歩かない旅人

牛乳を毎日飲む人よりも、牛乳を毎日配達している人の方が健康である。

浪速のみのもんた、宮根誠司は大ヒット

2009-06-30 14:50:44 | テレビ番組

 お笑い専門みたいな、最近のテレビ局で、何か物足りなさを感じていたが、

日本テレビは久々の快挙だ。昭和の鉄人、山本夏彦翁がよく書いていたが、世の中の事は

笑うよりほかない。とは、実に名言である。それを地で行ってるのが「ミヤネ屋」、だ。

オチャラケて、いるようで、結構シビアだし、トボケテいるようで、かなり核心をついている。

 ワイドショーも過度期の今、新しい風のような、いや関東の人間にはそう写るパーソナリティだ

関西ではかなりの有名人で,様々な悪い噂は聞こえてくるが、私にとって、それはたいした

問題ではない。だらけきった、最近のニュウス番組の中で異彩を放って光っている。

関西弁はこんなに、ニュースを語るのにぴったりだったとは、思いもよらなかった。

それくらい新鮮な感じをもった。とにかく解りやすい。ニュースに血が通ったような気がする。

 落語でいう、ふら、宮根誠司はこれを持っている。これは一種の才能で訓練しても持てる者

ではない。林家こぶ平(林家正蔵)等は、とうていむりだ。報道関係アナウンサーの中で

彼の、存在は実に貴重だ。大切に見守り育ってほしいとおもう。


選挙の投票率の低い幸せ

2009-06-28 15:24:32 | 国際・政治

 いつもいつも、選挙のたびに、メディアは投票率が低い、低すぎる、と嘆いて見せる。

この間の、船橋市の市長選挙の、投票率は40%に満たなかった。

 我々、日本人は選挙権など最初からいらなかったのだろうか? 行っても行かなくてもどっちでもいいと考えているのだろうか。選挙で何かが変わるということなんかない。

 今のところ、その通りかも知れない。何故か、役人がしっかりしているからだ。なんだかんだと、言っても、今の日本ぐらい住みやすい国がこの世界にあるだろうか。それなのに、何かと難癖を、付けて政府や役人をたたく、メディアや、一部の進歩的文化人。私はそれらを、大変屋、とよぶことにした。大変だ、大変だと騒ぐのが商売なのである。商売だから騒ぐ。

 しかし、敗戦以後60年世界のなかでも最貧国とも言われたこの日本。投票率が低くても

政治家の信頼感がまるでなくても、いや、少しはあるが、この日本は、国民にとって信用されて居るのだ。誰が住みにくい国に密入国するひとがいるだろうか。

 選挙に行っても行かなくても今のところ、任せておけば大丈夫だと信用しているのだ。

 言いたい人はどんどん選挙に行けばよい。私自身は棄権したことはないが大まかなところ今のところ、日本人の政治家と役人には九割の、信頼をよせている。

 それが、投票率の低下の原因だと思う。選挙に関心の無い人もごく一部にはいるかも知らないが、何と言っても、大部分の人々は、心のなかではこの日本を信頼しているのだ。


NHKの体質は変わらない

2009-06-25 19:17:23 | テレビ番組

NHKのニユース番組で今日自分達が一部の人たちに訴えられた。

それをニュースでしゃべった。それはそれで、いいが、謝ってはいない。

NHKが偏向報道をしているのは、今や常識である。今問題になっているのは、

NHKスペシャル、ジャパンデビューの第一回「アジアの一等国」という番組について

日本そのものを、批判し辱めるため、はっきりいって,嘘の報道,ねつ造、をさも本当

の様に編集し放送したことである。この放送は今やメディアのほとんどがNHKを

批判している。私はもっと騒ぎが大きくなることを心より、期待している。

これは、メディア全体の問題だ。自分達の国をどの様に扱っているのか、

はっきりした、態度を示してもらいたい。絶対にうやむやにして、もらいたくない。


お笑い芸人は消耗品か

2009-06-23 17:42:46 | テレビ番組

かってないお笑いブームである。私に言わせるとかなり質が高い。今迄に何回も何回も巡ってきた、ブームとブームが違う。笑いのポテンシヤルがかなり違う。上質な乾いた、リズムカルなそれでいて、ドラマチックなのである。注目すべき人やコンビも大勢いる。放送作家も、優秀な鈴木おさむを筆頭に増えてきた。今やこの業界には当たるを幸いなぎ倒す、素晴らしい、エネルギーと抑えきれない、パワーを秘めているように見える。他の番組がかすんでしまうようだがどうにもならない、芸人も大勢いる。これ等の人が、足をひっぱる。一発屋といわれる連中も芸が浅い。単なる思い付きだけでこれをギャグとかモチネタとか称して飽きられていく。いやあきれ返っている。プロダクションも芸人は一種の商品である。売れるうちは、売りまくる。売れなくなったら、捨てる。当たり前のはなしだ、悪いのはどっちかと言えば、言うまでもなく芸人であり世の中の、仕組みなのだ。私は声を大にして言いたい。芸人よ捨てられたくなかったら,自分たちだけのネタ作りではもう間に合わなく、もう限界なのだと思うことだ。どんな天才でも、計り知れないことなのである。戦前、エノケンやロッパ、が浅草や有楽町でしのぎを削った、あの時代でさえも彼らは専属の作家を抱えていたのである。大阪の芸人,夢路いとし、君こいしも、ちゃんと専属作家がいた。だから最後まで面白かったのだ。今の芸人は今現在は大変恵まれている。絶頂と言っても過言ではない。一人や二人ではどうにもならない。放送作家に金を惜しむな。


テレビが誉めるいい加減なラーメン屋

2009-06-21 21:25:24 | テレビ番組

私はほとんど歩かない、情報はほとんどテレビである。しかし若い頃は歩きまわった者である.うまいといわれる店は殆ど行ったことがある。食通ぶったタレントが食ったり飲んだりする番組が、毎日のように、番組表に載っているが、出てくるタレントの知性がもろに現れる言いかえれば、恐ろしい番組なのである。味についての表現力が我々に伝わるか、表情に的確に表現できるか。「うまーい」とか「おいしーい」とか子供みたいな言葉ですましている。プロデューサーもこんなところでいいだろうと済ませている。これ等の番組がけっこう幅をきかしているのだ。人間にとって、食いものは興味のある話だが、テレビ関係者、食通,食評論家に最も取り上げられている、ラーメンの話である。ラーメンは日本そばの変に通ぶった高慢ちきな、そんな店が多いのだが、ラーメンは昔から庶民のあじ、庶民の値段、気取らない、日本人が生み出した日本を代表する、国民食なのである。それが最近おかしくなってきた。ラーメン屋に行列ができるようになったというのだ。誰が行列させたのか、言うまでもなくそれはメディアの仕業、食評論家の仕業である。ラーメンの何たるかを何にも判らない癖に。私がテレビで見る限り売れている有名な店の殆どが私に言わせれば本当のラーメン屋ではない。確かにスープや具には凝っている。店の構え、ユニフォーム、店員の態度、マニュアル、安くない値段.旨そうな雰囲気である。しかし私に言わせると、これこそがペテンなのである。安いアルバイトでも勤まるシステムなのである。素人でも何とかなるシステムだ。私は声を大にして言いたい。麺をゆでる時壷ざるを使う店は絶対に本当のラーメン屋とは言わない。どんなに派手に壷ざるを振っても、きりっとしたユニフォームでパフォーマンスしようとも、それは今時のメディア好みのお呼びでない店である。本当の麺屋とは、麺を茹でる時、平ざるを使う店、大きい鍋にぐらぐら煮立ったお湯に麺玉を10個くらい放り込み10このドンブリに均等に入れる、観ていてほれぼれする職人のしごとである。平ざるは使いこなすには、相当の修業がいる。大きい鍋にぐらぐらと泳ぎまわった麺こそラーメンのなかで光輝くのだ。そしてうますぎるラーメンはよくない。ほどほどがちょうどいい。