代表作メヌエットの天丼にならずにすんだ。小品集からなんだけど、なぜかIMSLPのメインにはバラバラで揃っている。
パデレフスキー ミセラネア(作曲集)OP16-4 ノクターン(ハフ・画質に問題あり)
成立年代 1890年前後
時代区分 後期ロマン
形式 ノクターン
形態 ピアノソロ
ピアノ難易度 中級・中級中
楽譜入手 国内出版社だと厳しいかも
アレンジ・使用場面 なし
参考 ショパン 革命のエチュード Op10-12 (ブーニン)
参考 ショパン ワルツ Op64-2 (パデレフスキー・当時の録音の状態からか早く感じるかも)
世界史をやっているのならその名を聞くことができるかもしれないポーランドが生んだピアニスト・作曲家そして首相経験者のパデレフスキーです。楽譜的に言えばパデレフスキー版という名のショパンの楽譜で見ることができますので、ショパン弾きには大抵この名前を聞くことができると思います。(ユンディ・リのノクターンアルバムもパデレフスキー版からの抜粋)生まれた場所は今のウクライナの中ですが、ポーランドとともに歩んだ生涯はまさにポーランドの国の数奇な運命と重なることが出来る人です。ただその日本でも評価は確かなものではないわけで、晩年の演奏をダメだと言っているあるピアニストなんかは逆に何を見ているんだという評価がありますし、政治的手腕に関してもそれを評価している人に対しては政治キャリアを無視して言っているので、評価に値しないという話もあるぐらいです。それぐらい評価に関しては大きく分かれています。(もっともこの評価をしている代表的な人にはそれぞれ批判がついている)
この時期時になってくるとだんだん自作自演の演奏を多く残す作曲が多くなって来ました。きっかけになったのはブラームスのハンガリー舞曲第1番のピアノ演奏(テンパリ付き)でしょうが、パデレフスキーも演奏の画像もありますし、音源も結構が残っています。参考に上げたのもその一つでですが、残念なのはこれがパデレフスキーの解釈通りなのかそれとも違うのかという点です。録音状況がやや悪ければ、演奏速度が多く揺らめくのですが、第2主題の部分に関しては今ピアニストが引いている速度と大差がありません。パデレフスキーの解釈そのままだとすれば、解釈そのものがどうなっているのかという変遷にもつながっていきます。時代とともに解釈そのものが大きく変わるというのはどこの世界でも一緒ですが、音楽の世界とてそれは変わらないということです。パデレフスキーの録音は他にもあって、ハンガリー舞曲第2番・英雄ポロネーズ・自作のメヌエット・月光第1楽章などが今でも聞くことができます。
政治家としてのパデレフスキーはポーランドが時代に翻弄され続けた時期でもあったために、彼自身が翻弄されてしまっています。きっかけになったのは当時の状況からですが、政治的キャリアだけ見ているとかなりのものだと思います。外務大臣・国際連合の大使・亡命政府の首相という経歴です。一見すると華やかな経歴に見えるのですが、この間にポーランドはいろいろな風にさらされます。ドイツとオーストリア・ハンガリー帝国の支配から抜けだしたあとに、ピウスツキのクーデターによる国の支配。このピウスツキの死から3年後に起きたナチスドイツによるポーランド侵攻。これらをすべて内から外から見てきたパデレフスキーは当事者として、このゆらめきをどう見ていたのでしょうか。
歴史的にポーランドというのはその立場の弱さから何度も戦争の影と野望の影にさらされ続けます。ショパンの頃には革命の失敗によって憤ったショパンが革命のエチュードを作曲しました。シマノフスキーについてもレーニンの影響を受けた連中によって家がぼろぼろになってしまいました。パデレフスキーも例外ではなく、亡命政府が立ち上がった時にその指導的立場につくのですが、年齢は80を超えていました。アンチ・ピウスツキの中で妻をなくし、さらには80を超えての演奏活動。今でも考えられないのです(80を超えて演奏活動したのは彼とホロヴィッツ、)が、祖国のために立ち上がってアメリカ各地で演奏をしていましたが、今のように交通機関などが発達しているわけでもないので身体的負担は相当だったと思います。結局この旅行の最中にニューヨークでなくなってしまいます。
次回はこのパデレフスキーの演奏を日本人で最初に聞いたとされる人。滝廉太郎。前回は最後の曲を紹介。