歩かない旅人

牛乳を毎日飲む人よりも、牛乳を毎日配達している人の方が健康である。

 歌は心を揺り動かす、教育の原点。

2014-03-23 12:37:27 | うんちく・小ネタ
 



 

もう卒業式は、とっくに終わっている学校が多いと思いますが、産経新聞、「正論」欄に、卒業式で唄われる、「仰げば尊し」のことについての考察が書かれていました。当然どんな歌か知っていますし、歌う事も出来ますが、私は卒業式でこの歌を一度も歌ったことがありません。

 

 しかしイメージとしては卒業式に歌われる歌は、「蛍の光」を在校生が歌い、卒業生が、「仰げば尊し」を歌うのが、どうも一番しっくりする感じが染みついたのはなんででしょう。そこで先ず最初に、この「仰げば尊し」の歌詞から見ていきたいと思います。

 

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 1. 仰げば 尊し 我が師の恩

 

 教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)

 

 思えば いと疾(と)し この年月(としつき)

 

 今こそ 別れめ いざさらば

 

2. 互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩

 

 別(わか)るる後(のち)にも やよ 忘るな

 

身を立て 名をあげ やよ 励めよ

 

今こそ 別れめ いざさらば

 

3. 朝夕 馴(な)れにし 学びの窓

 

 蛍の灯火(ともしび) 積む白雪(しらゆき)

 

 忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月

 

 今こそ 別れめ いざさらば

 

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 なんという格調高い文語体の歌詞でしょう。しかも誰が書いたか、分からないと言うのも凄いです。明治の文部省の役人の国語力の素晴らしさと、名前など出さない職人気質に日本人の奥ゆかしさを感じます。あの有名な[故郷」とか「朧月夜」、「もみじ」、「春が来た」、「春の小川」などもただ文部省唱歌として扱われ、作詞作曲者は、名乗りもしませんでした。

 

 これらの歌の作詞者は長野県出身の文部省役人、高野辰之氏だと戦後、発表され知れ渡りましたが、明治の気骨のある人柄がしのばれ、改めて感動します。スキャンダルでもなんでも名前が売れればいいと言う現今の風潮と比べると、その大きな隔たりに、明治人の、日本という国柄と骨格が浮かび上がってきます。

 

 それでは、産経新聞の「正論」から3月21日分の、新保裕司教授の、寄稿された、論文を丸写しで載せます。

 

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( 産経新聞 平成26年 3月 21日付 )

 

正  論

 

  【 明治の心で蘇った 「仰げば尊し」 】

 

 文芸批評家 都留文科大学教授   新保 裕司

 

 2月に「仰げば尊しのすべて」と題名されたとても興味深いCDが発売になった。これまで出た、「すべてシリーズ」の「軍艦マーチのすべて」、「君が代のすべて」、「海ゆかばのすべて」、「蛍の光のすべて」も、これらの名曲を新鮮な視点から再興させる好企画であったが、今回の、「仰げば尊しのすべて」も卒業式の歌として明治以降、日本人の心に沁み込んだ名曲の様々な録音を収録している。中でもやはり木下恵介監督の『二十四の瞳』の劇中歌がいい。

 

 [ 原曲は米国の 「超無名曲」 ]

 

 「仰げば尊しのすべて」という企画が生まれたのは、これまで小学唱歌のなかで最大の謎とされてきた、「仰げば尊し」の原曲が判明したことによってであった。平成23年1月に桜井雅人・一橋大学名誉教授によって、原曲が、『ソング・エコー』という1871年にアメリカで出版された歌集に載っていたことが発見されたのである。

 

 「すべてシリーズ」の企画のいい所は、詳細な解説資料が付いていることだが、「仰げば尊し」のCDにも、桜井氏をはじめとする研究者の方々の大変為になる解説が入っている。それによれば、アメリカの原曲も、「ソング・フォア・クローズ・オブ・スクール」で、卒業式のための歌であった。

 

 しかしこの原曲は、1871年6月にニューハンプシャー州の学校の卒業式で歌われたとの記録が残っているが、それ以降のことはわからないとのことである。このCDには、アメリカで歌われた原曲を、テキサス大学エルパソ校大学合唱団によって再現された演奏の録音も入っているが、この合唱団の面々も初めて歌ったのであろう。

 

 「本国では超無名曲であったことがはっきりして居る様である」と桜井氏は書いているが、このような歴史の中に一瞬出現したような、「超無名曲」が十数年後の明治17年に公刊された、『小学唱歌第三篇』に日本語の歌詞を付けられた、「仰げば尊し」として登場するのである。

 

 そして翌年の上野公園内の文部省館で行われた音楽取調所の第一回卒業演奏会で歌われた。和楽器も使った当時の演奏を再現したものもCDに収録されているが、この卒業演奏会を機に卒業式の定番となっていったわけである。

 

 [ 「選曲眼」 の鋭さと国語力 ]

 

 それにしても、今日では忘れられたような歌集に載っていた曲を当時見つけたのは、明治人の誰であったのか。なぜ、この曲が持つ秘められた音楽性を感受できたのか。桜井氏は、その文章を結んで、この曲を、「見出した選曲眼の持ち主は誰であったか、原曲が発見されると、さらにミステリーが広がってくる」と書いている。

 

 この「選曲眼」の鋭さこそ、「明治の精神」の深さの一面であろう。そして、明治人の国語力がいかんなく発揮された歌詞が付けられることによって、この原曲は、日本の名曲に変容したのである。

 

 解説書に入っている皇学館高校教諭の田中克己氏の文集も興味深い。氏は戦後になってから、「仰げば尊し」がどのように扱われてきたかについて、音楽教科書や卒業式の観点から論じている。卒業式には、現在では全国的にみると小学校では、11・1%、中学校では、25・4%しか歌われていない。

 

 音楽教科書には、掲載率は100%に近いのだが、本来三番まである唱歌なのに[互いに睦し]から始まる二番の歌詞が削除されている教科書が、昭和50年代から加速度的に増え、最近では100%に近い。

 

 [ 「やよ」 という響きの意味 ]

 

 2番の歌詞、「互いに睦し 日ごろの恩/別るる後にも やよ 忘るな/身を立て 名をあげ やよ 励めよ/今こそ 別れめ いざさらば」 が削除されている理由について、氏は各発行者から、「立身出世と解釈できる場合があり時勢にそぐわないとのご意見が教育現場を中心に数多く寄せられた」といった回答を得た。

 

 戦後の、「時勢」とは、こういうものであろう。しかしこういう、「ご意見」はもうそろそろ、「数多く」はなくなってきているのではあるまいか。

 

 私が、「仰げば尊し」の中で、一番心打たれるのは、実はこの削除されている2番なのである。それも、「やよ」のところである.この、「やよ」、という歌声の響きの意味が分からなければ、「仰げば尊し」の真価も分からないであろう。

 

 福田恆存は日露戦争の戦跡、旅順を訪ねたときの回想を書いている文章の中で、斉藤茂吉の歌、「あが母の 吾を生ましけむ うらわかき かなしき力 おもわざらめや」 をあげ、それについての、芥川龍之介の、「菲才なる僕も 時々は僕を生んだ 母の力を、・・・・近代の日本の、『うらわかき かなしき力』を感じている」という文章を引用している。

 

 「仰げば尊し」の、「身を立て 名をあげ やよ 励めよ」 は、表面的な、「立身出世」 の掛け声ではない。「やよ」は、明治の日本の、「うらわかき かなしき力」からの声なのである。近代日本の、「うらわかき かなしき力」 の歴史を思い出すためにも、また改正教育基本法にある我が国の文化と伝統の尊重のためにも、この唱歌は歌い継がれなければならないほどであろう。

 

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 それにしても、改めて明治の精神、選曲眼と国語力には、頭が下がるばかりです。文語体の美しさは読み込んでリズム感を体で吸収するところにあるでしょう。しかし明治の国語力は驚嘆に値する、信じられない精度を持った文体だと感心します。唱歌の歌詞にもそれはいかんなく発揮され、故郷にしても、これが口語体なら、これほどの格調を生むことは無理でしょう。

 

 たとえば、ある年齢から上は必ず知っている歌も。歌の文句がスラスラすぐ出てくるのは、文語体で書かれた歌詞だからです。それは明治の国語力の底力ではないでしょうか。ここの々高野辰之氏の有名な唱歌の二つの歌詞を並べてみます。

 

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 [ 朧月夜 ]

 

 菜の花畠(ばたけ)に、入り日薄れ

 

見わたす山の端()、霞(かすみ)ふかし

 

春風そよふく、空を見れば

 

夕月(ゆうづき)かかりて、におい淡(あわ)

 

 

 

里わの火影(ほかげ)も、森の色も

 

田中の小路(こみち)を、たどる人も

 

(かわず)のなくねも、かねの音も

 

 さながら霞(かす)める、朧(おぼろ)月夜

 

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 [ もみじ ]

 

  1. 秋の夕日に 照る山紅葉(もみじ)

 

 濃いも薄いも 数ある中に

 

松をいろどる 楓や蔦は

 

山のふもとの 裾模様

 

2. 渓(たに)の流れに 散り浮く紅葉

 

 波に揺られて 離れて寄って

 

赤や黄色の 色さまざまに

 

水の上にも 織る錦

 

 

 



とぼけた川柳山藤流。

2011-02-21 21:44:33 | うんちく・小ネタ
 チュニジア、エジプトに続いて中近東に火が点きました。今日の新聞によるとあのリビアがとうとう沸騰しました。カダフィ大佐と言う暴れん坊の厄介な国だとされた独裁国で300人以上の死者が出た模様です。リビアだけではなく、イラン、バーレーン、等広がる一方です。
 チャイナも、13都市で政治運動活動家が100人以上連行されたと言います。チャイナの13都市で集会の呼びかけがネットによって呼びかけられ、いち早く取り締まられたという事ですがこのような種類の集会は初めてだという事です
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 ここから図書館で借りてきた山藤章二氏による『ぼけせん町内会』の町内会長による、厳選された週刊誌に連載された川柳の数々がとてつもなく面白いのが多いので、幾つか書き残しておきたいと思います。
 時代はかなり古く、1995年~2004年ですがその時代背景は大体分かりますし、懐かしい限りです、何時まで経っても人間は変わらぬものだと思いますし。川柳は俳句より難しい、なかなか作る事は出来ませんが此処に納められた川柳は思わず唸ってしまうものが多々あります。
●、あれ以来 自分をほめる バカがふえ。
●、おにぎりの セロファンまでが 馬鹿にする
●、あのセンセイ 当選しても タダの人
●、何はとも 眉毛の手入れ 指示は後。(村山 富市首相の阪神大地震の時の様子)
●、行政より 〇〇組に 救われし。
●、塩で揉む 美容で美女の 一夜漬け。
●、しゃらしゃらと 脱ぐ娘は嬉し 又哀し。
●、人は皆 自分の事は 棚に上げ。
●、新進党 裏にしみ出る 信濃町
●、ボケ初め 妻知る子知る 我知らず。
●、われ鍋が とじ蓋つれて バスツアー。
●、ニュースみて 馬鹿ばっかりと ひとり酒。
●、カルトだと 気付かぬとっても いい頭。
●、多機能を 単細胞が もてあまし。
●、水玉に 眉毛にポマード 次は何?。(途中に「ET」、「マフラー」もっと前に「三本指」。)
●、同級会 私は恩師では ありません。
●、そのうちに 貴女の顔も 流行ります。
●、二十坪 建設中は 邸なり。
●、知らなけりゃ 済むことばかり 知らされる。
●、涙三つ こぼしてゲスト 約終わり。
●、ワイドショー だけのスターが 多すぎる。
●、テレビアナ 思い上がって 政治評。
●、第三の 性がテレビで 司会する。
●、新聞は ウソもホントに 言いくるめ。
●、さァ行こう 我が人生の 並みの道
●、恩知らず ばかりが騒ぐ 謝恩会。
●、酔いざめの 水で気付いた 馬鹿な俺。
●、政治屋を 選んだ俺の 方が馬鹿
●、清濁の 清だけ呑んで 出世せず。
●、ポリシーと 言うが単なる 頑固者。
●、頭下げ 謝っているのが 社長です。
●、オバタリアン 山は動いて ドコイッタ。
●、ころり死を 今日も願いつ 薬のみ。
●、この歳で じたばたしても しょうがない。
●、飼い主も 九官鳥も 栃木弁。
●、水戸泉 済むと呼び出し 塩を足し。
●、信念も 政策もなく タスキかけ。
●、おおかたは 東大なくせば うまくいく。
●、一点の 隙もないけど 似合わない。
●、おかげさま 今日も達者で カネがない。
●、じっと待て 死んでしまえば 天国だ。
●、体力が なくて使えぬ 健康器。
●、才媛は 離婚凡女は 子沢山。
●、煙。草吸う 娘に一家 養われ。
●、ヌード写真 出すバカ買うバカ さわぐバカ
●、反抗期に 反抗している 素直な子。
●、あのヤロー 電話帳では 生きている。
●、楽隠居 ひきずり出して 金庫番。(首相小渕、大蔵大臣宮沢時代)
●、冷めたピザ 冷めた庶民と いい勝負。
●、最近は 誰が偉いの 自民党。
●、正月も 普通の休みに なっていく
●、一郎は まず軒下に 陣を取り。
●、ヒゲのある 部下へホステス 先に注ぎ。
●、年増だし 脱がせてみれば 男だし。
●、逃げてった 不審船に コメ送る。
●、カタカナで 呼ぼうと所詮は 隣組(コミュニティ)
●、成せば成る だけど成らない ことばかり。
●、ガキ来れば 金がいるなり 盆法事。
●、観光地 おばさん居なきゃ いい景色。
●、人類の 滅亡の前に 滅ぶ神(面倒見切れない)。
●、いつのまにか ヘソで風切る 女ども。
●、燃えるゴミが 燃えないゴミを 出しに行く。
●、百歳の 臓器は誰も 貰わない。
●、テレビ局 互いのアラで 飯を食い。
●、何祝う 日か知らないが 今日休み。
●、知らぬ街 きたが知ってる 店ばかり。
●、ブルースも 演歌もブギも みんな逝き。
●、食べるもの 何でも薬 みのもんた。
●、殺人鬼 罪を犯せば 精神病。
●、最後には 加害者だけが 残る国。
●、魔女が美女に なってバレーは 弱くなり
●、金メダル 取る女には 胸がない。
●、札束が 投げたり打ったり 走ったり(巨人)
●、馬鹿下品 出しゃばりゲテ物 恥知らず。
●、名物は 月と仏と おらが知事(田中康夫)
●、日本中 総理がいないと ホっとする
●、重石に 使ってみたい 森総理。
●、自然保護 森とブッシュは 守られた。
●、ホステスの 名前がずらり 幼稚園。
●、八百長で 暮らすも技や 相撲訓。
●、野党さん 与党になれば 同じだよ。
●、過疎のバス 降りるじいさん 乗る婆さん。
●、漢方薬 どれが効いたか わからない。
●、国民は 馬鹿だと書けぬ 新聞社。
●、飽食で 旅行ブームで 不況です。
●、自民党 壊した人が 総裁に。
●、野党まで 小泉人気に お相伴。
●、変人に ついてゆきます ジャジャ馬も。
●、上流と 中流あとは ホームレス。
●、官僚も ヒステリー性には うろたえる。
●、良かったな あんな女が 妻でなく。
●、段々と 何でも有りに なって来た。
●、新世紀 なのにニュースは 世紀末。
●、テロだけで 人生を終える 奴もいる。
●、今に見ろ 日本も売りに 出されるぞ。
●、不審船 逃すな殺すな 撃たれるな。
●、飢えている 国にメロンを 積んだ船。****************************************
 きりがないので、この辺にしておきます、笑ってしまいますが今の時代と殆ど変りません。人間はあんまり急激に進歩はしない物だと、付くずく思います。しかし川柳は素晴らしい日本の文化だと改めて思います。
 フジテレビの『ぺけポン』も好調みたいだし、面白い企画です。川柳の力とも言えます。


うたまね、もの真似は、時代を超えられない

2010-01-05 12:23:01 | うんちく・小ネタ

 絵文字を増やした。ゆっくり歩くのだけ載せた。 今日は素晴らしい冬晴れだ、チョコチョコ近所を歩きたい気分だ。

テレビの番組表を見ていたら、恒例物まね番組が、8チャンネル午後7時から始まる。何時からこの手の番組を見なくなったのだろう、最後は物まね4天王のじだいだとおもう。

コロッケ、清水、栗貫、グッチ、が一時テレビの視聴率に貢献したが、何時の間にそれぞれ別な方向へ鞍替えして今生き残って居るのは、コロッケ位だろう。

大勝15年、古川ロッパが、今迄あった声色を彼自身が作った声帯模写として、一世を風靡した。当時の録音を聞いた事が有るが、歌舞伎役者の物まねである。誰の真似をして其れが良く似ているのを観客は良く解ったのである。

私が今迄一番感心したのは、片岡鶴太郎の物真似で有る。小森和子、浦辺粂子、淡谷のり子等の真似をして笑わせたが、その真骨頂は直接その本人に向かってその人の物真似で電話をかけると云う、芸人としての魂を爆発させた。特に面白かったのは浦辺粂子とのやりとりで、二人とも大真面目で会話し浦辺粂子を激怒させた事である。

現在の物真似はちっとも面白くない。と云っても向こうの責任ではない、何しろ似て居るのか、似て居ないのか物まねされている本人を全く知らないのだから、上手いか下手だか、見当がつかない。

それに近頃の歌は詰らない、何を言ってるのかまるで解らない、言葉が生きて居ない只埋めているだけだ。昔は歌詞と云わずに文句と言った泣かせる文句が多かった。歌手に個性が有った。

今は歌手も曲も詰らない、時代に取り残されたのか、そう言えば浪曲の物真似は絶滅した。解る人が居なくなったからだ。そして今は技術より笑いを取るセンスが要求される時代に成った。

そのせいだろう、コロッケ、栗貫、清水、グッチ、等出るが、主力はお笑い芸人だ。しかし自分のギャグ以外の所での勝負は結構きつい。