風通庵-直言

ヨモヤマ話

巷に雨の降るごとく

2013-06-29 12:17:31 | Weblog
 もうぼつぼつ西の方から梅雨開けるが聞かれる。わが輩、もともと雨は好きで、雨降りは何となく気が落ち着く。

  巷に雨の降るごと わが心にも涙降る----(ベルレーヌの詩の一部)である。

 と、言うと、お前、ロマンチックやなと。その傍らから、体操が嫌いやからとチャうか、と。こんなこと言い出すと「ボクチャン、おとしいくつ?」と聞かれそうだが、ボクチャンて言うほど野暮じゃない。二十歳の青春を謳歌する四人のグループと思えばほぼ間違いなかろう、ハッハツハッ。
 いやはや、同じ人間でも人それぞれの感覚がこうも違うものか。いくつ何十になっても忘れられないわが生涯の最良の時・学生時代の思い出。何かのついでに、つい口からほとばしり出る。

 たかが雨降り程度のこと。これが憲法9条となると、現状では安全保障上懸念がある。是非改正が必要と言う傍らから、現状でこそ平和が維持できている。改正すると戦争になると、全く正反対のことを言い出す。いや言っている。これはもう価値感の問題で、個人の性格とは無関係。さらにこれが国と国との関係になると、国益が絡んで一層難しいと思いきや、国益と個人の見解とが絡む新しい絡みが鳩山のポッぽの「尖閣私論」。どないなと勝手にサラセ。

 石原の慎太郎氏は、大阪の橋下のトオルちゃんに、義経に惚れた弁慶にあやかって、日本維新の会の共同代表に----???----!!!----。
 ある日、あるバスに乗っていた時のこと。本を読んでいたが、信号待ちかなんかの時、急に車内が騒々しくなった。周りを見渡すと、どうやら女の年寄り数人のグループが震源地らしい。
 「見える?」
 「いやァ、あー、いたいた、手ェ降ってるわ。」
 「あれ、あそこや----、」
 「どこ----? いやァ、あっち向いてるわ。」
 「いやー、残念やヮ。」
 どうやら、橋下のトオルちゃんが選挙運動で、宣伝カーから通行人に手を振っているところであった。この選挙運動は、大阪府知事に立候補した時のこと。橋下のトオルちゃんの拝顔の栄に浴したかどうかで、車内はしばらくトオルちゃん騒ぎが収まらない。「どんな顔してた?」「どんな服装?」「にこにこしてた?」「テレビで見るんと一緒か?」
 「いやーァ、見たかったヮ。」
 「こんなところで顔見てよかったわ!」
 と、言うようなわけで、橋下のトオルちゃん、おばはん連中の格好の餌食(?)さながら。言うて悪いが。

 (念の為ー橋下氏は大阪府知事の後で大阪市長である。他府県からは逆のように見えるかもしれないが、大阪の場合、府内の衛星都市が大阪市、堺市、東大阪市等府の権限が及ばない市が多く、極論すれば府知事より大阪市長、大阪府議会議員より大阪市議会議員の方がそれぞれ権限が大とか。従って、橋下氏が府知事の後で市長になったのもそのためである。行政上の用語を知らないため表現が適切でないかも。)

 だから、なんでもエエ、トオルちゃんトオルちゃんである。何を言おうと何をしようと、ご無理ごもっとも、トオルちゃんのすることに間違いなんかアラヘン。トオルちゃんトオルちゃんである。
 ところが、その熱が冷めるころと慰安婦が、手を繋いで一緒に来て、「いやー、トオルちゃん、そんなこと言うたらアカン。」「うん。そうやなあ。」「うちら、バカにされてるようなもんやなァ。」の、誰言うともない一言から、アンチ・トオルが幅を利かせて、さー、大変。例のトオルちゃん現象が、こんどは逆作用である。

 橋下氏の「慰安婦論」相対的には間違いがないと、その筋の専門家も認めているが、こんな時、先鞭をつけた橋下氏に、内外に向けた政治家の援護射撃が欲しい所であったが、触らぬ神式に無縁を装い、結局橋下氏一人の身から出たサビさながらの扱いで、それが今度の都議会議員選挙に影響して、ご存じの通り。
 ただしかし、日本維新の会の議員は、元自民党議員の自前議員が多い。ただ大阪側の旧・大阪維新の会が不安定になっているような、そんな感じ。

 ここらで、石原弁慶の「山伏問答」が聞きたいところ。

 

 

 

 

 



 

 

 

  

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