積年の思いをちょっと返しました。
長い間持ってたなんて 私もなんともしつこい性格であります。
昨日 初孫が生まれました。
男の子です。
娘は10代前半で婦人科系の悪性腫瘍になり、手術。
そして 化学療法。
その後もずっと検査を続けています。
正直言って 子供については一切言いませんでした。
子供がいる居ないよりも まずは娘夫婦の幸せです。
大学時代からの友人の旦那君はとても勿体ない良い人です。
それで充分でしたが ミラクルな妊娠そして 出産でした。
神様に感謝です。
出産した病院は長年の主治医がいらっしゃいます。まだ お会いしていませんが 命を2つ助けてくださったのです。
お忙しい方ですが 神様以上に感謝しています。
そして 男の子。
私は娘が2人。
ずっと元夫の親戚中から「ダメ嫁」「無能嫁」扱いでした。 「男の子が生めない女は◯◯ワ」(差別用語)
「義父が可愛そう。 死んでも死に切れないと泣いている」
田舎の農家だったので、しょっ中何かあって その度に子供達を連れて新幹線。(毎月行った年も) 幸い 宅急便があったので 荷物は最低限でしたが、毎回 親戚中に配るお土産の段ボール、子供の着替え オムツ(オムツを買いに行く時間が無い。 頼んでも買っておいてもらえないし 申し訳と思って頼まない) 毎回数箱の段ボールを送っての帰省。
そして その度に「女しか生めない」の大合唱。
大抵1週間近く居ましたが 敷地内のみに居て せいぜい駅前のスーパーが私の憩い。
一度駅前に出来たカフェに行ったら イヤミ。(そこのケーキをいっぱい買って帰ったけれど)
その後 出産が難しい年齢になると あれこれと揚げ足取りのオンパレード。
しまいには「我が家には 全く釣り合わないし 本当は結婚なんかできない嫁だという事を もっと自覚しろ。」「仕方ないから 嫁に貰ってやった」
私も 弱かったので(今なら ブチギレてるけれど)ぽか〜ん。とするしか無かったです。
まあ それで嫁を庇うこともせず 親戚擁護してたので離婚に至ったのですがね。
離婚したとはいえ 娘達には父親ですし、離婚してから ようやく、色々とわかったこともあったようです。 子供達の養育費に加えて 毎年数回の国内外旅行等々 娘達も恩義を感じているので ここ数年、結婚式やらで元夫に会うようになっています。
そして 昨日も病院で会いました。
今は病院に近い元夫の家に娘は居て 退院後もしばらくいます。 私の家からは1時間ちょっとの距離ですが できる限り通ってサポートするつもりです。
そして 昨夜
「4月くらいまで居るのかなあ」と元夫
「多分 もっと早く帰ると思うわよ。家族で過ごしたいって言ってたわ。赤ちゃん連れて 新幹線に乗るのは本当に大変だから、次にこっちに来れるのは一歳くらいかしらね」と 私
「......その前に夏休みもあるだろう」
「夏の暑い時に赤ちゃん連れてなんて 本当に 本当に ほんと〜〜〜に 大変なのよ。 知っている土地とは言え 赤ちゃんにとっては環境が違うから 可愛そう。
まあ、こちらは お母さんを助けてくれる人がいる土地だから良いけれど、これで 誰も助けてくれない。勝手がわからない。お願いしたくてもできない土地だったら 悲惨な事なのよ」
(当時は元夫にさえ言い返すことが出来なかったのですが、離婚して 生きていく上で すっごく強くなりました!)
元夫 流石にちょっと理解出来たようで
「当時は申し訳ない事をした」と 私の顔は見なかったけれど 初めて謝ってくれました。
「今の男性(2人の義息子達) は ワガママ娘達を
とても大切に 守ってくれているなぁ」とも言ってました。
、、、(貴方は 私と娘達を一切守ってくれなかったからね。 )と 心の中で言ってます。
もう離婚して十数年経ちます。
煩かった義親戚も会うことも無いし、逆に ある元親戚の家では「嫁(私)をいびり出した」噂がずっと残っている為に 大事なご長男様にお嫁さんが来ないので 名前を潰したら大変と必死らしいです。
大変 ご苦労様です。
でもね。
スッとしたら もう良いやって思います。
おばあちゃんがいつまでもグチグチ根に持ってたらダメです。
それで 男の子が来てくれたのかもです。
長い長い時間がかかりましたが スッと消えて行く感じです。
生まれてきてくれてありがとう!!
名前は 音楽に関係する名前です。
良い人生を歩んで欲しい そう願うばかりです
男の子も生まれ きっと最後まで私を心配していてくれた亡き私の父も喜んでいるわねと 母も言っていました。近日曾孫に会うのだとワクワクしていると同居してくれている義妹が言ってました。
今日は 新米お母さんは忙しいらしいので病院は遠慮します。
これから 久しぶりに映画を見に行ってきます。
長い間持ってたなんて 私もなんともしつこい性格であります。
昨日 初孫が生まれました。
男の子です。
娘は10代前半で婦人科系の悪性腫瘍になり、手術。
そして 化学療法。
その後もずっと検査を続けています。
正直言って 子供については一切言いませんでした。
子供がいる居ないよりも まずは娘夫婦の幸せです。
大学時代からの友人の旦那君はとても勿体ない良い人です。
それで充分でしたが ミラクルな妊娠そして 出産でした。
神様に感謝です。
出産した病院は長年の主治医がいらっしゃいます。まだ お会いしていませんが 命を2つ助けてくださったのです。
お忙しい方ですが 神様以上に感謝しています。
そして 男の子。
私は娘が2人。
ずっと元夫の親戚中から「ダメ嫁」「無能嫁」扱いでした。 「男の子が生めない女は◯◯ワ」(差別用語)
「義父が可愛そう。 死んでも死に切れないと泣いている」
田舎の農家だったので、しょっ中何かあって その度に子供達を連れて新幹線。(毎月行った年も) 幸い 宅急便があったので 荷物は最低限でしたが、毎回 親戚中に配るお土産の段ボール、子供の着替え オムツ(オムツを買いに行く時間が無い。 頼んでも買っておいてもらえないし 申し訳と思って頼まない) 毎回数箱の段ボールを送っての帰省。
そして その度に「女しか生めない」の大合唱。
大抵1週間近く居ましたが 敷地内のみに居て せいぜい駅前のスーパーが私の憩い。
一度駅前に出来たカフェに行ったら イヤミ。(そこのケーキをいっぱい買って帰ったけれど)
その後 出産が難しい年齢になると あれこれと揚げ足取りのオンパレード。
しまいには「我が家には 全く釣り合わないし 本当は結婚なんかできない嫁だという事を もっと自覚しろ。」「仕方ないから 嫁に貰ってやった」
私も 弱かったので(今なら ブチギレてるけれど)ぽか〜ん。とするしか無かったです。
まあ それで嫁を庇うこともせず 親戚擁護してたので離婚に至ったのですがね。
離婚したとはいえ 娘達には父親ですし、離婚してから ようやく、色々とわかったこともあったようです。 子供達の養育費に加えて 毎年数回の国内外旅行等々 娘達も恩義を感じているので ここ数年、結婚式やらで元夫に会うようになっています。
そして 昨日も病院で会いました。
今は病院に近い元夫の家に娘は居て 退院後もしばらくいます。 私の家からは1時間ちょっとの距離ですが できる限り通ってサポートするつもりです。
そして 昨夜
「4月くらいまで居るのかなあ」と元夫
「多分 もっと早く帰ると思うわよ。家族で過ごしたいって言ってたわ。赤ちゃん連れて 新幹線に乗るのは本当に大変だから、次にこっちに来れるのは一歳くらいかしらね」と 私
「......その前に夏休みもあるだろう」
「夏の暑い時に赤ちゃん連れてなんて 本当に 本当に ほんと〜〜〜に 大変なのよ。 知っている土地とは言え 赤ちゃんにとっては環境が違うから 可愛そう。
まあ、こちらは お母さんを助けてくれる人がいる土地だから良いけれど、これで 誰も助けてくれない。勝手がわからない。お願いしたくてもできない土地だったら 悲惨な事なのよ」
(当時は元夫にさえ言い返すことが出来なかったのですが、離婚して 生きていく上で すっごく強くなりました!)
元夫 流石にちょっと理解出来たようで
「当時は申し訳ない事をした」と 私の顔は見なかったけれど 初めて謝ってくれました。
「今の男性(2人の義息子達) は ワガママ娘達を
とても大切に 守ってくれているなぁ」とも言ってました。
、、、(貴方は 私と娘達を一切守ってくれなかったからね。 )と 心の中で言ってます。
もう離婚して十数年経ちます。
煩かった義親戚も会うことも無いし、逆に ある元親戚の家では「嫁(私)をいびり出した」噂がずっと残っている為に 大事なご長男様にお嫁さんが来ないので 名前を潰したら大変と必死らしいです。
大変 ご苦労様です。
でもね。
スッとしたら もう良いやって思います。
おばあちゃんがいつまでもグチグチ根に持ってたらダメです。
それで 男の子が来てくれたのかもです。
長い長い時間がかかりましたが スッと消えて行く感じです。
生まれてきてくれてありがとう!!
名前は 音楽に関係する名前です。
良い人生を歩んで欲しい そう願うばかりです
男の子も生まれ きっと最後まで私を心配していてくれた亡き私の父も喜んでいるわねと 母も言っていました。近日曾孫に会うのだとワクワクしていると同居してくれている義妹が言ってました。
今日は 新米お母さんは忙しいらしいので病院は遠慮します。
これから 久しぶりに映画を見に行ってきます。