ボッケリーニ メヌエット (弦楽5重奏より・演奏者不明)
成立年代
時代区分 古典
形式 メヌエット
形態 弦楽5重奏
アレンジ たくさん(ピアノソロだけでも2種類)
古典派の一員でありながら、中心線からは外れたところにいるせいで正当な評価を受けられなかったボッケリーニの代表作であるメヌエットです。古典派のメンバーの活躍の場所はドイツ・イタリア・フランスそしてウィーンなどが中心でクレメンティのイギリスとかが引っかかってくるのですが、イタリア生まれのボッケリーニがいた場所はスペイン。そのため他の地域の影響をうけることがなく、独自の表現を追求できたのですが、かえってそれが評価の面では大きな影を落としていってしまいます。
古典派といえば真っ先に思い浮かぶのはハイドン・モーツアルト・ベートーヴェンでそれ以外の古典派の作曲家はマイナーどころかそれ以下の扱いでしたから、彼のように一曲でも当たった曲があったとしてもその価値が認められていませんでした。最近になってその価値が認め出されてきたわけで、この人もその一人だと言えます。スペインでは皇太子の作曲家になったほどで、チェロの腕前も超一流。作風からはハイドンの妻と呼ばれるほど優雅さを持っていた物の、当のスペイン王族からはさほどの評価を得られず晩年はそこを解雇された故に貧困に苦しむことになります。
その作風は言ってしまえば「後ろ向きにも見えるし、100年生まれるのも早かった」ともいえるような人です。優雅さという点では古典派やバロック時代を感じさせるのですが、作風の中にはロマン派やその後の国民楽派を思い出させるような曲もあり、さらにスペイン特有の風も取り入れた作品もあります。これはボッケリーニがこれらの音楽の中心地から離れていたことからその影響を余り受けないで曲を作れたという強さがありました。しかも彼最大の功績は室内楽の形成。作曲を始めた初期には完成されていたこともあり、ハイドンを質・量共に圧倒をしていました。この曲もその中の一曲で、優雅さを感じさせます。
このときの世界情勢の一つとして王族・市民問わず多産傾向にありました。バッハの場合は20人、モーツアルトの兄弟でも7人いましたし、このボッケリーニとトラブルを起こしたカルロス4世とて14人の子どもがいました。しかしそれだけの子どもを生まれながら成人まで生きたというのは半分以下ぐらいのケースしかありませんでした。モーツアルトに至っては姉と自分の二人だけしか成人をしていません。これは当時の衛生の状況と医療の状況が大きく関わっていて、出産自体が文字通り命がけだったこと。さらに、子供が産めても育てられる環境に問題があったとことなどがあげられます。そのため成人する前に病気にかかって死んでしまうなんてことがよくあったそうです。今では逆に中国が一人っ子政策(元と言えば毛沢東の政策のせい)をしているように人口が増えすぎたために、エネルギー問題とかが起きていますが300年前は逆に人口をいかにして増やすかと言うことが問題になっていたような時期でした。
次回はスペインつながりで時計を少し巻き戻します。紹介しそびれたスカルラッティ。