歩かない旅人

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  この無関心さが一番怖い。  (1)

2013-02-21 11:03:40 | 月刊雑誌。週刊雑誌を読んで
 今、2008年版の雑誌『WiLL』 6月号を読み返しています。約5年ほど前に書かれた、西尾幹二氏の血涙の御忠言が、当時大きな話題になったことは覚えていますが、いつの間にか人々の口には乗らなくなってどっか遠くに行ってしまいました。当時は私もまだブログなど縁遠いパソコンなど弄ったこともない生活でしたから、ただ読むだけでした。
 
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 私がブログを書きだしたのは、パソコンを買ってから、1か月くらいたったころで記録によると、2009年6月からですから、西尾幹二氏の長編論文は、実に読みごたえがあったのですが、書き写すまでには至りませんでした。しかしこれは残しておくべきだと今になって考え直しました、マーカーペンで雑誌は傍線で、熟読した跡がいまだに残っているのですが、それでも記憶は薄れてしまっていたのです。
 
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 そのうち第二弾として書かれた論文が、これから書き残す16ページにわたる大長編の論文です。この前は第三弾の最後の御忠言として書かれた部分の抜粋を書き起こしましたが、今日からしばらく、第二弾として書かれた、『 皇太子様への御忠言 第二弾! 』を全文連載したいと思います。
 
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 《 雑誌『WiLL』 2008年 6月号より 》
 
 [ 総力特集 小和田一家と皇室 ]
 
 【 皇太子様への御忠言 第二弾! 】  一回目
 
        評論家      西尾 幹二
 
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 ≫皇族としてのご自覚を≪
  天皇制度の意義とは何か、と前号で私は大上段に振りかぶったこの問いから初めて、いかにも分かったような答えを掲げることで書き始めたが、内心忸怩たるものがあった。天皇制の意義とは何なのか、再び問うが、よく考えれば私も十分に答え得ていない。正面からそう問われて、確信を以て答えられる人は多くはいないはずである。
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 天皇の存在は自明だから問うには及ばない、と答える人も少なくないだろう。しかし今はそこからあらためて問いたてていく時ではないのか。問われる前にすでに答えを持っているような人には問いかける必要もない。うまく答えられない人。迷っている人、それがむしろ自然であると私は思う。
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 四十代のある人が私に、「天皇制度がなくなっても、ああなくなったかと一瞬の溜息をもらすだけで終わってしまうのが今の大部分の日本人ですよ」と恐いことを言っていたが、あるいはそうかもしれない。私はその言葉を笑い飛ばしてしまうことができなかった。身も蓋もない話だが、国民のかなりの広い層に広がる冷ややかな無関心の意識は多分そこまで来ている。
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 天皇制度を擁護している知識人の論文の中にこそ、本当に信じていない人間に特有の利口な無関心が顔をのぞかせている。天皇の存在に対しては平生は無関心でいつづけていて、何かの機縁で強い関心が高まるというのが、今迄の日本社会の正常な反応であった。天皇の存在に対して異常な関心が高まる時代は総じて不幸の時代である。
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 無関心には二種類あって、強い関心を潜在させている無関心は健全であるが、根っからの無関心は死の初めである。だから根本的なことを問われて、その重さを知り、うまく答えられなくて迷うのはよいことなのである。私はそう思っている。「あなたは信仰をお持ちですか」と問われて、何の迷いもなく堂々と自己の進行を披露できる人はかえって怪しい。
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 信仰と信念とは別である。信仰はためらいがちにしか語れないものである。信仰は懐疑を伴って初めて本物になる。懐疑を深めることで信仰も深まる。皇室をめぐる日本の長い歴史はいわば長い懐疑の歴史でもあった。
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 ≫神話と歴史、信仰と科学≪
 例えば最も尊皇の念の強いはずの水戸光圀の、『大日本史』は、天皇家の根拠である神話を歴史から切り離して別扱いし、神代と人代との連続性を否定した。儒学の合理主義のせいである。新井白石も、「神とはヒトなり」と言って、さらに、『大日本史』の不徹底を指摘し、先史時代の存在を予感させるような発言をして、近代の批判史学の先駆をなした。
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 明治天皇の崩御に際し、将軍乃木希典の殉死に心を動かされた森鴎外が、『興津彌五右衛門の遺書』を書いたのはよく知られる。その鴎外でさえ、大逆事件のあった翌年、南北朝正閏問題が騒がれた頃、その天皇観は大きく揺れた。神話は歴史ではないが、あたかも歴史であるかのように信じて生きる、「かのようにの哲学」に解決策をもとめた。
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 懐疑の大元にあるのが神話と歴史、言い替えれば信仰と科学とに置き換えられるような矛盾対立とに置き換えられるような矛盾対立のテーマに根ざしているので、大正から昭和にかけてさらに問題は大きく動いた。天皇制度はもちろん政治の制度ではあるが、まず本論ではさしあたり、天皇制度の意義を事あらためて問いかける場合には、それは必ず霜政治の問題に終わらず、信仰の問題をかきたてるということ、
 政治と宗教は国家と教会とが権力を分有してきた西洋の歴史のようには、日本においては必ずしもきっかり分かれないということを確認しておくことに留めよう。(なお、いままで多用される、「天皇制」の表記は、日本共産党の造語であって、打倒をめざす罵倒語であるので、国を挙げての使用の停止を提言したい。コミンテルンの指令書に出てくる打倒すべき、「君主制」、(モナーキ)のやくごであった)。
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 ≫民衆の危惧、女系天皇≪
 わが国の国民にとって天皇の存在が重いのは、それが信仰の問題だからだということが改めてはっきり分かった事件が最近起こった。小泉元首相が取り上げ、推進しようとした、「女系天皇」容認論に対して湧き起った国民の広範囲を巻き込む騒然たる空気の高まりである。天皇家のような神聖家族にあっては、婚姻によって神聖でない血脈が不規則かつ無定見に入ることによって神聖性が薄れることは神秘の消滅をもたらし、権威の失墜を引き起こすであろう。
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 一本の樹木の幹のような男系男子を基本とした血統の継承は、いわば信仰のシンボルなのである。信仰は合理を超えているのだから、なぜ百二十五代も続いたのか説明はいらないし、説明は出来ない。小泉元首相の皇室典範改正の諮問会議で出された最も奇妙な結論の一つは、女系天皇の配偶者となる民間人男性も皇族になると言った選択であった。
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 例えば、会社社長長男〇〇氏や、衆議院議員次男△△氏が明日から皇族に列せられるようにするというのだ。となると、それは時間が経てば、〇〇王朝とか△△王朝とかに化けてしまって、天皇家はどこかへ行ってしまうことを意味する。私は、あの時次のような説明をして女系天皇に反対した。愛子天皇の配偶者が民間人である場合、そのお子様にとって祖父は二人祖母は二人いるとしても、父方の祖父母は民間人である。
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 母方の祖父が現皇太子殿下であり、祖母が雅子妃殿下である。そこでさらに進めてお子様のお子様になると曾祖父母は八人いて、現皇太子は母方の曾祖父母にすぎない。一般の家庭を考えても分かるが母方の祖父の氏姓は辛うじて知っていても、母方の祖母の実家(母方の曾祖父)の氏姓は知らない方が大多数ではあるまいか。
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 男系男子の家系図が習慣的に誰の頭にもあるからである。かくて現皇太子殿下、今上天皇、昭和天皇、大正天皇、明治天皇とさかのぼる、今なら誰もが知っている皇族の系図は、はるか遠くへ消えてしまうのである。と同時に、明治の精神とか大正教養主義とか昭和の戦争といった国民の意識に刻み込まれた歴史区分も、意味を失ってしまうだろう。
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 小泉内閣はこんな滅茶苦茶なことを持ち出していたのである。あの頃、私の家に来ていた大工さんが、「先生、女系天皇と女性天皇はどう違うのか教えてください」と言うので私は、仮に愛子天皇を中心に置いた略系図を図解して説明し、即座に分かってもらった。「なるほど、系図を作ると皇室はどんどん遠くへ行っちまう。トンデモねえや」。
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 このような民衆の危惧こそ、他でもない、日本人の信仰の姿でなくてなんであろう。清らかで慎ましやかな天皇家がいつも中心に在ってほしいのである。天皇の問題はすぐれて日本人にとって宗教の問題だと言ったのはこの事である。信仰であればこそ、危機が来たときに民族的感情は高まる。小泉元首相は女系天皇のアイディアを自ら余程名案と考えたらしく、どんどん推進しようとしていた。
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 彼は本気だった。国民は息をのんでいた。不気味だった。このままいけば何かが起こりそうだと誰もが思った。安倍官房長官(当時)が起ち上がって、首相に弓引く勇気を持ってほしいと皆が思ったあの時のことである。私はありありと思いだすのだが、日本人の心のどこかに火が点いた。ゆっくり野火が燃え広がるように、ミニコミ紙やオピニオン誌から始まり、テレビや新聞の討論を経て、国会を動かし、官邸を揺さぶる議論の大波が徐々にこの国を覆い始めた。
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 女性天皇と女系天皇は違うのだよ。首相はそのレベルの知識さえ持っていないらしいよ、とひとびとは囁きだした。少しづつ声の輪は広がり、その規模は大きくなった。誰しもがハラハラしていた。「狂気の首相」を絵に描いたようなドラマが今にも起りそうにも思えた。秋篠宮紀子妃殿下ご懐妊のニュースは、その時さながら神来のように国中の人々の心を襲い、揺さぶった。
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 次の瞬間、あゝよかったとホットする安堵、救われた感情がゆっくり破門のように広がっていった。国中がこれでもう悩まないでいいのだと思った。即座に事態を理解できない元首相が議会で無様に抵抗する姿に、八方から侮蔑と怒りの声が飛んだ。この一連の出来事こそほかでもない、皇室問題が日本国民にとってその危うさをも含め、いよいよになると浮かび上がってくるかけがえのない信仰問題であることの何よりの証拠を示した事件であったといってよいであろう。
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 信仰であるからこそ、普段はそれほど気にしないで忘れていたのである。信仰であるからこそその意義や必要を問われても即座には答えられないのである。信仰であるからこそ、男でも女でもどっちでもいいという便利な選択を憎むのである。信仰であるからこそ、これをなくしてしまおうとする熱っぽい反対者や破壊者が出てくるのである。そして、信仰であるからこそ、歴史や伝統の意識が時代の進展とともに少しづつ薄くなるにつれて、無関心という最大の敵に直面することになるのである。
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 ≫主治医が私物化≪
 「女系天皇」容認問題が鎮静化し、最近では皇室の危機はひとまず去ったかに見えたが、先月号の本誌で私が取り上げもした雅子皇太子妃のご病気とそれをめぐる諸問題は、日本人の心を刺激し、奥深い処で危惧と憤怒の念をあらためてかきたてるので、その騒然たる空気といい、日を追って高まる不安といい、やはりもう一つ別の新しい信仰問題の立ち現われと理解せざるを得ないだろう。
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 拙論、『皇太子様に敢えて御忠言申し上げます』(本誌5月号)への反響の大きさに私自身驚いている。手紙やメイルがたくさん届いた。私宛だけでなく、本紙編集部にも殺到したようで、その一部が六月号に掲載されているのはご覧の通りである。私はいろいろな問題点を指摘したが、学歴主義と人権意識が皇室に流れ込んで異質なものによる占拠と侵害が始まったのではないかという危惧が拙論のメインポイントであった。
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 私にとっても、この問題は手におえない、しかし日本人の根幹問題として、黙ってもいられません。事態は着々とわがままな雅子妃の都合に合わせて進んでいるみたいです。今日の新聞広告『週刊新潮』の広告の記事の紹介で、「結婚二〇年雅子さまのオランダ訪問に[美智子さま]の深い憂慮」という記事のタイトルが載っています。
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 記事自体が、どうこう言う気はありませんが、雅子妃とその実家の小和田家には、私自身も深い憂慮を感じています。何処まで行くか、果てしない闇を感じます。西尾幹二氏の論文の序章が始まったばかりです。明日に続きます。