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今日の新聞の雑誌広告に、早速、山折哲雄氏の、〔皇太子退位論〕に対する反応が出始めています。『週刊文春』と、『週刊新潮』の両誌ですが、『文春が「皇太子(退位論)にご友人が怒りのもう反論。(辞められるなら、とっくにやめている!)』という記事です。『新潮』のほうは、「(皇太子さまが明かした、帝王教育の現場に、《秋篠宮殿下》の同席、皇太子退位論の折も折」という記事が載っています。
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私たちは、様々な情報を通してしかわかりませんが、まるで昔の時代劇のようなお家騒動じみた品の無い騒動にはなって貰いたくないと思っていますが、いまのメディアにとっては格好の興味を持った、単なる話題ぐらいにしか思えているのではないでしょうか。こうなったら芸能界のスキャンダル記事と同じレベルになって終いそうです。
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日本にとっては皇室という存在は特別なものでなければならないと思っています、一般の常識では諮れない特有の存在です。日本が日本であるための、根本が此処にあると思っていますから、隔絶した存在だと思っているのです。今日も昨日の続きを勝手にこっちの都合で抜粋して載せています。佐藤あさ子氏の、『雅子さまと愛子様はどうなるのか?』(草思社)よりの引用もだいぶ入っています。
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佐藤氏は元、月刊誌、週刊誌、女性誌で皇室記事の取材や執筆をしていた、フリーライターだそうですが、西尾幹二氏は良書として推薦しています。西尾氏の論文は長編ですのでだいぶ割愛していますが、今日は三章を飛ばして、四章から入って行こうと思います。あくまでも、その輪郭が分かるように考えて書き写していこうと思います。
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《 雑誌 『 歴史通 』 2012年 5月号より抜粋 》
[ 総力特集 皇室の危機 ]
【 「雅子妃問題」 の核心 】 二回目
評論家 西尾 幹二
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( 四 ) 気儘勝手
2008年十月の学習院初等科の運動会を皇太子殿下は大分県での公務があって観に行けず、妃殿下が公務を欠席して観戦した。大分県の公務は身障者スポーツ大会への臨席で、本来ならご夫妻で出向くところ、例によって彼女は欠席し、殿下の単身出張になった。雅子妃に賛否両論が巻き起こったのは当然である。佐藤あさ子さんのこの点での分析と感想は面白い。
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わが子の小学校一年生の運動会は何としても見たいという母親のその時の気持ちは理解できる。しかし、理解はできても、仕事より子供を優先できるかどうかはまた別の話である。われわれ現代社会で働く母親にしても、仕事と行事のダブルブッキングが起こった時には、代理でもうまく見つからない限り、仕方なく仕事の方を取って、個人の欲望を犠牲にしているケースが多い。
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代理がうまく見つかったとしても、同じことを繰り返せば信用を失い、肩身が狭くなり、暮らしづらくなる。そういう葛藤の中で日々生きているのが我々普通の庶民である。一般社会には一般社会の掟があり何でも自由に好き勝手に生きているわけではない。しかるに雅子妃は公務を休み、堂々と運動会にやって来て、一般の父母席で観戦していた。
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決められている来賓席のテントにははいらない。間もなくその席に実妹の池田礼子さんがやって来て、一緒にリラックスして、楽しそうに過ごしていた。二人の席に気を使っているのは東宮女官だった。池田さんを始め、次々と訪れる妃殿下のお客様を、そのたびに東宮女官は校門まで迎に行き、席まで案内していた。
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その後、著者は、小和田家と皇太子ご一家の親密な交流を叙述している。正田家とは異なる小和田家の、「皇室利用」のあからさまな事例が紹介される。妃殿下は皇族方とはできるだけ交流を避け、天皇陛下皇后陛下に会うのをさえ避けているというのに、なんという自由で、気儘勝手な行動であろう。そしてそれを許し、支えているのは小和田氏の元部下である、野村東宮大夫(当時)の采配であり、「雅子さまシフト」であった。
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そしてまたよく知られる主治医の影響力である。ご病気であるということで全てが許されている。東宮職医師団の見解の特徴は、たいてい、「妃殿下のご快復はずいぶん進んでおりますが、なお体調に波がおありで」と、どっちつかずなあいまいな文言が入る。さらに、「ライフワークにつながる可能性のある御活動を見つけられることにも力を注いでいただきたい」、「私的外出や運動を可能な範囲で行っていただくよう」と、高級レストランの食べ歩きや愛子さまとのゴージャスな御静養を正当化するような表現が多く見受けられる。
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以上の叙述と思想から浮かび上がってくるのは、一般社会からも皇族社会からも完全にフリーな、どちらにもコミットしていない真空地帯、稀に見る楽園のような、地上に滅多に存在しない、「自由」の実験劇場の舞台を浮遊するように、幻のように生きている不可解な存在である。佐藤さんが働く女性の立場で、仕事と子供の行事のはざまに立つ自分の、「生活」を例に引いている比較はまことに適切である。
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人間は何かに縛られていなければ決してまともに生きられない。天皇陛下皇后陛下には生活があり、佐藤さんはじめ働く一般庶民にも生活があるが、雅子妃には、「生活」がない。無限の自由の只中にあって、それゆえに自由を失っている。ご病気の正体はこれである。
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「裸の王様」という言葉があるが、ご自分はまったく気づいていないものの、外交官のライフスタイルを失ったという嘆きやボヤキが思うに唯一の生き甲斐となり、夫への怨みや脅迫となり、与えられた花園の中を好き勝手に踏み歩く権利意識になっているものと思われる。医師はライフワークにつながる活躍をしなさいと勧めているが、学歴も高く才能もあるといわれて久しいのにほとんどめぼしい活動もなく、子供の付添い登校にひどくこだわって顰蹙を買ったのも理由は非常にはっきりしている。
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「生活」のないところにどんなライフワークも生まれようがないからである。生活とは何か。それは不自由への自覚に始まる。何かをするためには何かを失う。自分のやりたい自由な活動をするためには、人は誰でも金を稼ぎ、食物を買い、住み家を手に入れる。皇族はそこから解放されているというものの、他方、皇族に特有の縛りがあり、掟がある。
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祭祀は天皇の義務であり、課題であり、拘束であるが、しかしそこに折り合いがあり、喜悦があり、自由がある。祭祀は天皇の権利ですらある。妃殿下に皇族として生きる覚悟が生じたときにはじめて彼女の、「生活」が開始する。あるいは、ご離婚あそばされ、一般民間人になられたなら、そこでも「生活」が始まることは間違いない。
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その中間はない。あれかこれかの二つに一つで、選択への決断だけが彼女に自由を与える。それがどうしてもお分かりにならないでいる。そのために現代社会では起こり得ない次のような奇怪な絵図が展開されている。今上陛下は皇太子時代に学習院初等科に通うに祭し、幼い時だけ浜尾実侍従長がお一人でお供をしたそうである。穏やかで平和な情景が目に浮かぶ。
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雅子妃の愛子さま付添い登校について、佐藤さんの語る、「『皇室が存続するかどうか』という皇室が直面している問題と決して無関係ではないと思う」は、必ずしも大げさな表現ではない。
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雅子さまは、愛子さまの付添い登校を二つの文書で、「唯一の手段」と強調している。「そうしなければ通学できなかった」ということを訴えかけているようだ。「過保護ではないか」、「雅子さまが愛子さまと離れられないにではないか」というマスコミ報道を自ら否定したかったのだろう。しかし、「唯一の手段」だったとしても皇太子妃である雅子さまが毎日、学校に付き添う様子は“異様”の一言でしか言い表せない。
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学習院初等科の校門前では、雅子さまと愛子さまを乗せた車が姿を見せる数分前から、東宮侍従が深々と頭を垂れて待ち受けていた。雅子さまと愛子さまの車がやってくる間、お辞儀を続け、お二人が降りられると、東宮侍従はいったん頭を上げる。そして、校門に向かって歩きはじめると、再度頭を下げ、校門をくぐると頭を上げる。校門の中に入ると、今度は愛子さまの学校の校長先生である三浦芳雄科長がお辞儀をしながら出迎えるのだ。
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雅子さまと愛子さまが登校されるたびに繰り返されるこの“儀式”は決して多くの子供たちが集う学校という、「子供の世界」にあるべき光景ではなかった。愛子さまが学校という子供の世界になじみ、普通に通えるようになるために、雅子さまのとった、「唯一の方法」とは、子供の世界に“大人の事情”を持ち込むことも意味していたのである。
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その“大人の事情”を最も強烈に見せつけたのが、「山中湖への校外学習」だ。警視庁、神奈川県警、山梨県警の多くの警察官を動員し、10台の車列で愛子さまを追走する雅子さま。そのものものしい車列は、尋常ではなかった。
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山中湖校外学習の件では、記者会見の席でついに、「異様な母子」、「税金泥棒」の声が上がって、東宮職を狼狽させたのだが、すでに十分に報道されているのでここでは繰り返さない。もう終わったことと言うかもしれないが、つい先頃まで毎日のように学習院初等科の校門前で行われた上記に見る珍妙な儀式は、封建時代の悪大名の門前を思わせる、たしかに“異様”の一言でしか言い表せない光景である。
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こんな出来事がわれわれの現代社会に立ち現われていたことはまことに嘆かわしいし、恥ずかしい。環境と条件が人に完璧な自由を与えると途方もないことが起きるには北朝鮮の金王朝に限らない。その中心に立つ人が決して自由ではなく、不幸な自閉と猜疑に苦しむのも、歴史のどこにでも起こり得た話かもしれない。
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今日は、第四章だけを抜粋しました。山中湖校外学習の騒ぎは私は、知りませんでした、聞いていたとしても忘れるくらいな小さな扱いだったのか、それさえ記憶にありません。日本のメディアは、たしかにおかしな状態です。無国籍集団がこの日本に充満しています。