歩かない旅人

牛乳を毎日飲む人よりも、牛乳を毎日配達している人の方が健康である。

 この人の評価が一変したのは何故。

2012-03-31 12:52:46 | 月刊雑誌。週刊雑誌を読んで
 最近の大阪市は、どんな状況なのでしょうか。野田政権も、勿体ぶった大仰な、しかし少し滑稽な、誠実そうで抜け目なさそうでいて、肝心のところが抜けている、外交に対しては少し骨のありそうなところを見せているようで、選挙の時は在日の居留民団の協力を、無防備に受け入れる見識のなさ。あらゆる点で期待を裏切った、その点では見事に多くの人たちを欺いたのか、欺かれたのか、今や末期症状の事態に陥りました。国民新党もおかしな集団です。
 別に今回のような騒動は政治の世界では日常茶飯事でしょう。別に命がけで政治をしているわけではない人たちですから、いわゆる商売として、政治をしているわけですから、自らの保身が第一でしょう。今日の産経新聞の第一面トップは、野田政権の大震災復興は口だけで、本当の第一目標ともいえる、消費増税法案も国会に提出されましたが、どうもすんなり行くかどうか、小沢系副大臣ら約二十人が辞表したと出ています。
 政治屋だらけの永田町ですから、何が起こっても驚かないですが、いよいよ政局が近づいているのでしょうか。ここで今のところ焦点は、橋下徹大阪市長の「大阪維新の会」が騒がれていたのですが、このところ急にあっちこっちで評価が下がり始めました。こんなに短い時間しか持たなかったのでしょうか。あるいは、ここに何らかの政治的意図があるのでしょうか。昨日の続き、雑誌の対談記事を書き写します。
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 (雑誌 『WiLL』 5月号より
 《蒟蒻問答  第七十二回》   四回目
 【ウソつきは政治家と弁護士のはじまり】
     ジャーナリスト   堤  堯
     ジャーナリスト   久保紘之
 ★、久保・・・・・・・・・大阪はかって「日本の台所」戸言われていたくらい、内と外との出入りが盛んであった都市です。たとえば中沢新一が『悪党的思考』(平凡社)で書いているように、足利尊氏と共に『太平記』の世界の立役者である、後醍醐天皇は、商工業の勃興、鎌倉幕府の衰退、「大化の改新」以来の律令制度の行き詰まりによる大乱世を乗り越えるために、“無秩序の荒ぶる神”たる婆娑羅たちをかき集めた。さらに「稲魂の王」としてこれまで支配してきた水田と農民、なかざわによれば「仕切られた空間」だけでなく、貨幣経済への移行で勃興してきた大阪・堺を中心とする商工業者達の神、聖天様や荼枳尼天(インドのダーキニ)を同時に祀って、デモーニッシュな支配力を身につけたのです。
 大阪には今も、その都市の内部と外部、つまり異界空間との関係が生むダイナミズムの火種がかろうじて残っているのです。そういうなかで橋下という存在が生まれた。それだけではありません。小松和彦は「異界が覗く市街図」(共著・青弓社)で「現代都市の闇(外部)は列島の外、海外にある」と言っていますが、国際的に見れば、金正恩の母親は大阪生まれの在日と言われているし、韓国の李明博も大阪出身でしょう。ちょっと記号遊びのようになってしまうけど、今大阪という異界空間がこういう形で突出して現れてくる、というのは面白い現象です。
 ★、編集部…たしかに奇妙な合致ですね。
 [「橋下」という婆娑羅]
 ★、久保・・・問題は橋下という婆娑羅性の「質」です。例えば、保田與重郎は「日本の橋」(昭和11年10月)と題した一文のなかで、西欧の堅固な石橋と日本の「悲しく哀れっぽい」木の橋とを比較しながら、そこに「人の世のおもひやりや涙もろさ」と表現した日本の文芸・芸能と同じ「心の叙情」を見出し、その複雑なこと場で行われてゆく政治や文化は来るべき日に大変な重荷になって流産するのではないか、と予言していますがその「来るべき日」は昭和二十年の八月十五日だけでなく、東日本大震災や、金融危機、北朝鮮、中国に対する日本政府のお粗末な対応、日本の政治システムの金属疲労と言ったように、戦後の日本に波状的に襲い掛かっている。
 一見したところ、橋下は「橋の下」(異界)から出てきて、保田のいう「複雑な発想や叙情をたたみ込んだ言葉』に基づく政治を、合理的で効率のよいものを追求する新自由主義的発想で一刀両断に切り捨てようとしています。
 しかし、たとえば橋下は天皇の元首化というけれどそれは複雑な言葉のうえに成り立っているからこその、つまり日本の芸術や美と一体不可分の同じ言葉にうえに成り立つ天皇の構造ではなく、それらを取っ払っての元首化なのです。ざっくり言ってしまえば、これまでどの言葉にも翻訳できなかった「天皇」という言葉を、「Empeeror」のひと言に翻訳してしまう行為です。遅れて相乗りするかのように、自民党も天皇の元首化を言い出したけど、その違いに全く気付いていない。
 ★、堤・・・橋下の動きに擦り寄る連中は、如何にもさもしい。逆に、怯えてオタオタしまくる連中も情けない。彼がどういう人間なのか分析して、対応を考えるのが当たり前じゃないか。
 ★、久保・・・この対談で何度も紹介しているけど河合芳隼雄の言う日本の「中空均衡型」権力構造では、「全体の均衡が保たれている限り、誰か強力なリーダーが出現しても、きわめて受容的で抵抗なく中心への侵入を許してしまう。しかしある程度時間が経てば、侵入者は徐々に排除されていく」。つまり、日本の権力構造はしたたかで、保田が“滅びの美学”で予言するほどヤワではないんです。
 ゲオルク・ジンメル(『社会学』白水社)の定義によれば、「ストレンジャー」(異人)は共同体とは全く無関係な場所に住まうわけではなく、よそものとは言いながら共同体と一定の社会関係を保ちつつ、しかも共同体の正式の構成員ではなく、折口のマレビトも同様です。問題は、橋下は果たしてその種のマレビトの範疇に入るのかどうかでしょう。例えば河合は、日本の権力構造に完全な型の欧米型リーダーが中心へ侵入した場合は、集団の成員が強い危機感を持って排除する。
 それを許せば、それこそ日本型の中空均衡型構造が欧米流の中心統合型に組み替えられてしまうからだ、と言っています。それは日本文化も芸術も言葉も死滅することになるからです。小泉型、そしてその継承者たる橋下は多分にそうした危険性をはらんでいる、と見るべきでしょう。残念ながら、平成の現在、河合が言うような日本権力構造にビルトインされた排除の装置は衰え、機能しなくなりつつある。TPPを見てください。橋下はそうした日本を襲う国際化の大波に上手く波乗りしているサーファー小僧なんですよ。
 [結局、新党は潰れる?]
 ★、堤・・・古代ギリシャの政治史を見ると、政治体制というものは僭主制→貴族性→共和制→民主制→僭主制・・・・のリサイクルで円環する。そうなると、現在の日本の民主性の次にくるのは僭主制、つまりは独裁かな。「政治には独裁が必要なんです」という橋下のようなものも出てきたしね。世界に冠たる完璧な民主主義を具現化したと言われたワイマール憲法からヒトラーが生まれた。俺より一寸上の世代は「なにやら太平洋戦争前の雰囲気に似てきた」と言ってるけど、たしかに舞台が整いつつある気がするね。高見順の言葉を借りれば「いやな感じ」だ。
 いずれにせよ、次の選挙において橋下徹がキーパーソンになるだろう。俺が注目しているのは、橋下が立てる候補者の人選や男女の比率だ。なんでも「維新塾」に四百人公募したところ、三千四百人も集まったというじゃないか。そこからどんな奴らが出てくるのかねぇ。小泉チルドレン、小沢ガールスに続いて橋下チルドレンの登場かな?
 ★、久保・・・それより、資金調達できるかどうかでしょう。政党助成金もないのだから、結局よほど自前で金を調達できる奴でなければ候補になれないんじゃないかなぁ。しかしそんなのにロクな奴はいないよ。
 新党構想の最大の弱点を教えましょうか。石原にしろ、橋下にしろ、平沼にしろ、亀井にしろ、誰だって「頭になるのは俺だ」と考えていることです。島津久光が西郷隆盛に、「ところで俺はいつ将軍になれるのだぇ?」と聞いたのと一緒。
 ★、堤・・・島津は将軍になるどころか、領地を召し上げられたじゃないか。(笑)
 ★、久保・・・だから、新党だなんて騒がれているけど、結局は潰れるんじゃないのかな、というのが僕の予想ですよ。さて、あたるかな?(笑)。
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 今日の産経新聞の雑誌広告を見ていたら雑誌『正論』5月号の広告に、最大の文字と面積で、哲学者の適名収氏の記事、【橋下徹は「保守」ではない!・理念なきB層政治化・・・】と出ていました。急に橋下氏のパッシングが右寄りと言われる雑誌から次々と出始めました。興味を持って見守っていきます

 要するに橋下徹市長は育ちが悪いのか。

2012-03-30 10:59:14 | 月刊雑誌。週刊雑誌を読んで
 今日の新聞の中で、目新しいニュースは、国民新党が分裂したことと、都立高校の教材にマッカーサー(GHQ最高司令官)が1951(昭和26)年、米上院軍事外交合同委員会の公聴会に出席し、日本の侵略戦争と今まで教育されてきた、大東亜戦争を、「主に自衛(安全保障)上の理由から戦争に走った」と言うマッカーサー証言を、正式な教科書ではありませんが一応取り上げたと言うことは、自虐史観にまみれた日本にとって、ある意味喜ばしいことだと思います。
 さて昨日に続いて橋下徹大阪市長の、巻き起こした騒動についての名物対談の続きを書き写して起きます。
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 《蒟蒻問答  第七十二回》     三回目
 【ウソつきは政治家と弁護士のはじまり】
   ジャーナリスト    堤 堯
   ジャーナリスト    久保紘之
 [「嫌々国民のため」]
 ★、堤・・・ここに持ってきたんだが、橋下が書いた『まっとう勝負!』(小学館)と言う本がある。彼が書いたコラムを集めたもんだ。中でこんな文章がある。少し長いが引用すると・・・≪何で「国民のために、お国のために」なんてケツの穴が痒くなるようなことばかり言うんだ?政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。その後に、国民のため、お国のためが付いてくる。
 自分の権力欲、名誉欲を達成する手段として、嫌々国民のため、お国のため奉仕しなければならないわけよ。別に政治家を志す動機付けが権力欲や名誉欲でもいいじゃないか!ウソをつけないやつは政治家と弁護士には、なれないよ!、ウソつきは政治家と弁護士の始まりなのっ!≫
 どうですか、この文章。先日、ある集まりがあって、橋下を持ち上げている人たちに呼んで聞かせたら、シーンとなっちゃった(笑)。オレが一番気になったのは「嫌々国民のため」という「嫌々」の二字だ。これって、彼の本音じゃないの。文は人なりだからね。政治家を名乗りながら、こんな文章を得々と公にする人間は、心理学的に見るといかなる分類に属するのか聞いてみたいよ。家人に読ませたらひと言「要するに育ちが悪いのよ」とバッサリ立ったけどね(笑)
 先ほどのブレーンに聞けば、「その本は06年に刊行されたもので、それから彼も成長しています」と言っていたけど、どうかねぇ。このブレーンは「橋下は『平成の信長』だと言うけど、むしろ『平成の天一坊』じゃないの。オレはホリエモンを思い出す。ホリエモンは「三十億円出せば自民党の総裁になれる。軽いもんだ」といった。そんなホリエモンを持ち上げたのが小泉純一郎と竹中平蔵だ。
 「ホリエモンさんこそ改革者です。小泉改革は私とホリエモンさんとでやります!」と刺客に差し向けた広島六区で叫んだのは竹中だ。そのホリエモンはいまや塀の中だ。「一度、民主党にやらせてみよう」、「一度、小沢一郎にやらせてみたい」、「一度、橋下にやらせてみたい」・・・・みんな同じ流れなんだよ。寒心に堪えんね。
 [橋下徹の“フェロモン”]
 ★、久保・・・僕は当初、橋下なんてどっちでもいいかと言う化、せいぜい横山ノック現象の“逆バネ”くらいにしか思っていなかったんだけど、産経をはじめとした保守派の連中が橋下に肩入れしたり、やたらエールを送っていたりするのを見て、一寸言っておかないといけないのかな、と思い直し始めたんです。と言うのも、橋下は一方で民主党と同レベルの市民主義的ポピュリズムを“売り”にしておきながら、他方、保守派や右翼までが飛付きそうな天皇の元首化や憲法改正、日教組・官僚パッシングを「八策」にうたうわけでしょう。
 つまり橋下にとって、これらの国家の根本に関わる問題は、取りも直さず右派を引き寄せるフェロモンってわけです。これは、例えばイギリスの伝統的保守主義を再生しようとしたサッチャーの権威的ポピュリズムとは、全く異質のものなんですよ。みんなそのフェロモンの招待が一体どういうものなのか、あまり分かっていないんじゃないか。
 ナベツネは『文芸春秋』(12年4月号)で「日本を蝕む大衆迎合政治」と題して。橋下の「選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任状なんですよ」(朝日新聞2月10日)と言う発言を紹介し、ヒトラーの全権委任法だ、と批判しています。菅直人も「民主主義は期限を切った独裁である」なんてぬかしたことがあったけど、やつにそれを実践する度胸は何もなかった。しかし橋下は違う。
 僕は何度かカール・シュミットの「委任独裁」と言う概念について、ここで話しました。現行の憲法秩序が非常事態に陥った時、その憲法秩序を維持するためにその機能を一時的に停止する独裁のことです。これは限定的に議会の中で規定されている項目の範囲内での独裁で何もかもが白紙委任される、ヒトラーの授権法とはまったく違います。
 最近の例で言えば、前阿久根市長の竹原信一が、橋下の言う白紙委任論の実践者です、奴は「市民による選挙で選ばれた以上、自分の公約は市民の意思である」とし、その市民の意思を直接、政治に反映させるためには代議制民主主義、つまり議会、さらには官僚組織などの中間項は不要、首長と市民が直接結びついていればいい、という極端な独裁的手法に走りました。
 ルソーは「人民は自らの究極的利益を反映する『一般意思』を直接知ることはできない」と言ったけど、市民主権を名乗るポピュリストたちは「当然知っている」という前提に立つ。竹原はその市民によって選ばれた以上、自分は「人民の意志」を体現する存在だ、とすり替えたのです。橋下の主張もほぼ同じです。
 奴が「八策」で謳う首相公選制も、この文脈で抑えておいたほうがいい。そういった要素を見てみると、橋下の流儀は小泉に非常によく似ていると思いませんか。橋下の有力なブレーンの一人と言われる上山信一は、「民主主義というのは市場原理の応用であり、効率が重要である」としている。まさに小泉の自由化・市場原理主義と同じでしょう。
 ★、堤・・・橋下がTPPに賛成なのも、その路線だ。『TPP亡国論』(集英社新書)を書いた中野剛志が、小林秀雄のエッセー「ヒトラーと悪魔」を引いて、実に痛烈な橋下分析をやっている(『表現者』41号)。ヒトラーの『わが闘争』を読んだ小林はこう書いた。≪彼は死んでも嘘ばかりついてやると固く決意し、これを実行した男だ。つまり、通常の政治化には思いも及ばぬ完全な意味で、プロパガンダを遂行した男だ。彼は言葉の意味などというものには、全く興味がなかった。プロパガンダの力としてしか、およそ言葉というものを信用しなかった≫。これを読んで中野はこう書く。
 ≪橋下氏も「死んでも嘘ばかりついてやると固く決意し、これを実行した男」なのだ。そういえば『まっとう勝負!』という自著のタイトルも『わが闘争』に似ている。「政治家とは権力欲、名誉欲の最高峰」と強調する橋下氏の下品な政治観は、ヒトラーのそれと全く同じである≫。
 橋下は69年、中野は71年の生まれだ。同じ世代に属する。その中野が橋下の心中を実によく見透かしている。ヒトラーに全権を委任したワイマール当時の政治家達はヒトラーの登場を高を括って甘く見ていた、と小林は書いている。橋下を甘く見て、いわんや擦り寄る政治家どもも、面白がって彼を持て囃す連中も、下手をすれば日本を「フライパンから火の中」に投げ込みかねないんだよ。
 [「橋の下」という異界]
 ★、久保・・・ゴーロ・マンは『近代ドイツ史』(みすず書房)で、「1920年代のヒトラーはただの滑稽な存在だった」と言っていますよ。ところで僕は橋下現象を読み解くうえで、欠かせないのは、文化人類学とか民俗学とか、そういうアプローチだと思うんです。まず最大のキーワードは「橋下」という名字です。普通、「はしもと」を「橋下」とはしないでしょう。
 ★、堤・・・『週刊文春』によると、橋下の実父は関西の寒村の被差別の出身で、そこには「橋下(はしした)」という家がたくさんあった。その後、橋下の母のいわく、「あの子(徹)が生まれた時点で、向こう(橋下はしした家の人々)との因縁を断ち切るつもりでハシシタ姓をハシモトと変えた」そうだ。
 ★、久保・・・全てをさらけ出している、という印象は受けますね。
 ★、堤・・・それを普通の人は、性格の「強さ」と感じてしまう。たしかに強さの一種かもしれないけど、先に引いたような文章を見ると、開き直ったニヒリズムを感じるね。ちなみにヒトラーのナチズムを指して「ニヒリズム革命」と呼んだ学者もいる
 ★、久保・・・日蓮は「(我は)安房国海辺の旃陀羅(最下層民)が子なり」(『佐渡御書』)と宣言し、イエスも馬小屋で生まれたててなし子が出発点となる。竹内芳郎によれば、それは「一切の特権を剥奪された、社会の最低部に敢然と立つ決意、超越性原理のために準ずることを厭わぬ普遍宗教の覚悟をずばり表明した」(『ポスト=モダンと天皇教の現在』筑摩書房)ということになります。それほどご立派でないとしても、橋下も自分の出自を宣言することでカリスマ性を身につけた、と見ることは出来るんじゃないですか。
 もう一つ、橋下現象を読み解く民俗学的アプローチの視角として重要なのは、大阪という場所です。例えば折口信夫ノ「マレビト」論によれば、ムラや都市などの共同体は(内部)だけでは成り立たず、その周縁部に(外部)を象徴的に具現している、ストレンジャー(異人・・さすらい人)つまり折口の言うマレビトの存在が欠かせない。外部とはすなわち異界空間で、そこには賎民だとか鬼だとか様々な呼び名を付けられたマレビトたちが巣食い、共同体の内側に堆積するケガレを背負わされ、外の世界へ放逐されることで、閉塞状態に陥った共同体をリフレッシュする役目を担わされているのです。
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 今、政界は混沌として来ています。民主党が今度の総選挙で敗れることはほぼ確実でしょうが、さりとて自民党もいまひとつ任期がありません。そこへ「大阪維新の会」が参百人ぐらい候補者を立て、予想では二百人ぐらい当選するのではないかと言われています。有権者もそれだけ選択権が増えて、一見結構に見えますが、そんな中橋下ブームに早くも、赤ランプが灯り始めました。それもいいタイミングだと思います。
 有権者にも考える時間が必要です。棄権は白紙委任状だということを肝に銘じて今度の選挙には投票してもらいたいと思っていますが、中々思うようには行かない世の中です。