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koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

M7.3・・・

2011年03月09日 20時49分48秒 | 時事問題,ニュース

あ,揺れてる・・・というのが最初の感覚。
ずんっ,と突き上げる感じではない。
ゆっくりした横揺れ,それも振幅の大きいやつがしばらく止まらない・・・
そんな感じだった。
時間にすると,数十秒か・・・。
その後,しばらく揺れていたが,余震だったのかどうか・・・。
もの凄く長く感じられたことは言うまでもない・・・。


今までの人生,結構大きな地震に遭遇している。
78年の宮城県沖地震,83年の日本海中部地震,03年の宮城沖地震,08年の岩手・宮城内陸地震等である。
今回はM7.3。
2年半前に大きな被害を出した岩手・宮城内陸地震がM7.2であるから,規模的には今回の方が大きい。
ただ,前回の震源が内陸だったのに比べ,今回は牡鹿半島沖160kmの海上だったため,大きな被害は無かった模様だし,現時点で人的被害の情報は入っていない・・・。


近い将来,宮城沖地震は必ず起きるとされている。
我が街の南部から北東部には活断層が走り,その上は地雷原同様だろう・・・。
何とか「防災力」を高めて,相対していくしかないのだろう・・・。
日記@BlogRanking


レプリカ・・・

2011年03月02日 20時57分59秒 | 時事問題,ニュース

四国を訪れたのは,もう15年以上も前の夏になる。
独身の終わり頃のことで,あの時代は秋以外のシーズン,気軽な身の上なのを良いことに,長期の旅行によく行った。
四国に行ったのは,3年続いた冷夏が終わり,久々に暑い夏が戻ってきた94年のことだった。
今は亡き寝台特急「瀬戸」を終着の高松まで乗り,栗林公園-屋島-金比羅宮(奥の院まで登った)-満濃池-大歩危・小歩危というかなりハードな日程を1日でこなし,翌日は高知市内を見た。
高知城では,「十両の馬」を曳いた一豊夫人(見性院)の像を見て,桂浜では龍馬の像を見る・・・という定番コースだった・・・。


龍馬ブームのポストシーズン,観光立国を標榜する高知県は,ある賭けに出た。
今年は,文久元(1861)年の土佐勤王党結党から150年の節目ということで,桂浜の龍馬像の両脇に,土佐勤王党の党首であった武市瑞山(半平太)と,龍馬と運命を共にした中岡慎太郎の像を建てよう,というものがそれである。
但し,像と言っても発泡スチロールをウレタン加工したレプリカであり,期間限定で公開しようと目論んでいたらしいのだが,その目算が外れたようだ。


元々,今月5日に県内で開幕する「志国(しこく)高知 龍馬ふるさと博」の目玉企画としての予定だったらしいのだが,周囲から反対の声が相次いだ結果,除幕式は延期されたという・・・。
桂浜に相応しいのは龍馬だけ,とか,軽薄なレプリカなど不要といった具合に,地元民からの反対が多く寄せられたようで,ツィッターでも反対を叫ぶ投稿が相次いでいるらしい・・・。
県立坂本龍馬記念館の森健志郎館長も猛反対する一人だという・・・。


大河を媒介とした観光立国は,勿論今までも例があった。
我が県など,昭和末期の「独眼竜政宗」ブームにあやかって,相当な利潤があったと思われるくらいである(同時期に,隣の山形城跡に最上義光の銅像ができたのは笑止だったが)。一昨年は,米沢市が「兼たん」ブームに沸いていたようだ。
勿論,私はそれ以来米沢を訪れてはいないが・・・。
しかし,それに便乗して,作りものを・・・というのはいかがなものだろう・・・。
桂浜に立つ龍馬像は有名だが,その隣にレプリカが果たして必要なのだろうか・・・。
20数年前,私が生まれた町の駅前に,折しもブームだった「おしん」の銅像が建てられたことがあったが,それと同種のいかがわしさやあざとさを感じるのは,私だけだろうか・・・。

幕末勤王の志士が眠る京都東山の霊山護国神社(名前からしてサヨクは行かないだろうな)の裏手墓地に,龍馬と中岡はひっそりと葬られている。
そこには,志半ばで非命に斃れた2人の銅像が,ささやかに鎮座している。
それで十分ではないのか。
でかいのが見たかったら,その下の円山公園にある銅像を見れば良いと思う。
桂浜の龍馬像は,昭和初期に地元有志の募金によって建てられたものである。
さらに室戸岬には,中岡の像もある。
茫洋たる双眸は,遥か太平洋の波濤の先を見据える・・・。
映像や小説で知る龍馬が目指したのは,西洋列強に屈さぬ我が国の姿だった筈だ。
それは,産業を興し貿易を振興することで国を富ませ,人々が豊かな生活を甘受することができるよう・・・という高邁な理念だったのではないか・・・。
「おまんら,いい加減にするぜよ」
と,龍馬なら言うのではないだろうか・・・。
日記@BlogRanking


泥濘・・・

2011年02月28日 20時26分15秒 | 時事問題,ニュース

リビアは完全に泥沼と化している。
反政府勢力の拠点にして,カダフィが執拗に弾圧を繰り返した東部は,ベンガジを中心に,WWIIの激戦地だったトプルグ,エジプト国境のムサイダといった諸都市は完全に反政府勢力が制圧した模様で,首都トリポリに南から包囲を開始している。
また,チュニジア国境のズワラも反政府勢力の手に落ちた模様で,トリポリ東隣のミスラタでは今なお攻防戦が続いているようだ・・。


後継と目されるカダフィ次男は,
「リビアに生きてリビアに死す」
と,国外逃亡を否定して鼻息が荒いし,カダフィ本人も専用の人材派遣会社を介してのアフリカ各地からの傭兵を配し,潤沢なオイルマネーを背景にあくまでも武力行使の基本姿勢を改めない。
おそらく最後の一兵となるまで戦うであろう,その心意気は天晴れだが,所詮は金で雇った武力であるから,幾ら日当16万円とは言え,自分の命が危うくなって割に合わぬ仕事,と傭兵たちが悟った段階で造反劇が始まるような気がする。
既に裸の王様と化していると言っても差し支えないかもしれない・・・。
そういえば,ウクライナ人の愛人も国外脱出したという情報も入った・・・。
最愛の女に去られちゃ,男は終いだ・・・。


風前の灯火のカダフィ政権が消滅するのは時間の問題だろうが,肝心なのはその後であろう。
今回の紛争によって,国土は荒れ果てた。
そこから,民主国家を再構築していかなくてはならないのだが,本来は多くの部族の集合体たる国である。
同じアラビアンにして回教徒とはいえ,部族共同が如何に難しいものであるかは,映画「アラビアのロレンス」でも明らかだ・・・。
何せ,砂漠には石油というお宝が眠っている。
それを背景に,カダフィは独裁政権を成し得たが,続くべき政治体制は全く無いと言っても良いかも知れない。
法制を整備し,議会を興し,荒れた国土を開発してインフラを整備して・・・といった事業には金と時間がかかるのは勿論,海外列強の進出を許すことにも繋がる・・・。
エジプト建国の父と呼ばれたナセルを初めとするアラブ諸国の国家首脳たちは,自国の民主化と当時の米ソ二大国の進出の狭間にあって苦悩し続けたであろうことは,想像に難くない・・・。
かといって,海外資本を一切排除してしまえば,元の遊牧民の集まりに過ぎず,国家としての体制もままならない・・・。


勿論,私自身汎アラブ主義を認めたり,独裁政権を認めたりするつもりは一切無いが,今回の「民主化」をかかげた一連のアラブ諸国の紛争は,果たしてそれらの国にとって本当に幸福な結果をもたらすのか・・・という点で,甚だ疑問である。
勿論,国家元首とその近臣のみが甘い汁を吸う独裁政権など,断じて有ってはならないと思うのだが,民主化とは血を流すことでも,単純に政権が入れ替わることでもあるまい。取り敢えず,カダフィとその一党が国外に去れば,戦火は終息しよう。
これ以上犠牲者を出さぬ為にも,さしあたってはそれが最善の策ではあると思うのだが・・・。
日記@BlogRanking


やっぱりやっちゃったよ・・・

2011年02月22日 21時26分59秒 | 時事問題,ニュース

やっぱり例外ではなかった・・・。
エジプトの隣国,リビアが揺れに揺れている。
何せ独裁者カダフィ(正しくはムアンマル・アル=カッザーフィー)の国である。
ムバラク政権があっさり倒れたのを見て,民衆が放っておく筈はない・・・。
リビアでも,反政府勢力によるデモが相次いだ・・・。
しかし,そこはカダフィである。
無事で済む筈がない。
強権発動で,狙撃手まで出る始末で,一説によると反政府勢力が800人以上犠牲になった・・・とも言われている。
しかし,そこはしぶといアラブ人である。
聖書時代からユダヤ人と2000年以上にわたって喧嘩してきた経緯を持つ彼等であるから,その程度で怯む筈もない・・・。


リビアという国は,本来は数十の部族の集合体だった(中東~北アフリカにはそうした国が少なくなかろう)。
首都であるトリポリを中心とするのが政府勢力,そして今一つの勢力はもう一つの大都市であるベンガジを中心としでいるらしい。
長年にわたって,カダフィはそれを攻撃対象にしてきた。
よって,今回の反政府勢力に対しても,積極的に軍による鎮圧を行ってきた(掃討に当たったのが,次男というから,リビアもどっかの国と同様世襲らしい・・・)。
何せ空爆までしているくらいである(どうせ60年代のミグかスホーイだろうが・・・)。


しかし,30年以上にわたって北アフリカに君臨してきたカダフィにも,落日が訪れようとしている。
ベネズエラへの国外脱出説が,まことしやかに流れたが,これは否定されたらしい。
反政府勢力は勢いを増し,国営テレビ局を襲撃したとの情報もある。
軍や政府内部にも離反して反政府勢力に加わる者も出ているようで,エジプトのムバラク政権同様,完全に張り子の虎となっている可能性は否定できない・・・。


カダフィが今も「大佐」と呼ばれるのは,彼がエジプト建国の父と呼ばれるナセル元大統領を尊敬しており,革命時のナセルの階級が大佐だったから,と言われている。
「中東の狂犬」にせよ「砂漠の狂犬」にせよ,芳しいイメージではないが,欧州各地でのテロの黒幕と目されていた80年代半ば,米軍がカダフィ宅をピンポイント爆撃して,暗殺未遂に終わったことがあった時,米国をなじるように非難したため(ま,当然であろうが),それに対して米国メディアが言ったことが元になっているような気がする。
因みに,その際カダフィは爆撃された自宅を公開したが,何でも日本でも某所にある回転式のベッドを使用しているのがばれたらしい・・・(日本から輸入したのか??)。
そういえば,つい最近彼の五男がスイスで婦女暴行容疑で捕まったことがあった。
以来スイスとは犬猿の仲となったことを思い出した・・・。
丁度30年前,地中海の空母から飛び立った米海軍のF14Aが,リビア空軍のSu17を鎧袖一触叩き落とす,という事件もあった。
私の周りのサヨクたちは皆憤激していた・・・。
さらには,執務室に,明治天皇の写真(明治帝は極端な写真嫌いだったようなので,肖像画か?)が貼ってあるらしい。


いずれにしても,血を流して何の民主化か。
このあたりは,国際的に批判されるべきと思うのだが,世論は反政府勢力に同情的な気がする。
勿論,私だって旧政府勢力を支持するものではないが・・・。
しかしまぁ,いつまでも「大佐」と呼ばれるのは,カダフィとシャア・アズナブルだけだろう・・・。


以前,カダフィについて書いたものはこちらに・・・。
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エジプト2011・・・

2011年02月12日 21時50分36秒 | 時事問題,ニュース

ムバラク政権が呆気なく崩壊した。
先の総選挙での強権発動から,こいつはやばいと思っていたら,思わぬところから火の手が上がり,エジプト全土にそれが広がり,強気だったムバラク政権はあっという間に終焉を迎えた・・・。
チュニジアに始まった民主化の波は,エジプトへ広がり,紅海を越えてシリアやヨルダンといった他の中東諸国へも広がりつつあり,現政権崩壊から一夜明けたエジプトは元より周辺諸国は祝祭ムードに包まれているという。


時代が変わったことを痛感するしかない。
私が子どもの頃,世界は大規模な紛争を常に抱えていた。
南北ヴェトナムと中東がその最大のものであり,欧州ではNATOとワルシャワ条約機構が東西ドイツを挟んで睨み合い,南北朝鮮やキューバも緊張が高まっていた。
その殆どが東西二大国の対立が原因であり,各地で起きた紛争や対立は,言うなれば米ソの対立の所産,というかご都合主義の迷惑な結果であったと思う(民族を2つに分割した朝鮮,ヴェトナム,ドイツなどその典型だ。我が国だって危なかった・・・)。
中東諸国とエジプト(当時はアラブ連合か)は,WWII後に米英の後押しによって建国されたイスラエルと対立。
数度にわたる中東戦争では,軍事的に優位に立つイスラエルに圧倒され続けた。
それが今は,イスラエルとは友好国家となり,独裁的な政権を終焉に追い込むに至った・・・。
私なんか,ユダヤ(イスラエル)は西側 ,アラブは旧東側などと勝手に思い込んでいたが,石油の利権かかかった中東の勢力図は,そんな単純なものではなかった。
例えばサウジアラビアなんかはF15を保有しているし,先の湾岸戦争やイラク戦争などでは多国籍軍の後方基地となり,今も米軍が駐留しているくらいだ。


では,エジプトは一体どうなるのだろう・・・。
今回の政権崩壊は,チュニジアでの民衆蜂起によるベンアリ政権崩壊を受けて,エジプト各地で市民によるデモが相次ぎ,強硬な姿勢で臨むムバラク大統領を辞任に追い込んだものだが(否,ムバラク自身は即時辞任を否定したまま大統領宮殿から逃走したので,放棄が正鵠か?),現在全権限が軍に有るという。
暫定政権ともいうべき軍最高評議会の声明では,政権は民政へ移行させるとのことであるが,果たしてどうなるのだろう・・・。
今回の政権交代劇,というかムバラク政権崩壊劇だが,多くの犠牲者が出たことを忘れてはならないと思う。
これを果たして純然たる市民革命と言えるか否かは,ともかくとして,果たしてすんなり新政府の発足となるのだろうか・・・。
そして,周辺諸国。
近隣国たるアルジェリアでは首都での反政府でもが計画されているというし,バーレーンでは野党勢力による反政府デモの呼びかけがあったとも聞く。
また,イランでは人権団体によるデモが計画されると,それに関わる活動家やジャーナリストが治安当局に拘束されているとの情報もある。
強権国家・独裁国家からの民主化は大いに結構。
しかし,そこに血が流れてはならないことは幾多の歴史事象から学んできた筈だ。
そのへんを我々も頭に入れておかなくてはならない・・・。


・・・ということで,自分の国のことを棚に上げて中東の情勢を見守りたい・・・などと,無責任にも思ったりする・・・。
・・・で,中東一とも言える独裁国家であるリビアはどうなんだろう・・・。
カダフィさん,数年前にフランスと仲良くしていたようだが・・・。
日記@BlogRanking


タイガーマスク参上

2011年01月06日 20時35分48秒 | 時事問題,ニュース

一昨日,近所の某大手スーパーにフレッシュプリキュアが来るというので,下の子を押しつけられて連れて行く羽目に・・・。
せっかくなので,4月から使うランドセルを選ぶ。
型落ちだったからか,かなり安く良いものを求めることができ,1割が商品券としてキャッシュバックされた。


その日,9時のNHKニュースを何気なく見ていると,画面に
「タイガーマスク」
の文字が躍っていた。
何で公共放送に民放系番組の題名が・・・,それともプロレスラーか・・・と思って見ていると,何と小田原市の児童相談所に「伊達な音」もとい「伊達直人」の名義で新品のランドセルが6個届けられたという。
綺麗な赤い紙で個別に包装されたランドセルには手紙が添えられており,前橋市の件に感じ入って自分も・・・といった旨が書かれていたという・・・。
前橋市の件とは,先月25日に同市の児童相談所にクリスマスプレゼントとして,ランドセルが10個(30万円相当),伊達直人名義で届けられたことをいう。
つまり,同一人物の行動ではないというのが専らの見方のようだ・・・。


このご時世,こんな良い出来事があるんだと感服した。
こちとら自分の生活に手一杯であるのに対して,恵まれない子どもたちに無言で手をさしのべる人がいたというだけでも嬉しい話である。
ま,小田原市の児相では4月からの就学児童に使わせるということなので,取り敢えずは良かった。
ただ,我が家の場合は何とか新入学用品をこうして準備することができたが,そういかない家庭も少なくないだろう・・・。
そうした人々に対して,多くのタイガーマスク=伊達直人が居れば・・・とも思う。
勿論,そんな人任せなことでは駄目で,自ら行動を起こさなくてはならないのだろうが・・・。


 このニュースを聞いて,
「虎だ虎だ,お前は虎になるのだ」
というタイガーマスクの主題歌冒頭が思い出されたのは私だけではあるまい・・・。
ついでに,EDの「みなしごのバラード」も・・・。
因みに,私の某友人は,カラオケで「みなしご・・・」を歌い,大顰蹙を買っていた・・・。
当時,子ども心にも,何て暗い歌なんだ・・・と思っていたものだが・・・。
日記@BlogRanking


半島有事・・・

2010年11月23日 21時37分43秒 | 時事問題,ニュース

うわっ,やっちゃったよ北朝鮮・・・。
黄海上の軍事境界線に近い仁川・延坪島一帯を北朝鮮が砲撃。
韓国軍も応戦し,現時点で韓国兵2人が戦死,多数の住居に被害とのことだ・・・。
延坪島付近では韓国海軍が演習中で,それに対する行き過ぎた挑発では・・・という見方が有力であるが,多分政治的なプロパガンダでは,と私は見る。


北朝鮮は,先日ウランの濃縮施設を公開したばかりである。
うちらは核持ってんぞ,経済制裁なんて以ての外,援助しないとテポドン打っちゃうぞ・・・と,つまり対外政策でジョーカーを切ったことになる。
こうでもしないと国際世論上生き残れない彼の国の足掻きが聞こえるようだが,米も韓も日も反応せず,全く対応を変えようとしていない。
それに対しての実力行使とも言えるのではないだろうか・・・。
きな臭い朝鮮半島にまた目を向けさせることこそ最大の目的では・・・と考える。


今ひとつは,新政権への布石であろう。
将軍様三男の金正恩朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長に権力を継承することが決定したので,国民に対する実績作りのためにバーンとやってしまった。
今回の騒ぎで,間違いなく資本主義の犬・米帝の走狗たる南を平和の大義の下,正義の大鉄槌を下して見事に悪を撃退した・・・というプロパガンダが為される筈だ。
勿論,韓国が自重して挑発に乗らずこれ以上戦闘を続けまい,という確信あってのことだろう。
現に韓国は戦闘機まで飛ばしたが,哨戒のみに徹して攻撃はしていない・・・。


いずれにしても朝鮮動乱から60年という節目の年に,とんでもないことをしたものである。
日本海や対馬海峡を経て一衣帯水の我が国にとっては,決して対岸の火事などでは有り得ない。
彼の国の挑発や恫喝に屈することなく,毅然とした態度で臨んで欲しいものである。
かつての不平等条約改正に文字通り身をすり減らして権利を勝ち得た先人達に倣って・・・。
日記@BlogRanking


違うだろう・・・

2010年11月10日 17時53分33秒 | 時事問題,ニュース

例の尖閣諸島衝突事件の流出ビデオだが,先週ようつべにアップされたものを見てしまった・・・と書こうと思ったら,何と流出させ本人が逮捕されてしまった。
やはり内部からの流出で,兵庫・神戸市にある第5管区海上保安本部の40代の巡視艇乗組員が流出させたという。
海保には,犯人捜しをしないで,というメールが相次いだそうだ。
どうやら神戸市内の漫画喫茶から,ようつべにアップしたらしいが,海保の杜撰な情報管理が叩かれそうだ・・・。
守秘義務に反したことで,国家公務員法違反での逮捕は免れないだろう。
何故彼がこのようなことをしたのかはいずれ分かるだろうが,これには幾つかの問題点がある。


まず海保の杜撰な管理体質は糾弾の対象となるだろう。
この航海士が現場に居たのかどうか分からないが,いずれにしても国家機密に類する情報が一公務員の手に入ること自体不可解である。
自衛隊にせよ警察にせよ海保にせよ,国家機密に関与する仕事であるから,そのビデオを扱う際は何らかのリアクションがあったと思うのだが・・・。
そして,彼が何故自分の人生を賭してまでこのようなことをしたのか,ということ。
これも捜査の進捗と共においおい分かってくるだろうが,現時点では想像するしかない。
それよりも何よりも一番の問題点は,何よりも政府民主党が何故にこのビデオの一般公開を頑なに避けてきたかということである。
何でここまで中国に対してご機嫌取りというか顔色をうかがうのか,理解に苦しむ。
撮影された映像は,明らかに中国漁船が海保の巡視船にぶつかってきている。
勿論,それを中国政府は捏造だと言っているが・・・。
被害にあった方が真実が明るみに出るのを拒むのだから,笑止である。
・・・で,さら呆れたのは,野党となった自民党の動向である。
馬淵澄夫国土交通相と仙谷由人官房長官の監督責任を追及し,辞任・罷免を強行に要求しているらしい。
非難する相手が違うだろ,今そんなことやっている場合か・・・と思うのは私だけか・・・。
日記@BlogRanking


こんな時に・・・

2010年11月02日 23時00分09秒 | 時事問題,ニュース

しかしまぁ,よくもこんな時期にやってくれたもんだと思う。
尖閣諸島を巡る中国との一連の確執が未だ収まらぬこの時期に,今度はロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問ときたもんだ。
また,APEC首脳会議を控えた時に,何でまたこちらの神経を逆なでするようなことをしたのだろうか・・・。


周知の通り,日本とロシア(当時は帝政)の外交は1855(嘉永8)年の日露和親条約まで遡る(18世紀末,ラックスマンの根室来航というのもあったが)。
その際の国境は,国後島と得撫(ウルップ)島の間に定められた。
樺太は正式に境界が定められず,日露混在の地となっていた。
その後,ロシアはクリミア戦争によって西進政策が頓挫すると,主眼を極東に移す。
それによって,樺太を巡るトラブルが起き,当時の江戸幕府とそれを継いだ明治新政府によって,1874(明治7)年3月,特使として榎本武揚が帝政ロシアの府サンクト・ペテルブルグに赴き,樺太と千島列島を交換する条約が調印された。
これを千島樺太交換条約,或いは締結された地名をとってサンクト・ペテルブルグ条約とも呼ばれている。
さらに,日露戦争の勝利により,樺太南部を領有。
以後40年間,南樺太は我が国の領土となる。


そして,先の大戦での敗戦が来る。
1945(昭和20)年8月9日,日ソ中立条約を一方的に破棄した赤軍が満州に押し寄せる。
関東軍は抗すすべもなく敗退し,やがて8月15日を迎えることになる。
しかし,ソ連軍は南樺太に侵攻。
さらには,ポツダム宣言受諾後の8月18日には千島列島への侵攻を開始する。
意外に知られていないが,千島と南樺太,そして満州の一部では「終戦」後も戦争は行われていたのである・・・。
言ってしまえば,火事場泥棒というかどさくさ紛れ・・・。
アメリカの極東制圧に楔を・・・という意味でのスターリンの決定と言っても良いのかも知れない。
千島は勿論,北海道全域を支配しようとしたわけである。
その証拠に,ソ連は日本への占領政策において南北分割統治を提案。
これが通っていたら,私のところなんかソ連領となっていたのである・・・。
さすがにるそれは無かったものの,ソ連は南樺太国後・択捉両島を含む千島列島すべてと歯舞・色丹各島を占領し,連邦崩壊後もロシア政府による実効支配が続いている訳である。
その後のことについては述べるまでもないであろう。
日本共産党でさえ,千島列島全島の返還を打ち出しているのである・・・。


・・・で,メドベージェフ大統領である。
国家元首の北方領土訪問は史上初であり,日ロ問題を再燃させるリスクを背負ったものとなるのは必至であることは誰にでも分かる。
では何故,ということになる。
実は答えは明白。
言ってしまえば,2年後の大統領選のためである。
メドベージェフは先の大統領であるプーチンに比べて,知名度でも国民に対するインパクトの強さでも遜色がある。
つまり,ここでがつんと一発かまして,支持率を上げておこうということなのだろう。
いずこの国も,政治家の考えることは一緒である・・・。
しかし,そんなことのために我が国古来の領土である北方4島の実効支配が強まるのは,たまらない。
連邦崩壊後,東の僻遠の地である4島からは流出者が相次いだが,今はインフラ整備により生活が改善され,島民は増えているという。
そこへ来ての訪問である。
さらには,巨額な予算を投入してロシア本土並の経済発展計画に着手というから,島民には大歓迎されるに違いない。


韓国・中国,そしてロシアと,現内閣は外交での難題を突きつけられている。
どう対処していくかが問われるし,国民としては玉虫色ではない毅然とした対外政策を望みたいが,野党がこれ幸いと民主党おろしに躍起になったら,政局は混迷の度合いを増すばかりである。
与党支持の気はさらさら無いが,ここは一致して事に当たるべきではないだろうか・・・。
そして国民も,もっともっと北方4島のことを学んで知る必要が有ると思う。
竹島も尖閣も,そして北方4島も,決して他人事ではないのである・・・。
日記@BlogRanking


他人事ではない・・・

2010年10月20日 22時13分26秒 | 時事問題,ニュース
奄美大島が大変なことになっている。
集中豪雨によってグループホームでは老人2人が死亡,職員1人が行方不明という。
さらに奄美市内(いつの間にやら名瀬市がこうなったようだ)では小中学校から子どもが下校できず,親も近寄ることができずにいるという。
地図を繙いてみたら,奄美市住用地区とは旧名瀬市の南の山間のようだ。
鉄砲水によって道路が分断され,名瀬地区では自動車が道路で水没(というより流されていた)していた・・・。
さらに老人ホームでは,100人以上が避難勧告が出されたものの,避難できずに足止めを食っているらしい・・・。
自然の脅威の前に人間は無力である。
島の川は短くて流れも急であろうから,一気に増水したのだろうか・・・。
改めて地形図と航空写真を見たら,奄美は島の9割が山であり,マングローブの原生林も多いようだ。
考えてみたら,那覇便の機上から見ている筈だが,どうも島の回りの環礁に気を取られて,地形に気づかなかったようだ・・・。
一日も早い復旧を願うと共に,犠牲になった方々の冥福を祈らずにはいられない・・・。
日記@BlogRanking

そら,見たことか

2010年09月26日 19時20分02秒 | 時事問題,ニュース

ほーら見ろ,予想通りじゃねーか。
中国船の船長釈放なんかするから,不法拘束とか言って謝罪と賠償を求めてきたじゃねーか。
領海を侵犯した奴を何で釈放なんかするんだよ。
そういう姿勢だから,嘗められて次々に難題ふっかけられるんだよ。
向こうは,高圧的な態度を取れば日本は言うこと聞く,言うこと聞かないときは戦争責任を感じてないとか言えば言いなりになると思っているんだから,断固とした態度で臨まないと駄目,ということが何で分からないんだ。
こんなことしてると,琉球列島や対馬獲られてしまうぞ・・・。


中国製品売らない,と圧力かけてきたら,ODAやめるぞ,と返してやればいい。
今回の件で間違いなく中国は国際世論上孤立しただろうから,毅然とした対応をしていくしかないだろう。
悪いことしていないのだから,謝罪も賠償も一切必要なし。
琉球は中国領とか,根も葉もないこと書き立てる中国マスコミこそ抗議対象となるべきである。
ついでにネットでの呼びかけによって,またしても若者による反日デモや集会が起こるであろうが,我々は断固無視である。
現地の方々こそお気の毒だが,政府は万難を排して安全を確保するように努めるべし。
中国大使館に投石したり落書きしたり,といった民度を疑われるようなことだけは避けてもらいたい。
日記@BlogRanking


何故に尖閣諸島か

2010年09月21日 21時45分36秒 | 時事問題,ニュース

SMAPの上海公演が延期になったらしい。
否,かなりの確率で中止になるとも言われているそうだ。
この手の話題は私の範疇外だが,当然のことながら原因は,先頃尖閣諸島(中国名釣魚島)で起きた中国漁船と海保の巡視船の衝突事故にある。
尖閣諸島が自国領と主張して止まぬ中国側が完全に態度を硬化させ,東シナ海ガス田共同開発の凍結とか,閣僚間の交流中止とか,例によって予想通りの反応である。
全く困ったものである。
では,尖閣諸島は果たしてどちらのものなのか。
つまり国際法上占有を認められるのは日本なのか,中国なのか・・・。


我が国が閣議によって尖閣諸島領有を決定したのが1895(明治28)年1月である。
当時は前年から開始された日清戦争のさなかであり,その後の下関条約(同年4月)によって大陸進出への橋頭堡を得るに至ったことは周知の通りである。
1月時点で日本政府は尖閣諸島が無人島でいずれの領土にも属さないことを10年かけて調査・確認。
当時の国際情勢を慎重に考えた上で,領有を主張して認められたのである。
中国側の言い分としては,明代に倭寇の防衛拠点であったこと,下関条約は侵略戦争によって一方的に締結させられたから効力がないことを主張している。
但し,中国が主張したのは1971(昭和46)年以降である。
つまり1951(昭和26)年のサンフランシスコ講和条約によって我が国が独立を認められ,その代わり沖縄と小笠原は米領とされた。
その際に尖閣諸島も米領となっていた際には中国側は一切文句を言わなかったのに対して,72(昭和47)年の沖縄返還によって日本領となる際に急に領有を主張してきたわけである。
これは実に興味深いことと思う。
米国には主張しなかったことが1点。
もう1点は,68(昭和43)年に東シナ海に膨大な石油資源が眠っているとの報告が国連の調査団によってなされた。
それまでは台湾(中華民国)による青天白日旗掲揚などの事変は有ったものの,71年に中国と台湾が相次いで領有権を主張。
日本の実効支配が国際的にも認められるに至った1895年1月と,中国側が主張する下関条約調印の4月にズレがあるのは明白である。
明代云々にいたっては,何をか況んやである。
だったら,倭寇が支配していたから日本領・・・という主張も同レベルだろう・・・。


中国政府が硬化するのは常だが,現地の日本人学校での運動会を取りやめるよう中国側からの指針があったともいう・・・。
さらには,又してもネットでの呼びかけで若者が反日を叫んで集まる気配もあるとかいう・・・。
6年前のサッカーアジア杯を思わせる情報である・・・。
で,
「米国の(沖縄を日本に返還する)決定を覆すことができなかったため,数万人の琉球住民が広場に集まって号泣,日本の侵略者を追い払おうと誓った。30年来,日本を追い払って独立を勝ち取ろうとする戦いが停止されたことはない」
「琉球の独立を支援すべきだ」
「琉球の自治を支持する!日本の軍国主義を離れろ!」
「その場限りでの解決などせずに,海上で日本と開戦してでも尖閣諸島を奪回すべきだ」
だってさ・・・(絶句)。


こんだけ訳分からんこと言われているんだから,我が国も毅然とした態度で臨むべきである。
竹島が島根県民の,尖閣諸島は石垣市民だけの問題ではないのである・・・。


因みに,一連のこれらの問題に対して安倍晋三前々々総理は,
「民主党が招いたことだ」
・・・とのたまわったそうだ・・・。
こんな時に攻撃の手を緩めないなんて・・・・・・つくづく平和な人種だ・・・。
日記@BlogRanking


どうにかしてくれよ・・・

2010年09月14日 23時04分45秒 | 時事問題,ニュース

平民宰相という言葉がある。
政治家として頂点とも言うべき総理に登りつめたが,出身は一般市民という意であり,専ら原敬を指す言葉として使われることが多いようだ(最も原は南部藩の上士の出身であり,本当に平民であったかは疑問だが・・・。爵位を断り続けたことからそう呼ばれたらしい)。


で,現在の首相である菅直人はどうか。
近年では珍しいサラリーマン経験者である。
東工大卒業後,特許事務所に勤めつつ弁理士の資格を取り,政界進出は市川房枝の選挙事務所に勤め,選挙参謀となったこときっかけだったという。
その菅氏が出馬した民主党の代表選挙は,小沢一郎氏との覇権争いもさながら,今後の政局を占うものだったと思う。
結果は予想通り菅氏の圧勝。
小沢前幹事長は小選挙区での得票が伸びず落選と相成った・・・。


では,菅氏圧勝をうけて民主党内部は安定するのだろうか。
答えは断じて否である。
長年にわたって隠然たる勢力を党内に培ってきた小沢派が,このまま黙っているとも思われない。
小沢氏の今後の処遇に対して菅氏は口を開かないが,放っておいたら民主党が内部から崩壊しかねない。
で,参院選で野党が圧倒的多数を占めるねじれ国会が菅氏を待ち受ける。
つまり政局の混乱はまだまだ続くと言っても良いだろう・・・。


勿論私は民主党支持者ではないし,旧保守勢力を支持・容認する者でも無ければ共産主義や左翼を標榜・支持する者でも無い。
ただ民意を汲んだ政権の安定を願うだけである。
そうした意味でも,根っからの政治屋でも二世議員でもない菅氏の手腕に注目はしている。
かつての薬害エイズ問題とO157で揉めた96年のカイワレ大食いパフォーマンスしか記憶に無いのだが・・・。
日記@BlogRanking


HIROSHIMA,2010

2010年08月06日 20時20分45秒 | 時事問題,ニュース

65回目の広島の日。
投下時刻である午前8時15分には出勤前のばたばたで記念式典を見ることはかなわなかったが,おそらく65年前と同じく暑い朝を迎えた。
今年のトピックは何と言っても旧連合国の代表が式典に参加したことだろう。
国連の潘基文(パンギムン)事務総長,英仏の代表,そして米国のルース駐日大使である。一同は,式典中姿勢を崩したり汗をぬぐったりすることなく,緊張感を保ったままだったという。
式典終了後は,報道陣の質問に答えることなく,足早にその場を離れたということだ。
出席者たちは,一様に65年たっての一歩前進を口にしていたという。
そして,次のステップは大統領の出席,ということだそうだ・・・。
遺族たちはどのような思いで,この事実を受け止めたのだろう。
そしていずれも初めての参列となった各国の代表たちは,どんな思いをそれぞれ抱いたのだろう。


何年か前,原爆を直接投下したB29爆撃機の搭乗員が,戦争終結を早めたという視点からも自分たちの行ったことは正しい,といったことを述べたことがあった。
軍隊というのは上からの命令は絶対である故に当然の解答であると思う。
では,我々日本人は,この2度にわたる原爆投下をどう思うのだろう。


1.この戦争は日本が起こした侵略戦争であり,アジアの人々に対して酷いことをしたので当然の報いを受けた。悪いのは長州藩閥のなれの果てである軍閥政府の日本。


2.戦争における戦闘行為で,攻撃が許されているのは軍事施設およびそれに準ずるところなので,無差別攻撃をして25万人以上を殺傷したアメリカが悪い。


3.日本は南京事件で広島の原爆を上回る一般市民30万人を無差別に殺害したので,アメリカの戦争責任を云々する資格は無い。よって日本が悪い。


さて,上記1~3までに当たっているのはどれなのか?
それともどれも当たっていないのだろうか・・・?
日記@BlogRanking


独西戦?西独戦?

2010年07月07日 19時45分06秒 | 時事問題,ニュース

予想通りオランダが先に勝ち名乗りを上げ(辛勝だったようだが),今夜は西-独戦である。世界一美しいと言われる中段のパスワークを最大の武器に勝ち上がってきたスペインと,持ち前の守備力と相手の虚を突く強烈なカウンターで,イングランドにアルゼンチンという強敵を粉砕してきたドイツのがっぷり四つの好ゲームが期待される。


因みに一昨年の欧州選手権の決勝も同じ顔合わせで,1-0でスペインが勝った。
唯一の決勝点はフェルナンドトーレスが挙げた。
ビリャが徹底的にマークされると予想されるので,やはり彼にかかる期待は大きいと思われる。
ただ,膝の手術からの病み上がりなので,本調子ではないが・・・。
ドイツは,前戦でも活躍したMFミュラーが出場できないのが痛い。
同じくMFのシュヴァインシュタイガーが如何にクローゼに繋ぐかがポイントとなろう。
以前述べたとおり,私は「皇帝」ベッケンバウアーの時代から(いつだ?)ゲルマンフリークなので(ヒュッセンなる南独の一地方都市を訪れて真っ先に行ったことは,バイエルン・ミュンヘンのキャップを買ったことだ),ラテン(といっても地勢的にアラブの血が相当入っているだろうが)には勝たせたくない。
オランダvsドイツの決勝なら申し分がないのだが・・・。
贔屓ついでに,クローゼには是非ゴールを決めてW杯得点歴代1位に並んでほしいものである・・・。


オランダがウルグアイに勝ったことで,今回の優勝は欧州勢に決定した。
個人的には前回同様(決勝は残念ながら仏vs伊のラテン対決だったが・・・),欧州勢が勝つと嬉しいものがある。
やはりサッカーもF1も欧州のものということを再認識した昨今である・・・。
・・・で,時間が時間なのでリアル観戦は今日も見送ることに・・・。
日記@BlogRanking