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世界のはずれから勝手に叫んでみる男の日記・var2

このページは大量の誤字脱字の提供でお送りしています。orz

47曲目

2011年07月27日 | クラシック

 ルービンシュタイン・リヒテル・シュピールマンのもあったんだけど分割しているのが残念

 ショパン 幻想ポロネーズ (ユリアンナ・アヴデーエワ)

 

 成立年代 1845年から1846年

 時代区分 初期ロマン

 形式 ポロネーズ

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 ショパンポロネーズ集・全音ピース

 ピアノ難易度 上級中・上級上

 アレンジ

 ショパンの一曲目は幻想ポロネーズです。軍隊・英雄と共に3大ポロネーズの一つと言われていますが、演奏時間は他の2曲に比べると長いのでなかなか聞く機会というのがありません。去年のショパンコンクールで初めて課題曲の中に組み込まれて、一気に注目を浴びた曲でもああります。ポロネーズというのは独特のリズムをもった4拍子の曲で、発祥はショパンの故郷であるポーランドの舞踊です。しかしショパンはこのリズムを自分のポロネーズの中では他用をしていません。一曲あたり30小節ぐらいしか無い曲もあり、それ以外はショパンの独壇場みたくなっている部分があります。

 ショパンが生きているうちに出版された最後のポロネーズで、出版された当初はリストを始めいろんな評論家からあまり良い評価を受けてはいませんでした。しかしこのときショパンは既に市に向かい始めていた頃、さらにサンドとの別れがあったことなどを考えると、その状態でもこういう曲を作ったというのは驚異的です。20世紀に入ってから再評価をされた曲で、今ではショパン後期の作品の傑作の一つとして評価されています。苦痛の中で作曲されたのこの曲はショパンの中での苦悩を表現していると言われ、美しい旋律との対比で自分自身の苦悩を表現していると言われています。

 恋人サンド(今で言えば一家揃ってのDQN)とわかれた後のショパンは、もはや苦悩の日々しか残っていませんでした。病に侵された体を引きずりながらの現役復帰。ロンドン公演では強力な支援者を得たものの、その気候のせいで余計に病気が悪化。結局そのまんまパリで生涯を閉じてしまいます。家族関係には恵まれた(映画のおかげでショパンのノクターンの代名詞となった遺作の20番は、元々は姉が自分の協奏曲を弾くためのものとして書いた物)ものの、自分が家族を持つということには恵まれておらず(ショパンとサンドが出会った頃には、既に二人の子どもがいて、その二人の子どものせいで結果的いに仲違いを起こす)、結果的にショパンは生涯独身という形を貫いてしまうことになります。

 ショパンが重要視していたのはリストのようにテクニック重視ではなく、イタリア歌手のように歌うように曲を奏でることでした。そのため表だってピアノの弟子をとることはせず、どちらかと言えば生徒を取るという形で、生計を立てていました。そのショパンが重視した曲集にバッハの平均律があげられます。彼自身自分の心を落ち着かせるためによく弾いていたと言われていますし、生徒に対してまず最初に弾かせたのは自分の作品ではなく、平均律でした。(そこからグラドゥス・アド・パルナッズムを弾かせてテクニックの歪みの修正→自分の曲)ショパンをやる上で外せない曲集とも言えるプレリュード集も、この平均律の影響をおもいっきりうけています。自身はロマン派の作曲家であることも否定していることから、大きな影響をバッハからうけていたのではないと思われます。

 次回はショパンの2回目。ソナタか協奏曲か。


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46曲目

2011年07月26日 | クラシック

 二転三転した末に結局シューマンの2回目に。

 シューマン リーダークライス Op39 (ヘルマン・フライ)

 その1(1番から4番)

 その2(5番から8番)

 その3(9番から12番)

 成立年代 1840年

 時代区分 初期ロマン

 形式 歌曲

 形態 歌+ピアノ

 アレンジ ピアノ版(キルチャーによるもの・全曲)(リストによるもの)(クララ・シューマンによるもの)

 シューマンの二曲目は歌曲からです。シューマンはまとまってそのジャンルの曲を作る傾向が強く、この曲も1840年に作られたものをまとめたものです。リーダークライスというのは連続する歌曲という意味ですが、この作品集とOp29の二つに関してはそのまんまリーダークリスといえば通じます。このうちこのOp43に関しては後に別人がピアノソロに編曲したものがあり、それが全音から発売されています。ただ全曲歌曲がベースなので、歌うようにして演奏するという点に関しては全音の表示難易度(第4課程・ツェルニー40番レベル)ではちょっときついかもしれませんが。

 シューマンは時にとっつきづらいほどの重厚すぎるほどの曲を創り上げることがあるのですが(交響的練習曲とか)、その反面子煩悩だったこともあり、子供でも簡単に弾けるほどの曲を沢山書いています。例えばユーゲントアルバムはその一環ですし、子供のためのソナタという曲集があります。ただし同じ子供のものというイメージの強い「子供の情景」(トロイメライが収録されている)は、本来であれば子供向きの作品ではなく、大人が子供時代を懐かしんで引くような作品集ですので、その他あたりだけは誤解しないようにしてください。

 シューマンといえば妻・クララとの結婚に対する義理の父との対立が有名です。クララ・シューマンは時代を超えた名手の一人(ショパン曰く「僕のエチュードを弾ける唯一のドイツ人女性」)で、断念はしてしまったものの作曲活動を続けていればひょっとしたらショパン級の活躍ができたかもしれないというレベルの音楽的な才能の持ち主でした。しかしその娘を自分の弟子であるシューマンに取られないようにしたのですが、逆に二人から訴えられる形になりました。この時の悶々としたシューマンの気持ちを代返したような曲が幾つか(クライスレリアーナとか)あります。結婚が認められた後はそれぞれの道を歩き出していくのですが、子煩悩なシューマンはこのクララとの間に8人の子どもをもうけます。もっとも妻クララ・シューマンは半分でいいと行っていましたが。(妊娠・出産の間に演奏旅行やら作曲やらしていたので)

 次回はショパンの1回目(4回予定)。


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45曲目

2011年07月24日 | クラシック

 ピアノをやっていたときはいつかレパートリーにこの人の曲を加えたいと思ったのだが……

 シューマン パピヨン Op2

 前半

 

 後半

 

 成立年代 1829年から1831年

 時代区分 初期ロマン

 形式 組曲

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 全音「蝶々とアラベスク」・音楽之友社「パピヨン」・全音ピース・ヤマハの契約&再編楽譜集「中級」

 ピアノ難易度 中級中・中級上・上級

 アレンジ

 シューマンの初期の作品の一つのパピヨンです。全音の楽譜案内には中級者が最初にシューマンに触れるのであればこの曲と言っていますが、難易度的に考えると子供の情景を先に触れたほうがいいような気がします。当初シューマンはピアニストになろうとしていましたが、これはその時の曲でこの曲が出版された後も、Op23まではピアノ曲ばっかりが続いていたのでその本気度を確かめることができます。曲自体は当初から、小説や詩などからインスピレーションを得た作曲することが多く、この曲も「生意気盛り」(ジャンパウル)の「仮面舞踏会」から、インスピレーションを得たらしく、途中の題名には仮面という言葉が4度も出てきます。

 元もトン楽に触れていたのですが、家族の意向もあり法学の道へ。しかし音楽の道をあきらめきれず、さらにパガニーニの曲を聞いてそこから受けた衝撃でピアニストを目指したのですが、急速にうまくなろうとして自分で開発をした機材を使っているときに腕を痛めてしまいピアニストの道を断念(最近では病気が発生して指が動かなくなったという説が有力になりつつある)。作曲とともに、評論家の道に進むことで音楽の世界との関わりを保つことになりました。その雑誌は創刊から200年近kたっていますが発刊され続けているようです。現代で大物と呼べる作曲家の作品を掘り起こしたり、紹介したのは間違いなくシューマンの功績だと思います。

 ピアノに関しては妻であり、名手クララ・シューマンがいましたので、曲を発表する事自体にはさほど苦労がなかったと思いますが、作曲と評論家としての立場は強かったものの、音楽的な実際の仕事に関しては余り恵まれていなかったようです。もっともその評論の中でブラームスを紹介したり、ショパンを評論したりしているのですから、功績という点では大きかったと思います。(シューベルトの交響曲・バッハ全集発刊の呼びかけ・ベルリオーズのドイツへの紹介)ただし時代が下るつれてだんだん精神的な異常が見受けられるようになって、おまけに躁鬱まで発症。そこから自殺行為に追い込まれ、晩年は精神をむしばまれ(売春婦からうつされた梅毒が原因とされる)ながら病院の中で過ごすという状況で一生を終えることになります。

 次回はシューマンの2回目(もしくは別な人をやるかも)


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44曲目

2011年07月23日 | クラシック

 後半の最後の部分である番組を思い出した自分は相当年食ったなあと感じてしまうorz

 ロッシーニ 「ウィリアム・テル」(ギョーム・テル)序曲 (不明)

 前半

 

 後半

 

 成立年代 1829年

 時代区分 初期ロマン

 形式 序曲

 形態 オーケストラ

 アレンジ たくさん リストのピアノソロへの編曲もあり

 後にドイツの音楽界を二つに割るような大きな対立を生み出すワーグナーに大きな影響を与えたロッシーニです。代表作がオペラばっかりなので、それ以外の曲に関してはあまり注目をされませんが、オペラを作曲していた時期が意外に短く、さらに作曲をしていた期間自体が20年ぐらいしか無い(オペラに関して言えば「ウィリアム・テル」以後していない)ために、残っている作品数はそれほど多くはないのですが、代表曲である各種オペラは今も上演を繰り返しています。有り余る才能を持ちながらも、自身がかなりめんどくさがりだったために同じような旋律をなんども使ったりしていました。しかし一旦集中すると対策もそう長くない期間で上げてしまうほどの実力を持っていたので、ロッシーニならそれぐらいは平気でやるだろうと思われていたフシがあります。

 ロッシーニの場合はもうひとつの顔として美食家という側面があります。作曲の道から引退したあとも生活に比較的困ること(年金を確保していた。体制が変わっても支給に関しては変化がない)がなかったためにできたことなのですが、その結果が**のロッシーニ風という形に現れているわけで、二重の意味での成功を収めたような人でもありました。もっとも作曲家として宗教音楽を一般の人レベルにまで聞けるようにしたことと、オペラ(嫉妬心に狩られたベートーヴェン曰く「あなたはオペラ以外つくっちゃだめ」)という二つの点だけで考えれば音楽での功績の方がはるかに高いのですが。

 この時代の作曲家に取ってよくあることなのですが、彼自身も死後にその価値が大きく認められた作曲家のひとりです。しかも彼の価値が認められたのは1970年代。全集が60年代の後半に出てから、そこからオペラが評価され始めました。それまではただの一発屋的な扱いでした。代表曲はそれなりに演奏されていましたが、若干マイナーな作品には手を出さないという感じでした。それが70年代になり一気に評価がひっくり返され、80年代になったらそこらじゅうで代表作のオペラや、他の曲も一気に演奏されることになりました。今ではオペラ上演につかわれる曲の作曲家としてはトップクラス(オペラに関しては多作)の回数を誇っています。

 次回はシューマン1回目。3回予定です。


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43曲目

2011年07月22日 | クラシック

 今日はこっちの更新だけです。

 たまにはこんな変化球もいいだろうと思う。

 伝カッチーニ ヴァイロフ作曲 アヴェ・マリア (本田美奈子)

 

 成立年代 1970年代(作曲者晩年の作品)

 時代区分 現代音楽(ルネサンス風に書いたモノ)

 形式 歌曲

 形態 歌手+伴奏

 アレンジ ギター系多し。

 今ではほぼ偽作と確定している伝カッチーニのアヴェマリアです。正式にはソ連の作曲家で現代にバロック様式を取り戻したヴァイロフの作品で、90年代までに楽譜がまったく出なかったこと、歌う人間が誤解を繰り返したことでカッチーニのものとして広がったようです。彼の場合は偽作を何個も作っているのですが、ただ単にバロックというのを表記したいがために本来の作者の様式なんかを無視しているようで、単純に自分の作品を隠したかったという可能性があります。皮肉にも彼の死後ヒット作が誕生してしまい、贋作師どころが現代を代表する作曲家の一人になってしまったり、彼の作品に歌詞を付けられて民謡レベルの扱いになってしまったというのもあるようですが。

 カッチーニという人はイタリア出身の音楽家で彼から娘がイタリア発のオペラ歌手になったりしている音楽一家の祖です。ルネサンス期後期からバロック初期にかけて活躍をして、大きな影響力を持ったのですが、その影響力と性格の悪さが色々と問題的なエピソードとして付いて回る人物でもありました。その人の曲として余に出たのが今回のアヴェ・マリアですが、バロックのイメージからは極端に遠いこと、先にも書いたとおり楽譜が90年代になってようやく出てきたことから偽作判定されているのですが、90年代にCDデビューした人たちのジャケットにはカッチーニ作と書かれていたため、広がってしまったというのが実情です。現実YouTubeの検索なんかで見るとほとんどがカッチーニのと表記されていますし。

 歌詞自体もただ単に「アヴェマリア」(「こんにちはマリア」という意味で聖母マリアに祈りを捧げるための歌。しかしシューベルトのように勝手に改変されてしまうことも)を繰り返すだけですので、歌うだけだったら誰にでもできると思います。しかし単純故にちゃんと歌うという点に関しては難しいわけ(ピアノで言えばブルグ25やツェルニー30番をミスなく指示通りにひくこと)で、たしかに歌手を試すという曲には適していると思います。それゆえにリストなんかアヴェ・マリアと題した曲を作ること作ること……

 もともとアヴェ・マリアという曲自体が相当あるわけで、そのため特定の作曲家の名前をつけて呼ぶことがあります。シューベルト・グノー(紹介します)・ロッシーニ・ヴェルディ・ブルックナー・ブラームス・フォーレ・エルガー・ドヴォルザーク・ホルスト・ストラヴィンスキー・オルフ……日本人が作曲したものも合わせるとその数は膨大になります。ただ宗教的な音楽なのか、シューベルトのように変化してしまったものなのかというのに分かれるだけで、さらにその中には歌を伴わないものもあるので、色々と注意が必要になってくると思います。

 次回はロッシーニ。シューマンやショパンよりも先に生まれたので先に回します。


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42曲目

2011年07月21日 | クラシック

 時間の関係でこっちをあとに更新。

 紹介はしないけど、ヘレン・フィッシャーのはおすすめ。他にも探しているときにセリーヌ・ディオンのも見つけた。変化球でいいなあという人も見つけたのだが、半分程度で終わってしまうのがなあ。

 シューベルト アヴェマリア (パヴァロッティ)

 シューベルト=リスト ピアノ編曲版  (アムラン)

 成立年代 1825年

 時代区分 初期ロマン

 形式 歌曲

 形態 歌+ピアノ

 楽譜入手 シューベルト=リスト 歌による13の小品集

 ピアノ難易度 上級・上級中

 アレンジ これ。フルートorバイオリンorチェロ+ピアノ

 シューベルトの代表的な歌曲の一つ。アヴェマリアです。当初はリスト枠として扱う予定でしたが、シューベルトの枠として扱うことにしました。そのための4曲になってしまいました。もともとはエレンの歌第3番という題名でしたが、そのメロディーのせいで、宗教的に捕らえられてしまうという嫌な側面も持つ曲です。元の曲も詩もそういった宗教とは全く関係がなく、曲自身も本来であれば歌曲集の一曲にしか過ぎないものでした。しかしそういった誤解のせいで、シューベルトの歌曲の中ではトップクラスの人気を持つ者になってしまいました。今回はそれをリストがピアノ曲に編曲したものも一緒に紹介します。単純に和音の侵攻だけ住むのならそれほど難しくはないのですが、途中から右手にかなりの技巧を伴うの暴れっぷりがあるし、楽譜は三段符で読むのにも若干の苦労がいると思います。

 シューベルトの歌曲の元になっている詩の作者については、当時の超一流の作者の作品から、アマチュアの作品まで幅広いモノがありました。それだけに周囲の理解を得るのは若干難しかったそうですが、それだけ言えばシューベルトにとっては筆を選ばない人だったのでしょう。前にも言いましたがかなりの多作であったことから、逆にモチーフとなる詩が見つからなかったという考えも出来ますし。詩を元にして曲を作るというのは、バラードにもつながっていきます。それだけに詩と曲との関係とは切っても切り離せないモノです。ショパンの歌曲がローザンヌダンスコンクールの課題曲として使われるぐらいですし。この曲に関して言えば元はウォルター・スコットの詩を元にして作られた曲ですので、その一部が曲として使われただけです。しかし冒頭にアヴェマリア(追われたヒロインがマリアに助けを求めるシーンで最初に言った言葉)とあったことから宗教的な意味合いで使われてしまったという側面が出来てしまいました。

 このような形で宗教音楽扱いになってしまった曲もありますが、宗教音楽と言っても二つに分かれます。儀式のために使われる音楽(賛美歌など)とあくまでも芸術的に追求をした音楽の二通りに分かれます。後者の場合はバッハのマタイ受難曲・ヘンデルのメサイヤ・モーツアルトのレクイエムなどがあります。ただ内容的には似たり寄ったりなのでシューベルトのアヴェマリアのように変形をしてしまうこともあります。ちなみにキリスト教の中でも宗派によっては伴奏を禁止しているところがあり、そこからでも沢山の作品が誕生しています。

 次回は偽作がほぼ確定と言われるモノ。ちゃんとした時代に作られたモノだったらバロック以前なんだけど……


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41曲目

2011年07月19日 | クラシック

 今日はいろいろあってニュース関連は更新お休み。

 シューベルト その3 交響曲未完成 (ギュンダーワンド&ハンブルグ交響楽団)

 第1楽章

 

 第2楽章

 

 成立年代  1822年

 時代区分 初期ロマン

 形式 交響曲

 形態 オーケストラ

 アレンジ ピアノソロ・藤山一郎のアレンジ(スゥイング)・ゴドフスキーの変奏曲にも使用されている。IMSLPにもたくさん。

 シューベルトの3つ目は交響曲です。シューベルトの公式カウントでは8曲で作曲しているものの、他にも数曲断片的なものが残っていてそれらはカウントされていません。この曲も実は第3楽章の20小説と主題部のピアノスケッチは存在するのですが、その3楽章を演奏する機会は殆どありません。しかも順番も混同をしていて、現在では7番として認識されていますが、8番だった時期もあり、また他の交響曲やスケッチが7番だった時期がありました。なんで2楽章で止まってしまったのかというのはいくつかの説があります。例えば拍子が同じようなものになり単調になってしまう可能性をシューベルトが嫌ったとか、2楽章で完全なものになってしまい3楽章以降は蛇足だと考えたからとか、いろいろな説があります。ただハッキリ言えるのはシューベルト自身作品を作りかけのままほおり出すということがあるので、この作品も本来は世に出るものではなかったのではということがあり得ます。

 2楽章故にそれほど時間を取ることがないゆえに、レコードには良く「運命」とのセットでつかわれることも多く、後に「新世界」と合わせて三大交響曲にまで消化してしまいます興行的にもレコードの売り上げ的にも大きな貢献をしたと言われるだけに、いまでもコンサートの題目に取り上げられる事が多い曲の一つで。もっともこういう事情があり、さらに3大……は3つめを売り出すためのものだという話も出ているぐらい胡散臭いものあるために、最近では徐々にではありますが、シューベルトの他の交響曲も演奏される機会に押される形にはなっています。

 実はシューベルトは生前に関してはあまり評価されている作曲家ではありません。むしろ死語になってから評価をされて今日のような立場に押し上げている作曲家です。というのも曲は恐ろしいほど速く書き上げる(インクのシミが楽譜に残らないほどと評されるほど)ために、出版社のほうがあまりいい評価をしなかったようです。小品集こそ死後に出ていたのですが、本格的に評価されだすのはシューマンが交響曲グレイト(現8番)を見つけて、それをメンデルスゾーンの手によって演奏されたことから。これによりシューベルトは対策も作曲した一流の作曲家だったという評価が出始めました。さらに二人のイギリス人により楽譜が大量に発掘され、これにより評価もさらに上昇。今ではロマン派の入り口に立つ偉大なる作曲家の一人として、さらに他のロマン派の作曲家に大きな影響を与えた作曲家として世に知られる事になっています。

 次回もシューベルトの予定。本来だったらリストの1回目にする予定だった物。だけどいまだにピアノ版が見つからない……


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40曲目

2011年07月18日 | クラシック

 思えば遠くに来たものだ……

 ツェルニーその2 40練習曲より39番 (速度 プレスト・アラ・ギャロップ)(バラーシュ・ソコライ)

 

 成立年代 確認できず

 時代区分 初期ロマン

 形式 練習曲

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 ツェルニー(音楽之友社はチェルニー)40番練習曲

 ピアノ難易度 中級上

 アレンジ なしだけど、簡単にできそう

 参考 ショパン エチュード Op10-1 (同型の練習曲。ただしこっちの場合は手の柔軟さが要求される)(アルゲリッチ)

 

 ツェルニーの2回目は練習曲集からです。自分がやったツェルニー40番から39番です。弾いたことがある人ならわかると思うのですが、自分が弾いたときよりも遙かに早いと感じるかもしれませんが、テンポ指定通りに弾くと繰り返し無しで1分20秒ぐらいで終わってしまう曲です。もっともこのぐらいに弾ける腕があるならとっくのとうにショパンエチュードが数曲がひける腕でいないとおかしいレベルですので、練習中の人は気にすることはないと思います。30番とてテンポ指定で弾くとすれば本らよりも一段階上のレベルが最低でも必要になってきますし。(この曲が求めている技巧は右手アルペジオと黒鍵の扱い方)

 金銭的に余裕があったツェルニーは練習曲作成に時間をかけることが出来たので、初心者から最上級者までの練習曲を作ることが出来ました。一般的に知られているのは「黄金伝説」で何曲が使われている30番ですが、その上の40番・50番・60番、その下に当たる110番・100番さらに毎日の練習曲・左手のための練習曲・8小節の練習曲・プチピアニスト(全音ではリトルピアニスト)・第1課程練習曲・パッセージ練習曲・小さな手のための25の練習曲など多数の練習曲集を作り出しました。確かにツェルニーのこういうたぐいの練習曲は多いので飽きてしまう人が多くいると思います。口の悪い人なんかはベートーヴェンのソナタを弾くまでならこの練習曲でもいいけれどそれより先の時代には向かないということをいっています。しかし基礎という部分だけ考えれば、これだけの量を誇っているわけで、やはり触らないで通り過ぎるのはまずいと思う人だと思います。練習曲集の中にはあからさまにショパンを指揮したような曲(40番と60番の中にある)もありますし、ツェルニー自身それを心がけるかたちでの練習曲の作成をしています。

 30・40と数が上がってくるたびに難易度と求められる技巧の量が増えていきます。さらに40番になるとその全てはアレグロ以上の速度指定になるので、実際の所は表示されている難易度以上の難しさを感じる場面があります。多少苦しいと思えば他の人の練習曲集に手を出して、そこから考えるとかソナタをやって見るとかいろいろな方法があります。(40番だとしたらヘラーの30番かクラーマービューロー、もしくはグラドゥス・アド・パルナッズム100曲版あたりがおすすめ)ただちゃんと弾けるとなるとちゃんとした技巧を身につけたということになるので、演奏者に取って大きな幅が広がるとおもいます。ショパンの曲なんかはそのあたりを踏まえているような感じがしますし。

 そのツェルニーからは弟子としてリストがいます。ので、今のピアニストの広がりの幹の一つにツェルニーがいると考えてもいいと思います。「千里の道も一歩から」というように、退屈だからやらないというのは、自らの可能性を自ら閉ざしてしまうと思います。(自分もそうだったorz)どんなにツェルニー・ビシュナ・ハノンあたりがつまらないと感じても、しっかりこなしていくことがピアノ引きに取っては大切な事だと思います。うまい人になると自分で応用を考えて実行してしまうということもありますし。(その集大成はゴドフスキーだったりするし)

 次回は先にシューベルトの3回目。(シューベルトも都合4曲になりました)


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39曲目

2011年07月16日 | クラシック

 ストックがなくなってきてしまいましたので、明日のこっち分の更新はおやすみさせていただきます。

 ツェルニー ピアノソナタ 第1番 (ダニエル・ブルメンソール)

 第1楽章

 

 第2楽章

 

 第3楽章

 

 第4楽章

 

 第5楽章 (フガート)

 

 成立年代 1810年

 時代区分 初期ロマン

 形式 ピアノソナタ

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 不明(確認できず)

 ピアノ難易度 中級上・上級

 参考 ドビュッシー 練習曲集から第1番 「5本の指使いのための・ツェルニー氏に捧げる」 (アルバート・フェルラー)

 

 練習曲の作曲家として知られていばっかりに、その退屈さから他の作曲からは皮肉られ(参考に上げた曲がまさにそれ)、ピアノ学習者からは恨み節(それでもハノンとかビシュナとかブラームスにくらべればまし)が聞こえてくる作曲家ツェルニーです。彼はかなりの曲を作曲したことで知られ、そのため生活に困る状況ではないがゆえに、師匠ベートーヴェンがその生涯で成し得なかった練習曲集の制作にとりかかることができました。その成果が日本では~番練習曲集と呼ばれるピアノ入門者から最上級者までの、一連の技術的な練習曲が出来るものになりました。最近では50番練習曲をわざわざコンサートの演目にしたピアニストもいますので、その影響力というのはなんだかんだ言われようと大きいと思います。

 今回紹介するのはその練習曲集からではなくピアノソナタです。あきらかに師匠ベートーヴェンの中後期の作品の影響を受けていますが、その中でも自分を表現するようにこだわっている感じが見受けられます。たしかに作風はその状況においての初期ロマンでしたが、弟子にリストがいる関係上、今のピアノ界においても重要な立ち位置にいる一人だと思います。

 ツェルニーは練習曲の作曲ばかりではなく、いろいろな人の楽譜の行程作業などもやっています。代表的なところで言えばバッハの平均律の校訂で、自ら指針として速度を書き加えたりしています。しかし評判はよくありません。これはツェルニーがこれでもかと丁寧に作業をしてしまうばっかりに、演奏する人間の気持ちの固定化とかあり、さらに一部改変とかがあったからです。原典重視のクラシックにですから、それ故に無視され続けた部分はありましたが、一般的な演奏者からすればそう言うアドバイスの方はありがたいわけですし、今でも通用するようなところがありますので、比較対象として他の人の版と比べるときには必要だと思います。(IMSLPには指使いも何も書いていないクロール編を除くと解釈が3つある)

 次回はツェルニーの2回目。


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38曲目

2011年07月15日 | クラシック

 ダカン 「かっこう」 (トレヴァー・ピノック)

 

 成立年代 不明

 時代区分 バロック

 形式 小品

 形態 鍵盤楽器ソロ

 楽譜入手 フランスバロック音楽集・全音ピアノピース

 アレンジ なし

 ピアノ難易度 初級上・中級・中級上

 作曲者は不明でも一度は聞いたことがあるかもしれない曲、ダカンの「かっこう」です。個人的にはなんとも言えない不思議な感じを生み出す曲なのですが、比較的容易に弾けることから発表会とかによくつかわれる曲だと思います。難易度重視が目立つ最近では、ある小学校向けコンクルールで難易度が比較的高いとされる曲を押しのけてこの曲を演奏した子が優勝を掴むなど、演奏効果の高い曲としても知られています。曲自体もそれほど和音を使っていないので、大量にある装飾音の処理がこの曲の最大の課題になると思います。

 あのラモーを出しぬいて各地の教会のオルガン奏者になったことから演奏技術は相当のものを持っていると推測されます。それゆえに作品数も多いのだろうと思われますが、実は彼の栄光の陰でその作品は散逸し全くた状態になっています。このかっこうはその中でもあまりにも有名なのですが、それを含めても彼自身の作品はIMSLPでは二つしかおいてありません(4つあるけれど、残りの二つはオムニバスもの)。それ故にバロック時代の中では有力な人でありながら、完全に時代に埋もれる形の作曲家の一人になっています。

 彼の一族は音楽家もしくは楽器製造業であり、彼の名付け親である義理の叔母も名声を勝ち得た音楽家(フランス発の女性でのオペラ作曲者)でした。それ故彼には音楽の下地があったのですが、それを最大限に生かしたのが彼でした。ラモーを出し抜いたあとも各地のオルガン奏者の地位を得て、最終的にはノートルダム寺院のオルガン奏者という地位にまで上り詰めました。それだけの実力がありますし作曲家としても一流ですからもっと知られてもいいのかもしれませんが、上の一見ことから、音楽家としてはかなりマイナーな部類に入ってしまいます。

 次回はツェルニーの1回目。彼の実力は練習曲だけではない。


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