日々

徒然日記

2月ブログ再開

2015年02月20日 | 母の闘病日記
昨年の12月5日に3年半闘病生活を続けていた母が亡くなりました。
昨年の9月から抗がん剤を投与することを身体が受け止めきれなくなってきて担当の先生から抗がん剤投与を止めようと言われやめることとなり、母の体調はどんどん下降線をたどりました。
亡くなる前の2ヶ月ほどは母にとって心も身体もかなり辛い時期を送っていたと思います。
10月の上旬に下血し約2週間ほど入院し、その後退院して1週間で腹部の浮腫が酷くなり腹水を抜いてもらうため再び1週間ほど入院。そして11月の下旬に2度目の下血をし、この入院が最後となりました。
最後の入院の時、入院1週間目に「あと数週間」と余命の宣告を先生からされ、少しでも体力が残っているうちに一度家に連れて帰ってやりたいと思っていましたが、余命宣告から1週間で逝ってしまいました。
あっという間の母の最期でした。
余命宣告されてから、妹と相談し 姪っ子達に母が用意した成人式用の着物を着せて見せた時、急に元気になり余命宣告は間違いじゃないかと思うほどでしたが、姪っ子二人に自分の元気な姿だけ覚えていてほしかったのかな?翌日から一気に弱っていき、姪っ子達の晴れ着姿を見た三日後に逝きました。
母の亡くなる日、担当の看護師さんに「今日は泊まられた方が良いですよ」とすすめられ、妹と母の病室で過ごすことにしました。
午後8時頃、看護師さんが「心臓の鼓動が弱ってきているので、手を握って声をかけてあげてください。」といわれ、二人で片方ずつ手を握って話しかけていましたが、身体中が浮腫んで苦しそうにしていた母に「もっと頑張って」とは、言えませんでした。
妹と「もう、頑張らなくていいよ。」と話しかけるのが精一杯でした。
午後9時過ぎ、穏やかに眠るように逝きました。
浮腫でかなり辛い思いを母はしていたと思うのですが、癌特有の痛みが出なかったことだけは良かったです。
葬儀の時に母の勤めていた会社の皆さんが来てくれたときに、死に顔は穏やかだったので、眠っている様だねと言われました。
母も皆に「よく頑張ったね」と見送ってもらって良かったです。
年末年始、葬儀 告別式。1月中旬には四十九日の法要。
そして母の年金・保険・相続関係等々、まだ事務処理は完全には終わってませんが、やっとゴールが見えてきたかな?
一緒に暮らしていた母が居なくなり寂しくなりましたが、今はまだ色々忙しくしているお陰で気分も紛れていますが、落ち着いてしまったら、すごく寂しくなるのかな?
でも、そんなこと言ってたら母に叱られそうです。
これからも、頑張ろう。
少しずつですが、ブログを再開していこうと思ってます。