goo blog サービス終了のお知らせ 

世界のはずれから勝手に叫んでみる男の日記・var2

このページは大量の誤字脱字の提供でお送りしています。orz

37曲目

2011年07月14日 | クラシック

 ジョン・フィールド ノクターン 第5番 (アルベルト・シルヴィオ)

 

 成立年代 1817年

 時代区分 初期ロマン

 形式 ノクターン

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 全音「ジョンフィールド作品集」(中身はノクターン集)

 ピアノ難易度 中級・中級中・中級上

 アレンジ チェロとピアノ

 参考その1 ショパン ノクターン Op27-1 (ルービンシュタイン)

 

 参考その2 フォーレ ノクターン 2番 (サンソン・フランソワ)

 

 アイルランド出身のジョン・フィールドのノクターンです。9歳でデビュー。そのごいろいろな師匠のもとで修業を重ね、その後クレメンティにつれられてモスクワへ。クレメンティが去った後もモスクワで精力的に活動を続け、ロシアで地位を創り上げた作曲家の一人です。作品数も多いのですが、一番の功績はやはりノクターンというジャンルを創り上げたこと。このノクターンをさらに発展させたのがショパンで、その後フォーレに引き継がれていきます。

 まだこのころの音楽の中心はウィーンだったりパリだったりするのですが、後期ロマン気に入る頃にはその流れが一気に東ヨーロッパに傾きます。その中でもロシアというのは重要なファクターを占める作曲家が数多く排出されるわけですが、弟子に後にロシア国民楽派の下地を作ることになるグリンカがいた事もあるので、その下地を作った一人は間違い無く彼だと思います。

 ノクターンというのは簡単にいえば性格性を持った小品の一つで、訳の「夜想曲」の名のとおり夜に聞くような曲が多くなっています。そのため性格的に極端に暗かったり華やかだったりしていますが、その先駆けを作ったのがジョン・フィールドです。これに目をつけたのがショパンで今でいう名曲を多数創り上げる形で発展をしてきました。ロマン派の時代というのはこういう一つのテーマに沿ったような小品が数多く台頭してきた時期で、こういうノクターンの他にシューマンが創り上げた性格的小品集「ノベレッテン」、一つの詩からインスピレーションを得て、イメージを音楽化した「バラード」などがあります。

 次回はまたバロック時代に戻って、ダカン。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

36曲目

2011年07月13日 | クラシック

 パガニーニ その2 カンタービレ (バイオリン/ヒラリー・ハーン+ギター/ジョシュ・リッター)

 

 成立年代 不明

 時代区分 初期ロマン

 形式 バイオリン

 形態 バイオリン+ギター

 アレンジ ギターをピアノに変えた物がある(パガニーニ本人がやったもの)

 パガニーニのもうひとつの顔であるギターを伴奏に加えたの曲です。パガニーニは一時期バイオリンの作曲をやっていなかった時期があってその時期はギターの曲を作曲していました。きっかけになったのは好きな人がギターを弾いていたからという、「お前もか」的な理由ですが、そのギターにおいても遺憾なく発揮された音楽性は、多数の作曲家に影響を与えています。もっともギターでカプリースを演奏するクラッシクギターの演奏者も多いのですが。

 今では考えられませんが、昔の人というのは病気を取り除くため、不老長寿を得るために、今ではとんでもないことを平気でしでかします。中国の皇帝が不老不死になりたくて水銀を飲んで中国を起こして寿命を縮めてしまうとかがよくある話として残っていますが、パガニーニは生来健康がよくなかったが故に同じようなことで薬に手を出していきます。最初は下剤を飲んで毒素を追い出そうとしていたそうです。当然そんなことをしても硬化はなく健康は悪化。さらに梅毒と診断されアヘンと水銀の投入。さらに塩化水銀を投入。これで完全に演奏家としての生命は絶たれることになり、その4年後になくなってしまいます。もっともその死因は咽頭がん(結核だと言われていたが、そうでないことは主治医から明らかになっている)か、自分が飲んだ水銀中毒という説が有力です。(むしろ後者のほうが近い)

 パガニーニが与えた影響は初期ロマンを代表する作曲家から、時代を経て今まで数多くの演奏家・作曲家に大きな影響を与えてきました。現代のピアノでは演奏不可能とされるリストの「パガ超(*1)」のアルペジオ(*2)を演奏する人まで現れました。カプリースの24番の主題は今での多数の作曲家たちによっていろんな形に変形をされています。(何人か紹介予定)それだけ今も衝撃を与えるだけの作曲家ですが、彼の残した曲の少なさを考えると、やはりどっかちゃんとした評価が下せないわけで、その分だけで言えば陰に隠れてしまった作曲家だと言えます。

 次回はジョン・フィールド。ショパンを語るならこの人は外せない。

 (*1)一般的に出回っている「パガニーニ練習曲」(全音にあるもの)は大練習曲と呼ばれる物で1851年に改訂されたもの。パガ超というのはこの版の前に書かれた物(1838年)で、難易度は大を遙かに上回る。今まで録音で残っているのは3人だけらしい。

 (*2)(*1)のなかでも最難関の曲。しかもこの曲の場合は大になる前に1回改定されていて、それにあわせて4a、4bとつけられている。ここで言っているのは4bのほう。アルペジオなのだが正確には「和音でのアルペジオ」のための練習曲で、リストの注文通りに弾くのピアニストは皆無と思われる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

35曲目

2011年07月12日 | クラシック

 パガニーニ カプリースから 11番 (シュロモ・ミンツ)

 

 成立年代 1800年から1810年頃 出版は1820年

 時代区分 初期ロマン

 形式 練習曲・バイオリン

 形態 バイオリンソロ

 アレンジ シューマンパガニーニ練習曲Op3-3 

 参考 シューマン パガニーニ練習曲からOp3-3 (ペーター・フランケル*)

 

 悪魔に魂を売ったとされるほど、歴史上で一番のヴァイオリニスト、パガニーニです。ラ・カンパネラ、主題と演奏などの曲があまりにも有名ですが、今回紹介するのはそのカプリースの中から一曲、番です。優しさとそれに反比例するほどの難易度が混ざり合った曲はシューマンがこの曲をピアノ練習曲に編曲をしていますので両方を紹介します。

 パガニーニといえばバイオリニストに取っては永遠に届かないとされる域の人で、その実力は歴代でもNo.1だと言われています。というのも、彼自身の手に特徴があって今でいうマルファン症候群(と、いわれている。(この病気が発見されたのは19世紀末になってから。彼は1840年に世を去っている)遺伝子異常から来る、関節や骨の軟化。小さい時にに発見されることもあるが、大人になって重大な病気になって初めて発覚することもある。他にはラフマニノフ)とたゆまぬ練習が彼の左に極端な柔軟さを生み出したためにとんでもない技巧が続々と出始めたと言われています。

 ただそれを差し引いても彼の人生がギャンブルそのものだという感じがします。流した浮名の数は多く、その中にはナポレオンの二人の妹がいましたし、賭け事が好きで自分の商売道具であるバイオリンを質に流したなんて話もあります。ただ興行師としての腕も一流のものを持っていて、弦を切ってまでパフォーマンスにこだわったなんて話もあります。そういう事をしておきながら金に対する執着心というのはものすごく、偽造チケットまで横行するという状態になってしまいます。もっとも著作の強烈な管理(死の直前に焼き払ったり、残ったものは遺族が売り払ったり。今で言えば確実に叩かれることを平気でしていた。そのため今残っている楽譜の中には、他人が聞いた物を譜面に起こしたものも)と、持っている技術を他人に教えなかったこと(教えても真似ができるかどうかはわからないが)もあり、今ではパガニーニにしかできなかったその技術を知ることができません。

 とはいえ、その死後に関しては悲惨な運命をたどっています。そのテクニックが悪魔的だったこと故に悪魔に魂を売ったと勘違いされた故に、埋葬を拒否され、防腐処理をされた挙句に各地を転々とされる。(1926年になってようやく共同墓地に埋葬される)遺言で使うなと言われている名器「カノン」を、寄贈先のジェノヴァ市が勝手に貸し出す。ロマン背後の作曲家に対して強力なインパクトを影響を残したパガニーニですが、その人生もその死後もその代償を追ってしまったという感じが残ります。

 次回はパガニーニの2回目。

 *同姓同名ですが、ハンガリー出身の数学者兼大道芸人ではありません。同じハンガリー出身のピアニストです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

34曲目

2011年07月10日 | クラシック

 カール・マリア・フォンウェーバー

 ビアンキの「ここにおいで、美しきドリーナ」による7つの変奏曲 Op7 (不明)

 

 成立年代 1807年

 時代区分 ロマン派

 形式 変奏曲

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 ウェーバー「ピアノ作品集」・ソナチネアルバム1には主題と第1変奏が収録

 ピアノ難易度 中級中・中級上・上級

 アレンジ なし

 ウェーバーです。魔弾の射手とかオペロンとかのオペラのほうが有名ですが、ピアノの作品を残していて、「舞踏への招待」「ピアノ協奏曲」などもあります。今回紹介するのはその中の一曲で、比較的ひきやすいものです。ソナチネアルバムにも主題と第1変奏が出ていますが、全曲をひきこなすとなるとかなり早い変奏もあるので、多少ギャップに苦しむかもしれませんが、ツェルニー30版をやっている状態なら挑戦してもいい曲だと思います。素朴な主題とそれを受けづいたような変奏ですが、変奏の前に書かれている文字を見逃すと意図が分からなくなってしまう可能性がありますので、音楽記号とかは逃すべきではないような曲だと思います。

 オペラばかりが注目されている作曲家ですが、親戚にはモーツアルトの妻コンスタンチンがいる音楽一家でもあります。ただ自身が障害を持っていたこと、さらに前半生は不幸の連続だったこともあり、音楽家としての大勢には少々時間がかかりました。最初に作ったオペラは焼失するという不運もありました。各地を放浪としながら、プラハでのオペラの復興、さらには魔弾の射手の成功による、他の作曲家への影響を与えたのですが、最後の作品になるオペラ「オペロン」(内容は魔笛級の超展開ありらしい)を結核に侵されながらロンドンに渡って作曲。初演の成功と引換に自らの命を散らしてしまうという結果になってしまいました。

 どの作曲家にも言えることなのですが、ある程度の時期に来てしまうと突如して作風が変わってしまうということがあります。例えばモーツアルト(妻コンスタンチンはウェーバーの親類)なんかは晩年に近づくに連れ、暗さが入り込むような曲が増えてきましたし、ベートーヴェンの場合は演奏時間が長くなるような曲が多く作曲されてきました。ウェーバーも例外ではなく、この曲のような素朴さや明るさが消えてきて、やや厭世的な曲を作るようになったそうです。リストも次の時代への橋渡しになるような曲を作っていますので、一人の作曲家をおうということはその人の人生のパワーを見ているような気がします。

 次回はパガニーニ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

33曲目

2011年07月09日 | クラシック

 

 シューベルトその2

 さすらい人幻想曲 ハ長調 (ユリウス フォン カーロイ)

 前半

 後半 

 

 成立年代 1822年

 時代区分 初期ロマン

 形式 組曲

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 全音ピース

 ピアノ難易度 上級中・上級上

 アレンジ リストによるもの(やや簡易にした物)/リストによる連弾・管弦楽版

 参考 パガニーニ→リスト→アムラン アムラン「短調による12の練習曲」より「ラ・カンパネラ」 (演奏者不明・多分アムラン本人だと思うが)

 

 ピアノソナタを含めて比較的引きやすくて演奏効果の高い曲ばかり作曲をしているシューベルトが、作曲に夢中になりすぎて自分の腕ではひけなくなってしまったといういわくつきの曲「さすらい人幻想曲」です。ベースの中に作曲をした「さすらい人」のフレーズがつかわれていることから、「さすらい人幻想曲」とよばれています。一応ソナタチックに4楽章に分かれてはいますが、切れ目なく演奏されることから扱いを組曲にしています。

 普通作曲する人というのは、どう言う構想をしても自分の技量を上回るような曲を作りません。自分で演奏するのが基本になるので、どうしても持てる物を投入してもそれ以上の物を入れることはありません。しかしシューベルトのこの曲はそれをすっ超えてしまっています。シューベルトのピアノ曲というのは全音の難易度表でもそれほど高い難易度設定をしているわけではありません。未完成の編曲や一部のソナタなどにはトップクラスの難易度の評価がありますが、それ以外はたいてい弾きやすく作られています。それだけにこの曲だけがべつな意味で浮かび上がってきます。(もうひとつの例外。シューベルト=リストの歌の編曲もの。アヴェ・マリアでさえ難しい)

 ただ現代においてはこう言う手の曲がどんどん増えてくると思います。パソコン上で作曲が出来るようになったので、べつに自分の技量の限界を無視して音を配置できると言うことが可能になったからです。そのためやたらめったら難易度の高いアレンジがあったり、最初から弾く人を選ぶような曲が誕生しています。もちろんちゃんと弾けるのもありますが、現代音楽の解釈そのものを持ち込んだ曲もあります(参考にあげた編曲カンパネラもそう。シンプルになった分だけ演奏がリストの数倍きつくなっている)ので、いい今日が続々と出る反面、演奏不可能という烙印を押される曲が増えてきそうな気がします。(リストパガ超とか、超絶技巧2版とか)それでこそ自動演奏のための曲というのもあります(サーカスギャロップ)し。

 次回はウェーバー。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

32曲目

2011年07月07日 | クラシック

 シューベルト 鱒

 歌曲 (歌 エリザベート・シュヴァルツコップ)

 

 ピアノ5重奏 (アマデウス カルテット+クリフォード カーソン)

 

 成立年代 歌曲1817年/ピアノ5重奏1819年

 時代区分 初期ロマン

 形式 歌曲/ピアノ5重奏の第4楽章で変奏曲形式

 形態 歌+ピアノ/ピアノ5重奏曲

 アレンジ 歌曲・ピアノソロ(リスト・ゴドフスキー)/ピアノ5重奏には連弾

 シューベルトの歌曲の代表曲の一つ「鱒」とそれをベースにして作られた弦楽四重奏の第4楽章こと「鱒」です。成立年代を見るとおり先に歌曲を完成してから、ピアノ5重奏の方を完成させました。彼の一家は音楽専門ではないいわゆるアマチュアの音楽一家でしたが、家族は音楽に囲まれるほど演奏を多くこなしたためそれを下地にしつつ、さらには彼の少年期の教育環境のよさ(指導そのものは感情表現中心、しかし仲間のおかげでピアノに触れる環境下にあった)、さらに進学した先にも後のパトロンなど仲間ににも恵まれつつ才能を一気に爆発。その後は色々とあったものの、歌曲に多くの作品を残していることから「歌曲の王」という二つ名があります。

 ベートーヴェンとはそれなりに交流をしていたとは書きましたが、彼自身はどちらかと言えば影響を受けたのはモーツアルトの方だとされています。ハイドンとは師弟関係にありながらすぐに解消。サリエリとも長い間付き合いはありましたが、関係はそれほどでもなく。どちらかと言えば自分を助けてくれる友人たちの方の付き合いを大切にしていました。早死、そしてそれゆえに作曲者としてのつながりはウェーバーぐらいしかいませんでしたが、その影響力という点に関しては後に彼の曲を発掘するシューマン、それにタクトをふったメンデルスゾーン、ブラームス、リヒャルト・シュトラウス、ドヴォルザークなど、のちの有名作曲家に大きな影響を与えています。

 そんな状況ですが彼の一生は貧困との戦いでもありました。しかし友人たちからの援助はありました。今でいう名曲のたくさん生み出していますが、それが彼の生活改善の為に上昇カーブにはつながっていませんでした。貧困の状態が解決するのはかれが死ぬ4年ぐらい前のことで、それまではいい曲を出しながら認められないという状況でした。とはいえ、その援助からあったからこそ彼はいい曲をたくさんかけたわけですし、それが後に大きく認められることになるのですが、結果的にそれを享受する前に無くなってしまったのが残念でなりません。

 次回はシューベルトの2回目。あまりにも夢中になりすぎて作曲者がひけなくなってしまったピアノ曲。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

31曲目

2011年07月05日 | クラシック

 ベートーヴェン 交響曲第6番 「田園」

 第1楽章 (ティレーマン&ウィーンフィル)

 

 第2楽章 (アウトゥスト・トスカーニ&NBC交響楽団)

 

 第3楽章 (スケルツォ)(ハイティング&ロンドン交響楽団)

 

 第4楽章 (サヴァリッシュ&RAI交響楽団)

 

 第5楽章 (クリストフ・ハー&ベルリンフィル)

 

 成立年代 1807年から1808年

 時代区分 古典

 形式 交響曲

 形態 オーケストラ

 アレンジ リストがピアノソロに直した物・ツェルニーが連弾用に直した物・弦楽5重奏に直した物など

 ベートーヴェンの3曲目は、「田園」です。田園の風景を書いたこの曲は各楽章に題名着けられた標題音楽だと言うこと、さらには通常ではない5楽章編成。同時期に5番「運命」が作曲されていたこともあり、この曲は最初交響曲第5番として発表されましたが、後に6番に変わっています。(逆にこれがべつな作用を生み出すことになる)しかしその運命と共に最初に上演をしたときには、他の曲を含めて演奏時間が4時間(運命+田園+ピアノ協奏曲第4番+合奏幻想曲を含めた全7曲)だったこと、会場に問題があったこと、さらに当時作るはずだった歌集がドタキャンをしたことから、さらには演奏がぐたぐたで最初からやり直すということもあり大失敗に終わるということになってしまいましたが。曲自体は評価をされて、ベートーヴェンの代表作の一つとして名前があがってきます。

 標題音楽というのは題名や説明文などが付いている音楽のことで、ソナタ「悲愴」・ヴィヴァルディの四季などがこれにあたります。細かくいってしまえばブルグミュラー25や18のように小さな小品集もこれに当たるのですが、ここまで大規模なものになるとそうそうあるものではありません。同時期に運命という極端に暗い曲を作曲して同時にこの曲を作曲していた……もっと言えば熱情や他の曲にも手を付けていたのですから、この人の作曲に対する意欲というのには驚愕をします。

 ベートーヴェンはそれほど人のつながりを重視するような人ではなかったゆえに、人間関係の構築には苦労をしています。ハイドンとは喧嘩別れをしていますし、その他の関係者に関してもそっけないところがあります。しかしその状況でも関係を持ち続けた人がいます。代表的なところで言えばツェルニーで9歳から弟子になっている人で、ベートーヴェンのあの性格の中でもしっかりとした関係が続いていました。このツェルニーからリスト→リストの弟子→さらにその弟子と枝葉が別れていって、世界中に彼の影響を受けたピアニストがたくさんいるということになります。他に親しいとされていたのは30近く年下のシューベルト。才能を認めた数少ない人間の一人です。もう一人は彼の秘書をしていた人物。ベートーヴェンの死後に伝記を書くことになるのですが、歪曲性が強いと男児られている人物です。もっともベートーヴェン自身もそれほど信用をしていなかったそうですが。

 他の作曲者に比べると作品全体の数があまり多くないように思うのがベートーヴェンですが、大抵の作曲家は即効で曲を作ることが多く、その曲を最終的に楽譜に残すかどうかで、最終的に世に出る可能性というのがあるのか無いのかということになってきます。ショパンのノクターンの中にもそういう曲があります。ベートーヴェンのその中の一人なのですが、世に出ている曲の倍はその曲があると言われています。本人が結果的に楽譜に残さなかっただけで、もし世の中にこれらの曲が全て出回っているとしたら、と思うとピアノの世界が全て変わってしまうような気がします。

 次回からロマン派に入ります。まずはシューベルトの(3回予定)1回目

 *RAI=イタリア国立放送。日本でいえばNHK。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

30曲目

2011年07月02日 | クラシック

 気がついたらもう30曲目。

 ウラーマー クラーマー=ビューロー より 44番

 

 成立年代 1815年

 時代区分 古典・初期ロマン

 形式 練習曲(カンタービレのための)

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 中級上・上級

 アレンジ なし

 参考その1 クラーマー=ビューロー 15番 (トリルの練習曲。こっちは楽譜冒頭ににカンタービレが表記されている)

 

  クレメンティの門下生として2年間修行した後イギリスで花開いたクラーマーから、リストの弟子であるビューローが訂正をしながらまとめた練習曲集クラーマー=ビューローからの1曲です。この曲についてビューローは次のように言っています。

 この曲は鍵盤上で歌うための練習であり、そのためには力で鍵盤を叩くのではなく、柔らかい音を出すように演奏をしなくてはいけない。表情をつけるために、意図的に音の強弱を変えても差し支えはないが、この曲の特徴として意図的に部分部分でスピードは変えてはならない。(注釈文&訳文の意訳)

 となっています。ツェルニー畑を歩んできた人たちにとってはこの練習曲というのは若干の違和感があるかもしれませんが、鍵盤を歌うように弾くというのはショパンをやるうえでは結構重要な要素の一つですので、どちらかにしてもやっておいては損がない練習曲の一つだと思います。同様の練習曲がこの練習曲集にはいくつか入っていますので、意識をして練習してみるのもいいと思います。指示記号にカンタービレがつくと言う曲は、ソナタの第2楽章に多いですし(悲愴の第2楽章など)、それ自体には特にそう言う物がついていない物の、意図的にそう思わせてしまう曲もあります。(グノーのアヴェマリアやシューマンのリーダークライス、シューベルト→リストの編曲とか)よく言われるのは只弾くだけだったら出来る人は大勢いるけれど、奏でることが出来る人はそうそういないとか言う話を要聞くことがあります。歌わせる曲というのは、只弾けるだけじゃなく歌っているように見えるためにどうしても難易度が急上昇してしまいます。引きこなすだけではダメだというのはこの曲にも現れています。

 この練習曲集は元は84曲ありまして、そのあとに16曲(ビューロー曰く「数あわせ」)を作って100にしたところを、リストの弟子であるビューローが60にまとめ直した物です。そのためこの60曲の練習曲をクラーマー=ビューローを言いますが、この二人の真の実力をいうのであれば、この60曲は「これが余のメラ」だというレベルでしかありません。(それでも中の上レベルなのですが)ビューローはリストの直弟子の一人ですが、師匠やブゾーニのように技巧を前面に押し出したような曲を書いているわけではありません。ただ本人たちが引くための曲に関しては、二人とも普通のレベルでは考えられないほどの技巧をこれでもかとぶち込む傾向が強いので、気になって二人の曲を探して、楽譜を見た瞬間に口をあんぐり指してしまうことがあるかもしれません。

 この曲集、全音版だとビューローの言葉がドイツ語で書いてあります。訳の部分もありますので、何を言っているのかはわかると思います。しかしあえてですが、ドイツ語を学んでいる人はビューローの言いたいことは何なのかというのをみるために、あえて自分で訳してみることが重要だと思います。 もちろん意図的に沿った練習をすることも必要ですしが、あえてそれを破って自分なりに味付けをしてみることも必要です。速度を変えてはいけないと言いますが、場所場所で少しゆっくりにしてみるのもいいですし、アクセントを入れてみたりするのも必要でしょう。ただ単に意図的に沿った練習も必要ですが、自分の納得のいく曲でなければ、自分なりの味付けをしてみる。ピアノを弾くというのはそういうのも必要だと思います。

 次回はベートーヴェンの3回目。候補が2曲あってどっちにするか迷っている。

 *メラ……ドラクエシリーズで一番最初に使うことが多い攻撃魔法。火の玉を敵一体にぶつけてダメージを与えるのだが、ここでいう「余のメラ」とは漫画版ドラクエのラスボスとの戦いの時にラスボスが言ったセリフ。威力はその最上級の魔法並みの威力を持っているのだが、本人にとってはメラとおなじ扱いでしか無いということ。ここでは、苦労している曲がこういう手のピアニストの前では簡単すぎてしまうという意味。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

29曲目

2011年07月01日 | クラシック

 スカルラッティ ソナタK119 (ラヒャエル・ブラーナ)

 

 ソナタK209 (スコット・ロス)

 

 ソナタL366(K1) (ポゴレリッチ)

 

 成立年代 確認できず

 時代区分 バロック

 形式 ソナタ・練習曲

 形態 鍵盤楽器ソロ

 楽譜入手 スカルラッティソナタアルバム(ただし要確認)

 ピアノ難易度 中級・中級中・中級上・上級・上級中

 アレンジ IMSLPにはない

 ボッケリーニとおなじ出自・人生(イタリア出身・スペインで一生を終える)を送り、。此処で言うソナタとは今でいう練習曲の一つに当たります。彼が仕える王女のために書いたソナタの総数は555。いまでも通じるような基礎の練習から、それでこそ音楽性を持った曲まで、たくさんの曲が残っています。そのためでしょうか、各会社のスカルラッティのソナタアルバムと言っても抜粋に近いような状態で、全曲集力の物を探すのは非常に困難になっています。なので、楽譜入手のところには要確認という文字を足してあります。

 作品番号をみるときに、いろいろな言葉がついていると思います。たとえばOpだったり、Kだったり、BWVだったりします。これらは作品ごとにつけられた物でたとえばショパンのOp10といえば練習曲12曲だということが通じますし、さらにOp10-5だと黒鍵のエチュードだと言うことがわかりまし、シューマンのトロイメライであるならOp15-7というようになります。しかし作曲者によっては整理番号のように各曲ごとについていることもあり、かなり難しいことがあります。物によってはそう言う整理番号と、作品ナンバーが一緒についていることがあります。たいていは作品を編纂している人が整理のためにつけられてそのままその番号として一般的になっているケースがほとんどです。一部の作曲者のそう言う個別の番号をみてみますと、

 Op(オーパス) 出版順にナンバリングされる。ショパンのOp66から74ように死後ナンバリングされたものもあれば、遺作として出されたものもある。

 WoO 死後の出版された物。ベートーヴェンのエリーゼのためにがここに該当。

 スカルラッティ K(カート・パトリック)/L(ロンゴ)/P(ペステッリ)/F(ファディーニ)。Kが一般的。

 バッハ BMW(シュミーダー番号)

 ヘンデル HWV

 モーツアルト K(ケッヘル)

 シューベルト D(1000曲以上あるのだが、Op付きが100ぐらいしかないので)

 ショパン BI・KK(ともに曲ごとの整理番号ではあるがOpで言う方が一般的)

 リスト S(サール)/R(ラーベ) (Opが付いているのもあるが、編曲をふくめると1000近く行くので。Sの方が一般的)

 混同する人も多いと思いますが、目録とかを見ると大抵併用されて書いてあると思うので、確認を擦る必要が出てくると思います。

 ちょうどこの時期からショパンがパリに引っ越すまでの時期というのはフランス革命とそれに続く余波がヨーロッパじゅうを翻弄していた時期でした。ルイ王朝をつぶした革命そのものが他の国の王朝を震え上がらせて民衆の押さえ込みに入っていた時期に当たったこと。当のフランスは革命の中心人物たちがそろいもそろって腐っていたために、正常ががたがたになり同載政権や反動革命が起きたりして、ナポレオンの登場が時間の問題とされていた時期でした。スペインもそれに巻き込まれる形でフランスが仕掛けた戦争に敗れ衛星国化。イギリスとの戦いにフランスが敗れたことでその状態を脱したのですが、結果的にこれがきっかけで上がりかけていた国際的地位が壊滅的な崩壊をし、大航海時代に得たアメリカの領地をこと孤独失うことになります。スカルラッティのいた時代というのはまさにこう言う状況の前夜になるわけです。

 次回はクラーマー。時期的に分類上は初期ロマンに入るかもしれない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

28曲目

2011年06月30日 | クラシック

 ボッケリーニ メヌエット (弦楽5重奏より・演奏者不明)

 

 成立年代

 時代区分 古典

 形式 メヌエット

 形態 弦楽5重奏

 アレンジ たくさん(ピアノソロだけでも2種類)

 古典派の一員でありながら、中心線からは外れたところにいるせいで正当な評価を受けられなかったボッケリーニの代表作であるメヌエットです。古典派のメンバーの活躍の場所はドイツ・イタリア・フランスそしてウィーンなどが中心でクレメンティのイギリスとかが引っかかってくるのですが、イタリア生まれのボッケリーニがいた場所はスペイン。そのため他の地域の影響をうけることがなく、独自の表現を追求できたのですが、かえってそれが評価の面では大きな影を落としていってしまいます。

 古典派といえば真っ先に思い浮かぶのはハイドン・モーツアルト・ベートーヴェンでそれ以外の古典派の作曲家はマイナーどころかそれ以下の扱いでしたから、彼のように一曲でも当たった曲があったとしてもその価値が認められていませんでした。最近になってその価値が認め出されてきたわけで、この人もその一人だと言えます。スペインでは皇太子の作曲家になったほどで、チェロの腕前も超一流。作風からはハイドンの妻と呼ばれるほど優雅さを持っていた物の、当のスペイン王族からはさほどの評価を得られず晩年はそこを解雇された故に貧困に苦しむことになります。

 その作風は言ってしまえば「後ろ向きにも見えるし、100年生まれるのも早かった」ともいえるような人です。優雅さという点では古典派やバロック時代を感じさせるのですが、作風の中にはロマン派やその後の国民楽派を思い出させるような曲もあり、さらにスペイン特有の風も取り入れた作品もあります。これはボッケリーニがこれらの音楽の中心地から離れていたことからその影響を余り受けないで曲を作れたという強さがありました。しかも彼最大の功績は室内楽の形成。作曲を始めた初期には完成されていたこともあり、ハイドンを質・量共に圧倒をしていました。この曲もその中の一曲で、優雅さを感じさせます。

 このときの世界情勢の一つとして王族・市民問わず多産傾向にありました。バッハの場合は20人、モーツアルトの兄弟でも7人いましたし、このボッケリーニとトラブルを起こしたカルロス4世とて14人の子どもがいました。しかしそれだけの子どもを生まれながら成人まで生きたというのは半分以下ぐらいのケースしかありませんでした。モーツアルトに至っては姉と自分の二人だけしか成人をしていません。これは当時の衛生の状況と医療の状況が大きく関わっていて、出産自体が文字通り命がけだったこと。さらに、子供が産めても育てられる環境に問題があったとことなどがあげられます。そのため成人する前に病気にかかって死んでしまうなんてことがよくあったそうです。今では逆に中国が一人っ子政策(元と言えば毛沢東の政策のせい)をしているように人口が増えすぎたために、エネルギー問題とかが起きていますが300年前は逆に人口をいかにして増やすかと言うことが問題になっていたような時期でした。

 次回はスペインつながりで時計を少し巻き戻します。紹介しそびれたスカルラッティ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする