koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

漫画週刊誌の日

2009年03月17日 21時07分40秒 | コミック・アニメ

今日は漫画週刊誌の日なのだそうだ。
50年前のこの日,週刊少年サンデー(小学館),週刊少年マガジン(講談社)という一時代を築いた二大週刊漫画誌が同時に創刊されたことを記念して設定されたらしい。
因みに,その二大誌を長らく発行・売り上げ部数で凌いだ週刊少年ジャンプ(集英社)は,その9年後に創刊された。
故に,私とコミックの最初の出会いは上記二誌が最初だし,ジャンプとかチャンピオン(秋田書店)はもっと後の時代,という印象がある。
尤も,同時代の週刊誌には,少年キング(少年画報社)というのがあったが,残念ながら確か80年代に休刊となりそれっきりの筈だ。
また,精巧なペーパークラフトやソノシートといった付録が魅力の月刊誌もあったが(「ぼくら」とか「少年」・「少年ブック」,「少年画報」),70年代初頭に週刊誌の勢いに押されて消えていった・・・。


あの時代,つまり私が小学生の頃は,多分サンデー,マガジンの興隆期で,ジャンプが急激に勢いを伸ばしつつあったと記憶している。
両誌には赤塚不二夫がかいていたし(「おそ松くん」→「もーれつア太郎」→「レッツラゴン」,「天才バカボン」),60年代のマガジンは,ちばてつやの「あしたのジョー」と梶原+川崎の「巨人の星」が二枚看板だっただろうし,何と楳津かずおが「ウルトラマン」のコミカライズ版を連載していた。
そういえば後に続く「ウルトラセブン」は桑田次郎が作画担当だった(月刊「少年画報」では一峰大二だった)。
あだち充のデビューは70年代初頭だったし(「消えた爆音」なんて読んだ人居るだろうか・・・),高橋留美子はさらに後の70年代後半だった。
手塚御大は当時既に別格の存在だったが,何を連載していたのだろう・・・。
マガジンだと「三つ目が通る」あたりだろうか・・・。
大物クラスだと,さいとうたかをが「サバイバル」を,矢口高雄が「釣りキチ三平」をそれぞれ長期連載していたと記憶している・・・。


「金田一」だの「コナン」だの「GTO(題名だけ見て四輪ものかと思った)」なんてのは,90年代以降のことであり(「Major」なんてさらに後か・・・) ,こちらが既に少年誌を読む年齢をとっくに過ぎてからだ・・・(それでも幾つか借りて読んだが・・・)。


考えてみたら,当時は連載漫画以外には,「絵物語」というのがあった。
最初は敬遠したが,読んでみるとこれが滅法面白く,填ってしまった。
特に小松崎茂画伯の挿絵が鮮烈な印象を残した戦記物は,私の琴線に触れた。
また,裏表紙は当時の少年が憧れた腕時計の広告の他,プラモデルの広告が際立っており(静岡のA社が多かった),明灰白色に塗装された零戦二一型や下駄履きの瑞雲とか晴嵐,巨大零戦ともいうべき烈風といった旧海軍機や,SBDにTBF,F4F,F6F,P40,F4U-1Dといった「敵役」の名も,立て板に水が流れる如く吸収していった・・・。


・・・ということで,レトロ漫画根多なら幾らでも出てくるが,きりがないのでこの辺で止めておく。
ただ,コミック離れが言われて久しい昨今,こうしたコミックの「古典」的作品に触れてみるのも無駄なことではあるまい。
経済が右肩上がりで,後の時代にはない活気に溢れた時代の空気を感じるとともに,今改めて見いだすものは少なくない筈である・・・。


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