先週の分と2回続けて見ました。
文久2(1862)年,会津守護職を拝命した松平容保は,藩軍を引きし上洛。
山本覚馬も同行します。
京は,攘夷を標榜する不逞浪士が跳梁跋扈し,天誅の名の下のテロが横行していました。
安政4(1858)年の日米修好通商条約締結以降,攘夷という言葉は今なら流行語大賞もんでしょう・・・。
この文久2年には,5月には第一次寺田屋事件,6月に第二次東禅寺事件(護衛の松本藩士が,英国水兵2人を殺傷した)が起きていますし,8月には生麦事件が起きています。
会津も薩摩も揺れに揺れていたということでしょう。
そして,翌文久3年になると,京都政局は一層混迷の度合いを深めていきます。
2月には足利三代木像梟首事件が起きます。
平田派の国学者たちの仕業ということになっておりますが,密偵だった会津藩士大庭恭平も関与していたということで,大庭は信州上田藩へ流罪となります(後に,新政府軍によって釈放)。
激怒した容保は,それまでの言路洞開なる宥和政策を止め,強硬姿勢で浪士達を取り締まる方向に転じます。
そうした中で出てきたのが,壬生浪(みぶろ)と呼ばれた新選組ということになります。
まず,北山等持院の足利三代木像梟首事件ですが,それまでの「天誅」が開国派や公武合体派に対するものであったのが,明らかに倒幕を意図したものに変容した点で,1つの転換点だったと思います。
等持院は足利尊氏の創建による名刹で,家康を筆頭とする徳川将軍の木造も安置されています。
夢想疎石作と伝わる(実際は江戸中期らしい)庭園が見事なので,ぜひ1度訪れてみたい寺です・・・。
そして新選組に関して。
あの状況だと,治安維持のため会津藩が浪士を公募したような印象でしたが,実際は複雑な事情が絡み合っています。
それを述べてしまうと,いつも以上に「八重の桜」ではなくなってしまうので(もう遅いか・・・),簡単に述べますと,寝業師ともいうべき勤王派の出羽浪士清河八郎が,幕府に金を出させて,尊攘浪士取り締まりと将軍家茂上洛の護衛と称して浪士隊を結成し上洛。上洛直後に,将軍護衛ではなく尊攘の尖兵となることを告げた結果,それに反対して清河と袂を分かったのが,近藤・土方を初めとする後の新撰組ということになります・・・。清河は当時既に幕府のお尋ね者でしたので,相当な寝技を打ったことになり(しかもその浪士組を放り出している),その幕府と尊攘の歪みの中で誕生したのが新選組と言って良いかも知れません。
・・・とまた例によって関係ないことを長々と書き連ねました。
実際戊辰戦争とその前の川崎尚之助との婚儀まで八重の前半生は,さしたるエピソードもなく,それこそ創作にゆだねられる部分だと思いますので,妙ちくりんな三角関係が出てきたりもするのでしょう・・・。
「龍馬伝」で私が骨抜きにされかけた貫地谷しほり醸をやたら出すのはサービスか・・・と思い,あの変な髪型の齋藤一は何なんだ・・・と思って,合点がいきました・・・。
齋藤を際立たせておかないと・・・ということなのでしょう・・・。
多分あの2人が結婚するのは会津戦争直前が維新後でしょうが,それまでどのように引っ張るのでしょう・・・。
神保修理役の齋藤工くんは,髷の似合うイケメンですね。
「陽だまりの樹」に出ていた市原隼人くんも髷が似合いますが,「オトコマエ」の信三郎役や「江」の京極高次役とともに填っていると思います・・・。
奥様役の芦名星嬢に関しては,先週述べました。
もっと出てこないかな・・・と,不逞なことを考えてしまいます・・・(をい)。
山川大蔵役の玉山鉄二さんも髷が似合いますね。
かねたんと出ていた景勝役も良かったですかが・・・。
八重を好きだったかどうかは,分かりませんけど・・・。
・・・ということで,次回は薩会同盟と八月十八日の政変でしょうか・・・。
三条実美(今回は悪役にしか見えない・・・)を筆頭とする七卿と長州藩の失脚をどのように描くのか見物です。
京を落ちる久坂は,詩を吟ずるのかどうか・・・。
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