koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

ブラームス:交響曲第1番ハ短調op68~千秋真一指揮R☆Sオーケストラ

2007年02月11日 21時24分31秒 | のだめカンタービレ

2005年の発売時に5万枚売れたという曰く付きのCDです。
たった5万枚,と思われるでしょうが,クラシック系のCDが発売時に万単位で売れるということは極めて希な現象であることを予め記しておきましょう。
別に不朽の名曲であるブラームスの第1交響曲を聴くなら,それこそ古今の優れた名演が目白押しなわけで,敢えて2,800も投じて買うほどでもないと思い,レンタルショップの半額セールを機会にレンタルして聴いてみた次第です。


このCDのセールスポイントは幾つかあります。
まず第一にジャケットでお分かりのように,千秋真一指揮R☆Sオーケストラの演奏であること。
そんなの漫画とTVのことで,だれかの音源を被せただけだろう,と私も正直言って思いました。
ところが,録音のセッションデータは明らかにされているものの(2005.6.27,28東京芸術劇場大ホール,プロデューサーやエンジニアも明記),実際の演奏に当たった指揮者やオーケストラ名は一切公表せず,という徹底ぶり(もう既にばれているのかもしれませんが,私は知りません)。
多分,東京交響楽団か東京都交響楽団ではないかと予想されますが(原作にも出てきたジェームス・デプリーストの指揮??),このまま知らずにいた方が良いのかも知りません。
第二に,ボーナストラックとして千秋がフランスのプラティニ指揮者コンクールで間違い探しに挑戦したドヴォルザークの第8交響曲の第1楽章が収められていること(プラティニだのマラドーナだの,のだめ作中のコンクール名は往年のサッカー選手から来ている)。
原作同様に間違い探しが楽しめます。
そして最後に,ライナーノートの筆者が原作通り『クラシック・ライフ』に「夢色クラシック」を連載中の音楽評論家佐久間学氏であること。
原作よりも遙かに濃い内容が味わえます。
このライナーノートを読むだけでもこのアルバムの価値があると思います。
全部はまずいので一部を紹介すると以下のように・・・。


果てしない苦しみから生まれる,幾重もの炎。
迸る情熱,叩きつける絶望。
絡み合うふたつの歌に,深い楔が打ち込まれる・・・。
絶望の歌よ,苦しみの頂きを目指せ。
深き悲しみよ,魂の稜線を削れ!(第一楽章より)


天空を包むように,響いては降り落ちる荘重な調べ・・・。
始まりだ。絶望を胸に抱け,希望がそれを抱きしめる!
迸る歓び,立ち上がる情熱。
歓喜の歌よ,希望の頂きを目指せ。
深き迷いよ,魂の底へ沈め!(第四楽章より)

                
                      (KING RECORD KICC555ライナーノートより)


・・・実際にはこれの数倍の分量であり,読み終えると結構疲れたりします・・・。


で,肝心の演奏ですが,本格的で見事なものでした。
こうした音楽を聴き始めて,そして我が国のオーケストラの演奏を聴き始めて早いもので30年がたちましたが,本当に上手くなったものです。
以前は,次の独奏で絶対外すぞ,なんて予想すると見事その通りになったり,Tutti(全奏)の響きが濁り美感に欠ける部分が多かったのですが,全くそのような心配はなく,安心して身を委ねていられる演奏でした。
勿論,冒頭のsostenutoの凝縮された響きや緩抒楽章でのしなやかな歌(Vnの独奏:コンミスの三木清良でしょう),終楽章の力感の開放,等々聴き映えがしました。
終楽章の大詰めであるコーダのコラール6小節間に楽譜にないティンパニの追加がされているのも大きな特徴で(ウィーンフィルだったら絶対しない筈・・・と思ったら例外もあった・・・),多分千秋くんがもじゃもじゃに指示して追加したのでしょう。
その辺に詳しく触れたライナーノートも秀逸と言って良いと思います。
急いでポケットスコア取り出して確かめたところ,A-A-A-D-B♭-E♭-B♭-C-Cと低音部(コントラバスと3番トロンボーン)と同じ動きをしているので,5つの音+G(原曲通り)を使うので,AとB♭,DとE♭を同じ釜で打ち咄嗟にペダルで音を換えるというウルトラCをやったか,初めから釜を6台用意したかのいずれかでしょう。
この部分にティンパニを追加したのは,私の聴いた限りですとトスカニーニ~NBC響,クレンペラー~フィルハーモニア管,バーンスタイン~ニューヨーク・フィル,ミュンシュ~パリ管,小澤征爾~ボストン響,ヨッフム~ロンドンフィル等ですが,それぞれ入る場所や奏法も異なっており,指揮者や奏者の独自の解釈によるものと思われます。


・・・といった訳で,聴き所の多い興味深い演奏でしたが,ただしこれを古今の名演奏と一緒にするには・・・とついつい余計なことを思ってしまいました。
個々の奏者のマニュアルに部分での演奏は遜色ないのですが,マッシブな響きという点では問題が残ります。
アインザッツが若干甘く,音の輪郭が丸くなりがちでシャープな切れ味に欠け(ブラームスだから良いじゃないか,と言われそうですが,ウィーンフィルの演奏を聴くと違いが分かります),弦楽合奏は厚みに欠けます。
ブラームスの生命線とも言うべきヴィオラとホルンも厚みや強奏での歪みという点で?でした。
個人的にブラームスの演奏に関しては,かなりの拘りがあり,古今の名演奏についつい比較してしまうという悪い癖があるのですが,30年間聴き漁った中では,古いところではsostenutoのテンポ感と圧倒的な迫力の上記トスカニーニ~NBC響とベイヌム~アムステルダム・コンセルトヘボウ管(58年のステレオ録音ではなく,51年のモノラルのロンドン盤),ステレオ時代だと重厚でいながら濃やかな浪漫が燃えさかるようなベーム~ベルリンフィル盤と憑かれたようにノリまくる上記ミュンシュ~パリ管,ウィーンフィルを振った演奏だと70~80年代に録音されたアバド,ケルテスメータバーンスタインといった名演が思い浮かびますが,それらと比較してしまうのは野暮だということでしょう。


それよりも,企画の面白さ・秀逸さを評価すべきだし,それを楽しむべきなのでしょう。
こうした遊び心は大いに結構。
一過性のものにならず,『のだめ効果』が今後も続いて欲しいものです。
(どうもこの手のエントリはついつい長くなってしまいます。猛省・・・)


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