ここでイデオロギー的な内容は書きたくないし,今後も書くつもりは無い。
だから,靖国問題に関してあれこれ述べるつもりも無い。
何せ私の中で決定的な結論が出ていないし,多分一生出ないであろう。
あの不幸な戦争を,日本が悪いから,誤った戦争だから,と決めつけるのは簡単だが,歴史とはそんな単純なものではないと思うからだ。
何故,日本が戦争に踏み切らざるを得なかったのか,そうなった根源はどこにあるのか,わが国の近代史のみならず,西洋の近世史以降を繙いてみる必要性があり,はっきり言ってその点でまだまだ私はあの戦争を語るにはあまりに勉強不足だ・・・。
私にとっての終戦-敗戦とは,両親の記憶の中にあるものである。
昭和一桁以前に生まれた両親を持つ方々は皆同じでは無かろうか・・・。
旧制中学の生徒だった父は郷里にて軍事教練に参加し,重い鉄砲を担がされた,と述懐する。
自宅の近くで米軍のグラマンTBFアベンジャーという攻撃機に機銃掃射されたとも言っていた(機種が咄嗟にわかる筈無いので,その点は眉唾ものだと思うが)。
母は,祖父の仕事の都合で南満にいたらしい。
翌年必死の思いで本土に帰ったことと,ソ連参戦で自ら志願兵となった叔父を帰国中途に疫痢で亡くしたことは昨年述べた。
とにかく生きるのに必死だった,と今でも語る。
確かにその通りだったと思う。
明日をも知れぬ日々,などというものは,少なくても我々の日常に存在し得ぬものであり,こうした時代を生き抜いた人々に,私は到底敵わない。
櫛の歯が欠けるように,往事を知る人たちが少なくなっていく。
不幸な戦争で命を落とした人たちは勿論,戦中戦後必死で生を模索した人たちのおかげで今日の繁栄と平和があると思う。
我々が為すべきことは,平和を恒久のものとすること,そして,そのためには誰もが安全に生活できる社会を創造していくことだろう・・・。
観念的で済みません。
今夜,NHKの「アジアの中の日本」等TVであちこちの特別番組を見てみようと思います・・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます