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世界のはずれから勝手に叫んでみる男の日記・var2

このページは大量の誤字脱字の提供でお送りしています。orz

57曲目

2011年08月16日 | クラシック

 モシュレス編集 「メドードの中のメドート」より ショパン「3つの新しい練習曲」(*注)+タランテラ (コルトー)

 

 成立年代 3つの新しい練習曲 1839年 タランテラ 1841年

 時代区分 初期ロマン

 形式 練習曲 タランテラ

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 中級上・上級・上級中

 楽譜入手 ショパンエチュード集(作品番号はないので、作品番号が付いているものには収録されていない)

 アレンジ ゴドフスキーのショパンのエチュードによる51の練習曲集

 モシュレスが編集した練習曲集からショパンの3つの新しい練習曲です。この3曲の練習曲はほかの24曲に比べると比較的楽にひきやすいのですが、曲の性格を捉えてもリズムをつかんでも演奏するときに一瞬でも迷いがあれば突然引けなくなってしまうような曲ばかりです。そういう点ではショパンらしいといえばショパンらしいですが、他の曲に比べるとかなりマイナーな部分は否めませんので、やはりそうそう聞かれる機会がない曲だと思います。なお一緒に入っているタランテラですが、3つの新しい練習曲とは関係がありません。

 1839年にモシェレスと親しい作曲家に依頼して書いてもらった練習曲を、モシュレスとフェティスがまとめたものとして出版されました。ショパンの新しいエチュードが目立ちますが、リスト、フェリックス、タールベルグ、ヘラーなどの作曲家の作品も収録されていますし、モシェレスも2曲入っています。ただショパンの3曲のインパクトが強いことと、リストの曲はのちに2版として「怒りを込めて」という曲になったこともあり、マイナーな部類に入ってしまいます。それ故にモシェレス自身もこの中では埋もれてしまうことになってしまいます。

 一緒に曲集をまとめたフェティスですが、作曲というよりも論評の方での功績が認められている人です。リストが支持をしている同世代の二人、ベルリオーズとワーグナーに対する批判というのは強烈で、ベルリオーズの代表作である「幻想交響曲」に対しては、「音を積み重ねただけ」という批判をしています。彼自身の考えとしては音楽というのは時代と共に変化をしていくもので、それに条件が加わったり環境というのがアレンジされていくものだという考えでいました。それゆえに彼自身は当時の潮流とは離れたところにいたのですが、ヨーロッパはもちろんそれ以外の地域の音楽を研究しようとした、彼の研究がそのまま民族音楽学という一分野を創り上げるきっかけになります。時代と共に音楽も作曲も変わっていくということを考えると、ロマンがという時代はイタリア・フランス・ドイツなどを中心とした音楽に関する行き詰まりというのが、徐々に見え出してきた時期でもあるような気がします。

 (*注)演奏の順番は1番→3番→2番の順です。これはフランス版の初版・2版の楽譜では2番と3番の順番が入れかわっていたため。コルトーは古い楽譜を手に入れることのできた立場にいたためこうなっている。

 次回はモシェレスの二回目。


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56曲目

2011年08月12日 | クラシック

 フェリックス・メンデルスソーン 「夏の夜の夢」より「結婚行進曲」 (不明)

 

 成立年代 1843年

 時代区分 初期ロマン

 形式 劇付随音楽

 形態 オーケストラ

 アレンジ たくさん。フェリックス自身による連弾用の編曲もあり

 日本語訳では坪内逍遙によって「真夏の夜の夢」と訳されそっちの方が定着(最近では「夏の夜の夢」に変わりつつあるのでこっちに表記をします)をしている、シェイクスピアの脚本につけた劇付随音楽から、結婚行進曲です。日本では結婚式の定番につかわれることの多い曲で、多数の場面でよくつかわれます。CMソングにもなりました。大抵教会でオルガン奏者やエレクトーン奏者などが演奏する機会が多い曲でもあるのですが、編曲された楽譜の難易度が高くないところ(それでもツェルニー30番程度の腕は必要になると思う)から、生演奏という形で聞くことの多い曲だと思います。

 実はこの作品に関する曲は3つあります。一つはメンデルスゾーンがファニートの連弾を楽しむために17歳で描き上げたもの。それをベースにしてオーケストラ化したもの。この2つに関しては序曲という扱いになっています。さらに時の王が序曲に感激をして、フェリックスに他の場面の曲としてつくれと命令されて作曲したのが、この結婚行進曲を含む部分で、もともと作っていた序曲も、この中に含まれます。いまではこの結婚行進曲を含む数曲を抜粋して組曲として演奏される機会も多くなってきました。

 結婚式といえば華やかなイメージがあり、底には幾つかの定番ソングとして演奏されることの多い曲、カラオケなんかで歌われる曲が多くあります。クラシックの場合で言えばワーグナーのローエングリンからの結婚行進曲なんかがこれに当たりますし、ポッポスであればすぐに幾つかの曲が思いつくことがあります。しかし最近まではそういうポップスに危険な歌詞が入って切るにもかかわらず、結婚式ソングとして歌われる曲が結構ありました。歌詞の内容ではなくイメージだけで歌ってしまうがゆえに、実は失恋ソングでしたということに気がつかない例が多かったからです。いまではさすがに敬遠されることが多くなったのですが、歌うときには歌詞の内容をちゃんとチェックしておかないと駄目だと思います。最も結婚式でのカラオケというのは周辺のドン引きを誘いやすいので、歌わないというのが一番のベストという選択肢がいちばんだと思うのですが……

 次回はモシェレス(2回予定)。このうち一回はモシュレス作曲というよりかはモシュレス編集。(実質ショパン3回目)

 


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55曲目

2011年08月11日 | クラシック

 ピアノ演奏者とかに多いのですが、「顔芸注意」と書かれている場合は、演奏に熱中するあまり表情が顔に出るどこで笑いが起きてしまう可能性があるということです。

 フェリックス・メンデルスゾーン ピアノ協奏曲第1番 (注意・この曲は楽章にはわかれていますが、切れ目が若干難しい状態にあります。)

 第1楽章 (ピアノ アンドレワッツ+指揮ジョン・ウィリアムズ+ボストンポップスオーケストラ)

 

 第2楽章 (ピアノ ダン・ダイ・ソン+それ以外は不明)

 

 第3楽章 (ピアノ ラン・ラン+それ以外は不明/顔芸注意)

 

 成立年代 1831年

 時代区分 初期ロマン

 形式 ピアノ協奏曲

 形態 ピアノ+オーケストラ

 アレンジ ピアノ2台

 人種差別・改宗問題など、本人よりもむしろ周りによって不当に扱われることの多いメンデルスゾーンです。多岐にわたるジャンルの作曲が目立ちますが、指揮者の地位を大きく引き上げたおと、埋もれていた曲を多数発掘したこと(特にバッハのマタイ受難曲。パガニーニのライブを相手にしても超満員だった)、さらにはライプツィヒ音楽院を建設したことなど、曲作り以外にも功績がある作曲家です。姉は前に紹介したファニー・メンデルスゾーンで、彼自身は彼女の才能に嫉妬していたそうですが、その彼女の助言を受ける形で才能を順調の伸ばしていきました。今回はその姉のデビュー曲であるピアノ協奏曲1番をチョイスします。

 自信は音楽家でしたが、父親は銀行家。祖父は哲学者、息子は今でも存在する企業の創始者、別な息子は歴史家、さらには姉ファニーと多彩な才能を持った人間がこのメンデル裾ーんけから派生まれています。家が銀行家だったが故に金銭的に困ることはなかったのですが、唯一の悩み事と言えば彼がユダヤ人だったと言うことでした。今もイスラエルの問題とかで矢面に立たされることが多かったのですが、当時もユダヤ人は迫害の対象でした。成功者が多く権力や金を握ることからそのためのねたみというの側面もあったのですが、その中で明るい曲調の曲を多く作曲してきました。姉が作り上げた無言歌のスタイルを大きくしたのは間違いなくフェリックスの存在が大きいです。

 迫害は受けてはいましたが、友達つきあいの広さも彼の特徴です。詩人ゲーテとも親交がありましたし、シューマンとも友人関係にありました。その中でシューマンが発見をしたシューベルトの交響曲第8番でタクトを振っています。また当時では埋もれていた作曲家の再発掘というのもやっていて、これでバッハ・シューベルト・ベートーヴェンの再認識され、今では大作曲家の系図に組み込まれています。もちろん彼自身も無言歌集などのピアノ曲を始め、ヴァイオリン協奏曲、オペラなどに才能を発揮。音楽史に残る功績を作り上げていくわけです。

 次回はメンデルスゾーンの二回目。文字通り今の季節向き。


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54曲目

2011年08月08日 | クラシック

 グリンカ 「ルスランとリュミドラ 序曲」(クリヴィヌ+フランスリヨン国立管弦楽団)

 

 成立年代 1837年から1842年

 時代区分 初期ロマン+国民楽派

 形式 序曲

 形態 オーケストラ

 アレンジ この曲にはないが、他の曲ならリストのアレンジがある

 ロシア生れの作曲家グリンカの代表曲です。キエフ公国を舞台としたこのオペラはロシア語で書かれていて、今で言う国民楽派の先駆けとして知られています。内容は、お姫様がさらわれる→3人で競争(原作では4人)をして、二人脱落→主人公が姫を助けて結婚というありふれた形の物語ですが、課程の中で二転三転と展開を繰り返していく物語です。原作は詩で、詩の方の作者本人もこの脚本を書く候補には挙がってをしていましたが、決闘で敗れて殺されてしまい(この話を元にした漫画がある。ついでに言えば彼もロシア貴族社会の犠牲者)、脚本自体は別人による共同作となっています。

 当時のロシアの貴族社会の音楽のスタイルはロシアの方をみないでイタリアとかドイツからの輸入が中心でした。その状況では国内の音楽が育つ状況ではなく、グリンカ自身も勉強のためにイタリアやドイツに留学をしていました。(もっとも音楽教育を受けれる状況でありながら、ロシアでは他の芸術のジャンルの人とのつきあいがあった)その中でオペラに触れて、ロシアの音楽に目覚めたグリンカは留学で得た技術を元にして、ロシアの音楽をその中に取り入れました。ただ当時のロシア貴族社会がかなり保守的すぎたこともあり受けはかなり悪かったと言います。むしろ同年代や後生の人たちの方に受けがよく、いわゆる国民楽派の作曲家(ロシア5人組も含む)に大きな影響を与えました。それ故「国民楽派の走り」と言われています。

 彼自身は数カ国語をマスターしていたので、ロシアにいるよりも他の国にいるという時間の方が長いという人でした。それはさっきも書いたとおりにロシアの音楽がかなり保守的すぎたからというのが理由です。ドイツ留学中に彼は死を迎えてしまうわけですが、それも自分の作曲の幅を広げるためのを上げるための留学でした。評価はさほど高くはなかったのですが、この曲はたびたび演奏のレパートリーとして演奏されることもありますし、歌曲以外でも最近ではよく演奏されることが多くなってきました。

 もっともロシアという国は芸術に関しては何度も迫害を受けていました。ロシアからソビエトになったときには、世界的に有名な芸術家は何人も逃げ出していますし、第2次世界大戦後は前衛芸術家を対象にした「ジダーノフ批判」という芸術的弾圧事件もあります。その反面英才養育のたまものと言えるような世界的な演奏家も数多く生まれていました。よくいう「社会主義大国が本気を出すととんでもないことが起こる」というのは、ここでも当てはまるわけです。ソビエト崩壊後は低迷をしていたのですが、去年のショパンコンクールでは上位進出者にロシア勢が多く選ばれました。まだまだロシアという国の底深さというのを思い知らされることになりました。

 次回はフェリックス・メンデルスゾーン(2回予定)の1回目。


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53曲目

2011年08月07日 | クラシック

 今回もピアノ曲です。あと訳は間違っている可能性が大。

 ファニー・ メンデルスゾーン(=ヘンゼル) 4つの「ピアノによる歌曲」より 作品番号6よりより 第4番 (Erakko Ippolitov。読みづらいので、表記そのまま)

 

 成立年代 調べきれず

 時代区分 初期ロマン

 形式 ピアノ小品(リーダー)

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 不明

 アレンジ なし

 無言歌集やバイオリン協奏曲でおなじみのメンデルスゾーンの姉のファニー・メンデルスゾーンです。弟が嫉妬するぐらいの音楽的才能の持ち主で、その実力派クララ・シューマンに匹敵。そのクララ・シューマンは37で作曲をやめてしまったため、後に「ちゃんと作曲を続けていれば、夫はもちろんショパンと同じクラスの作曲家になっていた」という評価ありますので、おそらく大作曲家クラスの実力は持っていたと思います。残っている作品数は多くはないものの、弟に影響を与えたという作品もあります。そういう意味ではいまでも表(教科書の載るレベル)に出てこない作曲家の一人だと思います。

 女性有数の作曲家の一人ですが、むしろねんねん気難しくなってくる弟フェリックス(一般的にメンデスゾーンと呼ばれるのは弟。ここではフェリックスに統一します)をなだめたり相談する役割のほうが多く、彼女の音楽的才能の評価については遅れていました。しかし最近になって、楽曲及び演奏者としての腕も認められるようになり(少なくともぴあの場合は作曲者は自分の持っている技巧を入れる傾向が強いので、どうしても難易度がそれなりにある曲ばかりが出来上がってしまうことがある。例えば全盛期のリストのように)、いまではフェリックスと同レベルの実力の持ち主で、女性作曲家というよりも他の作曲家と比べても遜色ないレベルという評価がになってきています。

 フェリックスとは大量の手紙のやり取りがあり、それがいまでも研究材料として残っています。家からも表に出るようなことがないようにということを言われていたそうです(この段階で音楽的才能はファニー>フェリックスと思っていた節も)ので、結構な数弟に対して助言をしていたそうです。そのためピアニストデビューは他の人に比べて遅いと言える33の時。デビュー曲はフェリックスのピアノ協奏曲第1番でした。その後は夫の協力もあり、実家では封じられていた音楽活動に邁進することができたのですが、その期間は10年と続きませんでした。フェリックスの作品のリハーサル中に突然倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまいます。その遺品を整理している最中に今度はフェリックスが同じように倒れてそのままなくなってしまいます。それだけよき理解者の師は大きな衝撃を彼に与えてしまいました。

 その作品というのは還元書く作品がない代わりに、ピアノ曲と歌曲が占められます。特に歌曲イタリアは有名で、ヴィクトリア女王のお気に入りとなったという話があります。さらにフェリックスに大きな影響を与えたのは無言歌。フェリックスのピアノ作曲において代名詞となっているジャンるですが、創り上げたのはファニーで、後にファニーからグノーに無言歌を作ったのは私という話をしています。ただ基本的な作曲スタイルはシューマンとかのほうに近く、ピアノ組曲やソナタの作曲もチャレンジをしていたそうです。ただピアノ曲に関して言えば、小品が圧倒的に多いそうです。

 次回はグリンカ。初期ロマンというよりも……


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52曲目

2011年08月04日 | クラシック

 他の候補がある限りはピアノ曲はできるだけ避けようとしているのだが、どうしてもピアノ曲をチョイスしそうになる自分がいる。

 シューマン その3 ウィーン謝肉祭の道化 (ミケランジェリ)

 その1 (1番)

 

 その2 (2番から4番)

 

 その3 (5番)

 

 成立年代 1839年から40年

 時代区分 初期ロマン

 形式 ピアノ組曲

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 全音

 ピアノ難易度 中級上・上級・上級中

 アレンジ 

 シューマンの3曲目は迷った末にですがピアノ曲にしました。シューマンのウィーン滞在中に彼自身が経験した謝肉祭の明るい様子をそのまんま曲の中に投影しています。ソナタ化を意識されている曲だと言わていて、形式的に見てもソナタだという感じの曲作りをしています。シューマンはこの曲の他にも謝肉祭というタイトルの曲を書いていますが、その曲集は短いので20秒以内・どんなに長くても3分半程度の極端に難易度が高い小品集になっています。(こっちは同じ全音からクライスレリアーナとセットになっている)

 シューマンは自分の中でのイメージや情景を曲にすることが多く、詩からインスピレーションを得た曲とかが多くあります。紹介したパピヨンもそうですし、後にかく「ノヴェレッテン」「森の情景」や自分の批評の中で登場させる架空の登場人物たちをモチーフにした「ダヴィト同盟舞曲集」、ホフマンの評論集からタイトルをとりながら、その実はまだ恋人の段階だったクララとの置かれた状況を表した「クライスレリアーナ」(これは若いピアニストが感情をおもいっきりぶつけて弾くような曲。その真逆が「子どもの情景」)とかがそれに当たります。

 彼の人生は挫折と、それ以外の繰り返しでした。父親の死によって法律家を目指すも、ピアノの道を捨て切れずにピアノの道に。恋愛は一回失敗するも、師匠の娘であり当時あいどるピアニストの一人(ただし実力は折り紙つき)のクララと出会い、大恋愛と師匠との対立の後(裁判にまでなった)に結婚。しかし彼自身は怪我が元でピアニストの道を断念して評論と作曲に専念。名曲は生まれ、人には恵まれるものの演奏的な才能には結局恵まれず。しかも若い時の行為が元で起きた病気によって命奪われるという数奇な運命をたどっています。その裁判の作品に関してはクララが彼の死後の処分してしまったのでわかりませんが、晩年までの作風は基本的には変わらなかったこと(重厚さ。次代が下るにつれシンプルにはなったが基本線であった)を考えると、何かあったのかもしれません。ただそれを知る手がガリというのはなくなってしまっているのですが。

 次回はメンデルスゾーンの姉。


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51曲目

2011年08月01日 | クラシック

 時代区分のロマン派の分け方は1860年ぐらいを境にしています。

 リスト その3 無調のパガテル (アルフレッド・ブレンメル)

 

 成立年代 1885年

 時代区分 後期ロマン

 形式 ワルツに近い小品

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 不明

 ピアノ難易度 中級中・中級上・上級

 アレンジ なし

 参考 メフィストワルツ 1番 (中村紘子)

 

 リストの3曲目はリストの死の前年の作品になります。当初はメフィストワルツの4番として作られたのですが、途中からそれはなくなりまったく別な形での作品になっています。パガテルというのはちょっとしたという意味の小品で、どちらかと言えば構想から落ちた者とか、手持ちぶさたな感じで書かれた者がこれに当たります。無調というのは調性がないという意味で、特殊な旋律を利用してこの曲は書かれています。リストが実験的なのかどうなのかはわかりませんが、この時期になると音楽の調性に多入りする行き詰まりを感じだしてきた時期で、今までの和声法とは違う試みでこの曲は作られています。

 リストの活躍していた時期は大きく分けると3つに分かれます。ピアニストをしていた時期、ピピアにスト引退してワイマールにいた時期、そして晩年の期間の3つです。前半はピアニストとして脂がのっていた時期でもあるだけに、難易度が極端に高い曲というのを数多く作っていました。そのピアニストを引退していたのち10年間は自分の作品の手直しや新しい作品に取りかかっていました。作曲の意欲は失ってはいませんでした、徐々に技巧重視から表現力重視へとそのスタンスが変わっていきます。今で言う印象派的な要素がどんどんついて行く時期でした。後のこの調性の破壊が印象派につながり、さらには現代音楽のごっちゃにしたような者につながっていきます。

 そのリストのピアニストの現役の時代の話ですが、かなりの熱狂的なファンがいて、彼の姿を見るたびに気絶をしてしまう人もいたそうです。(いまでは想像がツナ会かもしれないけれど、マイケル・ジャクソンのコンサートの映像を見るとたまに失神している人の映像が出ていますし、日本でもGS時代の時には倒れる人がたくさん出たそうです)クララ・シューマンも若い時にリストの演奏を聞いて、衝撃を受けたという話があります。それだけ当時とすればアイドルであり名手であったわけですが、彼自身は劇的に大きく音を鳴らすというスタイルのためにしょっちゅうピアノを壊していたそうです。その為彼はコンサート会場にピアノを数台持ち込んで壊れたら他のピアノに移動して演奏を続けていたという話もあります。それゆえに彼の演奏に耐え切ったスタインウェイ社のピアノはいまでは世界的に有名なピアノ制作会社になりました。(その真逆を言ったのはショパン。ピアノを大切にするように扱ったために、こういうコンサート活動を嫌っていた)

 次回はシューマンの3回目。二日間ぐらいこっちの更新をお休みします。

 


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50曲目

2011年07月30日 | クラシック

 リスト パガニーニの「鐘」による華麗なる大幻想曲 (マルコ・バシーニ)

 

 成立年代 1831年から1832年

 時代区分 初期ロマン

 形態 ピアノ編曲(元・パガニーニ「鐘のロンド・バイオリン協奏曲・第2番・第3楽章」)

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 不明

 ピアノ難易度 超級

 アレンジ なし

 参考 パガニーニ 「鐘のロンド」 (バイオリン、ジャン・ジャック・カントロフ&バーナード・トーマスチェンバーオーケストラ)

 

 リストといえばパガニーニ練習曲のラ・カンパネラが有名ですが、この曲にも現系統いうのがあります。それがこの作品番号2がついているの曲なのですが、この曲はまさにリストの野望作で、今でもプロのピアニストでも弾けないぐらいの難易度が高すぎる曲になっています。録音が残っているのも10人もおらず、コンサートでも当然敬遠される曲です。この曲にだけにしか使われない技巧がふんだんに織り交ぜられ、さらに14分以上の長丁場。この曲一曲だけで弾く人間の精神力が大きく削られる一曲だと思います。

 リストは「カンパネラ」を絡めた今日というのを5曲作っています。そのうち1曲は「カンパネラ」という名すらついていないのですが、そのいずれも難易度の高い曲として知られています。パガニーニの曲を聴いて失恋直後だったリストは「ピアノのパガニーニなる」といってこの曲を書いたと言われています。そのため、無駄に難易度が高くなっています。それだけにパガニーニの影響力というのはものすごいと言うことになります。

 リストは数多くの弟子をとったのですが、その枝は確実に今の世代にも受け継がれています。もっともリスト自身が教えることが多く、そのため教えを請いたいピアニストは元からかなりの腕を持っていることが条件になっていました。その結果リストの腕を伝えるピアニストが多く誕生をしました。前にも紹介しましたビューロー、「バッハ全集・平均律」のクロール、バッハ「シャコンヌ」の編曲のブゾーニ、「グラドゥス・アド・パルナッズム」編集のタウジヒなどそうそうたる面々が並んでいます。師匠の影響でしょうか、ビューローを除くいずれの面々も作曲する曲の難易度はかなり高くなっています。枝葉の先には今旬のピアニストを始め歴史的なピアニストの名前・さらにはラフマニノフの名前もありますので、今でも源流としては大きく日とがっていると言ってもいいでしょう。

 逆に現代にその技術を伝えることが出来なかったのがショパンです。ショパンのスタイルは基本的にピアノ教師ですが、弟子をとって……という者ではなく、サロンの子弟を教えるためにというスタンスでした。そのため授業料は当時のパリの物価でも高いと言わしめる者だったようです。ショパンの弟子の中からでも、ショパン自身は嫌っていたプロのピアニストというのは出ていたのですが、むしろその弟子から枝葉として広がっていったといった方がいいかもしれません。そもそもショパンはリストのようにコンサートのための派手目の演奏法(ショパンのピアノが壊れやすかった者というのもあったが、いたずらに大きな音を出すことを嫌っていた)を好きではなかったようです。ただ弟子を通じて、ショパンから伸びている枝葉も現代ではしっかりと根付でいます。

 次回もリスト。この作品のために6回になりそう。


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49曲目

2011年07月29日 | クラシック

 今日はこっちの更新だけ。後、ひょっとしたらリストだけ6曲ということになりそうな感じが。

 リスト 超絶技巧練習曲(3版)より (ベレゾフスキー)

 鬼火

 

 雪嵐・雪かき

 

 成立年代 1826年(初版)→1837年(2版)→1852年(3版)

 時代区分 初期ロマン

 形式 練習曲

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 春秋社のリスト集・1番は全音の「リスト12の練習曲」

 ピアノ難易度 超級(2番はほぼ演奏不可能)

 アレンジ なし

 参考 ショパン エチュード Op10-7 (ヴァレンティナ・リシッツァ)

 

 参考 その2 雪嵐 楽譜付き (横山幸雄)

 

 練習曲というカテゴリーの中で最大難易度クラスのリストの超絶技巧練習曲から、2曲です。5番の鬼火と最後の12番目の雪嵐です。日本のCDには雪かきと書いてありますが、曲想から考えると訳を間違えたのかなあともいます。鬼火はおそらく現代ピアノにおいても最難関の曲の一つとしてあげられるもので、12番の雪嵐はトレモロという技巧がこれほどまでに変化をするのかという、ひとつの形を表しています。そのためピアニストの中でも演奏するのを嫌っている人がいるぐらいです。

 超絶技巧練習曲は一発で完成したわけではなくピアノが現在の形になる間に3回書き換えら得ています。1回目は作品番号1として出されたもので、どちらかと言えば師匠ツェルニーに近いものという解釈ができます。それを改定(この時の7番が11番に移動して、7番には新しい練習曲が入った)したのが2版で、今のピアノの構造では不可能ではないのかという曲がつくられました。この段階で練習曲というよりも演奏会向けという曲に性格を変えていきます。ピアノの構造上の問題などで引けなくなった部分をさらに改修したのだが、いまよく聞く3版で多くのピアニストによって演奏されています。

 雪嵐の場合は曲を聞くとトレモロの技巧を求めているのはわかりますが、鬼火のほうは一見すると何を求めているのかがわかりません。楽譜を見れば一目瞭然なのですが、半音階などでもとめられる指のなめらかな動きの他に、右手でメロディーともう一つの音を弾かなくてはいけません。同様のタイプの練習曲はショパン(Op10-7)にもあるのですが、それを更に早くしたのが鬼火につかわれています。それ故に人によってはこの曲こそ最難関の曲だという人もいるぐらいです。

 これぐらい難易度の高い曲を作るのですからリストは確実に弾けるのかといえば、音源が残っていないためにわかりませんし、当時のリサイタルはニュアンスがつかめればいいというのがありましたのでそう簡単に聞いてもいない人間が結論を出すのはどうかと思いますが、おそらくイエスと言ってもいいでしょう。それどころか他の作曲家の作品を初見(楽譜だけを見て引くこと)で弾いて論評も出来てしまうため、リストのところに持ち込むという作曲家も多くいました。無名時代のグリークがピアノ協奏曲イ短調の楽譜を持ち込んで弾いてもらったときにはお墨付きをもらいましたし、フォレーの曲の場合は引いている最中に「手が足りない」と叫んだことがあります。それだけでいえば歴代最高のピアニストと行ってもいいのですが、彼の真骨頂は楽譜を見て演奏することではなく、即興演奏でした。そのため同じ曲を引くことは二度となく(メンデルスゾーン)、その場で音やアレンジを加えることもしばしば。そのためショパン(彼のOp10だけは初見では弾けなかったので、パリから姿を消して必至に練習して戻ってきた→それゆえにOp10はリストに捧げられている)からは技術偏重と見られて、離れて行ってしまったという話があります。しかしリストの大量の弟子からすれば、これほどいい師匠もいないわけでリストのスタイルについては文句をいう人はいませんでした。ただしドイツ音楽会を分断するような論争に発展したときには、その弟子の一人を娘の浮気のせいで失ってしまうのですが。

 次回もリスト。おなじみの曲の原型。


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48曲目

2011年07月28日 | クラシック

 ショパン ピアノソナタ 第3番

 第1楽章 (リパッティ)

 

 第2楽章(スケルツォ)(ボレット)

 

 第3楽章(ボゴレリッチ)

 

 第4楽章(カツァリス・顔芸注意)

 

 成立年代 1844年

 時代区分 初期ロマン

 形式 ピアノソナタ

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 ショパン・ソナタ集

 難易度 上級中・上級上

 アレンジ なし

 参考 ショパン ピアノソナタ 第2版第3楽章 「葬送行進曲」(ミケランジエリ・最初の数秒間音が出ないので注意)

 

 ショパンのピアノソナタです。ショパンはピアノソナタを3曲作曲していて、1番(*)は習作的なもの(それでも第3楽章は4分の5拍子という変わった置き位置の曲になっている)で、演奏機会は少ないのですが、2番と3番がよく演奏されています。2番は昔のバラエティ番組でその音が流用されてつかわれていた「葬送行進曲」(第3楽章)が入っていて、それを中心にして曲が做られたといわれています。一方第3番は、ニコニコである人が第4楽章を改造したのが流行(改造した人はCDデビューまでした)して、最終の第4楽章が一気に有名になったということがあります。ショパンはソナタや協奏曲に自分のモテる技巧をできるだけ多くぶち込むという傾向があり、そのためどうしても難易度は高くなってしまうことから、やや難易度は高めという判断をしましたが、葬送行進曲に関しては手さえ大きければ中級レベルでもどうにかなる曲だと思います。

 第2番に関しては先に葬送行進曲だけで出来ていた(他の3つよりも2年も前にできていた)こともあり、無理やりくっつけただけという悪評があるのですが、この曲は古典時代のソナタをそのままショパンの時代に回したような編成になっています。1楽章にソナタっぽくないとうい批判はあるもの、ショパンらしさが大きく出ている曲だと思います。そこからショパン節前回と言える展開が続いていき、最後は壮大でありながら難易度の高い第4楽章でしめるという編成になっています。好みに関しては2番と3番で相当分かれると思いますが、どっちも最低でも一回は全部聞いておくべきだと思います。

 この時期のショパンはピアノの詩人というカテゴリーから抜けだそうと必至になっていた時期でした。同時に作曲されたチェロのソナタもそうですし、スケッチの段階で終わってしまいましたが、バイオリンのための曲もつくろうとしていました。チェロの場合は彼自身がピアノの次に大切にしていた楽器であったことと、彼の親友にチェロ奏者がいた事もあって、曲が3曲ですが残っています。(ただし、このソナタに関しては難易度が高すぎて初演の時には1楽章が出来なかったというオチがあるのですが)この他にも歌曲を作曲していて、その曲がバレエコンクールにつかわれるなどもあります。

 次回はいよいよこの企画のメインであるリストの1回目(4回目)。まずは練習曲から。

 (*)去年行われたショパンコンクールで、ソナタ3曲(のうち1曲を演奏)が課題に挙げられたのだが誰一人1番をチョイスしなかった。


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