日本はどちらかというとチャイナよりアメリカ側の考え方にシンパシーを感じてしまうのは、話が通じ合える相手だと、比べるとそう思ってしまうからでしょう。
多くの民族を飲み込んで、アメリカという国が存在しますが、その立脚点は、アメリカ独立のキリスト教ピューリタンの精神が、どこか武士道に通じたところがあったと思うのです。
独立以後。一攫千金を求めてアメリカの乗り込んできたゴロツキみたいな白人集団もいましたが、アメリカの中核には、このアメリカンスピリットが存在していたことは間違いありません。
しかしながら、日本ほど文明的に遅れ、人種差別が当然の世界観の中で、日本に対しての認識は、ごく最近やっと分かり始め出したかも知れません。
今日は産経新聞から、『正論』を取り上げてみました。やはり今の世界では、日本と価値観が最も近いのはアメリカになってしまうのではないかと思うからです。
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【正論】 2015年 3月 31日付
様々な物語紡ぐアメリカの強さ
慶応大学教授・阿川尚之
対立の傷を残した南北戦争
このところ戦後70年についての議論が盛んだが、2015年はアメリカでも節目の年である。世界大戦から70年だけでなく、南北戦争終結から150年にあたる。
1865年4月9日、バージニア南部の小さな町で、力尽きた南軍の総司令官リーが北軍総司令官グラントに降伏する。その直後リー将軍は、「Too bad! Too bad! Oh,too bad!」と3回つぶやいたという。
この戦争では60万人以上の兵士が命を失った。傷痕は大きく、南北間のわだかまりは深かった。南軍降伏の前、リンカーン大統領は2期目の就任演説で、早く戦いを終え傷を癒やそうと呼びかける。
「何人にも悪意を抱かず、すべての人に善意をもって、神の正義を固く信じつつ、この仕事(戦争)をやりとげよう。国民の負った傷を手当てし、戦場で戦った兵士、残された妻や子の面倒を見よう。永続する平和を国の内外で実現するために、できるかぎりのことをしよう」
この演説の1年4カ月前にも、リンカーンは激戦地であったゲティスバーグで、戦争の意味を問うた。彼は言う。兵士たちは無意味に命を落としたのではない。
「勇者の死をむなしくしてはならない。彼らがやり残した仕事を受け継ぎ、この国の自由に新しいいのちを与え、人々の、人々による、人々のための統治を守ろう」
リンカーンはどちらの演説でも味方と敵を区別しない。戦争の責任が誰にあるかも問わない。累々たる死をもたらした現実を厳粛に受け止めつつ、過去を振り返り、同時に自由と平等を旨とする建国以来の理想を未来に投射した。
残念ながらリンカーン大統領はリー将軍降伏からわずか5日後、凶弾に倒れる。彼の残した言葉もむなしく、戦争が終わっても南北の対立は消えず傷は癒えなかった。奴隷解放は実現したが、南部の人々は北部の押しつけによる改革を嫌い、黒人差別が続いた。
尾を引く黒人少年射殺事件
2月半ば、私は寒いアメリカ北東部を訪れた。昨年夏ミズーリ州ファーガソン市で黒人少年が警官に射殺された事件が、まだ尾を引いていた。
少年を射殺した警察官は刑事責任を問われず、黒人グループはこれに抗議してデモを繰り返す。全米各地で警察と黒人間の緊張が高まり、ニューヨークではパトロール中の警察官2人が射殺された。ファーガソンでも最近警官2人が撃たれ、負傷した。
緊張の背景には人種差別に関する長い歴史がある。白人社会は差別の過去とまだ十分向き合っておらず平等が実現していない。黒人の多くはそう感じる。これも容易に消えない歴史認識問題である。
同じ頃イスラム国は、捕虜のアメリカ人ケイラ・ミューラーがヨルダン空軍機の爆撃で死んだと発表した。シリアで人道支援活動に携わっていたこの女性は、イスラム国に囚(とら)われ命を落とした4人目の米国人である。
翌日オバマ大統領はイスラム国に対する武力行使権限を議会へ求めた。数日後、就任したカーター新国防長官は最初の声明で、
「アメリカは荒々しく危険な世界と直面している」と述べる。アメリカは再び海外で本格的に戦うべきか、議論が続く。
滞在中、南部アラバマ州の裁判所が同性婚の登録を拒否したという事件も、大きく報じられた。同性婚の扱いは州により異なるが、
連邦憲法上の権利として一律に許すべきだと主張する訴訟当事者の上告申請を、1月に連邦最高裁が受理した。6月末には判決が下される。これもまた平等の定義と範囲の問題である。新旧の価値観が正面からぶつかっている。
辛苦重ねて歴史を刻む人々
いろいろ問題はあるものの、この冬、アメリカの人々は黙々と寒さに耐え働いていた。ワシントンで出会ったタクシーのドライバーはエチオピア人。
70年代半ばに同国で帝政が廃止されたあとアメリカへ移り住み、勤勉に働き続けた彼らの存在感は着実に増している。医療、教育など専門職につく者も多い。
第二次大戦後、キューバ、ハンガリー、ベトナムなどの人々が、動乱や革命を逃れてアメリカへ渡り、辛苦を重ねて地歩を築いた。さらに後から到着した人々が、この国に活力を与え、新しいアメリカ人として歴史を刻んでいる。
英語で歴史を表す History という言葉は、物語を意味する Storyと語源を共にするという。もし歴史が過去についての物語だとすれば、物語は無数にある。
事実の比較検証は大事だが、どこかの国と違い、われわれには異なる物語を綴(つづ)る自由がある。
言葉は発すれば摩擦を生み、理想はなかなか実現しない。しかし矛盾や対立を抱えるからこそ、先人の功績と過去の苦渋を忘れず、この国を続けよう。リンカーンはそう述べたのかもしれない。
日本と同様、過去を引きずりながらもアメリカは、言語も文化も異なる人々を新たに国民として受け入れ、その一人一人が未来へ向かって物語を紡ぎ続ける。アメリカの強さはそこにある。(あがわ なおゆき)
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安倍首相がアメリカの上院・下院合同の場で、演説をするという。日本で初めての試みが行われます。歴史的に言っても画期的なことで、これが歴史の分岐点の一つだという人もいます。
日本にとっても、敗戦後の日本の体制を、ここで一挙に覆すチャンスとなるかもしれません。アメリカに阿ることなく、真に日本の立場を毅然と語れば、日本の立場は一挙に変わる可能性もあります。
それが怖くて、特亜三国や。反日日本のメディアは盛んに安倍首相を牽制し、圧力をかけていますが、一体どこの国のメディアなのか疑います。
安倍首相の政権公約は、戦後体制の刷新であり、日本の真の独立なのです。日本の誇りを再び取り戻す、そういう国にもう成っているのですから。後は、それを言葉ではっきりと世界に向けて発信するだけです。