モーツアルト(3回目)
ピアノソナタ K280 (内田光子)
第1楽章
第2楽章
第3楽章
成立年代 1775年
時代区分 古典
形式 ピアノソナタ
形態 ピアノソロ
楽譜入手 ソナタアルバム2・モーツアルトソナタアルバム
ピアノ難易度 中級中・中級上・上級
アレンジ オーボエ5重奏
長調のソナタでありながら2楽章目に重い曲を配置して、3楽章では逆にこれでもかというぐらい軽い曲を置くというモーツアルトらしいソナタです。自分の曲の上演の時に偶然ピアノの原型であるピアノフォルテに出会い、その表現力の豊かさに感心を持ったモーツアルトが一気に6曲のソナタを書き上げたました。モーツアルトの初期のソナタ6曲は特定の人間のために書かれたソナタであることから、その人の名前をとって「デュニニッツ・ソナタ」と名付けられています。
モーツアルトは小さい時に父親に連れられてヨーロッパの各地を転々としています。天才と称されたモーツアルトを引き連れての旅でしたが、実際のところは父親の就職活動そのものでしたが、沢山のエピソードを残しながらも結局は全て失敗に終わってしまいます。ただこの時にうけた音楽の教育がモーツアルトに大きな影響として残っているので、父親レオポルトは1教育者としては間違っていなかったともいます。(実際ヴァイオリンの教育書は世界中でヒットしている)ただこの後がまずかった。モーツアルトと上司(関係で言えば、コンピューター的な考えをしない官僚と暴発をしやすい部下という関係か)との仲が折り合わず、モーツアルトはザルツブルグを飛び出してしまいます。この2年前に作曲されたのがこのソナタです。
モーツアルトといえば早熟の天才というイメージがあります。3歳でチェンバロを弾いて5歳にはすでに最初の曲としてアンダンテを作曲したと言われています。その前に実は作曲をしていたのですが、姉ナンネルが記念に切り取った(元々はナンネルのためにレオポルトが編纂した学習帳をモーツアルトにも使った。その中にモーツアルトが書き込んだものを切り取った)ため、存在がありながらも忘れ去られたという曲がありました。その楽譜が発見されたのは1954年ロンドン。メモから5歳3ヶ月という時期に作曲されたと書かれていることから、最初に作曲されたとされるアンダンテよりも前に書かれたものだということになっています。
どの作曲家でもそうなのですが、やはりどうしても合わないとかの理由で没になってしまうという曲の構想というのが多くあります。中には構想を持ち曲の概要でも出来て後は楽譜上に起こすだけという状況で、自分が無くなってしまい未完成になってしまうということもありました。モーつアルのピアノソナタ(ソロ)もそのひとつで完成している曲は「18」あるのですが、断片しか残っていなかったり、噴出してしまったもの、さらにが偽作判定のものも合わせると「12」あったのではないのかというものがあります。(偽作以外にも他人の作品だったという判定もひとつあり)時代が遡るにつれやはり資料とかもありませんので、どうしてもこう言うのが多くなってしまいますが、もし完成したらどうなるのかという興味があります。その興味を具体がしたのが「レクイエム」だったりします。逆にどうして作品を止めてしまったのかという代表格としてシューベルトの「未完成」があげれられます。(2楽章まで。3楽章は冒頭部とピアノスケッチが残っている)
次回はポッケリーニ。活躍した場所故に時代に埋もれた作曲家の一人。