クラブCoCoフラ「バリバリの浜辺」
もう卒業式は、とっくに終わっている学校が多いと思いますが、産経新聞、「正論」欄に、卒業式で唄われる、「仰げば尊し」のことについての考察が書かれていました。当然どんな歌か知っていますし、歌う事も出来ますが、私は卒業式でこの歌を一度も歌ったことがありません。
しかしイメージとしては卒業式に歌われる歌は、「蛍の光」を在校生が歌い、卒業生が、「仰げば尊し」を歌うのが、どうも一番しっくりする感じが染みついたのはなんででしょう。そこで先ず最初に、この「仰げば尊し」の歌詞から見ていきたいと思います。
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1. 仰げば 尊し 我が師の恩
教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
今こそ 別れめ いざさらば
2. 互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
別(わか)るる後(のち)にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば
3. 朝夕 馴(な)れにし 学びの窓
蛍の灯火(ともしび) 積む白雪(しらゆき)
忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば
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なんという格調高い文語体の歌詞でしょう。しかも誰が書いたか、分からないと言うのも凄いです。明治の文部省の役人の国語力の素晴らしさと、名前など出さない職人気質に日本人の奥ゆかしさを感じます。あの有名な[故郷」とか「朧月夜」、「もみじ」、「春が来た」、「春の小川」などもただ文部省唱歌として扱われ、作詞作曲者は、名乗りもしませんでした。
これらの歌の作詞者は長野県出身の文部省役人、高野辰之氏だと戦後、発表され知れ渡りましたが、明治の気骨のある人柄がしのばれ、改めて感動します。スキャンダルでもなんでも名前が売れればいいと言う現今の風潮と比べると、その大きな隔たりに、明治人の、日本という国柄と骨格が浮かび上がってきます。
それでは、産経新聞の「正論」から3月21日分の、新保裕司教授の、寄稿された、論文を丸写しで載せます。
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( 産経新聞 平成26年 3月 21日付 )
正 論
【 明治の心で蘇った 「仰げば尊し」 】
文芸批評家 都留文科大学教授 新保 裕司
2月に「仰げば尊しのすべて」と題名されたとても興味深いCDが発売になった。これまで出た、「すべてシリーズ」の「軍艦マーチのすべて」、「君が代のすべて」、「海ゆかばのすべて」、「蛍の光のすべて」も、これらの名曲を新鮮な視点から再興させる好企画であったが、今回の、「仰げば尊しのすべて」も卒業式の歌として明治以降、日本人の心に沁み込んだ名曲の様々な録音を収録している。中でもやはり木下恵介監督の『二十四の瞳』の劇中歌がいい。
[ 原曲は米国の 「超無名曲」 ]
「仰げば尊しのすべて」という企画が生まれたのは、これまで小学唱歌のなかで最大の謎とされてきた、「仰げば尊し」の原曲が判明したことによってであった。平成23年1月に桜井雅人・一橋大学名誉教授によって、原曲が、『ソング・エコー』という1871年にアメリカで出版された歌集に載っていたことが発見されたのである。
「すべてシリーズ」の企画のいい所は、詳細な解説資料が付いていることだが、「仰げば尊し」のCDにも、桜井氏をはじめとする研究者の方々の大変為になる解説が入っている。それによれば、アメリカの原曲も、「ソング・フォア・クローズ・オブ・スクール」で、卒業式のための歌であった。
しかしこの原曲は、1871年6月にニューハンプシャー州の学校の卒業式で歌われたとの記録が残っているが、それ以降のことはわからないとのことである。このCDには、アメリカで歌われた原曲を、テキサス大学エルパソ校大学合唱団によって再現された演奏の録音も入っているが、この合唱団の面々も初めて歌ったのであろう。
「本国では超無名曲であったことがはっきりして居る様である」と桜井氏は書いているが、このような歴史の中に一瞬出現したような、「超無名曲」が十数年後の明治17年に公刊された、『小学唱歌第三篇』に日本語の歌詞を付けられた、「仰げば尊し」として登場するのである。
そして翌年の上野公園内の文部省館で行われた音楽取調所の第一回卒業演奏会で歌われた。和楽器も使った当時の演奏を再現したものもCDに収録されているが、この卒業演奏会を機に卒業式の定番となっていったわけである。
[ 「選曲眼」 の鋭さと国語力 ]
それにしても、今日では忘れられたような歌集に載っていた曲を当時見つけたのは、明治人の誰であったのか。なぜ、この曲が持つ秘められた音楽性を感受できたのか。桜井氏は、その文章を結んで、この曲を、「見出した選曲眼の持ち主は誰であったか、原曲が発見されると、さらにミステリーが広がってくる」と書いている。
この「選曲眼」の鋭さこそ、「明治の精神」の深さの一面であろう。そして、明治人の国語力がいかんなく発揮された歌詞が付けられることによって、この原曲は、日本の名曲に変容したのである。
解説書に入っている皇学館高校教諭の田中克己氏の文集も興味深い。氏は戦後になってから、「仰げば尊し」がどのように扱われてきたかについて、音楽教科書や卒業式の観点から論じている。卒業式には、現在では全国的にみると小学校では、11・1%、中学校では、25・4%しか歌われていない。
音楽教科書には、掲載率は100%に近いのだが、本来三番まである唱歌なのに[互いに睦し]から始まる二番の歌詞が削除されている教科書が、昭和50年代から加速度的に増え、最近では100%に近い。
[ 「やよ」 という響きの意味 ]
2番の歌詞、「互いに睦し 日ごろの恩/別るる後にも やよ 忘るな/身を立て 名をあげ やよ 励めよ/今こそ 別れめ いざさらば」 が削除されている理由について、氏は各発行者から、「立身出世と解釈できる場合があり時勢にそぐわないとのご意見が教育現場を中心に数多く寄せられた」といった回答を得た。
戦後の、「時勢」とは、こういうものであろう。しかしこういう、「ご意見」はもうそろそろ、「数多く」はなくなってきているのではあるまいか。
私が、「仰げば尊し」の中で、一番心打たれるのは、実はこの削除されている2番なのである。それも、「やよ」のところである.この、「やよ」、という歌声の響きの意味が分からなければ、「仰げば尊し」の真価も分からないであろう。
福田恆存は日露戦争の戦跡、旅順を訪ねたときの回想を書いている文章の中で、斉藤茂吉の歌、「あが母の 吾を生ましけむ うらわかき かなしき力 おもわざらめや」 をあげ、それについての、芥川龍之介の、「菲才なる僕も 時々は僕を生んだ 母の力を、・・・・近代の日本の、『うらわかき かなしき力』を感じている」という文章を引用している。
「仰げば尊し」の、「身を立て 名をあげ やよ 励めよ」 は、表面的な、「立身出世」 の掛け声ではない。「やよ」は、明治の日本の、「うらわかき かなしき力」からの声なのである。近代日本の、「うらわかき かなしき力」 の歴史を思い出すためにも、また改正教育基本法にある我が国の文化と伝統の尊重のためにも、この唱歌は歌い継がれなければならないほどであろう。
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それにしても、改めて明治の精神、選曲眼と国語力には、頭が下がるばかりです。文語体の美しさは読み込んでリズム感を体で吸収するところにあるでしょう。しかし明治の国語力は驚嘆に値する、信じられない精度を持った文体だと感心します。唱歌の歌詞にもそれはいかんなく発揮され、故郷にしても、これが口語体なら、これほどの格調を生むことは無理でしょう。
たとえば、ある年齢から上は必ず知っている歌も。歌の文句がスラスラすぐ出てくるのは、文語体で書かれた歌詞だからです。それは明治の国語力の底力ではないでしょうか。ここの々高野辰之氏の有名な唱歌の二つの歌詞を並べてみます。
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[ 朧月夜 ]
菜の花畠(ばたけ)に、入り日薄れ
見わたす山の端(は)、霞(かすみ)ふかし
春風そよふく、空を見れば
夕月(ゆうづき)かかりて、におい淡(あわ)し
里わの火影(ほかげ)も、森の色も
田中の小路(こみち)を、たどる人も
蛙(かわず)のなくねも、かねの音も
さながら霞(かす)める、朧(おぼろ)月夜
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[ もみじ ]
1. 秋の夕日に 照る山紅葉(もみじ)
濃いも薄いも 数ある中に
松をいろどる 楓や蔦は
山のふもとの 裾模様
2. 渓(たに)の流れに 散り浮く紅葉
波に揺られて 離れて寄って
赤や黄色の 色さまざまに
水の上にも 織る錦
絵文字を増やした。ゆっくり歩くのだけ載せた。 今日は素晴らしい冬晴れだ、チョコチョコ近所を歩きたい気分だ。
テレビの番組表を見ていたら、恒例物まね番組が、8チャンネル午後7時から始まる。何時からこの手の番組を見なくなったのだろう、最後は物まね4天王のじだいだとおもう。
コロッケ、清水、栗貫、グッチ、が一時テレビの視聴率に貢献したが、何時の間にそれぞれ別な方向へ鞍替えして今生き残って居るのは、コロッケ位だろう。
大勝15年、古川ロッパが、今迄あった声色を彼自身が作った声帯模写として、一世を風靡した。当時の録音を聞いた事が有るが、歌舞伎役者の物まねである。誰の真似をして其れが良く似ているのを観客は良く解ったのである。
私が今迄一番感心したのは、片岡鶴太郎の物真似で有る。小森和子、浦辺粂子、淡谷のり子等の真似をして笑わせたが、その真骨頂は直接その本人に向かってその人の物真似で電話をかけると云う、芸人としての魂を爆発させた。特に面白かったのは浦辺粂子とのやりとりで、二人とも大真面目で会話し浦辺粂子を激怒させた事である。
現在の物真似はちっとも面白くない。と云っても向こうの責任ではない、何しろ似て居るのか、似て居ないのか物まねされている本人を全く知らないのだから、上手いか下手だか、見当がつかない。
それに近頃の歌は詰らない、何を言ってるのかまるで解らない、言葉が生きて居ない只埋めているだけだ。昔は歌詞と云わずに文句と言った泣かせる文句が多かった。歌手に個性が有った。
今は歌手も曲も詰らない、時代に取り残されたのか、そう言えば浪曲の物真似は絶滅した。解る人が居なくなったからだ。そして今は技術より笑いを取るセンスが要求される時代に成った。
そのせいだろう、コロッケ、栗貫、清水、グッチ、等出るが、主力はお笑い芸人だ。しかし自分のギャグ以外の所での勝負は結構きつい。