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世界のはずれから勝手に叫んでみる男の日記・var2

このページは大量の誤字脱字の提供でお送りしています。orz

75曲目

2011年12月24日 | クラシック

 久しぶりの更新

 リスト マゼッパ

 第1版 (12の練習曲から第4版)

 第2版 (48の練習曲から)(レスリー・ハワード)

 

 交響詩 (不明)

 その1

 その2

 その3

 第3版 (現在のマゼッパ)(ミストラル・クルティシエフ)

 成立年代 第1版 1826年・第2版 1837年・交響詩 1851年→1854年改訂・第3版 1851年

 時代区分 初期ロマン

 形式 ピアノ→練習曲 オーケストラ→交響詩

 形態 ピアノソロ 交響詩・オーケストラ

 楽譜入手 全音から最近楽譜が出た リスト集

 難易度 1版 中級中・中級上・上級/2版 超級/3版 上級上・超級

 アレンジ これ。

 最近CMソングとして流れたリストの大作の一つ「マゼッパ」です。紹介しているとおりマゼッパというのは原型をふくめると5つありましてそのうち4つの紹介になります。超絶技巧練習曲の中の一曲ですので、レパートリーにしているピアニストが多くいる反面、触りたくもないと思っているピアニストも多いほどの難曲です。原型の求めている技巧というのは和音の演奏法ですが指使いはこの頃からかなり独創的なものでした。リストの和音スタッカートの曲というのはたいてい同じ指を動かすのですが(同じような指使いを強要される曲にパガニーニ超の主題と変奏がある)、まさにその和音のデパートという曲になっています。ただこの曲は最初が練習曲という話なだけで、後から出て来たら練習曲ではなくバラードと言われてもおかしくはないと思います。(もっとも第1版は師匠・ツェルニーの影響をかなり受けているので曲自体はかなり違いますが)

 マゼッパというのはヴィクトル・ユーゴー(*)の詩「マゼッパ」に出てきます。モデルはウクライナの英雄とされたイヴァン・マゼーパ。シーン全体は許されない恋をしたがために、馬にくくりつけられてほおり出されたシーンが中心になっているみたいです。リストはこの詩を読んで感銘を受けて、曲想をこの練習曲想に持ち込んでいます。かなり気に入っていたらしく実は第2版と第3版の間に、改訂版で独立したような曲もあります。なので、ラ・カンパネラと同じく同型の曲が5つあると言うことになります。ただピアノ構造上大きな改革があった時期なので、今では2版のマゼッパを弾くというピアニストはなかなかあらわれず(曲想的にいっても、第3版の方が盛り上がるので仕方ないのだが)、いまでは完全に第3版だけが多く聞かれることになります。難易度は上にも書いた通り2版の方が上ですが、洗練されたという意味では第3版の方が上なのかもしれません。

 リストは卓越した技術を持ったピアニスト(歴史上一番のピアニストという人も)でしたので、彼のもとにはたくさんの弟子がやって来ました。ハンス・フォン・ビューローを初めダウジヒ、ブゾーニなど後の大物音楽家などが多く集まって来ました。彼自身で稽古をつけたという考えからなのでしょうか、数はかなり多いのですが取る弟子というのは自分が育てたいという人ばかりでした。中にはリストはベートーヴェン(→ツェルニー→リスト)に他つながることから、そのあたりでの泊をつけたという人もいますが、大抵のケースの場合はリストを慕ってというケースのほうが多いと思います。実際娘の浮気で、自分から離れていってしまったビューロー以外はそのほとんどがワーグナー派でしたし、弟子の中でリストのことを悪い意味の評価をしたという弟子は皆無ですし。

 実のところを言うとこの超絶技巧練習曲というのは12曲しかありません。実はこの曲集もショパンのプレリュードのように、バッハの平均律に見られるような全ての調性による曲というのを当初は目指していて、それに重ねるのであればあと12曲最低でも並ぶものでした。当初、2版は48の練習曲という題名で出されていて、その後の曲として造られる可能性もあったのですが、結局造られることがありませんでした。これに目をつけたのがロシアのリャブノフというピアニスト兼作曲家。超絶技巧練習曲に入っていない調で補完するように12の練習曲を作曲。リャブノフ版の超絶技巧練習曲として日の目をみることになりました。(代表作は紹介予定)

 出来てから150年以上が経過してなおもピアノの難易度の最高峰の位置に存在し、しかも他のピアニストに影響を与え続けるリストの底力というのを感じます。

 次回はワーグナーの2回目。

 (*)フランスを代表する詩人兼小説家兼政治家ではありません。(時代が違う)同じフランス人の別人の作品です。


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外伝 その2

2011年12月19日 | クラシック

 とりあえずこっちも久しぶりに更新。ただし本編は停滞中

 ショパン マズルカ (ルービンシュタイン)

 5番

 

 44番

 

 成立年代 5番 1829年から32年の間 44番 1835年

 時代区分 初期ロマン

 形式 マズルカ

 形態 ピアノ

 楽譜入手 ショパンマズルカ集・全音ピース・5番は全音「ショパン ピアノアルバム」にも収録されている

 ピアノ難易度 初級上~中級~中級中

 アレンジ 5はチェロとピアノ。44はオーケストラヴァージョンあり(新日鉄コンサート内)

 ショパンの代名詞といえるマズルカから2曲です。故郷ポーランドの舞踊であるマズルカをショパンは62曲作曲(目録)しています。全音版は51曲収録されていますが、パデレフスキー版には58曲の収録されています。44番に関しては、昔のニッポン放送の日曜の新日鉄コンサート(今はやっていない)のオープニング兼エンディングで流れていたので、毎週のように聞いていました。5番に関しては比較的引きやすいために、よく演奏される機会があると思って取り上げました。

 ショパンはピアニストや教師としての活躍としてパリを中心にして活躍していましたが、それゆえにポーランドに対する思いというのは誰よりも強い人でした。それ故に故郷の舞踏であるマズルカとポロネーズを多く作曲しています。ポロネーズはその優雅さを考えると貴族向けの音楽というイメージがありますが、マズルカはその真逆で庶民向けの音楽だった。しかも簡単に演奏ができるように難易度も比較て抑えてあるということで、ショパンが作曲したジャンルの中では一番多く演奏されています。それゆえにショパンコンクールではマズルカの演奏が必須となっていて、その中でいちばんいい演奏をした人にはマズルカ賞という特別な賞もあります。

 その為ピアノをする人にとってはマズルカをショパンの入門にする人も結構いると思います。ピアノピースの難易度を考えると、ツェルニー30番(曲によってはブルグミュラー25の後半から)でも練習を開始して弾ける曲というのが多くあります。ショパンの精神を見るために推奨されることの多いプレリュードに比べるととっつきやすいため、和音の処理さえしっかり出来れば半分ぐらいの曲は何とか弾けると思います。ただワルツと決定的に違う点としてアクセントの起き方があります(同じ三拍子だが、マズルカは2拍目を強くする)ので、そのあたりだけがとっつきづらいという感じがします。

 今ではショパンコンクールというのは入賞しただけでも大ピアニストの仲間入りという感じがする権威のあるコンクールで、日本人の優勝者こそ出ていないものの、中村紘子・内田光子・横山幸雄(辻井伸行の師匠)などのピアニストを排出されています。が、このコンクールかなりのトラブルを抱える今クルーとしても有名で、審査の段階で大揉めに揉めるということが何度もありました。一度は東西冷戦の象徴だった感じのコンクールもありましたし、ピアニストの評価の違いで審査員がその地位を降りてしまうということがありました。(ミケランジェリがアシュトケナージを押して、最後のサインをしなかったり、アルゲリッチがブレハッチを賞賛して審査員を降りたり)また納得が行かない演奏の状況だと優勝者なしということが続くという事態も起こりました。もっとすごいことを言えば4位まで該当者なしということもありました。2005年の場合は地元のブレバッチが躍進をしてきたアジア勢を抑えて完全優勝(2位該当なし)という異形を果たした反面、そのつぎの2010年ではロシア勢の躍進の前に決勝を前にしてアジア勢が消えてしまうということが起きてしまいました。また戦争のお陰で12年間も開催されていないということもありました。いまでこそ有力な登竜門で世界一権威のあるこのコンクールですが、いまだに宙ぶらりんという印象が拭えていない感じがします。

 次回こそ本当にリスト。4曲一曲(同名他曲)に紹介予定なのだが、1曲がどうしても見つからない。


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74曲目

2011年11月15日 | クラシック

 別なパガニーニが消えてしまったので、方針変更をする可能性も……

 ブラームス パガニーニの主題による変奏曲 第1番・第2番

 第1 (フランチェスコ・リベッタ)

 

 第2 (モーラ・リンパニー)

 

 成立年代 1862年から63年

 時代区分 後期ロマン(新古典主義)

 形式 変奏曲(練習曲)

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 上級中・上級上・超級

 楽譜入手 全音・ヘンレ社・ウィーン原典版

 アレンジ なし

 参考 リスト ハンガリー狂詩曲第2番よりカデンツァ (アムラン)こっちは右手と左手で調性が変わる場面が出てくる

 

 ドイツ3大Bの最後を飾る作曲者のブラームスです。前回紹介したタウジヒのために書かれた曲というのがこれで、変奏曲二種類です。とはいえ主題はパガニーニのカプリース24番の主題で誰でも聞いたある曲ですが、リストのようなパガニーニの曲をそのまま形にするわけではなく、時分の中で曲を組み替えていくような形になっています。それ故にリストのパガ大の練習曲同様もしくはそれ以上の難易度を誇るという曲になっていて、演奏が難しい曲の一つとなっています。

 この曲の特徴としては第1番の第5演奏と第12演奏にあります。一見すると簡単に引いているように見えるのですが、楽譜を見るとそれぞれ指定されている拍子が左右で違います。曲としては成立していますし、後のアムランにいたってはハンガリー狂詩曲2番のカデンツァのように調性を別々にしてしまうという芸当を見せているので、いまではさほど珍しくはないかもしれませんが、この手の曲というのはどれだけピアノというのに慣れているのか、時分の中のリズム感がどれだけあるのかということにかかってきますので、違和感を感じる人には難しく感じてしまいます。扱いは練習曲でもありますので、ブラームスはこの短い曲の中に詰めるだけの技巧を詰めていますが、

 ブラームスは二種類の練習曲を作成しています。一つはこの曲のように演奏会でも使用できるような曲。(左手だけのシャコンヌとかショパンのOp25-2の改造とか)そしてもう一つがハノンのような51の練習曲です。ただし最初から難易度はかなり高いので後者の方は演奏を聞く機会が極端に少なく、しかも録音自身があまりありません。ほかの練習曲も左手のシャコンヌ以外はそうそう聞かれる機会がありませんでしたし、この曲とて難易度が高いので敬遠される格好の時期もありましたが、最近ではブラームスのほかのピアノ曲とあわせて演奏される機会が増えてきました。

 これだけの難易度の高い曲を作曲しますし、それ以上に彼自身が優れた演奏家でありますし、もっと言えば彼自身が残した録音(中継の録音だが、ブラームスがテンパってしまいテンポが相当早くなっている)もありますが、ピアニストとしてのブラームスというのは実はあまり表に出て来ません。作曲した曲のレベルからすれば、はっきり言えばリストほどではないにせよかなりの実力を持っているはずです。この曲もそうですがいまのようにコンピューターで作曲ができない昔は、大抵の曲は自分が演奏できるレベルの曲が曲想のメインになってきます。なので、実力に関しては他のピアニストと遜色はないと思います。事実自作のピアノ協奏曲の最初の演奏は他ならぬブラームス自身ですし。ただそれでもブラームス自身が早い段階でピアニストとしてではなく、作曲家としての道に進んでいったのはそれだけ当時のピアニストのレベルが高いということなんだと思います。

 次回はリストの4回目。実はブラームスはリストのことを全く評価していなかったりする。


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73曲目

2011年11月06日 | クラシック

 タウジヒ(ワーグナー作曲) ワルキューレの騎行 (ブルーノ)

 成立年代 不明

 時代区分 初期ロマン

 形式 小品(編曲による)

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 上級上・超級

 楽譜入手 不明(そもそもタウジヒの楽譜出版自体が少ない)

 アレンジ これ

 その実力からリストはもちろん反対陣営の中心人物であるブラームスからも尊敬をされ、難易度の高い曲(次回紹介)を演奏前提でブラームスが作曲したというピアノスト、タウジヒです。彼自身のオリジナルというのも存在するのですが、どちらかと言えばこの曲をここまでアレンジできるんだなあという意味での、ワルキューレの騎行のピアノアレンジヴァージョンです。実際楽譜を見ればわかるのですが(IMSLPにある)これでもかと言うほど音を詰め込んでいる(その分批判も多い)こと、さらに手を出す演奏者が少ないことも併せて自分ではこういう難易度設定だと思っています。タウジヒはこれだけではなく、ヨハンシュトラウス・ジュニアの曲のアレンジなどがあります。もっとも練習曲選びなどで苦労した人はクレメンティのグラドゥス・アド・パルナッズムの29曲版編曲者として知っている人の方が多いかもしれません。(これでも本来のクレメンティらしさが無いという批判がある)

 タウジヒは若いうちから才能にあふれていてリストの弟子の一人として加えられていました。その才能はブラームスも認められていた人で、本来出逢えればブゾーニと同じく、リストの弟子としてみればまっさきに名前の上がる人にあげられる筈でしたが、今では数多くの弟子の一人という形になっています。というのも、彼は有り余る才能を持ちながらも、29歳でこの世を去っているために、ピアノの腕前での評価や作曲した曲の数など揃わわ無いものが多すぎたために評価も研究でもできないという状況になってしまいました。若くしてその才能を完全に発揮する前になくなってしまうというのは、当時ではよくあったことで同じように若くして才能の片鱗を見せつけられた作曲家や演奏家の中にはスクリャービンのジュニアやショパンの弟子の一人などが名前に上がってきます。(ショパンの弟子の方はショパンが自分の後継者だと言わしめるほど)

 この時期になってくると数多くのオーケストラ作品がピアノへ数多く編曲されていきます。タウジヒもこの曲の他に、バッハのプレリュードとフーガニ短調などの作品があります。きっかけになったのは師匠であるリストで、その数もとり扱っている曲の作曲家もかなりの数に登っています。その幅はベートーヴェンの交響曲(全曲)からワーグナーまでたくさんあって、いまでも演奏されている曲などがあります。その分難易度は非常に高くなってしまうのですが。逆にオーケストラ編曲を前提に書かれているのではという作品もあり、何度かオーケストラへの編曲にチャンレジされているという曲もあります。また作曲者自身が編曲をするというケースもあり、また編曲がきっかけで元の曲が注目を浴びる(展覧会の絵)などのこうかもありますし、シューベルトの軍隊行進曲のように連弾だったものを一人用に直したものもあります(その逆もあり)。ただしこの曲もそうなのですが、宿命としていずれの曲も難易度が急上昇するというものがあります。そのためオーケストラやピアノの演奏を聞いて自分でも引けそうだなあと思う人が楽譜を取り寄せた初めて見た瞬間にうへぇとなってしまうケースというのは多々あります。見られる機会でいいですから楽譜そのものを一回見ておくことをお勧めします。ドボルザークの新世界のように、IMSLPに編曲二種類とそれとは違う編曲が全音から出ているというのもありますし。

 次回はブラームスの一回目。


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72曲目

2011年10月30日 | クラシック

 ここから数曲はリスト絡みが多くなります。

 ワーグナー 「ワルキューレ」より ワルキューレの騎行 (指揮・トスカニーニ、オーケストラ・不明)

 

 成立年代 1856年

 時代区分 初期ロマン

 形式 楽劇の中の一曲 

 形態 オーケストラ

 アレンジ ダウジヒによる高難度のピアノソロ・2台8手・2台4手・ソロも幾つか

 おまけ 偶然見つけたピアノソロ・ジャズ風アレンジ(リチャード・グレイソン)

 

 ワーグナーと言えばこの曲が浮かぶという人もいるぐらいの有名曲であるワルキューレの騎行です。その勢いのある形式から数々の場面でつかわれることが多く、聞く機会が非常に多い曲だと思います。この曲は第3幕の開幕曲に当たり、曲の勇ましさとは反面にかなり暗いシーンからのスタートという感じなります。少し古めの映画を知っているならば地獄の黙示録を。プロレスであるならば藤原喜明のテーマ曲を思い浮かべることがいるかも知れません。

 この楽劇は4部作「ニーベルングの指輪」の一つで、4部作全体では20年にわたって描き上げられたものです。この曲は2日目の冒頭部分の曲です。4日間にわたって上演されるためスケールがかなり大きく、ワーグナーはその為に作曲を何度も中断しています。次の3作目に当たるジークフリードまでには8年の時間を費やすことになりました。これはこの間に時代が動いてしまったこと、さらには作ったとろこで出版できるのか、上演できるのかわからなかったという彼自身の不安が現れているものだと言われています。この間に「ニュルンベルクのマイスター」「トリスタンとイゾルデ」という作品が世に出て、一気に充実の状況になってきた上に、バイエルン王の援助を得てこの作品の完成を見ることになります。

 4部作の内容は簡単に言いますと

 持っているだけで世界を制することができる指輪を勝手に持ち出される/その指輪をめぐる3代に渡る物語/嫉妬と野望のせいで誰もいなくなったが、そこから真実の愛が生まれた

 という感じでしょうか。ベースは北欧神話なのですが、そこにいる神も人間のダーグサイドに落ちるているような神もいて、かなり人間臭い物語が展開されていきます。神話の時代の話ですから突っ込みどころはたくさんありますが、音楽劇としては最高級の出来なので、一度も出見る価値があると思います。ただし全曲を見るというだけでほぼ一日は潰れてしまいますが。

 なので、基本的には4日間にわたって上演されるのが基本的なことになりつつあります。元も作品が4部作なのもあるのですが、一つ一つの上演時間が4時間レベルのものですので、どうしても役者の方にもかなりの忍耐が必要になってきます。中にはジークフリード役の人を二人用意するとかのことも必要になるという話もあります。それゆえに一気に見るのではなくて4日にわたって見たほうがいいと思います。最近ではワーグナー系の一家が主宰を務めるバイロイト音楽祭でも感覚を開けて6日間上演という形を取ったりしていますので、かなりの長丁場を覚悟しておいたほうがいいかもしれません。音楽史上最大のスケールを持つ作品ですが、それゆえにやる方にも聞く方に覚悟がいる曲になっています。

 次回はダウジヒ。(曲はこれと同じ)


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71曲目

2011年10月22日 | クラシック

 サン=サーンス 動物の謝肉祭 (ピアノ・アミ&パスカルロジェ夫妻+ロベルト・ベンツィ+アーネムフィルハーモニー管弦楽団)

 

 成立年代 1886年

 時代区分 後期ロマン

 形式 組曲(どちらかと言えば小品集に近い)

 形態 オーケストラ+ピアノ(本来は室内楽曲編成)

 アレンジ ピアノソロ・連弾 「白鳥」にいたっては多数。(全音ピース・ドレミピースギャラリーなど)

 サン=サーンスの代表作である動物の謝肉祭です。実はこの曲を紹介するか他の曲(アフリカかチェロの協奏曲)を紹介するかで迷いました。実はこの曲自体はパロディだらけでオリジナルは白鳥のみ。なので、彼らしさというのが感じられることのない曲という感じがします。その為か彼は自分が死ぬまでは楽譜の出版はもちろん、演奏自体も禁じていて、最初に世の中に出たのは遺言が守られたあとの1922年。この時は本来の室内楽曲ではなく、オーケストラ演奏がメインだったのでオーケストラの曲の1つとして演奏されることが多くなっています。

 音楽家として最高級の腕を持っていた彼はオルガニストとしての活動の傍らで作曲活動をしていました。ただそれ以外にも才能は至るシーンで開花をしていて、時分の作詞から曲を作ったりもしていました。それゆえにかなり上から目線のようなことをコルトーに対してはいていたりもします。(ただ彼の褒めたピアニストがゴドフスキーじゃなあ……)ただ作曲家としての評価に関しては最近まであまり評価が高くありませんでした。というのも生まれた時期が悪すぎたといっていいほど、当時のフランスでは価値観の違う音楽=印象派の台頭があったからです。サン=サーンスは印象派に対して否定的な考えを持っていて、ドビュッシーなどとやりあっていました。ただ動物の謝肉祭では明らかに印象派を意識したような「水族館」のような作品もあるわけで、印象派の音楽性そのものには否定をしていなかった感じがします。

 時代が時代故に今での評価を落とした形のサンサーンスですが、当時の音楽はかなりの行き詰まりをしだす時期でもありました。バロック・古典・ロマンで造られてきたシステム面が完全にその真価の動きを止めてしまって、そこからの音楽を模索する動きが出てきました。システムが完全に止まってしまうとなにが起こるのかといえば、印象に頼る動きに出てきます。これは絵画でも起こった動きですので、それが音楽という形になってくるとそれまでの規則性が一気に崩れてしまうわけです。崩れる規則性を嫌った人と、あくまでもそれを進める人。この2つが19席末から20世紀初頭のパリではせめぎ合っていました。音楽性の対立というのはここから始まったわけではなく、いつの状態でもせめぎ合っていました。例えばイタリアオペラとドイツオペラの評価の問題から起きたワーグナーとブラームスによるドイツの音楽会を割った争いなどもこの一つにあたります。またそれまでの過去の音楽を振り返って底から新しい動きをつくろうという人もいました。(ラヴェルとかの新古典主義とか)時代が現状に満足していなかった頃、彼もまた新しい道を模索していた作曲家の一人とも言えます。ただし時代が彼に向かなっただけで。

 次回はワーグナー(3回予定)


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70曲目

2011年10月14日 | クラシック

 フランク 「前奏曲、アリアと終曲」 (ジーン・ガブリエル・フレラン)

 プレリュード

 

 アリア

 

 終曲

 

 成立 1887年

 時代区分 後期ロマン

 形式 組曲(内容は題名通り)

 形態 ピアノソロ

 ピアノ難易度 上級・上級中・上級上

 アレンジ なし

 楽譜入手 全音から同名のタイトルで出ている。ただ近くの楽器屋にも三省堂にもなかったことを考えると山野楽器のような専門店に行かないと無いかも

 名前はかなりマイナー名部分に入ってくる作曲家ですが、全音の楽譜を段階的に追っていくと必ずその名前にぶつかる作曲家の一人であるフランクです。実力は折り紙付きの本物で、その才能はリストとショパンに注目をされていましたが、彼自身は演奏家としては大きな活躍をしたというわけではなく、むしろ教会のオルガニストとして活躍をしていましたので、代表的な曲にも宗教の陰というのが入り込んでいます。

 この曲は60歳を超えられて作られた組曲で他と同じような編成で「前奏曲・フーガと変奏曲」(元はオルガンの曲を本人が編曲したもの)「前奏曲・コーラルとフーガ」という曲もあります。60代になってから代表曲が出始めるわけですが、それまで音楽的な活動をしていなかったというわけではありません。教会のオルガニストだったっこともありますが、サンサーンスやフォーレと一緒になって教会を設立したり、パリ音楽院の教授をしたり、さらには一つのフランスの音楽の流れとして多数の弟子(この弟子が孵卵器ストと呼ばれて後の印象派との対立の中心になる)を生み出したりしているわけで協力な力を持っていたとも言えます。ただ残念なのは彼の手法が高度すぎたのか、これらの手法を受けづいたという弟子が彼の登った高みに達することが出来なかったゆえに、印象派に時代を譲ることになってしまったということです。余りにも技巧と芸術性を高めてしまったがゆえに、それを受け継ぐ人がいなくなってしまったのが彼にとっての最大の悲劇だと思います。

 この曲のスケールの感じ方から人によってはソナタ(形式的に言えば全然ソナタではない)であるという人もいますし、その範疇を外れてしまいむしろ一人で交響曲を奏でているようだという人もいます。ただそれ以上に難易度のレベルが表すように、演奏することがかなり難しい曲だと思います。それは作曲者であるフランク自身の手が異常に大きかったこと。オクターブの範囲を超えるとういのは平均律でもベートーヴェンのソナタでもミられることでしたが、フランクの場合は12度まで届くためなのかその為の書き方になっている部分があり、その為にかなりの工夫が必要になってきます。

 フランクの才能の本格的な開花が遅れた問のは両親の過剰なまでの介入(ベルギー出身で、フランスでは学校に入ることさえも拒否されていた)にあると言われています。現実問題教会のオルガニストに就任したのは36歳のことですし、20歳までは両親の過剰な重圧の中での生活を強いられていました。彼の場合はそれでもめげずに才能を自分で伸ばしていったことにあるのですが、その才能が見えないうちにしぼんでいってしまったというレイガは数多くあります。最近自分の子供のある一面を見て「天才」じゃないのかと思う人がかなりの数に登るというアンケート結果が出ていました。確かに親にとってはこどもに対する才能を見つけることは大きな喜びかもしれません、しかしそこで過剰にいれこんでしまうと膨らむ前の風船がしぼんでしまうというケースが多々あります。子育てには正解がないとは自分ではよく言っていますが、時分の子育ての結果というのを見せつけられる時が来ます。それは自分の子供が時分の孫を育てる時。それで孫がどういう方向に行くのか、子供がどういうふうに育てていくのかを見て時分の子育てがどうなったのかと初めて向き合うことになります。泥スレなんかでミられる真面目そうな親というのがあてにならないのはこういうときに初めて分かることも多くて、そこから現実と向きあるという例が多くなるそうです。もっとも頭の中に何かを飼っているような言動をしている人には、こんなことを言ったって逃げ続けるような気がしますが。

 次回はサン・サーンス。


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69曲目

2011年09月30日 | クラシック

 ハンス フォン ビューロー 「ダンテのソネット『気高く、あまりに誠実に』」 (リスト編曲)(ナデージダ・ヴラエワ )

 

 成立年代 1874年(リスト編曲版)

 時代区分 後期ロマン

 形式 不明(探しきれず)

 形態 ピアノ曲

 アレンジ これ

 ピアノを引いている人には、触ったことがあるかもしれないクラーマー=ビューローの編纂者であるビューローです。今回はリストが編曲をしたものになります。リスト生誕200年ということでリストの弟子の一人での扱いとしての紹介ですが、功績はリストとなにも遜色がなく、むしろ現代の音楽会にとってはそれ以上のものを持っています。それまで作曲家がタクトを振ることが多かった指揮者という立場をそれ以外の人物による専門職化したのが彼で、これがきっかけで様々な解釈を持つ演奏が誕生していきました。

 彼は指揮者である以前に超絶技巧を持つピアニストでした。最初に門を叩いたのは食らうシューマンの父親のところ。そしてリストの賞賛を経て、法律の道を捨てて演奏家の道へ。もともとピアノだけで食べていける腕はありましたが、本格的な指揮者のもちと平行して勧めワーグナー派の一員として活躍をしていました。妻としてリストの娘コジマを得て順風満帆と行くところでしたが、コジマはワーグナーと通じていて結局これが元で離婚。ビューロー自身もワーグナーから離れ、対立するブラームスの方に近づくことになります。

 彼は色々なエピソードがあります。代表的なもので言えばチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番です。これは最初ニコライ・ルービンシュタインに捧げられたものですが、当のルービンシュタインが演奏不可能と断じてしまったために埋もれる危機がありました。しかし少し手直しをして、ビューローにこれを渡して、ビューローはそれに答えるように見事に演奏してしまいます。これで世に出ることが成功した曲はさらにクライバーンを経て、世界中に広がっていくわけです。

 色々と論議を呼ぶことの多いビューローの言動ですが、その中の一つにドイツ三大Bという言葉上がります。これはドイツを代表する3人の頭文字からとったもので、バッハ・ベートーヴェン・ブラームスの3人の作曲家を指します。バッハとベートーヴェンに関してはそれぞれ平均律をピアノの旧約聖書・ベートーヴェンのピアノソナタを新約聖書と評しているように、今では重要なものの一つに名が上がっています。おそらくこの時期だとすればブラームス派に転向した時期なんでしょう。3人目にブラームスをあげています。ただこの3大**というのは、3つめの物を売り出したいがために名付けること(たとえば世界三大美女の中に小野小町が入ってくるようなもの)が多く、今のような名声を対立の中心にいたブラームスが持っているとは限りませんし、ましてや時代はそれからかなり離れていることもありますので、どうもブラームスの知名度を持って広げたくて言っているのかなあと邪推させてしまいます。

 次回はフランク。全音のピアノ楽譜(中高難易度)に名前が出てくる人。


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68曲目

2011年09月26日 | クラシック

 またミスをしてしまい未完成のものをあげてしまいました。申し訳ありません。

 ラフ ピアノ協奏曲 ハ短調 (指揮、リチャード・カップ+ピアノ、ミッチェルポンディ+ハンブルグ交響楽団)

 第1楽章

 第2楽章

 第3楽章

 成立年代 1873年

 時代区分 後期ロマン

 形式 ピアノ協奏曲

 形態 ピアノ+オーケストラ

 アレンジ なし

 沢山の曲を作曲をしながらも、教育者の方の功績ばかりが目立ち過ぎていたために、埋もれた作曲家の一人になってしまったのですが、最近になって再評価の気運が高まったラフの作品です。その作品の幅というのはかなり広くて管弦楽からピアノエチュードまで多岐にわかっています。リストの助手として雇われた彼はフェリックス・メンデルスゾーンやビューローなどと交流があり、特にビューローとの交流では、彼の数少ない理解者の一人となり、生涯の友としてのつきあいがありました。そのため作風はリストと言うよりもフェリックスに近く、決め込まない構成力を持った作品が多くあります。

 元々スイスの人で、リストがバーゼルに来たときに演奏を聴いてそのままリストと一緒にワイマールへ。そこで助手として才覚を現したラフでしたが、そのときに作った歌劇はそこまでの評価がありませんでした。後にリストの元を離れスイスに戻った後に作られた作品が高評価を受ける形になってようやく作曲家ラフが認められるようになりました。その後はフランクフルトの音楽院の教鞭を執る傍らその学校のレベルアップにも尽力。教師の一人としてクララシューマンを招くなど、工場に勤めていましたが、作曲のスピードは鈍ってはいませんでした。代表作と飛ばれる者はほとんど、認められたから20年という時期に書かれたもので、その中には後の作曲家に大きな影響を与えるものもありました。また編曲もしていてバッハのシャコンヌのピアノ番なんかを編曲しています。

 日本のドラマとJPOPの質が落ちているという話題があったので、外伝の話を絡めて。最近よく言われることなのですが、ドラマも音楽も内容的に腐り始めているという話を多々聞きます。これを貫いていきますという曲を持っている人は、そのままで言っても支持はされますが、そうでないケースの場合特にアイドルなんかが歌う曲に関しては、最近では「10年後に印象に残るような曲があるのか」という皮肉まで聞こえてきます。自分の答えはノーなの(結局は自分自身の中でどれだけそれが出来るのかという話になってくるだろうし、最初に買ったものなんかはいつまでも残っていたりする)ですが、ある番組でやっていたことをそのままの言葉で言うのであれば、楽には行き着く先の壁が常に立ちふさがっているという状況がこの手の話にはつきまとうと思います。一つのジャンルが細分化されてそこから新しい枝が出てくればまだ発展の余地はあると思うのですが、その枝があまりにも多すぎてこんがらがっている状況が今のJPOPとかの、音楽性の状況だと思います。そうなると自ずとぱくりと表される音楽も増えてくるわけです。それが行きつく先には版権ゴロ同士の醜い争いを見せつけられるわけで、どんどん先細りしていく傾向に拍車をかけていくと言うことになります。とはいえJPOPの場合は20年前と比べて進化しているのかと言えば、首をひねりたくなるようなところはありますが。

 次回はビューローだけど、曲がなかったら変更も。(ただ語る話は多いんだけどなあ)


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外伝

2011年09月23日 | クラシック

 ついさっきコメント→wikiで確認したので、追悼の意味を込めて予定変更です。(本来は頭痛が酷くて2日連続で休む予定でした)ただしこれは作曲家としてのカウントには含まれません。成立に関しても省略をさせていただきます。

 リスト パガニーニによる超絶技巧練習曲から 3番「ラ・カンパネラ」 (ペトロフ

 

 参考 パガニーニによる大練習曲から 3番「ラ・カンパネラ」 (フジコ・ヘミング)

 

 リストの代表作であるラカンパネラの原型である1838年版のカンパネラです。今のピアノでは弾く事自体相当つらい曲で、全音の難易度的に表せば6課程の上に表記できるような曲です。もともとは鐘のロンドと呼ばれるパガニーニのバイオリン協奏曲第1番の第3楽章に、中間部に別な協奏曲の第3楽章を入れたことで作られたのがこの曲で、さらにその部分を削り取ったとったうえでシンプルにしたのが今聞かれることの多いラ・カンパネラです。そのため楽譜は存在していたのですが、普通の人間には弾くのはほぼ不可能と言わしめ、ホロヴィッツでさえもさじを投げた(もっともこの曲よりも4番の方原因だと思うのだが)この曲集にペトロフは正面から挑み録音に成功しました。この後はプロで録音を残したのはほとんどいませんでしたが、ニコニコやようつべでアマチュアピアニストがこの曲にチャレンジをして弾けないレベルではない曲だと言うことを証明しています。

 何回もも取り上げているこの曲を今日取り上げたのが、おのピアニストペトロフが先月で鬼籍に入っていたことがわかったからです。現代を代表する超絶技巧のピアニストの一人でありながら、取り上げるのはロシアのピアニストとかの曲とか、当時無名だったカプースチンとか、誰も弾かないこの練習曲集とか兎に角風変わりな者でしたので、批判は結構ありました。しかしショパンやベートーヴェンが気軽に聞ける時代になったからこそ、こういう曲にチャレンジをするピアニストというのは多くなってきています。ペトロフはその走りにいたような人でした。たしかにこの時期からピアニストの考えというのは多様化してきましたので、ショパンでもゴドフスキーの練習曲を取り上げるベレゾフスキーや、全曲録音を残したアムラン。トリッチ・トラッカ・ポルカのシフラ編曲番をレパートリーに持つユジャワンなそ技巧を前面に出すような人も急増してきました。

 ピアニストとか演奏家というのはメジャーな人たちの曲を取り残すという反面、埋もれていく作曲家を埋もれさせないという一つの指命があると思います。たとえばフェリックス・メンデルスゾーンがマタイ受難曲を発掘するまでは、バッハは誰もが知るという作曲家ではありませんでしたし、そのバッハのメヌエットだとされていたものが、実は違う人の作品だったというのもあります(両方とも過去に紹介済み)。そう言う意味では日本の作曲家が残したクラシックの曲というのはなかなか表に出てきませんが、それを埋もれさせる個をしてはいけないと思います。今では動画サイトとがあるので永久的に残るのですが、そうでなかった時代の場合はピアニストの苦労も半端ではなかったと思います。

 次回は本当にラフで。

 

 


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