G.G.の徒然山遊録

岐阜各務原市周辺の低山の山行記録、折々の雑感、書評などの雑文を記し、山に関する情報を提供します。

呉枯ノ峰(532m)~菅山寺~意富布良神社探訪 ~落ち葉降り敷く道を辿り、古寺、古戦場、古社を巡る~

2016-12-06 | 山行

山行年月日:2016年12月3日(土)、無風快晴、小春日和
参加者:G.G他6名
アクセス:各務原7:308:55木ノ本駅駐車場P/走行距離:約90km(片道)
歩行距離:約11.7km/所要時間:5:55(昼食、休憩、鑑賞を含む)
コースタイム:
P 9:10→9:35登山口→10:45呉枯丿峰11:00→11:45菅山寺、昼食12:20→12:40天満宮→
13:25田上山分岐→14:10田上山城跡→14:45意富布良神社14:55→15:05

GPSトラック:
往路は木ノ本駅駐車場から反時計回りに周回した。

                        (1目盛:約600m)

GPSトラック標高図:
■登山口から尾根までが約15°の傾斜で汗を掻いたが、それ以降は尾根伝いの緩傾斜の遊歩道風。

(クリックで拡大) 

山行リポート:
木ノ本駅駐車場(無料)から木之本地蔵院の脇、伊香高等学校のグランド脇を進んで行くと「三ツ頭」登山口と書かれた看板が立つ所に着く。ここが呉枯丿峰への登山口。
■落ち葉が降り積った山道をひと登りしてから、尾根道を行くと一等三角点のある呉枯丿峰に着く。
一等三角点標識がある以外は小さな標識があるだけの展望も何もない頂きである。

菅山寺への分岐点には分かり易い案内図の看板が立っている。
看板に依れば、764年の創建で、菅原道真が幼少の頃、本寺で勉学し、後年、再興した由緒ある古刹だそうである。

■下図から分かるように山中の寺院としては鯉が泳ぐ池(朱雀池)も構えた予想以上の規模である。
菅山寺境内には数多くのお堂などがあるものの、無住で、人里から離れているせいか損傷がひどく、痛々しいが、見ものは樹齢1200年余の大欅を左右に配した山門である。
 
■路傍には歴代住職の墓石や、幾つかの石仏が安置されていた。
 
 
■山門の左右には樹齢1200余年で、道真公お手植えと伝えられる欅の大樹は威風堂々とし、本寺の歴史を物語っているようである。
なお、本写真は山門の裏側から撮ったものであり、表側のそれよりも迫力がある。

■大欅をバックに記念写真を摂る。良い思い出になる印象的な一枚であると自負している。

■多くのお堂のうち良く保存されているのは護摩堂と本堂(但し、入り口上の庇は崩壊、喪失している)で、往時の繁栄の名残りを留めているように思う。

菅山寺を後にして、田上山城跡に差し掛る。賤ヶ岳合戦の折に、秀吉の異母弟、秀長が1万5千人の軍勢を率いて布陣した跡である。一見、落ち葉が降り積った公園風で、地形は殆どフラットであり血腥い城塞という厳しさは感じない。
  

今日最後の史跡、意冨布良(おほふら)神社に立ち寄る。創建は飛鳥時代と言われる。
1182年には、木曽義仲が上洛途上に立ち寄り祈願をしたそうである。また、賤ヶ岳の合戦で焼失したが、豊臣秀頼が再建し現在に至る長い歴史を誇る神社である。
 
■神社の境内には紅葉が沢山あり、最後の艶やかさを競っているようであった。
 雑感:
本コースは遊歩道風で山歩きとしては、呉枯丿峰に一等三角点がある位で物足りないが、枯れ葉が降り積った道をカサカサと音を立てながら歩くのも乙なものである。
■菅山寺はお堂などは荒廃しているが嘗ての栄華の面影は偲ばれる。今、保存・保護工事を施さないと貴重な文化財が消失しないか危惧される。
菅山寺の樹齢1200年余の大欅と山門の景色は稀有であり、一度見たら忘れられない。一見の価値があり、多くの人に見て頂きたいと思う。
■スマホGPSナビ「ジオグラフィカ」を試用したが、地図画面は大きく、綺麗で 予め記録したマーカー(ウエイポイント)を確認するだけでナビは完璧であった。

 

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