苦労を知らない、幸せほど浅はかなものはないんだろなと、最近強く思います。
僕は、20半ばで、沢山の貯金ができました。
スポーツカーも買った。色んなインテリアも買った。高い服や時計も買った。
お金の苦労を知らない僕は、必死に働いたお金で、物を買う、友達と食事にいく、教室や、学校に通うという、味が分からない。
おまけに、妙な見栄と体裁がある。
以前、信頼している先輩に言われました。
お前は人も社会も舐めている
何度も未遂を起こす自分は命の重みさえも舐めていました。
23歳の時、命の儚さを、知った僕が、どうしていつも大切な過去を疎かにするんでしょうか。
寝たきりで、自分の足で行動できる喜びを知った、感覚をどうしてすぐに忘れてしまうんでしょうか。
感謝 してる⁇
見栄や体裁を捨てない限り、成功体験や、努力する力は培えないと思っています。
今置かれている状況がいかに、恵まれているか。
失って人はその幸せに気づきます。
今通っている、作業所の仲間は、社会で働いていて、病気を発症し、社会でやっていけなくなった、方も沢山おられます。
だけど、そんな過去の自分の劣等感を乗り越え、毎日、職員に送迎してもらい、文句ひとつ言わず、黙々と作業に取り組んでおられます。
その直向きさと、謙虚さ。
僕に足りない部分を沢山お持ちです。
横柄な自分は、家庭環境や、病気や、障害は理由になりません。
そう思った時に、いかに行動に移し、どう前進していくか。
変われるチャンスは今だと思っています。
人としての魅力がついてくれば、信頼できる仲間も、経済的自立も、精神的自立も、結婚も、楽器の演奏の技術さえも全部ついてくるものだと思っています。
見栄と体裁をいかにすてるか。
今の僕の仲間は作業所仲間と、バンドメンバーと宗教仲間です。
作業所仲間は苦労を共感し合えます。
バンドメンバーは皆健常者だけど、僕のことを理解してくれています。
宗教仲間は共に闘う同士です。
感謝の心を忘れてしまった時、人は横柄になります。同時に卑屈にもなります。
毎日、声をかけてくれる、弱みを見せれる仲間がいる。温かい食事が食べれる。
布団で眠れる。
コーヒーが飲める。
本が読める。
携帯のSNSで、自分の考えをアウトプットでき、心を整理できる、、。
毎日作業所に通える。
楽器が弾ける。
十分すぎます。
贅沢すぎます。
それでも、周りと比べて劣等感をもって、イライラしている時の自分は、本当に愚かです。
周りの人も離れていくことでしょう。
感謝の心から、継続して努力する力を。
謙虚で思いやりのある優しい心を。
家族や仲間の大切さを。
大丈夫。変われる
日々、暮らしていると何気ないことの大切さを忘れがちですよね。
でも、感謝する気持ちがあるって素敵だと思います。
これからも、前向きに進んでいきますよ。
小さな感謝ができる人ならきっと