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世界のはずれから勝手に叫んでみる男の日記・var2

このページは大量の誤字脱字の提供でお送りしています。orz

67曲目

2011年09月20日 | クラシック

 グノー(+バッハ) アヴェ・マリア (歌、キャスリーン・バトル+ギター、クリストファー・パークニング)

 

 成立年代 1859年

 時代区分 初期ロマン

 形式 歌曲

 形態 ピアノ(オーエケストラ・今回はギター)+歌手

 アレンジ ピアノソロ(ドレミのピースギャラリーにあるのは簡易版)、他の楽器+ピアノというのもある。多数。

 (*)平均律1番のプレリュードは前に紹介済みなので省略

 グノーの代表曲の一つであるアヴェ・マリアです。平均律1番のプレリュードにメロディーを乗せただけのものですが、アヴェマリアと言えばシューベルトと同じぐらい名前が挙がってくるものの一つです。伴奏に使われている平均律のプレリュードが確実に演奏できれば、教会音楽そのもののイメージがあるだけに(それだけにこの曲が入っているソナチネアルバム1番では、ちゃんと演奏するのであれば難易度は高くなると表記されている。弾くだけであればバイエルのレベルからでも可能)、これにメロディーを乗せてさらに宗教色を強めて言っています。その立場故に宗教色の強い作品ばかり作ってはいるのですが、管弦楽の「操り人形の葬送行進曲」はヒッチコックの映画で使われており、実は結構聞く機会が多い作曲家の一人に名をあげることが出来ます。

 こういう他の人の曲に乗せて他のメロディーを当てる、もしくはクラシックの音楽を他のジャンルの音楽に切り替えるというのはよくある話で最近で言えばSEAMOの「Continue」ではレーガーの「威風堂々」が曲中で使われていますし、平原綾香のジュピターなんかはまさにホルストのジュピターから「火星」の部分ですし「威風堂々」というそのままの曲もあります。展覧会の絵をロックにアレンジしてしまったELPというグループもあります。(これがきっかけでいろんなアレンジが出てくることになる。順番で言えば原曲→ラヴェルによるオーケストラ編曲→ホロヴィッツによるピアノ再編曲→ELPによる編曲→ギターの山下和仁によるソロ編曲)それだけにクラシックといえども今の音楽に直結する部分というのはかなりあると思います。ただし、それが故に別なところでは著作権問題( )が発生していて、音楽の鉱脈が掘り尽くされたなんて話を聞くことが毎日のように出てくるようになったのですが。

 グノーの後半生は彼自身が教会のオルガン奏者という職にあったので、どちらかと言えば宗教的な音楽を作ることが多かったのですが、オペラなどのジャンルの作品にも作品を出しています。有名なのは「ファウスト」で、たびたび上演をされます。この人の元にある人物が合唱団員として入団しています。その人は才能が豊かで、グノーが惚れ込むほど。グノーは彼を音楽の道に進ませようとしたのですが、彼は首を縦に振らず自分の進むべき道(このときは彼自身が陶器工場への就職を望んでいた)の方に言ってしまいました。その人の名はルノワール。後に絵画の世界では印象派の一員という超大物になるような人でしたので、もし音楽の道に進めてしまっていたら印象派の時代のよう来駕少し遅れたかもしれません。

 次回はラフ。


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66曲目

2011年09月19日 | クラシック

 いろいろあってようやくこっちが更新。

 ヴェルディ 「椿姫」より

 乾杯の歌 (アンジェラ・ゲオルギューラ(ソプラノ)+ロンベト・アラーニャ(テノール)。オーケストラ・指揮者・バックの合唱団は不明)

 

 成立年代 1853年

 時代区分 前期ロマン

 形式 オペラ(の中の一曲)

 形態 オーケストラ+歌手

 アレンジ 全体的に色々あり。

 ヴェルディの2作目は椿姫からです。現代を直訳すると「堕落した女」という意味ですので、「椿姫」というのは日本特有のタイトルということになります。原作は三銃士でおなじみのデュマの息子の代表作で、娼婦と自分との恋を小節にしたものが椿姫という形になって出てきました。同じようにバレエ化したものもあります(こっちのほうが原作に忠実)ので、全部見てみるのいいかもしれません。オペラの方が内容的に言えば若干原作からは離れていますので、違和感を感じる人もいるかもしれません。

 今ではヴェルディの代表作の一つとしてあげられていますが、作られた当時は問題作の一つとなっていました。それは娼婦にスポットライトが当てられていたことが理由なのですが、それを回避するために結果的に悲劇的な最後=死が用意されていたことから上演可能とされてきた経緯があります。しかも初戦に関しては大失敗。配役にミスとかが手伝って(結核で死ぬヒロインが、体格がよかったりする)酷評の嵐でしたが、完成するまでの期間が短すぎては医薬が決まらなかったというのが背景にはあります。それ故に再演の時には念入りに練習を重ねて、ようやく認められたという節があります。

 ヴェルディはその絶頂期を境にいろいろな慈善事業に身をの露出すことになります。特に引退した作曲がことごとく貧乏になっていくことを見ていられなかったのか、養老員みたいのを建設します。この間に作った「オテロ」という最高傑作が大ヒットしたこともあり金銭的に困ることがなかったヴェルディですので、そっちに専念することも出来ました。「オテロ」と前の作品から16年の歳月がたっていること、すでに年齢的に70の後半にさしかかっていたことを考えると、すでに枯れた作曲家として本人も意識していたそうです。しかし一人だけそうでなかったと見抜いた人物がいました。彼がヴェルディに差し出したノートから創作意欲を復活させたヴェルディは数々の困難と秘密裏の行動という状況から、最後の作品である「ファルスタッフ」を完成させます。これが各地で大受け。パリのミラノ座という因縁の地でも成功を収めましたが、これが彼のオペラ作品の引退の作品になりました。その後は慈善活動に没頭。ロマンは初期の生まれの作曲家にもかかわらず20世紀初頭まで、長生きすることになりました。

 次回はグノー(+バッハ)。これだけで察しがつくかも。


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65曲目

2011年09月12日 | クラシック

 ヴェルディ(*1) アイーダより「凱旋行進曲」 (ペトル・フィアーハ+チェコ放送交響楽団+チェコフィルハーモニー合唱団)

 

 成立年代 1869年

 時代区分 後期ロマン

 形式 オペラ・行進曲

 形態 オーケストラ+合唱

 アレンジ ピアノソロ・ピアノ連弾・吹奏楽 

 サッカーファンなら知っているかもしれないヴェルディからのアイーダから「凱旋行進曲」です。昔フジでやっていたセリエAダイジェストに冒頭部分がつかわれ、さかつく04のエンディングには主題がつかわれた(どっちかは忘れた。もうひとつの方には威風堂々がつかわれている)こともあるので、知っている人もいるかも知れませんし、中田英寿のパルマ時代を知っている人はこの曲がパルマの応援のテーマになっているということも知っているかもしれません。

 もともとこの曲はヴェルディがエジプトの総督から依頼を受けて造られたものです。スエズ運河沿いのオペラ劇場のこけら落としのために作曲されたと言われていますが、実際はこけら落とし公演の後に依頼されたものです。ヴェルディはきびしい条件をつけた上で依頼を受ける形になります。エジプトを舞台にしながらイタリア語のオペラになったのはこの為です。(さらに台本の作者をヴェルディが決めたり、初演の指揮をヴェルディがしなくてもいいとか)台本などは6人の手によって完成。ヴェルディも作曲を完成し、あとは演奏をするだけになったのですが、ここで戦争の影が舞台を襲います。舞台装置はパリで造られていたのですが、それが出来ていざカイロへという段階で普仏戦争が勃発。パリが包囲されるという事態が発生してしまい、舞台初演が11ヶ月も延期されるという事態が発生しました。その困難を乗り越えて初演は大成功したのが救いでしょうか。

 音楽は時として権力や政治に巻き込まれることがありますが、ヴェルディもその一人でした。滞在をしていたパリでは二月革命の真っ最中だったのですが、彼自身は一外国人としての傍観の立場でした。しかしこの革命の余波がヨーロッパ各地に波及することになり、彼の故郷であるイタリアにも広がり始めます。街からオーストリア軍を追い出した暫定政府樹立の時肉界イタリアに戻るのですが、すぐに仕事のためにパリに帰還。この臨時政府の崩壊には立ち会わなくて済みましたが、そのときの作られた作品が偶然新政府樹立でわくローマで初演がおこなわれ、イタリア統一の象徴としてみられる状態になってしまいました。子の状況に嫌気がさしたヴェルディはちょうど都市部にコレラがはやっていたこともあり、都市部からの離脱をします。この後に作られたオペラがそれまでの型を突き破った「リゴレット」につながっていくわけです。

 しかしこの「リゴレット」の大成功が彼の人生を大きく変えてしまいます。元々妻に対する人種的偏見の目と言うがあったでのすが、彼の父との対立が表面化。これがきっかけで彼は農村に引っ込んで農業をしながら作品を作るという形をとることになります。ここで出会った人と意気投合をして、なぜか政治に世界にも足を踏み入れてしまいます。とはいえたんなるイエスマンで4年しかその期間はありません。この間にも音楽の世界は激変していきます。ワーグナーの台頭がヴェルデ委を過去の人にしてしまいそうな状況を作り上げていきます。すでに音楽そのものから一線を引かれていた感じがしていたのですが、さらに作る音楽が酷評の状態になってしまい、さらに周辺との軋轢も生じてきていました。しかし「アイーダ」の公演をきっかけに一気に復活、そして絶頂期へと彼を押し上げることになります。

 次回はヴェルディの2回目。


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64曲目

2011年09月10日 | クラシック

 今回あいだが開いてしまったのは、曲が多すぎて決められなかったのと、こっちも時間不足だったこと。しばらくこういう状態は続くと思います。

 ヨハン・シュトラウス1世 「舞踏会の夜のギャロップ」

 

 成立年代 確認できず

 時代区分 初期ロマン

 形式 小品

 形態 オーケストラ

 アレンジ IMSLPには元の楽譜もない

 参考 イタリア国歌「マメーリの賛歌」 (内容的に言えば殉国賛美なので、論争が起こっている)

 

 最初に取り上げたラデツキー行進曲の作曲者、ヨハン・シュトラウス1世です。時代的に言えばもう少しあとの人だと思うかもしれませんが、子供の影響力に隠れてしまって、認識されているのは偉大なる息子の父というイメージのほうが強いかもしれません。ワルツの父という二つ名があるのですが、そのワルツよりもほかの曲のほうが演奏される機会というのが多くなっています。今回の曲のその中の一曲の紹介になります。

 ギャロップというのは馬をイメージさせますが、そんなの通り馬が走るイメージが元になっていますので、ギャロップとして長付いている中で一番有名なのはカバレフスキーの道化師のギャロップですが、劇中歌につかわれていたり、また単独でもかなりの曲数がありますので耳にする機会は覆いと思います。シュトラウス1世も割とこの手の作品数は多くあり、演奏会などで聞かれることが多いともいます。

 音楽という者は不思議な者でいろいろな感情を人に植え付けることが多々あります。たとえば行進曲を演奏すれば気持ちが引き締まることがありますし、その反面バラードなんかを聴けば気持ちが暗くなると言うことがあります。それだけ音楽の力が絶大なので、割合いろんな場面で音楽が使われることが多いと思います。たとえばあの国に関しては、マンセー的な曲がテレビに出ている以上は洗脳の側面というのが強いですし、フランスの国歌であるラ・マルセイユーズは歌詞だけをみると固化にはふさわしくないような文言が並んでいます。(そのため毎年のように論争は起こるのだが、決着がつかない)イギリスのように第2国歌として威風堂々があるような国もあります。翻って日本。世界最古の歌詞を持つ君が代ですが、国歌そのものよりも政治の道具に祭り上げられている感じがします。特に自虐史観に染まっているようなダメ教師やらに多いような気がします。少なくとも国歌というのは誇りを持たせるようなものが必要ですし、君が代にはそれが備わっていると思います。そう言う連中に言いたいのはそれじゃあ君が代に変わる国歌を、お得意の自虐史観無しで作れるのかと言うことです。もちろん歌詞は古典からはもちろん憲法からも引っ張ってはいけません。自分たちで素から、それも誰もがなった億出来るような形での完全オリジナルで作り上げることが出来るのかという問題になります。国歌に関してはトラブルがつきものになってしまいましたが、国歌はある意味外交上においては顔に等しい者です。日本では世界トップに比する顔というのがいくつかあります。それらを全て否定する何も考えていない人も沢山います。国歌という中ではそれはあり得ることなのかもしれませんが、もう少し国歌という者を考える必要があると思います。

 次回はヴェルディ(2回)。サッカーファンならおなじみの曲か。


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63曲目

2011年09月02日 | クラシック

 これについてちょっと調べているときに、リスト超絶技巧練習曲・ドヴォルザーク「新世界・ピアノ編曲版」がついに全音から発売されていたことがわかる。ただ新世界の方はどうのようにアレンジされているがわからないのでIMSLPにあるシンプルでも内容のある編曲だといいのだが。

 ブルグミュラー 18の練習曲 (長井充)

 1番 「ないしょ話」・2番「真珠」・3番「家路につく牧童(羊飼いの家路)」・4番「ジプシー(ジプシーたち)」・5番「泉」・6番「お茶目さん(陽気な少女・女)」

 

 7番「子守唄(ベルルーズ)・8番「アジタート」・9番「朝の鐘(朝の祈りの鐘)」・10番「素早い動き(素早い指使い・早さ)」・11番「セレナード」・12番「森での目覚め」・13番「大雷雨(夕立)」

 

 14番「ゴンドラの船頭歌(ゴンドリエの歌・ゴンドリエのリフレイン)」・15番「空気の精(風の精)」・16番「別れ」・17番「行進曲」・18番「紡ぎ歌(つむぐ女)」

  

 成立年代 1858年

 時代区分 初期ロマン

 形式 練習曲・小品

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 全音・音楽之友社からそれぞれ出ている

 ピアノ難易度 初級上・中級・中級中

 アレンジ なし

 ピアノをやる上で外せない作曲家の一人になっているブルグミュラーから、18の練習曲です。これ自体を技巧の練習曲として捉えるよりも、技巧と一緒に表現力を身につけるといったほうがいいような練習曲集で、その難易度の低さからよく教材として取り上げられることが多い練習曲集です。そのためハノン同様毛嫌いしている人もいるとかいないとか……

 この前の段階である25の練習曲集のほうが有名で、日本ではブルグミュラーといえばこの人のことをさすのですが、ヨーロッパでは彼ではなく父親か弟のほうを指すことが多いです。(そのためヨハン・ブルグミュラーと呼ばれる)弟ノルベルトは早世してしまいましたが、評価は兄よりも高く、父親もドイツのデュッセルドルフで音楽監督をしていましたので、どうしても26でパリに出てそこから活動をスタートさせた兄は弱冠評価という点では劣るように見えてしまいます。しかし25の練習曲集を始めとする18、12の練習曲集はそれぞれピアノをやるのであれば触れておきたい練習曲集ですし、レパートリーという点で考えれば立派にその役目を果たしうると思います。もっともこの練習曲臭が有名になりすぎて、多作の部類でありながらそのほとんどの作品が誰にも気軽に触れられない状態になっているのも事実ですが。

 よくハノンとかでもそうなのですが、技術的練習曲を嫌ってしまってそのままピアノを辞めてしまうという人が多くなると思います。たしかにそこそこのうででいいというのならハノンではなくほかの同型の練習曲(例えばツェルニー30をやりながらヘラー25か30をやってみるとか、同じようにブルグ18や25と併用しながらシューマンユーゲントアルバムをやってみるとか、さらにはちょっと難しいけどインベイショイをメインにしてツェルニーやシューマンの子供のためのソナタにチャレンジするとか)をうまく組み合わせていくという手段も有効です。ただいえるのはまともにピアノをやりたいというのなら、こういう練習曲というのはどうしても不可避になってきます。演奏会にも使える練習曲というのが各段階にはありますので、それをうまく使っていくのも有効的です。ドロップアウトをするのいいかもしれませんが、もうちょっと頑張ってみるということも必要だと思います。もっとも親の見栄でピアノをやっている人にとってはこういうことも寝耳に水かもしれませんが。

 次回はヨハン・シュトラウス1世。


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62曲目

2011年08月29日 | クラシック

ベルリオーズ 幻想交響曲 (バーンスタイン&フランス国立交響楽団)

 第1楽章・前半 「夢・情熱」

 第1楽章後半

 第2楽章 「舞踏会」

 第3楽章・前半 「野の情景」

 後半

 第4楽章 「断頭台への行進」

 第5楽章 「魔女の夜宴の夢」(ワルプルギスの夜の夢)

 成立年代 1830年

 時代区分 初期ロマン

 形式 交響曲

 形態 オーケストラ

 アレンジ リストによるピアノ編曲ものが1から4楽章までのがある。別人による連弾者もある。

 なお、本人による続編「レリオ、あるいは生への復帰」という作品がある

 初期ロマン派を代表する交響曲「幻想交響曲」です。各楽章にタイトルが振り分けられている通り、標題音楽です。彼自身の恋が元になっていると言われていて、その感情が表に出ているような曲なのですが、バーンスタイン曰く「最もサイケデリックな交響曲」と言わしめるほどの不思議さを持っています。これは一節にはアヘンを吸いながら作曲したという彼のメモがあるからこういうことになっているようです。

 ロマン派の流れといえば先駆けにいた人で年齢的に言えばショパンやリストよりも年上です。そのため最初はパリでオペラの習得をするために勉強をしていました。しかし当時とすれば斬新的すぎたのと内容が過激すぎたことともありなかなか上演される機会がなく、作曲家としてよりも指揮者としての彼のほうが当時は有名になっています。指揮したものの中には、リストのピアノ協奏曲1番(そのリストから援助を受けることになる)の初演が含まれています。パガニーニからは「ベートーヴェンの後継は彼だ」という絶賛を受け、かなりの額の援助をもらっています。それでも全体的な評価にはいたっておらず、作品の大幅な評価改善には1960年代になるまで待つ必要があります。この時には生前では演奏される機会のなかった曲までも、演奏・収録をされています。

 この幻想交響曲には一つの物語があります。アイルランド出身の女優に片思いをしていた彼はそれをモチーフとして幻想交響曲を書いて行きます。しかし余りに情熱過ぎたために、彼女は拒絶。ベルリオーズ自身も一旦は諦め、別な女性と婚約をしますが、その母親によって引き裂かれることに。もともとこの手の話に関しては情熱的すぎるほどの力を有していた彼なだけに、留学先のローマからパリに戻って殺害まで考えて行動を開始したそうですが、結果的に途中で引き返すことに。その後幻想交響曲の演奏の時に最初の女優と出会い、再度のアプローチに成功。そのまま結婚をします。

 しかし現実はそのままハッピーエンドとはいきません。2年で間は急速に冷え込み、ベルリオーズは彼女の死を待つ形で別な女性と付き合います。どうも彼自身は彼女というよりも彼女の演じるジュリエットに惚れていたという状況だったみたいです。別居期間は13年。最初の彼女の死語、この女性と結婚するのですが、因果応報な如く彼女も早死をしてしまい、さらには息子までもなくしてしまいます。止めに自ら自殺に行くようなロシアへの演奏旅行。これでただでさえ良くない体調をさらに壊してしまい、結果的にこれが彼自身の死に直結して行ってしまいます。

 次回はブルグミュラー(兄)。


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61曲目

2011年08月23日 | クラシック

 シマノフスカ ノクターン

 成立年代 不明

 時代区分 初期ロマン

 形式 ノクターン

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 不明

 楽譜入手 不明

 アレンジ なし

 ショパンよりひとつ前の時代にあたる時期に出てきた、ポーランドを代表する女性ピアニストであるシマノフスカの作品です。カをキに変えると印象派時代の作曲家(男性)になるので、検索するときには要注意です。女性ピアニストでありながら精力的に活動をおこない、その活動内容は後のショパンに大きな影響を与えたと言われています。ただ彼女自身が演奏旅行で活躍した機関は数年間だけで、そのあとは故郷を離れペテルブルグ(今のサンクトペテルブルグ)に移住。そこで女王陛下のピアニストとした活躍する一方で、文化的サロンの形成をしたりと大きな影響を周辺に与えてきました。

 この時期のピアノ界隈は、東ヨーロッパから出てきて西ヨーロッパ各地を演奏旅行するという人が多くいました。代表的なところで言えばショパンであり、リストだったりします。ピアノの中身の変わってきたりするため技巧的にはいろんな者が出始めていた時期にも当たります。シマノフスカはこの二人の先駆けてきた存在で、女性・離婚歴あり・3人の子持ちでありながら、卓越した技巧を持ったピアニストとして(しかも評判がよかった)各地を回っていました。その中で文化的な人が集まってきました。その一人にはゲーテがいましたが、一時期深い仲になった可能性もあったと言われています。(もっともゲーテ自身が恋の話が多いためにその中の一つという扱いになるのだが)

 ちょうど彼女がペテルブルグにいる頃、そしてショパンがパリに向かっている頃に、ポーランドは革命が起こっていました。いわゆる11月蜂起というものですが、当時ポーランドはロシアの支配下の中にあり、そのロシアが高圧的な政治をしていたために不満が爆発したというのがきっかけですが、この蜂起はいろいろな話を生み出しながらも結局鎮圧(時期と作戦があっていれば確実に独立を勝ち取っていたかもしれないという話もある)されてしまいます。このことを聞いた移動中のショパンが憤慨して作ったとされるのが「革命のエチュード」だといわれています。その後もロシアに対しては向かうも何度も鎮圧されそのたびにさらに強圧な政治圧力がかかる状況に。さらに当時のヨーロッパ社会も割れてしまっている状況では、どうしようもない状態になり、反乱を起こす者、ポーランド脱出する者、残る者という選択肢が出てしまいました。

 しかもたちの悪いことにポーランドに対しては常に逆風が吹いていました。いわゆる「反ポーランド主義」です。これは18世紀末のポーランド分割が発生してから、外国に逃亡してそこで社会的地位を作ろうとして現地の人の摩擦から起こったレイシズム的なやり方です。財産の没収・強制移住・あらゆる権利の停止などです。今北欧で展開されている重福祉政策とはまったく逆のことが200年前のヨーロッパでは展開されていました。いい加減な話(根拠も調査もなんにもないままのデーター)をそのまま利用したという話もあります。やっていることに関してはいま世界中どこでも行われていることです。今ものこの傾向があるのですが、一番怖いのはこう言う思想を持っている人間がてこどころか、銃器を持っていっても動かないところ。人間の性の一部ですが、それにとらわれると死んでも直らないという、いやな習性がありますので、それに凝り固まってしまったのがポーランドを取り巻く状況で一番最悪のことでした。そのせいで民主主義政治に対する意識というのはかなり高く、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(ポーランド出身)のポーランド訪問の時に巻き起こった風がそのまま「連帯」の結成につながり、さらには東ヨーロッパの民主化の嵐の中でいち早く政権交代を実現させていくことになります。

 次回はベルリオーズ。リスト関連人物の一人。


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60曲目

2011年08月22日 | クラシック

 恐ろしいほど疲れが溜まっているせいか、59曲目ではミス乱発……申し訳ない。とりあえず貼っていなかったところを追加。字のミスは後日に。

 ついでに27日の更新はお休みします。

  アルカン その2 「歌曲集第2巻から第2番」(通称「ファ」)(不明)

 

 成立年代 確認とれず

 時代区分 初期ロマン

 形式 歌曲的小品

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 中級上・上級・上級中

 アレンジ なし

 アルカンという作曲家は実験的な曲を多く作っているのですが、この曲もその一つです。ベースラインの一つが全てファの同じ高さの音で固まっていて、それを右手左手と一小節あたりの数が違う数で伴奏メロディーとして作っていく形の曲です。この一小節あたりで右手と左手の数が違うというのは、よくある話(幻想即興曲あたりが有名)ですが、それにベースラインが乗っかっていくことで、不安定さを増した上に、難易度も少し上昇しているというアルカンらしい曲にもなっています。弾くときであれば技巧的な部分のカバーも必要ですが、曲の内情を考えるとカンタービレ要素が内包されているので、見た目以上に大変な曲になると思います。

 ロマン派の初期の時代、パリは一つの中心都市としていろんな人物が訪れていました。ショパンはここに居を構え、リストもたびたびここに訪れていました様々な人達が集まっていましたが、なぜかピアニストに関しては当のフランス人だけは蚊帳の外に近い状況でした。その中で出てきたのがアルカンでした。ピアノの腕はリストクラス、作曲をすれば時代を超えた物を作り上げる。フランス革命の低迷時に、フランスから生まれた音楽家の一人でした。しかしそれが彼の師匠の引退による教授就任(*1)の後継の話がなくなってしまった段階からおかしくなってしまいます。(ショパンの死にショックを受けていたこともあって)それまで住んでいた場所を離れ、謎の隠遁生活に、宗教の研究、さらにはそれによる音楽活動の停止など、一瞬にして人生が変わってしまったのではないかという状況になってしまいました。そんな沈黙期間をおいて活動を再開するのですが、その中でもアルカンらしさは失われていませんでした。とはいえ宗教に転んだ形跡は後の作品に多くみられるようになります。

 一番ミステリアスなのはその最後です。宗教の研究をしているときにその本が入っている戸棚が崩れて下敷きになったことが原因だとか、調理中に倒れたとか諸説ありますが、どれも切の生きを出ていないことと、世捨て人という括りにするには出版・演奏活動を続けていたことから決定打にはなりません。そのため彼の評価もそのあたりで分かれるようです。なぜかヨーロッパよりもアメリカ系(昨日の演奏者であるアムランはカナダ出身)や日本人系ピアニストになどに受けがいいのもそこらへんにあるのかもしれません。

 次回はショパンの先達である、シマノフスカ。時代は少し戻ります。(しばらくピアノ曲が続きます。ごめんなさい)

 (*1)アルカンは元の教授から指導を受けていたので有力な候補者の一人になっていたが、結局話がなくなってしまった。で、跡を継いだ別人の教授の指導した弟子からはドビュッシーが出ている。日本的に言えば「陸軍分列行進曲」を作曲した人も彼の弟子。


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59曲目

2011年08月20日 | クラシック

 アルカン 「短調による12の練習曲集」より 12番「イソップの饗宴」 (アムラン)

 成立年代 1857年より前

 時代区分 初期ロマン

 形式 練習曲・変奏曲

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 不明

 ピアノ難易度 上級中・上級上・超級

 アレンジ なし

 参考 リスト 「超絶技巧練習曲」 第10番の最中に弦が切れるアクシデント(ベレゾフスキー) 

 

 ショパンと同年代のフランスの作曲家で、作る曲の難易度はリスト並、しかも和音の使い方はどっちかといえば早すぎるという評価もある作曲家アルカンです。それゆえに練習曲集には、かなりの難易度を要求する技巧がこれでもかと散りばめられていて、この曲は「長調による練習曲集」「短調による練習曲集」の最後を締めるにふさわしい、技巧のデパート状態の曲になっています。アルカンらしい難易度に、時代を超えた和音編成、さらにはそれらを8小節の主題と変奏曲という形でまとめているという、強烈な印象を残る曲だと思います。

 ちょうどロマン派の時期というのはピアノに関して言えば、いろんな技術が造られて、それが驚異的な発展を呼ぶものの、同時に今の形にピアノが変わったときに難易度の球場を抑える結果になったという複雑な時期です。ロマン派の前期までのピアノというのは鍵盤が軽いこともあり、かなり無理のある技巧の曲が造られましたが、軽すぎるがゆえにピアノ自体が壊れやすという欠陥を抱えていました。ピアノを壊すこと事態を嫌っていたショパンは、コンサート的な会場で演奏することを嫌っていました。(使っていたピアノ自体が非常に壊れやすくしかも特殊だったというのもあるけれど)逆にコンサート会場に数台ピアノを持ち込んで、故障をするたびに別なピアノで演奏をするという人もいました。それだけ当時のピアノは壊れやすかったのですが、1850年代ぐらいからピアノの鍵盤がしっかりとして重くなるという今の形になったがゆえに、技巧にもある程度の制限が加えられることになりました。

 この曲も丁度その境目にできた曲です。技巧的に言えばかなり難しい部類に入る曲なのですが、その中でも難易度は押さえられているほうの曲です。それでも現代のピアノでは演奏がかなり難しい場面があるのですが、ピアノを無理に改造しなくてもいいような曲にはなっています。もっともピアニストというのは表現力のために比較的軽い鍵盤というのを好むので、どうしてもソ之分難易度というのは上がってしまう傾向が強いのですが。さすがにこの難易度設定においてはショパン(彼とも交流があった)は呆れていたそうですが。

 彼の戦争というカテゴリーの中では悲劇に見舞われている作曲家の一人です。最もそれは人種的な問題ではなく戦争によって彼の曲を聞いたことのある人がなくなったり行方不明になってりして、彼の音がどうだったのかというを理解できる人が少なくなってしまった(演奏者もいたし、聞いているという人はわずかになっていたがいた)というのが現場で、戦後30年ぐらいは忘れ去られた作曲家の一人になってしまいました。しかし今で言うヴィルトゥオーゾ(技巧的にも表現力適期も優れた人たちにつかわれる)と呼ばれる人たちが、曲のターゲットを探しているときに発掘され、最近にになってですが徐々に評価が上がってきています。難易度が高すぎて、難しいそうと思う人もいるかも知れませんが、「エスキス」という小品臭が出ています。比較的容易な難易度で、しかも表現力の練習に重点が置かれていますのでブルグ25が終わった人が同じような小品集を探しているとすれば、このあたりに手を出しても問題はないと思います。(曲数は多いですが、一曲あたりの演奏時間は1分程度の曲も多い)

 次回はアルカンのその2。


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58曲目

2011年08月18日 | クラシック

 モシェレス その2 「12の性格的練習曲から」 第9番 「海辺に注ぐ月光」(Erakko Ippolitov

 成立年代 1836年

 時代区分 初期ロマン

 形式 ピアノ練習曲

 形態 ピアノソロ

 楽譜入手 全音「12の練習曲」

 ピアノ難易度 中級上・上級・上級中・上級上

 アレンジ 確認できず

 モシュレスの2曲目(実質一曲目)は彼の練習曲集からです。12曲に及ぶ彼の曲集は、それよりも前に出版された24の練習曲集と同じく中級上レベル以上の技量を要求されるため、なかなか演奏する機会というのがありません。しかしこの練習曲集をショパンは高く買っていて、練習の課題の一つに取り入れていたほどで、彼のショパンに対する影響力というのが垣間見れます。

 ショパンに対しては最初はやや嫌い(練習曲集OP25を「斬新ではあるが深みがない」と批判していた)があったような見方をしていたのですが、ショパンの演奏を聞いて一気に虜になりました。ショパンはもともと彼を尊敬したので、一気に意気投合。同じ部隊で共演することもありました。「メドードの中のメドード」の3曲もこの時期のことで、彼の依頼でわずか2週間で描き上げたものです。またショパン自身が気にかけているような様子の手紙が残っています。

 モシェレスはこの練習曲集に大きくこだわっているらしく、不本意な編集をされたフランス版の編集長に対して文句とも言える手紙を送りつけています。序文の中でも「鍛えられたピアニストのために」という分があり「指使いの指定は極端に抑えた」と書かれています。題名もそのひとつで、題名からイメージをつかんで演奏しなさいという意味に捉えられます。そのため「怒り」「和解」「夢」「不安」「優しさ」のような直接的なタイトルが題名として多く名付けられています。そこまでに大きくこの練習曲集には大きなこわだりを持っていると言えます。

 実は別な意味でのショパンとの因縁があります。ショパンが生前に出版しなかった曲に「幻想即興曲」があります。(ベートーヴェンの月光の参考で紹介済み)一般的には月光の第3楽章を参考にしたものだから、ショパンは出版しないでくれという話が有名ですが、もうひとつの説としてモシュレスの幻想曲を参考にしたのではないのかという話があります。作曲した年は1835年のことですから、ショパンがモシュレスと知り合う4年前のことです。モシュレスのほうが年上でしたから、あながちどっちの説をとってもおかしくはないのですが、そこにショパンの大きな迷いがあったのは事実です。結果的には世に出る事にはなったのですが、ショパン自身は友人のフォンタナにこの曲を出版しないでくれと言っています。

 次回はアルカン。


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