏で始める印象深い曲です。

 それ故にある時期まではこの原曲は難易度の高い、それでいて演奏的効果の薄い曲だと思われていて、リムスキー=コルサコフ版の編曲がよく使われていました。それを打ち破ったのがリヒテルで幻のソフィアライブで発表されると世界中に衝撃を与えました。以後原曲版として、今ある楽譜という形で見ることができるようになりました。そのリヒテルを始めとしてラヴェル版を批判することがありますが、曲想自体が印象派にもとらえられることができるのと、国民楽派にもとらえられることができるので、この辺りは聞く人の好みになると思います。後者の関係で聞きたい人はストコフスキー版を聞くといいでしょう。ラヴェルがトランペットで行った部分を、ヴァイオリンで処理しているのがストコフスキーの特徴です。ピアノ版でもうちょっとらしさがほしいのであればホロヴィッツ版でもいいでしょう。

 ムソグルスキーが作品のモチーフにしたのは以下の10作品です(プロムナードを除く)

  1.  小人(グノームズ)
  2.  古城
  3.  テュイルリーの庭 遊びの後の子どもたちの口喧嘩
  4.  ビドロ (牛車)
  5.  卵の殻をつけた雛の踊り
  6.  サムエル・ゴールデンベルグとシュミュイル
  7.  リモージュの市場
  8.  カタコンペ
  9.  ババ・ヤーガの小屋 (鳥の脚の上に建つ小屋)
  10.  キエフの大門
 の全10曲です。これにプロムナードが冒頭といくつかの曲と曲の間に合計5回入ります。ラヴェル番は第5のプロムナードを原曲から外していますが、人によっては8番目と9番目の間にある「死せる言葉による死者への呼びかけ」を6番目のプロムナードと捕らえる人もいます。それゆえに解釈がかなり難しいでも同時にあります。単純に言えば最初のプロムナードと最初の小人につなげるまで、最初の終了の合図を動見るかです。楽譜を見るとアタッカと書いてあるので、基本的には途切れさせずに曲に入るという指示も出来ます。しかしこの曲は30分もかかる長丁場の曲です。最初の段階から一息つこうとして少しだけ間を開けることも演奏上では考えられます。
 
 曲自体はハルトマンの絵の解釈なので当然その絵画というのは現座位でも多く残っています。ただ昔は研究が全く進んでいなかったので、どれがどの絵に該当するのかがいまいちわかっていなかったそうです。さすがにあからさまに分かるのもありますが、基本的にハルトマンの絵は大きくないのが特徴ですので、わからないというもあったそうです。その代表的なナンバーがビドロ。単純に言えば牛車のことなのですが、実はそれに該当するという絵が見つからなかったそうです。で、最近ではこの解釈単純に牛ではなく、ポーランドの圧政に苦しんでいる人のスケッチという絵が該当しているとされています。そうなると、この曲名の解釈も大きく変わっていきますが曲想自体はなるほどあっている感じがします。ただしラヴェルの解釈はそのまんまの「牛車」。ピアノ版と聴き比べる時にこの辺は注意した方がいいかもしれません。

 ムソグルスキーはもう一曲やる予定です。

 (*1)元々は手塚治虫の実験的作品のサントラとして、ラヴェル版を考えていたのだが、著作権が1998年まであったので、当然使用するには許可が必要だがその金額が膨大だったために諦めて、富田烈に依頼してできたのがシンセサイザー版。今見ることができるのは一部カットしたヴァージョン。

 (*2)楽譜集の後ろに難易度設定があって、昔の全音は出している楽譜が少ないために第1過程から第6過程まですべての出版物を書いていた。この時の難易度設定が鬼畜で、今の難易度設定を一つ落としたのが当時の難易度設定になっている。しかも第5過程の基礎練習がショパンのエチュードだけで第6過程にいたっては平均律2巻とブラームスが4過程からのからの繰り上げで持っているだけで、他にはドビュッシーの練習曲集しかなかった。ツェルニー60番でさえ50番と扱いが同じ第4過程にあるという状況。で、展覧会の絵はこの中でも第6過程の中に入っている。音楽之友社の難易度設定は上級から上級上扱い。


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外伝その6

2013年04月28日 | クラシック

 外伝シリーズは前に紹介した曲か演奏家(ほとんどピアニスト)にスポットライトを浴びさせる形のスタンスに落ち着いた形です。今回は度々登場するこの人。

 ショパン マズルカ風ロンド (リヒテル

 

 成立年代 1826年

 時代区分 初期ロマン

 形式 ロンド

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 上級・上級中・上級上

 楽譜入手 ロンド集・日本だと「プレリュードとロンド」でワンセットになっていることが多いので入手しやすい

 アレンジ・使用場面 なし

 参考 (小ロンド形式) ベートーヴェン エリーゼのために (リシッツァ)

 

 (ロンドソナタ形式) ベートーヴェン ソナタ悲愴 第3楽章 (グールド)

 

 度々ここでも登場するロシアのピアニスト、リヒテルです。日本ではプロジェクトXでヤハマのクラシックピアノの躍進を作ってくれた人というイメージが有るかもしれません。今回はその人のたくさんのレパートリーの中からショパンのマズルカ風ロンドの紹介です。ロンドというのは日本語言うと輪舞曲といわれるもので、一つの主題を挟む形で、別な主題が入ってくる曲のことを指します。よくソナタなどの最終楽章に見られる形式の一つです。主題ごとに分けるとロンド形式というのは幾つかにわかれることができます。

 基本的なロンド形式はABACAという形です。これは小ロンド形式と呼ばれるもので規模は小さいのですが、最初に触れるとすればこの形式の曲が多くなると思います。性があるということは当然大ロンド形式というのもありまして、それはABACABAという形式になります。ロンドはソナタの一楽章という部分もありますが、元々は舞曲ですし、ひとつの曲の形式としてどんどん作られて行きました。ここから発展する形でベートヴェンの時代にはロンドソナタ形式という形式が生まれています(形式準はABACABAの後半のABAをソナタ形式に当てはめるというやり方。つまりABA’というソナタ形式を取りながら、ロンドの形式も同時に満たすというスタイル。ソナタ悲愴の第3楽章がこの形式。)この曲はショパンが16歳の頃の作品で、この前年には作品番号1のロンドが出版されています。ショパンのロンドは形式に囚われ過ぎという批判がありますが、音楽的に急成長してきた時期と重なりますので、ショパンを1から始めたという人にとっては研究するに値する作品の一つだと思います。

 リヒテルという人はクライバーンの時にも紹介したのですが、当時の西側諸国の人からすれば幻のピアニストでその演奏スタイルはどうだったのかさえわかりませんでした。それ故にその演奏を聞いた人の口コミでしか知ることができませんでした。その彼が西側諸国の人に形として出てきたのは1956年ソフィアで行われたライブです。このライブでは廃れかけていた展覧会の絵の原典を演奏。一般的に演奏されていてムソグルスキー版を端に追いやるほどの衝撃を与えました。それを増幅させたのがクライバーンの言葉でした。それほどの偉大なるピアニストでしたが、当時のソ連は彼をなかなか西側諸国だそうとはしませんでした。彼の父親が西ドイツ出身だったことでスパイを疑ったという話がその原因だと言われています。西側諸国に初めて出たのもピアニストではあるものの、伴奏者としての立場での出国でしたし。

 なかなか人を認めないリヒテルが認めたとされるピアニストの一人にあのグールドがあげられます。この二人には後に伝記を書いた人が、グールドがカナダに来いといったら、リヒテルがロシアに来たらあってやるというエピソードしています。ただこの二人音源の残し方は対照的です。グールドはスタジオでの収録を重視していました。これは些細な間違いなどを治すことができるのと、ニュアンスを組み替えることができる分いろんな捉え方ができるという側面があります。逆にリヒテルはスタジオ録音を嫌い、基本的にはライブの録音にこだわります。また、当時は余り演奏されることのなかったシューベルトを早い段階からレパートリーに入れて演奏して評価もされています。レパートリーは幅広く平均律からプロコフィエフのソナタまで幅の広さを見せつけています。そのプロコフィエフからソナタ7番の初演奏を任されたこともあるほど信仰が深く、ソナタ9番は彼に献呈されています。

 外伝の次回は多分グールド。


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外伝その5

2013年03月03日 | クラシック

 またひとりクラシック界の巨星墜つ。

 リスト ハンガリー狂詩曲 第12番 (ヴァン・クライバーン

  

 成立年代 1847年

 時代区分 前期ロマン

 形態 狂詩曲

 形式 ピアノソロ

 ピアノ難易度 上級中・上級上

 アレンジ・使用場面 アレンジとしてオーケストラ/ヴァイオリンとピアノがIMSLPある

 楽譜入手 リストハンガリー狂詩曲集 

 アメリカを代表する、文字通りアメリカンドリームを体現した男ヴァン・クライバーンの演奏です。後にクライバーンコンクールというコンクールの元になった人物で、今年開催される予定でしたがその前の今年2月27日に亡くなってしまいました。前回のコンクールでは日本人初の優勝者として全盲のピアニストの辻井伸行(と中国の人とのダブル受賞)が選ばれました。それから4年。今年はそのコンクールの開催年を前にして、きっかけになった人の訃報が飛び込んでくる形になってしまいました。

 このコンサートは元からセレブのためのコンサートという意味合いが強く、そのため優勝者には莫大な賞金と演奏会3年ぶんの契約が舞い込んできます。それゆえに練習時間が足りなくなって潰れてしまうピアニストが優勝者に多かったということがありました。さすがにここ最近は契約期間こそ変わらないものの、演奏会の回数は減らされています。しかもアメリカンドリームを体現するかのように予選の段階からコンサートの別部門が始まっているもの特徴で、課題曲をアメリカ人から募集するところから始まっています。そのうえ課題曲が豊富にあるわけで、世界一過酷なコンクールといわれる所以にもなっています。

 クライバーン自身は冷戦時代のモスクワに乗り込んで世界最高クラスのコンクールであるチャイコフスキーコンクールに優勝。実はこの時のコンサートは政治的な意味合いが強かったのですが、それをはねのけてスタンディングオベーションまでもらうほどの演奏だったそうです。歯科もこの時にはリヒテルが審査員として立ち会っており、彼以外の点数を0にしたという話と、審査員がわざわざフルシチョフのところまで言った賞を与えるのに許可を取りに行ったというエピソードが残っています。さらに帰国後発売したチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番の売上が7週連続1位を獲得、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番も10位に入るなど、まさにアメリカンドリームを体現した男となりました。

 クライバーンといえばこの審査をしたリヒテルが対照的な人だと思います。すでに世界的名声を得ていたという状況ではなかったリヒテルは、この当時西側諸国にとっては幻のピアニストでした。当時は冷戦下の影響で音楽的名声は遭ってもその演奏スタイルはどうなんだというのが一切わかっていませんでした。ようやくわかりはじめたのが1958年のソフィアライブを収録したLPが西側諸国でも発売されたこと。これはリヒテルの名声を一気に開花させただけではなく、それまで謎だったヴェールを剥いだ真の姿とも言える演奏。さらにその演奏で有名になった「展覧会の絵」の原版の曲(ピアノ版として有名だったのは原版ではなく、当時はムソグルスキーが作曲者リムスキー=コルサコフの死後に行った改訂が基本だった)としての至高が表現されることになりました。そのリヒテルの演奏を聞く機会の合ったクライバーンは「生涯聞いたことないぐらいパワフルな演奏」だったと評しています。このリヒテルが西ヨーロッパやアメリカに出てきてセンセーショナルを巻き起こすのは、クライバーンがチャイコフスキーコンクールを優勝してから2年後のことになります。

 このリヒテルについてはまた取り上げることがあると思います。


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(仮)87曲目

2013年02月11日 | クラシック

 元のほうが全然進まないので、今回は寄り道と言う名の正式ナンバーです。

 今回は全開のラストにいったゴドフスキーの予定(実はまだ曲が見つかっていない)を変更して、ある共通点のある曲をそろえてみました。まずはこの4曲の共通点を考えてください。答えはこの下にありますが、とりあえずは下をすぐに見ないように。

 ショパン練習曲 Op25-2  (エミール・フォン・ザウバー)

 

 ウェーバーソナタ第1版第3楽章 ロンド (不明)

 

 バッハ 無伴奏ヴァイオリンソナタより第4番・プレスト (ヒラリー・ハーン)

 

 バッハ 無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番より第5番・シャコンヌ (ハイフェッツ)

 

 成立年代 ショパン 1832年から36年の間/ウェーバー 1812年/バッハ プレスト・シャコンヌ 1720年頃

 時代区分 1・2 初期ロマン派/3から5 バロック

 形式 1 練習曲/2 ピアノソナタの中のロンド/3・4・5 組曲の中の1曲 5・変奏曲

 形態 1・2 ピアノソロ 3・4・5 バイオリン

 ピアノ楽譜入手 1 ショパンエチュード集 2 ウェーバー ペーターズから出ている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 答え ブラームスがアレンジした練習曲集の元ネタ

 ブラームス・5つの練習曲 (5スタディ)

 第1番 ショパン 25-2による (右の単音進行が和音進行になっている)

 第2版 ウェーバー ソナタ第1番 第3楽章のロンドによる (左手と右手を入れ替えている)

 第3番 バッハ 無伴奏ソナタ第1番 第4楽章 プレストによる (右手主題で左手を加えている)

 第4番 バッハ 無伴奏ソナタ第2番 第4楽章 プレストによる (3番の逆。左手で主題を取り、右手がサブになっている)

 第5番 バッハ 左手によるシャコンヌ (左手だけで演奏)

  (1曲目から4曲目までイディル・ビレット、5曲目のシャコンヌのみツィメールマン)

 

  参考 バッハ=ブゾーニ シャコンヌ (グリモー)

 

 成立年代 1852年から1877年

 時代区分 前記・後期ロマン

 形式 編曲による練習曲集

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 上級・上級中・上級上

 アレンジ これ自体がアレンジ (2の元曲に関してはチャイコフスキーが左手のみの演奏用と形でのアレンジがある。5にいたってはたくさん)

 使用場面 5・CM的な画像がある

 試用場面 たびたび

 楽譜入手 国内盤の楽譜は入手困難、バラけているのは通販でやっている

 というわけで答えは全てブラームスの編曲練習曲集にはいっているものでした。シャコンヌはブゾーニの編曲の方が有名すぎてこっちはかなり地味目に映るかもしれません。左手だけに特化した結果ブゾーニよるもの音の数はありませんが、求められる技巧に関しては練習曲というカテゴリーにしてはほぼ基本的な部分から応用的な部部まで含めて要求されるような難曲に仕上がっています。しかもこの曲比較的弾きやすいという側面がある反面、求められるハードルは他の4曲に比べると遙かに高くその部分からすると考えさせられてくる場面があります。本当に指の広がりがないなあと感じているなら、右手でのアシストも考えるべき曲だと思います。いくらなんでも2オクターブをアルペジオとはいえ一気に駆け上がるのもかなりの手の大きさがいると思いますし。今回は定番になっているバッハ=ブゾーニのシャコンヌも紹介します。

 よく練習曲は技術的な練習曲と、演奏会にも使えるほどの小品として昇華したもの(演奏会用練習曲)の二つの中の間に入っています。技術的なという意味での代表はハノン・ビシュナ60・ブラームス51、最近ではビシュナの前にやるべきされるリトルピシュナなどがあります。演奏会用練習曲の代表格は、やはり同名のタイトルを持つ練習曲集を持つリスト、ショパン、ブルグミュラーの25もこの部類に入ってきます。後者の練習曲は技工を鍛えるという部門があるのと同時に、感情面での配慮が大きく求められているという側面を持ち合わせていますので、実際技術的には問題なく弾けても、曲に感情をもたせるうような演奏をする場合は難易度が上がってくるわけです。それゆえに演奏会用練習曲なんて一見相反するうようなタイトルが付けられているのですが。

 5番目のシャコンヌが生まれたわけには、クララ・シューマンが大きく関わっていると言います。クララ・シューマンが何らかの原因で右手が使えなくなった時がありまして、その時にブラームスが作曲したといわれるのがこの曲だと言われています。それゆえに引く人間を少し選んでしまうという側面と、手の帯域が狭い人にとっては右手を使わなくてはいけないほどの音域の広さ、さらには片手故にごまかしが聞かないなどの側面があります。左手だけゆえに、キーがオクターブ分下がっているのですが、そんなことを感じさせないぐらいの深みのある単音中心の曲になっています。他のピアノ編曲はピアノであることを最大限に生かしているので、そのいずれもが超高難易度の曲になっているというのもうなずけると思います。

 オーケストラの曲を編曲する、若しくはその逆を編曲するというのはよくある話です。たとえばリストはベートーヴェンの交響曲のピアノソロへの編曲をすべての曲(注:ラ・カンパネラを含むパガ大・超は作曲扱い)で行なっていますし、わざわざ連弾用にアレンジを加えるということもあります。初期の楽譜とかにもあることですが簡易化のための編曲もあります(ショパンのピアノ協奏曲第1番の簡易・短縮版の楽譜を所有している)。リストは数多くの作曲家の作品の編曲をしていて、これ以外にもシューマンの「献呈」・シューベルトの「魔王」「アヴェ・マリア」を含む12の歌曲のソロピアノ(これとは別に「野ばら」もある)、ワーグナーのタンホイザーマーチの序曲など、有名無名の作曲家の編曲が300以上存在しています。通称サール番号の350番以降がそれにあたるのですが、リストのバイタリティを知るのにはこの数を見るだけで十分だと思います。そのリストをブラームスはまったく評価していなかったのですが。(対立するワーグナーがビューローから略奪した嫁の父親を絶賛するだけでおかしいけれど)

 次回は本当にゴドフスキー……出来ればいいんだけど


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外伝 正月編

2013年01月04日 | クラシック

 正月編として一つ変わり種を。と言っても内容自体は、前から書きたかったものなんだけど。

 ショパン ソナタ第1番 第3楽章(アシュケナージ)

 

 成立年代 1828年

 時代区分 初期ロマン

 形式 ピアノソナタの1楽章

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 中級上・上級 

 楽譜入手 ショパンソナタ集

 アレンジ なし

 参考 テイク・ファイブ (作曲者がピアノとして参加しているもの。66年)

 

 ショパンのピアノソナタ第1番の第3楽章です。ショパンのピアノソナタは2番・3番は良く聞かれるのですが、1番は若いころの作品であるせいか、まだ芸術的に成熟していないのかあまり演奏されることはありません。さらにこの第2楽章というのは当時としてはかなり異質の曲で、感覚で物をつかまないと演奏するのさえ困難だといわれています。この曲は5拍子の曲でいわゆる変拍子の曲です。普通奇数の拍子というと3拍子が思い浮かびますが、5拍子、7拍子という曲もあります。ただこれらの曲は既存の拍子(テイクファイブだったら3+2というふうに)を組み合わせた感じの曲になっていますが、この曲は純粋に5拍子による曲(スラブ民謡とかでは使われる形式)です。

 この曲はショパンが18歳の頃の作品のためいまでもさほど評価されていない節があります。現実問題前回のショパンコンクールで、この曲をひいたピアニストはいません。どちらかと言えば秀作の延長線みたいな扱いになっているのですが、ショパンの貴重なワルシャワ時代の作品の一つとして、クローズアップされてもいい作品です。ショパンが生涯で作曲したソナタはピアノソナタ3曲とチェロのソナタ。ショパンはソナタと協奏曲には自分の持っている技術を詰め込むだけつめ込むという傾向がありますので、この曲も青年ショパンの持っている技工がタップリと詰まっています。この曲の場合はこれに後の作品によく現れる左右非対称な数(例えば2つ左手で音を伴奏する間に右手は7つひいてみなさいか)での演奏とか、多数現れていますので後の作品の傾向をつかむのには最適な曲だと思います。演奏する人間の感覚の問題もありますが。

 ショパンは当初作品番号3としての出版を求めていましたが、まだマイナーな存在だったがゆえに出版社は難色を示し、結局チェロとピアノのための序奏と華麗なるポロネーズが先に出版されてしまい、それが作品番号3(後にピアノ独奏にショパン地震が書き換えたものも発見されている)に。で、ソナタ第1番が作品番号4になったのですが、この時はショパンが拗ねてしまい、結果的に出版されたのは死後の1851年になってから。この点でも1番がなかなか演奏されないという事情にもつながっています。いくらショパンの作曲とはいえそれよりも評価も音楽性も高い2・3番があるわけですから、多少古めかしい形式で描かれた曲よりも完成された2番3番の方に飛びつきます。結果的に忘れ去られてしまう可能性の強い曲の一つに名が上がってしまうわけです。

 こういう運に恵まれないで評価されない曲というのはいくつもあります。例えば昔ベートーヴェンでよく演奏されたいた曲なんかはマスケット銃を使うなんてことが明記されていました。その巨躯は昔は人気があった曲ですが、今では演奏されない曲の一つですし、逆に逆にそれまでマイナーだったといえるカルミナ・ブラーナやレスピーギのロミオとジュリエットなどが何度も演奏されているおかげでだれにでも知られる曲になって来ました。チャイコフスキーの「序曲1812年」は大砲を使う曲ですし、マーラーの交響曲第6番は第4楽章で3回ハンマーを使う曲というです。現代でも洗濯機+ガスコンロと料理+ギターなんていうバンド編成がありますし、暗中模索という部分が相変わらずあると思います。損な中で評価というのも大きく変わってきているんだと思います。

 本編進まない……


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(仮)86曲目

2012年11月08日 | クラシック

 そういえばピアノ曲ばっかりの紹介だったことを思い出したんだけど、しばらくピアノ中心になりそうな気が。

 滝廉太郎 荒城の月 (デューク・エイセス以外不明)

 箱根八里 (金沢明子以外不明)

 成立年代 1900年

 時代区分 後期ロマン・日本

 形式 唱歌(中学唱歌)

 形態 不定

 アレンジ・使用場面 荒城の月はベルギーで賛美歌に・箱根八里はたくさんの替え歌が存在する。

 日本を代表する作曲家である早世の天才滝廉太郎の代表曲の一つである荒城の月と箱根八里です。作曲期間がわずか7年。その間に残された曲は34。ピアノ曲2曲をのぞくと全てが唱歌という作曲家ですが、結核さえなければ日本の音楽会を大きくリードしていたかもしれない作曲家の1人です。23でなくなった彼には遺構が多くありましたが、結核に対する偏見もあり死後全てを処分されてしまいました。ゆえに残っているのも現在これだけという状況です。もし結核にかかっていなかったから間違い無く日本音楽界のパイオニアになっていたでしょう。日本の音楽のターニングポイントに立つ人ですが、その活躍期間の短さが惜しまれます。

 15歳で今の東京芸大に入学。4年で卒業をするとさらにその上の研究科に進みさらに作曲も開始します。この間に作られた曲のうち数曲が今でも歌い継がれるような名曲になっていきます。この功績もあったおかげで、メンデルスゾーンが作ったライプチヒ音楽院への留学を決めたのですが、その留学地において到着2ヶ月で結核を発症。生まれ故郷である東京を離れ大分で静養するも回復せずにわずか23歳でなくなってしまいます。その代表作から2つ今回の紹介ですが、他にも歌われる曲が多いことを考えると学校教育における滝廉太郎の影響力の大きさというのが感じることができると思います。

 もともとこの曲は中学生用に作られた曲で、この中では3曲が採用されたのですが、この頃から幼稚園唱歌にも手を出すようになります。その中で出来上がったのが作品集として考えるなら最多の16曲。その中には替え歌としたよく使われる「お正月」も入っています。この後にライプチヒに留学をするのですが、そこで結核にかかってしまいます。ピアノ曲2曲(全音ピースでまとめられて出版されている)、残りは全て唱歌という作品集はこうして出来上がってしまったわけです。

 日本の西洋音楽会の最大の悲劇はやはり鎖国などに寄る乗り遅れと、最初からいきなりドイツ系後期ロマンの範疇に入り込んでしまっていることだと思います。これにあとから入ってきた印象派主義を中心とする勢力とのせめぎあいがあり、曲自体は生まれるものの名曲と呼ばれる曲や世界的にいいという曲がなかなか出てこないというのが実情です。日本のクラシックはこの当時はまだ黎明期ですが、戦後ストラビンスキーに武満徹が認められたように、世界的な作曲家というのが何人も出てきます。日本的に言えばゴジラの音楽で有名な人も、クラシック作曲家の1人です。今でこそ簡単に楽譜の入ることのできる時代ですし、クラシックでもそうでなくても簡単に演奏することができます。

 次回はポーランドに戻ってゴドフスキー。超難解練習曲から7曲。探すのが難しいのでちょっと間を空けます。


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