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Esprit de TSUKUBA

つくばエクスプレスが開通して沿線はバブル期のような開発ラッシュ。首都圏入りしたつくばのすてきなつくばスタイルの紹介です。

つくばの街をロボットが歩く!

2007年11月17日 | つくばはイベントが一杯
以前紹介した、ロボットの街つくば。そんな紅葉に彩られたつくば公園通りを最先端のロボットが闊歩した。11月17日、国際会議場エポカル脇の遊歩道で行われた「つくばチャレンジ」。前日27台が参加した予選会をクリヤした11台のロボットが参加。いずれも個性的でユニークなロボットたち。GPSを使い、1キロの遊歩道走行に文字通りチャレンジしたもの。第1回目ということで技術力には差があったが、参加した多くの学生たちの真剣な眼差しには感銘した。科学の街つくばといわれるけれど、なかなかその実体が見えなかったが、初めて一般の人々に科学の素晴らしさが分かった真のつくばらしいイベントであった。な~んて、新聞記事のような原稿になってしまったが、チャレンジするロボットたちへ拍手を贈りたい。

つくばチャレンジ

ボウリング一考とBIG BOX

2007年11月16日 | ゴルフを愉しむ
今日は久々のボウリング大会であった。なんか70年代ぽくってレトロなスポーツと考えていたが、どっこい世間は結構な人気である。姫路麗(うらら)なるアイドル系ボウラーも出現とか。昭和40年代後半は、中山律子さんを筆頭に、全国的なボウリングブーム。残念ながらその当時は、ボウリングをする環境にはなく、ひたすらテレビで観戦だった。なんとか自分でも楽しめるころには、次々とボウリング場が閉鎖され、どこへ行っても私たちだけというような状態だった。寂しい! ちょうどそのころ高田馬場駅前に,BIG BOXがオープンし、その中にボウリング場ができたので、毎日のように通った。と,ここまで書いて、BIG BOXは今はどうなっているかなと検索したら、この10月にリフレッシュオープンしたようで,70年代の若者にとってのシンボルは健在だった。設計は何と,黒川紀章氏だった。その後、つくば周辺の土浦京成ボウル、ミナミボウル、つくばボウル、つくばスカイボウル、ダイワーズランドときて、今はもっぱらユーワールドにあるスポーレボウルであるが、来秋には、TX研究学園駅前のショッピングセンターにボウリング場ができそうなので、また本腰入れて打ち込むか…いえいえ投げ込むか。

姫路麗
BIG BOX

ボジョレー・ヌーヴォー解禁

2007年11月15日 | 美味しいもの発見
ボジョレー・ヌーヴォー、今年はくしくも七五三と同じ日、11月15日が解禁日だ。特別おいしいと感じたことないが、新しもの好きで、お祭り好きな日本人にとっては、洒落たイベントに違いない。今年のボジョレー・ヌーヴォーは、天候不順で当たり年とは言えないレベルというが、日本は世界最大のボジョレー・ヌーヴォー輸入国として、今年もフランスのお得意様なのだ。我が家も特にワイン好きというわけではないが、節分祭の恵方巻感覚で、今夜だけパリジャン気分で、ワイングラスを傾けるというわけだ。

日本橋と草月展

2007年11月14日 | 文化は奥深い
今,日本橋ブームである。というか,江戸や昭和30年代など,昔懐かしい時代がブームとなっている。これも団塊の世代向けか,現在の世相が殺伐としているせいか,わからないが。ともかく,日本橋も古い町ながら,古さを活かして,リニュアルしている。日本橋の上の高速道路を取り払おうという動きもあるし,いい街並みが戻れば,それに越したことはないが。とういうわけで,そんな日本橋にある高島屋で草月展が開催されていると聞き,久しぶりに日本橋をぶらついてみた。草月展は,高島屋8階で行われ,日本各地の草月会が持ち寄った自慢の作品が展示されていた。近年,竹や雑木を使った芸術的な作品が多くなり,生け花という概念から飛躍した作品が増えていると感じる。受付にいた家元,勅使河原茜氏の笑顔が印象的であった。

コタツ開き

2007年11月13日 | つくばの歳時記
街には一足早くクリスマスのイルミネーションがきらめきだし、そろそろコタツやストーブの恋しい季節になってきた。さて、コタツはいつ出したらよいのか、これまで特に気にもしていなかったし、その年や地域によって出す日が違っているのは当たり前かと思っていた。ところが、最近、江戸時代頃から旧暦10月(亥の月)の亥の日に、炉を開いて暖房器具を出すようになったとか。今年は、11月13日に当たる。なぜ亥の日かというと、イノシシは、陰陽五行説で火難を逃れるという信仰があったからだそうだ。茶道では、炉開きという。天気予報士の森田さんによると、この時期最低気温が10度を切るようになるので、火が恋しくなるのは、理にかなっているとのこと。もっとも我が家は寒がりのせいか、とっくにコタツは出しているが…。

システム手帳とほぼ日手帳

2007年11月12日 | 楽しいグッズを発見
暮れともなると話題はカレンダーと手帳である。カレンダーはさておき、手帳については1年間の生活行動を決める大事なものだから、毎年悩む。最初は貰い物のリング手帳を使っていたが、システム手帳ブームが起こってからは、伊東屋までファイロファックスのバイブルサイズのシステム手帳を買いに行った。何年か使用するうち、その厚みに疲れ、シャープのザウルスなどを使ってみる。しかしアナログにはかなわず、アッシュフォードの薄型バイブルサイズシステム手帳に変える。ところが、東急ハンズでバーバリーのバイブルサイズシステム手帳を見つけ、そのブランドに負け、現在もプライベートに使用中である。一方、数年前から仕事用にA5サイズのシステム手帳が欲しくなり、能率手帳のBindexA5サイズのシステム手帳を仕事用に併用している。またまた、今年ネットでBindexのmini5という最小のシステム手帳を見つけ、これも名刺入れとメモ帳代わりに使っているしだいである。もちろん携帯電話のスケジュール機能も併用しているので、最近訳が分からなくなってきた。そこへもってきて、先日テレビで、糸井重里のほぼ日手帳の存在を知り、思わずロフトへ見に行ってしまう手帳病から抜け出せなくなってしまった。

ほぼ日手帳

谷口徹とヤマハ

2007年11月11日 | ゴルフを愉しむ
今日の三井住友VISA太平洋マスターズの谷口プロは本当に惜しかった。それにしても優勝したブレンダン・ジョーンズのチップイン・イーグルといい、3位のアダム・スコットの見事な2オン、イーグルは世界レベルの大会で醍醐味があった。しかしながら、アダム・スコットの18ホールの380ヤードものドライバーショットには、度肝を抜かれた。さて、この二人にドライバーで50ヤードは劣る谷口プロが18ホール、バーディーをとりながら、2位に甘んじたのは、残念とはいえ、満足感を感じたに違いない。ともかくこの結果で、賞金王にまた1歩近づいたことは間違いない。ところで、谷口プロは、来年から3年間、ヤマハとの契約を交わした。ヤマハのクラブは、我が愛機ではあるが、なにぶん使用プロが、藤田寛之プロなど少数派という現状では、せっかくの良さが伝えられないところであったが、谷口プロが使用するとなれば、少しでもシェアが増えるのではないかと期待している。

ヤマハ

目黒雅叙園と假屋崎省吾展

2007年11月11日 | 文化は奥深い
目黒雅叙園での「華道家 假屋崎省吾の世界」を見に行った。会場は、雅叙園内の昭和の竜宮城とも呼ばれる「百段階段」。「百段階段」は、昭和10年に建てられた木造建築。ケヤキの板材でつくられた99段の階段廊下をもつことから「百段階段」と呼ばれ、各部屋の天井や欄間には、当時屈指の著名な画家達が創り上げた美の世界が描かれている。大東京の真ん中に残るこの昭和初期の世界は、まるで江戸川乱歩の世界を彷彿とさせるものであった。假屋崎展は、“華のチカラ~Power of Flower~”をテーマに、「百段階段」に連なる6つの部屋に展示されていた。季節の木々や花々、カラスウリや柿などを使い、力強い中にも秋の風情を感じさせる展示であった。 假屋崎氏もサイン会に現れ、その優しい笑みで迎えてくれた。

假屋崎省吾展

大丸東京新店オープン

2007年11月10日 | 文化は奥深い
東京駅の巨大なキオスクなどと揶揄されていた大丸東京駅店が、グラントウキョウノースタワーの核テナントとして新装オープン。文字通り、大丸、二重丸として新装オープンしたのだ。これまでも駅に直結し、何かと便利だったが、リニュアルオープンとなった。地下1階から地上13階と従来にも増してパワーアップし,文字通り東京の玄関口の百貨店として堂々のたたずまいとなった。ちょっとのぞいたのみだが,相変わらず食品売り場はごった返していた。2階はすべて化粧品売り場で43ブランドをそろえ、1500平方mの広さは都内最大級。一歩足を踏み入れると化粧品の香りが男性を寄せつけない。ともかく駅直結というのは大きな魅力で,ちょっとしたお土産を買うにも,市価調するにも非常に便利だ。

大丸東京店

パワーアップ ケーズデンキ

2007年11月09日 | つくばはイベントが一杯
ワングーの引越により、寂しさを味わっていたケーズデンキつくばセンター店であるが、このほど1階のワングーあとに売り場を広げ、パワーアップして帰ってきた。1階のワングーあとには、携帯電話と白物家電の売場。白物家電は、ヤマダ電機には、品数でかなわないかも。携帯電話売場には、なんと11月末に発売予定のドコモ905シリーズが展示されていた。SO905iのゴールドが一番気に入った。2階に上がるとテレビとオーディオの売場。特にiPodのコーナーが広くとられ、充実している。iPod Touchも展示され、なかなかの使い心地だ。3階は、パソコンとデジカメがメイン。またまた楽しみなお店が増えた。

有楽町イトシアで逢いましょう

2007年11月08日 | 文化は奥深い
有楽町と聞けば、ある年代から上は、いまだに「あなたを待てば雨が降る・・・有楽町で逢いましょう」のフレーズが浮かぶようだ。哀しいサガである。事実、東京が再開発される中、銀座の入口でもあるJR有楽町駅前は、有楽町マリオンができても昭和の風情を色濃く残す地域であった。そんな中、有楽町イトシアが丸井を核店舗に先頃オープンした。「イトシア」とは「愛しい」と「iA(場所)」という意味で付けられたとか。でも何となく聞いたことがあると思っていたが、実は、「有楽町で逢いましょう」の歌詞にも登場する「雨もいとしや~♪」のフレーズがヒントになったとアド街でいっていた。ちなみに「有楽町で逢いましょう」は、フランク永井が昭和32年に発表した「有楽町そごう(現在は閉店)」のキャンペーンソングである。やはり、「有楽町で逢いましょう」を思い出したあなた、間違ってはいなかった訳である。ということで、イトシアに行ってみたが、丸井はなかなかの充実振りで、銀座が近いせいかシックな売場構成であった。行ったときが夕方だったが、地下のクリスピー・クリーム・ドーナツは1時間待ちだった。これで、有楽町界隈もきれいになったかなと思ったが、まだまだJR線の高架下の商店街などに昭和を発見することができる。

有楽町イトシア

続く伝統 三峰講

2007年11月07日 | つくばの歳時記
つくばは基本的に農村なので、昔からの庚申講や三夜講、三峰講などコミュニケーション組織が続いている。庚申講や三夜講などが数軒の小規模な組織に対し、三峰講は集落を超えて組織される大規模なもので、交代で秩父にある三峰神社にお参りする組織である。三峰神社は、埼玉県秩父市にある由緒ある神社。江戸時代に秩父の山中にすむオオカミが農作物からイノシシから守る神様の使いとして崇めるようになったことから、オオカミの護符を発行し、修験者が地方に御利益を説いて回ったため、参詣するための三峰講が関東・東北を中心として各地に組織された。我が家の属する三峰講は、比較的広域で組織され、集落ごとに班を組んで、毎年10月ごろ当番制で三峰神社にお参りに行く。会費は1軒当たり7千円で、これは、お参りに行く者の宿泊費も含まれる。行ったのちは、神社から持ち帰ったお札を各家々に配って回る。お札は4種類あり、神棚に1枚、残り3枚(写真)は、家の玄関内側に貼っておくのである。特に、火災や盗難に御利益ありとして、何百年も続いていると考えるとアル意味すごいことかもしれないし、当時の修験者の営業マンとしての能力は、卓越したものと言えよう。

北条ふれあい館 岩崎屋

2007年11月07日 | つくばはイベントが一杯
筑波山の裾野に広がる昔ながらの北条商店街。その一角に、「北条ふれあい館 岩崎屋」がオープンした。岩崎屋は明治初期に建築された土蔵店。このほど筑波大学の全面協力により、改築され、新たな交流拠点として、商店街の活性化のためオープンしたもの。1階には軽喫茶コーナー、商店街の店舗紹介、物産販売。2階をギャラリーとして写真展示など。当面は、土日のみのオープンだが、筑波山紅葉狩りの途中、秋の一日散策してみてはいかが。

TXカレンダー発売

2007年11月06日 | つくばエクスプレスの話題
年末ともなると、そろそろ来年のカレンダーが気になる季節である。そんな中、2008年版TXのカレンダーが発売になった。昨年も発売日の朝一番でつくば駅に窓口に駆けつけたら、一番乗りですといわれ、ちょっと拍子抜けした思いがある。今回も大判と机上用の2種が発売となったので、さっそく買いに行った。今回は特に何も言われなかった。

TXカレンダー

当世 七五三事情

2007年11月05日 | つくばの歳時記
七五三のシーズンである。11月15日近くになると、筑波山神社には着飾った子供たちの姿が見られるようになる。七五三は数え7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う年中行事である。以前は「ひもとき」「おびとき」などと言っていたが、今は七五三で統一されている。もともと関東地方の風習のせいか、最近では、茨城県や千葉県で行われている結婚披露宴のような豪華な七五三を取り上げるテレビ局が増えている。ご多分にもれず、このつくば周辺においても豪華になる一方である。会場もホテルや式場で行い、招待者も親戚、友人、ご近所、勤務先関係など50人を超える。女の子は、5歳で行うが、お色直しまである。宴席も子供が歌っているうちはカワイイが、酔っぱらった大人の演歌とかが始まるとウームと考えてしまう。宴席も進むにつれ、子供が菓子等を配りながらテーブルを回る。招待者は、「衿祝」と称して、幾ばくかのお金を子供に渡すのである。昔は合同紐解式として、現在の成人式のように公民館などで祝ったものである。この辺ではお返し物の中に紅白の大きなお餅が入っているので、夜は雑煮にする家が多い。また、昔ながらの千歳飴も配られる。七五三を境に、家によっては、身上(しんしょう)を子供の親に渡し、住まいも母屋と離れを入れ替えたり、集落の付き合いも子供の親に替わったりと七五三は、家族にとっても大きな節目の行事なのである。もともと男児は、女児より体が弱かったせいか、7歳で祝うのは、大きな節目であったろう。まあ盛大に祝いたい親心もわからなくはない。