goo blog サービス終了のお知らせ 

世界のはずれから勝手に叫んでみる男の日記・var2

このページは大量の誤字脱字の提供でお送りしています。orz

27曲目

2011年06月26日 | クラシック

 モーツアルト(3回目)

 ピアノソナタ K280 (内田光子)

 第1楽章

 

 第2楽章 

 

 第3楽章

 

 成立年代 1775年

 時代区分 古典

 形式 ピアノソナタ

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 ソナタアルバム2・モーツアルトソナタアルバム

 ピアノ難易度 中級中・中級上・上級

 アレンジ オーボエ5重奏

 長調のソナタでありながら2楽章目に重い曲を配置して、3楽章では逆にこれでもかというぐらい軽い曲を置くというモーツアルトらしいソナタです。自分の曲の上演の時に偶然ピアノの原型であるピアノフォルテに出会い、その表現力の豊かさに感心を持ったモーツアルトが一気に6曲のソナタを書き上げたました。モーツアルトの初期のソナタ6曲は特定の人間のために書かれたソナタであることから、その人の名前をとって「デュニニッツ・ソナタ」と名付けられています。

 モーツアルトは小さい時に父親に連れられてヨーロッパの各地を転々としています。天才と称されたモーツアルトを引き連れての旅でしたが、実際のところは父親の就職活動そのものでしたが、沢山のエピソードを残しながらも結局は全て失敗に終わってしまいます。ただこの時にうけた音楽の教育がモーツアルトに大きな影響として残っているので、父親レオポルトは1教育者としては間違っていなかったともいます。(実際ヴァイオリンの教育書は世界中でヒットしている)ただこの後がまずかった。モーツアルトと上司(関係で言えば、コンピューター的な考えをしない官僚と暴発をしやすい部下という関係か)との仲が折り合わず、モーツアルトはザルツブルグを飛び出してしまいます。この2年前に作曲されたのがこのソナタです。

 モーツアルトといえば早熟の天才というイメージがあります。3歳でチェンバロを弾いて5歳にはすでに最初の曲としてアンダンテを作曲したと言われています。その前に実は作曲をしていたのですが、姉ナンネルが記念に切り取った(元々はナンネルのためにレオポルトが編纂した学習帳をモーツアルトにも使った。その中にモーツアルトが書き込んだものを切り取った)ため、存在がありながらも忘れ去られたという曲がありました。その楽譜が発見されたのは1954年ロンドン。メモから5歳3ヶ月という時期に作曲されたと書かれていることから、最初に作曲されたとされるアンダンテよりも前に書かれたものだということになっています。

 どの作曲家でもそうなのですが、やはりどうしても合わないとかの理由で没になってしまうという曲の構想というのが多くあります。中には構想を持ち曲の概要でも出来て後は楽譜上に起こすだけという状況で、自分が無くなってしまい未完成になってしまうということもありました。モーつアルのピアノソナタ(ソロ)もそのひとつで完成している曲は「18」あるのですが、断片しか残っていなかったり、噴出してしまったもの、さらにが偽作判定のものも合わせると「12」あったのではないのかというものがあります。(偽作以外にも他人の作品だったという判定もひとつあり)時代が遡るにつれやはり資料とかもありませんので、どうしてもこう言うのが多くなってしまいますが、もし完成したらどうなるのかという興味があります。その興味を具体がしたのが「レクイエム」だったりします。逆にどうして作品を止めてしまったのかという代表格としてシューベルトの「未完成」があげれられます。(2楽章まで。3楽章は冒頭部とピアノスケッチが残っている)

 次回はポッケリーニ。活躍した場所故に時代に埋もれた作曲家の一人。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

26曲目

2011年06月25日 | クラシック

 クーラウ ソナチネOp20-1 (アレンジヴァージョン・演奏者は確認できず)

  

 成立年代 確認できず

 時代区分 古典

 形式 ピアノソナチネ

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 ソナチネアルバム1

 ピアノ難易度 初級中・初級上

 アレンジ これ。IMSLPにはなし

 クーラウのソナチネハ長調です。クーラウという人物を知らなくともこの曲を聞いたという人は結構いるかも知れません。ソナチネアルバムの1番を飾るこの曲は至る所で研究をされ、また多数の人にひかれている曲です。ソナチネアルバム1巻と2巻合わせて10曲も収録をされていて、別な作品番号であるOp55のソナチネは2巻も買わないと揃わないようになっています。全音版には最初のソナチネアルバムには収録されていないメンデルスゾーンの曲が入っていたりと、楽譜を出版している会社にとっては独自色を出しているところもあります。

 ちょうど時期が古典派からロマン派に移行しようとしていた時期なので、やはり彼の作品にもロマン派的要素は含まれています。ベートーヴェンから多いな影響を受け自身もフルートの曲を多く作曲していたことから「フルートのベートーヴェン」と呼ばれていました。スゥエーデンなど北欧に弟子を持っていて、さらにデンマーク語でのオペラなども作曲をしています。ただ彼自身はドイツの生まれ(そのためベートーヴェンの影響を受けたとも言えるが)で、井戸に落ちて片目を失明、病弱だった上に当時のヨーロッパはナポレオンによる戦争のまっただ中でしたので、それを避けるためにデンマークに移住しましたが、これが大当たりをします。宮廷内音楽家として採用されると、そこで生まれ持っていていた作曲の際を発揮。ピアノソナチネだけではなくフルートの音楽的地位を上げた人として、有名になっています。 

 たびたび登場するソナチネアルバム・ソナタアルバムですが、元々は同じ時期に作られました。それぞれ学習用としての感じが強いのですが、ソナチネアルバムの場合は程度に合わせて出来るようにいくつかの小品が混じっています。モーツアルトのロンド、ベートヴェンのロンド、シューベルトのソナタからの楽章、バッハの平均律の1巻のハ長調のプレリュード(ひくだけだったら誰でもできるけど、濁りやすいのでこの中ではやや難しめ)やインベイションの1番、シューマンからも「楽しい農夫」など数曲などが収録されています。進行具合に応じてやるものとなっていますが、そのままレパートリーとしても十分使えるような曲だと思います。ソナチネばかりに目が行く(本によってはそれしか入っていないのもある)のですがこういうサイドメニューみたいな曲にも手を伸ばしていきたいものです。

 次回はモーツアルトの3回目。ひとり挟んでヴェートーベンの3回目。それからバロックの枠で紹介し忘れたスカルラッティの順になりそう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

25曲目

2011年06月24日 | クラシック

 急に用事がもう一個入ったので、来週からのこっちの本格始動の予定を変更。

 27(月)・28(火)・29(水)→更新なし(月・火に用事、水は移行作業)

 30(木)→28曲目だけの更新

 7/1(金)・2(土)・3(日)→通常更新

 4(月)・5(火)→更新休み

 6(水)→通常更新

 7(木)か8(金)のどっちかが更新休みの予定

 これを書いている段階でぐたぐたになっていますが、これでほぼ確定だと思います。余程のニュースが入ってきたら、緊急的に更新をするかもしれませんが、ひとまずこんな感じでいく予定です。

 


 

 

 ベートーヴェン その2

 ピアノソナタ 「月光」 (ウィルヘルム・ケンプ)

 第1楽章 (通称「月光の曲」)

 

 第2楽章

 

 第3楽章

 

 成立年代 1801年

 時代区分 古典

 形式 ピアノソナタ

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 中級上・上級・上級中

 楽譜入手 昨日とおなじ

 アレンジ IMSLPにはないが、管弦楽に編曲されたものがあり。

 参考 ショパン・幻想即興曲 (カツァリス)

 

 3大ソナタの中でも一番有名な第1楽章を持ち全音ピースでは堂々の1番というナンバーをもつ「月光」です。ソナタの基準とすれば大きくハズレてしまうアダージョの第1楽章(それゆえに本来は4楽章だったのでは説もある)。その第1楽章を受けづきながらも、軽い調子で展開されるスケルツォ。ベートーヴェンらしい強烈な激しさを持つ第3楽章で構成されています。元は幻想曲風ソナタとなっていてOp27の2つのソナタとして発表されたもの(月光は2番目)ですが、今ではこっちのほうが主に演奏されることが多いです。(なので、幻想曲風といえば月光ではなく前のソナタが該当する)

 ベートーヴェンといえば、作曲家としての大成功とは対照的に、人間関係には恵まれていなかったという印象が強いと思います。生涯独身、恋に関しては身分違いのせいか一つも成就せず、兄弟の仲もいいとは言えないし、彼自身の性格の問題なのか教えを受けた人間に関しては、一定の期間が終わると離れていく。(例外中の例外としてサリエリがいるが)そういう事を繰り返している上に、自身が人間関係に無頓着な上に、難聴の一件も合わさって結果的に人付き合いは避けていく傾向になったようです。もっとも彼自身変わり者の性格だったようで、博学なわりにはホームレスそのもののような格好でそこらじゅうをうろついて検挙されかかると言う話もあったようです。この性格をさらにパワーアップさせたのが後に双方ベートーヴェンを崇拝しながら、対立をして論争の中心に周辺をも巻き込んでいくワーグナーとブラームスなのですが。

 そんなベートーヴェンでも出来なかったこと。それは今でいうエチュードの作曲でした。全音からは一応教則本の一種として本が出ているのですが、本格的な練習のための曲というのはさほど有りません。すべての楽曲をやれば時代の技巧は全て身につくとは思いますが、それだと膨大な時間が必要になってくるので、有効な手段ではありません。そのためには自分のモテる技巧を張り巡らしたエチュードが必要になってくるのですが、結局彼の生存中には形にはなりませんでした。しかしそれを知っていたのは弟子のツェルニー。彼は師匠を越える多作な作曲だった=金銭的に困ることがなかったゆえに、研究を重ねる時間が多くありました。そのためこれからピアノを始める人から、超上級者まであらゆる段階を想定した練習曲を多く作曲をして世に出すことができました。このツェルニーからリストが出てきて、さらにそのリストから数多くの弟子が出てきて、その弟子の先から現代のピアニストが多数出てきています。

 参考にショパンの幻想即興曲を入れたというのは、ひとつの説として第3楽章をモチーフ(ほんの2小節程度)にしたのではないかと言われています。他にもモシェレスの幻想曲を真似したのではない(楽譜を見たが確かににている)のかと言われてもいますが真相は不明です。そういう状況故に彼は死後になったらこの楽譜は廃棄してくれと言っていたそうですが、その友人はその言葉を無視して改定した上(1960年代に入って自筆譜も発見された)で発刊してしまいます。皮肉にもこの曲がショパンの中では有名な曲の一つになってしまい、演奏される機会が多い作品の一つになってしまったのですが。

 次回はクーラウ。ピアノの作品が続きます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

24曲目

2011年06月23日 | クラシック

 ベートーヴェン その1

 ソナタ 悲愴

 第1楽章 (フレディ・ケンプ)

 

 第2楽章 (バレンボイム)

 

 第3楽章 (クラウディオ・アラウ)

 

 成立年代 1798年

 時代区分 古典

 形式 ピアノソナタ

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 ソナタアルバム2・ドレミピースギャラリー「月光ソナタ」・全音「3大ソナタ」・各社ベートヴェン「ソナタアルバム」・どっかから出ていたかわからないがある作品集にも収録されていた

 ピアノ難易度 中級中・中級上・上級

 アレンジ 第2楽章のみオルガン・チェロ+ピアノ、これ以外にも多数ポップスにアレンジがある。

 重苦しい序奏から激しくそしてドラマチックな主題に変わる第1楽章、3大ソナタの中でも一番美しいとされるメロディーラインを持つ第2楽章、そしてあっさりとしていながらも時折見せる苦悩が印象的な第3楽章という流れで展開するソナタ悲愴です。「月光」「熱情」とあわせてベートーヴェンのソナタ全32曲の中でも有名ですので3大ソナタと言う人もいます。ベートーヴェン自身この曲だけは最初からタイトルの中に「悲愴」という言葉を入れていたので、そのまま曲自体が「悲愴」と名付けられました。

 この曲は全体的に古典派の範疇から外れるような印象があることから、ロマン派の入り口にある曲だという人もいます。時期的に行ってもまだロマンを代表する作曲家は生まれていない時代ですので、この曲の意味というのが大きくなってきています。古典派の作品でありながら感情をこれまでにむき出しにしてしまうような曲というのは明らかにロマン派の作品と言っても通じます。問題は解釈の方法ですが、機械的にひく場合もあれば感情むき出しにして引く人もいるわけでそのあたりの感じ方をどうするのかが問題になってくると思います。

 ベートーヴェンといえば人生の半分以上が耳が聞こえなくなる(づらくなる)という音楽家としては致命的な病を背負っています。ただしこの病気に関してはいろいろな話があるのですが、人の声は聞こえないのだが、弟子がピアノのミスをすると「違う」といったとされるエピソードからすると一定の高音に関しては聞こえていたのではないのかという話があります。自殺を敢行したこともありました。それでも第9などの大作を完成させるなど、ある意味作曲家としての執念を感じることができます。

 次回はベートーヴェンのその2。「熱情」「悲愴」と来れば……


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

23曲目

2011年06月22日 | クラシック

 クレメンティ その2

 グラドゥス・アド・パルナッズムから51番から55番 (ダニエレ・ラヴァル)

 

 成立年代 1826年頃に発刊

 時代区分 古典

 形式 練習曲

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 中級中・中級上・上級

 楽譜入手 多分不可能(扱っているはずの楽譜出版社のホムペにも表示されず、山野楽器にもない)・IMSLPのみ。ついでに言えばこの5曲はタウジヒ編集版には1曲も収録されていない

 アレンジ なし

 クレメンティがその生涯をかけて書き続けた練習曲グラドゥス・アド・パルナッズムです。全100曲に及ぶ練習曲にはカノン・フーガ・二つの主題を持つフーガ・前奏曲・そして組み合わされた組曲など、たくさんの練習的要素が含まれていて、ショパンも生徒に技術的な練習曲としてこれを使っていたぐらいです。単なる技術の曲ではなく、ひとつの曲として向き合うのには最適な練習曲で演奏会なんかのレパートリーに持って行ってもいいような曲が含まれています。しかし100曲故にロマン派の中後期のピアニストからは凡長と切り捨てられ、今ではタウジヒが技術的に有効としてまとめた29曲が一般的に出回っている状態です。最近になって再評価がされてきて、ようやく全部の曲を収録したCDが出されるなど、時代を評価される曲にはなってきています。

 この51番から55番というのは5曲ワンセットの組曲で、1曲目と2曲目、3曲目と4曲目がひとつになるような形になっています。4曲目は2つの主題を持つフーガで、普通のフーガに比べると多少難しくはなっています。最後の5曲目はプレストになっていて、まだ速さがどういうものかというのが分かっていない人には、この曲を練習すればそれがどういうものなのかというが分かってくるという感じになっています。(実際は音符の都合上3番が一番早く感じるが、3番目はそれ+交差の練習曲も兼ねている)数曲ワンセットの組曲というのは、この曲集の特徴で、一つの曲して曲想とかを考える必要が出てきます。

 練習曲というと大きく分けると技術的なものと音楽的なものに分かれます。技術的なものはそのまんまの意味で音楽性をかなり犠牲にして、ひたすら技術の向上だけを目的にする曲のことで、引き終えたときには相当の技術が付いている反面、無味乾燥な曲を繰り返すということしなくてはいけません。ハノン・ブラームスの51の練習曲などがここに含まれます。一方それに音楽性を少し持たせたのがツェルニーであり、この曲集だったりします。さらに音楽性を持たせるとその音楽単体でレパートリーになるわけで、演奏会用練習曲として成立します。ショパン・リスト・バッハの主要な曲もここに入ってきます。ただしツェルニー50だって演奏会の題名に上がったほどですので、やはりひく人がどこまで極めたのかというのを考えるとよほど無味乾燥ではない限り練習曲とて演奏会の中の一極になるとは思います。

 練習曲を極めすぎてしまった代表格がリストなわけで、超絶技巧練習曲はそのひとつひとつは練習曲の延長線上で、求められる技巧は突き詰めて考えれば基本的な部分を発展させたものなのですが、それを極めてしまうととんでもないレベルになってしまうという典型です。特に改定前の第2版(第1版は12の練習曲として全音から楽譜が出ている)は、まだピアノが固まっていない頃もあってその名のとおり超絶技巧にふさわしい曲であり、しかも今のピアノでは演奏不可能と言われている曲があります。今よく弾かれている第3版でさえ、上級課程に入った段階だとまだ入り口にも立っていないという段階だと思います。極めるととんでもないレベルになってしまう。しかしその曲をひけた達成感というのは想像以上のものを感じる。それが練習曲の使命の一つだと思います。

 次回はベートーヴェン(3回予定)のその1


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

22曲目

2011年06月21日 | クラシック

 クレメンティ ソナチネOp36-3 (サンドロ・バルディ)

 

 成立年代 1797ごろに発刊

 時代区分 古典

 形式 ピアノソナチネ

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 初級上・中級

 楽譜入手 ソナチネアルバム1・クレメンティ「ソナチネアルバム」

 アレンジ 2台の編曲版有り(IMSLPにはない)

 クレメンティのピアノソナチネです。ピアノ教師が使うテキストによっては、この段階でしか触ることがない人ですが、この人も実はショパンを本格的に触るのであれば外せない人のひとりになると思います。(理由は次回に)この曲は6連続でひとまとめになるソナチネ集の3番目に当たるもので、6つの曲自体が番号が上がるにつれ難しくなっているように設定されています。

 ソナチネというのは規模小さなソナタという意味で、基本的にな組み方に関してはソナタと一緒です。なので、ソナタの前の子供の練習曲として考えればこれ以上無いもの(ただし研究に関してはごく一部を除いて進んでいないのが現状)になっています。ただしアルカンやラヴェルのようにソナチネという形式をとりながら、中身は本来であれば子どもがひけないようなレベルの物に仕上がっている作品もありますし、サティの「官僚的なソナチネ」(中身はクレメンティに対する皮肉)のように3つの楽章が一気につながったような曲もあります。なので、一概に教育用途も言えないケースもあるのですが、この6曲に関しては最初から教育を意識して書かれているので、バイエルを終わらせた次の練習曲としてブルグミュラー25と併用と考える人もいると思います。(自分の場合はブルグミュラー25が終わった後だった)

 クレメンティの場合は作曲家としての顔よりも、販売人としての顔のほうが強いイメージがあります。彼自身が演奏家として相当の腕(モーツアルトには酷評されていたが、後にベートヴェンはピアノソナタに関してはモーツアルトよりも上と絶賛されている)を持ちながらも、冷遇をそこらじゅうでされまくっていたことから、ピアノの販売の方に自ずと力が入っていました。そのためでしょうか、ジョン・フィールドやクラーマーのような実力のある弟子を抱えていたのですが、販売目的のために弟子使いがかなり荒かったと言う話です。そのせいか事情かとしては大成功を収めたのですが……

 次回はクレメンティの二回目。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

21曲目

2011年06月20日 | クラシック

 サリエリ マニフィカト

 

 成立年代 不明

 時代区分 古典

 形態 合唱曲(宗教曲)

 形式 男性混合合唱

 アレンジ 不明

 映画アマデウスでは完全に適役に回ってしまい、さらに敵役らしい最期まで勝手に付け加えられたことでそう言うな生涯を送られたと思い込まされているサリエリです。音楽的才能に関してはモーツアルトには引けをとったとされていますが、教育者としてはモーツアルトの息子を始め、ベートーヴェン・シューベルト・ツェルニー・リストと偉大なる作曲家を教えていたことを考えるとやはり外すわけにはいきません。

 マニフィカトというのは聖歌の一つで歌詞は決まっています。ので、そこからどう色付けしていくのかが見物ですが、バッハとバロック以前の作曲家のモンテヴェルディの菓子が有名になってしまったこと、長い間モーツアルト・ハイドン・ベートーヴェン以外の古典派の作曲家はその他大勢以下の扱いになっていたことから、評価されることがなかったという悲劇もあり、こういう堂々とした曲でさえもはっきりとした世に出るのは最近になってからです。

 彼が主に作曲の範囲としていたのはオペラや室内楽、さらには宗教音楽という分野でピアノ曲とかに縁遠い部類に入ってしまうのが彼をモーツアルトの脇役以下の存在し押し下げてしまう要因になっていました。最近になってようやく再評価の動きが出ていましたが、それまではモーツアルトの敵役としてのイメージのほうが強く、しかも長い時間を考えて作曲するサリエリとインスピレーションを大切にして早い時間で描き上げてしまうモーツアルトとの対立がそれに拍車をかけたことから、後にロッシーニ(この人もサリエリとは関わりがある)を中心としたイタリアオペラとドイツオペラの派閥が対立したときにドイツオペラの信者が、イタリアオペラの価値を落とすために彼の名前を出したということがありました。

 というのもサリエリはイタリア出身で、16歳にウィーンに移住してきた人です。その後は皇帝のもとで順調に出生を果たしていき高位の地位のまま一生を終える(これも攻撃材料にされる)のですが、その最中にモーツアルトの対立をします。モーツアルトは元々はドイツに近いザルツブルグの出身ですので、ドイツオペラの信者がこの対立を表にだしでしたあることないこと言い出した(この場合は無いこと無いことになる可能性も)ことがそのままイメージとして植えつけられた可能性があり、それが映画アマデウスの衝撃的なラストにつながります。もちろん映画の話は空想なのですが、その中の一つであるモーツアルトの毒殺に関してだけは若干の疑問も残っている(弟子モシュレスにわざわざ無実を言いにきて、かえって疑念を抱かせてしまった)だけに、多少の疑惑がいまでも残る形になってしまいます。(もっともモーツアルトの場合はそこらじゅうから恨みを買うようなことをしているのだが)

 ケチが付いた格好になっているサリエリですが、その地位故(兼職もしていた)に経済的には恵まれ、貧困にあえぐ恵まれない音楽家やその家族(遺族)にも援助をしたりもしています。また彼の残したのは作品だけではなく、ニューイヤーコンサートでつかわれるホールの設計なんかも担当をしています。彼の残した物はその弟子もふくめると偉大なものの一つだと思います。

 次回はクレメンティの1回目。(2回予定)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20曲目

2011年06月19日 | クラシック

 モーツアルト 交響曲 ジュピター (カール・ベーム+ウィーンフィルハーモニー)

 第1楽章

 

 第2楽章

 

 第3楽章

 

 第4楽章

 

 成立年代 1788年

 時代区分 古典

 形式 交響曲

 形態 オーケストラ

 アレンジ ピアノの2台連弾と2台とソロ 2楽章と4楽章のみピアノ3重奏

 モーツアルトの交響曲の中でも有名かつ最後の交響曲ナンバーになるジュピターです。同じような曲で、歌手がカバーしたものがありますが、それは作った人が違います。(ホルスト作曲)ここで言うジュピター(由来は「神」だが)というのは惑星のことではなく第4楽章に見られるド→レ→ファ→ミと続く音の進行形のことです。モーツアルトはこの進行形が好きらしくこの曲以外にも何曲にこの形を使用しています。最初と最後のナンバリングされた交響曲がこの新興を持っていたというのは、何らかの運命を感じます。

 モーツアルトは交響曲を41曲作曲しているとされていますが、この時代の作曲家の宿命であるようにやはり偽作(2番・3番は確定)やその疑惑もあったりしているので正確な数はわかりません。さらに、喪失してしまった物、他の作品からの流用とか、スケッチだけが残っている物、断片が残っている物。その断片ですら偽作の疑惑がかかっているものもあり、モーツアルトの作品で正式にカウントされていないものをふくめるとはないのかというは20曲以上あるのではないかと思われています。

 モーツアルトは脅威的な速さで作曲をしたことを知られていますが、結構前に作曲していたものをモチーフとして使用することが多々有ります。曲も長調の作品が多く比較的引きやすい物特徴的ですが、これには当時の作曲家の周辺にあった一つの影があります。それは貴族の注文によって曲が作られていたということ。当時は音楽は庶民のものという状況ではなく、権力者のものだったがゆえに陰湿な曲よりも、明るい曲のほうが好まれていました。そのためモーツアルトの場合人生の最後半になるまでは、なかなか短調の曲というのは多くはありませんでした。父親(教育者としては偉大な部類に入るのだが、父親としては毒の部類に片足を突っ込んいるようなタイプ)という拘束がなくなり、ようやくある程度自分が望むものの作曲ができるようになりましたが、さあこれからという段階で病に倒れてしまいます。

 次回はその地位と出自、さらには立場のせいで歴史と派閥争いに翻弄されることになるサリエリ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

19曲目

2011年06月18日 | クラシック

 モーツアルト 魔笛より (第2幕)夜の女王のアリア (歌・ディアナ・ダムラウ+オーケストラは確認とれず)

 

 成立年代 1791年

 時代区分 古典

 形式 オペラ

 形態 ソプラノソロ+オーケストラ

 アレンジ オルガン・ピアノソロ・連弾などたくさん (この曲だけだったら、ピアノソロとピアノとソプラノ)

 強烈な笑い声が印象的な「夜の女王のアリア」です。最晩年の作品で、モーツアルトが作曲した最後のオペラです。当時仕事が亡くて生活に困っていたモーツアルトに、同郷の興行主が依頼をしてできあがった曲がこれで、初演ではモーツアルトの義理の姉が女王の役を務めました。音程を彼女に会わせたため、圧倒的な存在感を放つ変わりにとんでもないレベルの技巧を要求される曲になり、歌う人を限定させてしまうという曲にもなってしまいました。若いソプラノ歌手がこれに挑戦をして後に娘役に転身(同じソプラノ)するというのもよくある話ですが、逆にベテランの歌手が単独で歌って強烈な存在感を植え付けるという曲でもあります。

 この曲の場合はモーツアルトに関して別な側面がある問うことを語らなければいけません。それはモーツアルトもこの興行主もフリーメイソン(日本ではフリーメイスンとも)の所属をしていたという話があります。フリーメイソンというのは交流を元にした男性限定の団体のことで、日本でも会員数は少ないながらも鳩時計の祖父である鳩山一郎とか、皇室関係者がこの会員になっていたという組織です。その組織(ユダヤ人系・カトリック系との対立)故にいろいろな黒い噂がつきまとっている団体でもあります。この団体に入った作曲科の中にはリスト・フリードリッヒ大王がいて、さらにサッチモ(ルイ・アームストロング)やカーネル・サンダースもこの団体に入っています。(戦後マッカッサーがそうしようとしたように、今での天皇家を組み入れようとする動きがある)この魔笛にもフリーメイソンの影響が入り込んでいます。

 とはいえこの時期のモーツアルトはすでに死に近づいていました。魔笛は何とか完成をさせたのですが、この直後あたりから体調を悪化させてしまいます。プラハ公演の時には体調が完全に崩れていて薬が手放させない状況でした。10月を超えた後に完全に体調を崩してしまい、レクイエムを作曲しているときに悪化。結局その状態のまま12月5日になって死亡してしまいます。この時期のモーツアルトは貧困の状態になっていて、さらにイタリア系の貴族から妨害も受けていました。(このことがサリエリ悪人説につながっていく。ただしこれが出てきたときにはリストの時代になってから)。絶望に近い状態での死というわけですが、死語になっても悲劇が待ち受けていました。どこに埋葬されたかわからない上に、墓の墓碑自体が移動されてしまったために本当にどこに埋葬されているのかがわからなくなってしまっています。(さらに整地されてしまったので余計にわからなくなる)近年になってどれがモーツアルトの骨(頭蓋骨とされる骨が保管されている)なのかという鑑定をしたのですが、それに使われた骨のうち叔母と姪とされる物が違っていたという話も浮上。その死については当時の状況を比べても、謎が多く残っています。

 次回はモーツアルトの2回目


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

18曲目

2011年06月17日 | クラシック

 *昨日山野楽器に行ってあることを確認するついでに、確認できたので修正。2曲目の偽作モーツアルトソナタはモーツアルトのソナタアルバム(全音)に収録されています。

 最初はソナチネアルバム乗っているアダージョの予定だったんですが、見つからなかったので変更。

 ハイドン ピアノソナタ28番(ウィーン原典版43番)(辻井伸行)

 第1楽章

 

 第2楽章

 

 第3楽章

 

 成立年代 1774年から1776年の間

 時代区分 古典

 形式 ピアノソナタ

 形態 鍵盤楽器ソロ

 楽譜入手 ソナタアルバム2・ハイドンのソナタアルバム

 難易度 中級中・中級上・上級

 アレンジ 見つからず

 参考 スカルラッティ ソナタ K380 (ホロヴィッツ)

 

 ハイドンのピアノソナタです。ハイドンのピアノソナタは60曲以上作曲されていますが、このうち8曲は楽譜を喪失。さらに、残った内の何曲かは真贋不明(本人が自作を認めていても真贋不明)というのもあり、実際の所現存して残っているのは50曲ぐらいだと思います。比較的容易に演奏されることもあり、練習用とか子供の発表会とかにつかわれることがあるのですが、大人の世界になってからは特定の曲以外はあまり演奏されることがありません。それでもハイドンらしい明るさが出ている曲だと思います。

 ソナタというのは「演奏される物」という意味で、バロック時代からもありました。しかし今で言うような規則性というのもはなく、一種の組曲のような物でしたし、ソナタと言ってもスカルラッティのように練習曲として作られた小曲というものもありました。今のような形式になったのは古典の時代に入ってからで 、曲の中にメヌエット(ベートーヴェン以後ではスケルツォ)を入れること、各楽章の調整には関係を持たせることなど、いくつかの約束事が出来てきました。こう言う形の完成をみるのはベートーヴェンの後期になってからですが、ハイドンはその先鞭をつけたと言っていいと思います。

 楽譜入手時に登場をするソナタアルバムですが、これはハイドン・モーツアルト・ベートーヴェンのピアノソナタを集めたもので、練習にも演奏会にも仕えるような編成をしています。2冊に分かれていてハイドンは8曲・モーツアルト・ベートーヴェンは9曲集力されていて、それらを難易度別に訳で上・下巻という形に入っています。上巻にはモーツアルトの「トルコ行進曲付き」や、K545が、下巻ではベートーヴェンの「悲愴」、「月光」、「葬送」が収録されています。皮肉にもハイドンのソナタは本格的にやろうと考えなくてはこれ以外に触れることもないわけで、それ故に演奏会で演奏される機会というのはあまり多くありません。ピアノソナタに関してだけは、二人の陰に完全に隠れてしまっています。

 ハイドンが雇われていたエステルハージ家というのは、時には時の皇帝をしのぐような力を持っていました。なので、かなり強力な楽団を抱えていてハイドンはその楽長として長い間つとめていたのですが、代替わりの時に一回その地位を大きく揺るがす出来事が起こってしまいます。楽団のリストラで、これによって一時は年金暮らしをしていたもの(むしろハイドンはロンドンに行ったりして自由に出来ていた)の、後の楽団が再編成されるときには戻ってきています。ハイドン自身はかなり優遇をされていたようで4代30年にわたってこの家に仕える(冷遇したのは3代目)ことになります。もっとも4代目に関してはベートーヴェンとトラブルを起こしてしまいますし、自分の家の財政を傾けさせてしまうほどの収集癖があったですが。

 次回はモーツアルト。人間の限界に挑戦するようなあの曲から。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする