歩かない旅人

牛乳を毎日飲む人よりも、牛乳を毎日配達している人の方が健康である。

怪我の功名と言うべきか。

2011-01-31 15:01:02 | 国際・政治
 一月も今日で終わりです、一年の中で一番長く感じられるのが、この月です。ただ何となく感覚的にそう思うだけですが。終わってやれやれです。
 明日から二月です、二月はあっという間に過ぎ去りますがそこが好きです。
 一月は結構スポーツは賑やかでした、大相撲は又「白鳳」が優勝しましたが日本の力士、「希勢の里」とか中々横綱に程遠く、大相撲が生き残っていくのには、中々大変な時代になって来たと思います。サッカーはアジア大会で優勝しました。。昨日の(大阪国際女子マラソン)は赤羽由紀子さんが優勝しました。
 きのう雑誌「WiLL」3月号を購入して来ました。面白い記事を見つけました。何時もユニークな見方をする人ですが、このコラムも、別な面からの切り口で、かねがね私も思っていたことなので、やられたと思っていますが、ある意味、楽天的な見方ですが結構、当を得た穿った見方かも知れません。
 『ねずきちのひとりごと」のサブタイトル、日本に逆らった国は滅びると言う言葉を初めて目にしたのはこの、日下公人氏の有る本のサブタイトルでした。気持ちの好い位日本を手放しで褒めまくる、そして説得力のある文章で、好きな評論家の一人となりました。
 今日は月の締めとして、これをそっくり写して記録します。
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 【繁栄のヒント】。   日下公人
 「スルー力で対応する日本の底力」
 かねて尊敬する知人が、北京へ行って公安関係の人に有って来たという。ちなみに中国では、公安予算が軍事費を上回るスピードで伸びているらしい。公安は国内の治安維持に当たるのが仕事だから、中国社会の一般情勢はあまり穏やかでないらしい。
 先方、「日本の外交はどうなっているのだ。もっと普通にやってもらいたい」とは尖閣列島のことである。
 先方、「日本は領海侵犯に対して国内法に基づいて処理するとかねてから言っていたのだから、そのとおりにやって欲しかった。国内法に基ずく処理に時間はいらない。一日、二日の裡に手続きを進めて判決を出せば中国は手も足も出なかった」。
 たった一言か二ことの会話だが、ここから得られる情報は大きい。その心を推察すると、まず第一は情報が中国国内に拡散する前に一件落着にしてくれれば、公安は面倒がなくて助かった・・・・である。
 だが菅首相の処理は、これを国内問題ではなく外交問題と考えて優柔不断に対応したので、日本国内でも中国国内でも火の手が上がった。国境侵犯は中国では日常茶飯事だが、「日本問題」は最重要で、日本に対しては弱腰では済まされない。
 何としても日本を屈服させようとして、あの手この手を繰り出し、カードをみんな使ってしまったが、その結果は大いに国益を損じてしまった。
 その一、菅外交は船長と船体を返還しただけで、それ以上のことはしないから、中国は振り上げた拳の下ろし所に窮した。
 その二、日本国内のナショナリズムに火をつけてしまった。
 その三、アメリカのクリントン国務長官が乗り出して来て、尖閣を守ると言ったが、これは藪をつついて蛇を出したに等しい。相手を弱いと見ていじめたら、母親が出てきたようなものである。
 その四、菅首相は現場映像、約十時間分を未だに公表せず、しかもいずれは国際社会に訴えると言っているのだから、不気味である。民主党は何ごとも言うだけでやらないと言う評判があるから、それを頼りに沈静を待つ・・・・・・・で済むかどうか。
 中国外交はまたまた大失敗をしたと私は思っていたが、それを中国側も解っているらしいというのが発見である。
 日本のマスコミはその逆で、菅首相を弱腰だとか優柔不断だとか日本の国益を損じたとか論じていたが、結果は大成功になっている。
 怪我の功名というべきか、それとも日本には自分でも認識できないほどの底力があって、手放し運転でもこうなるというべきか・・・は難しいが、ともあれ相手国にはやり過ぎという勇み足の失敗が発生した。
 二の矢、三の矢の用意がないのに居丈高なことを言った失敗だが、ただし、中国はそれを失敗とは思っていないだろう。外交でも商売でも良くある駆け引きのひとつで、第一回戦の様子見と思っているに違いない。
 では、日本は再発防止および戦火拡大のためには何をすべきだろうか。
 外務省の動きとしては、丹羽駐中大使が中国各地を巡回しているが、どんな狙いで何をしているのかは、報道も説明もないので解らない。単なるパフォーマンスかどうかは今に結果によって分かるだろう。
 他方、国民の側からは面白い動きがある。中国は日本人を昔は「東洋鬼」、今は「日本鬼子」と言って、あらんかぎりの罵詈雑言を浴びせるが、これに対して、秋葉原のポップカルチャーは反撃に出た。
 可愛らしい少女の額に日本の角を生やして「ひのもと おにこ」と名をつけ、動画配信をした。イラストレーターは自由参加なので、当初はメイド服スタイルのイラストもあったが、今は和服姿のもある。
 文化放送チャンネル桜の水島総さんが中国に抗議するデモを呼びかけたところ、全国各地で3~4千人が集まったが、その中にはこの「ひのもと おにこ」ちゃんがたくさんいた、とは面白い話である。
 これを動画配信すると、中国の若い人のかねてからの親日感情に火が付いた。今にこのコスプレが中国各地の公園や広場で披露されるだろう。
 その時、中国の公安当局は「反党・反政府活動」として弾圧をするかどうか。新聞の特派員や外務省の方々、ぜひ注目してください************************************
 チャイナは何よりも自分の国の人間が一番怖いのです。あの地域の中で、一部の共産党員とその関係者だけの私物みたいな、チャイナ共産党北京政府にとって圧倒的に多いというか殆どの人々は、何かが有ったら、今の政府を倒そうとするでしょう。

2011-01-30 12:42:12

2011-01-30 12:42:12 | 本と雑誌
 本を読むと言うことは、今まで苦になったことは有りません。活字中毒と言う言葉が有りますが、あれはまさに私のために有るような言葉だと、ずーっと思っていました。とにかく何か読むものがないと落ち着きません。テレビを見ていても片手には本か、雑誌を持っています。しかしパソコンに向かっているときは、パソコンの文字を見ているのですから、それでも本はそばに必ずあります。
 毎月、月刊雑誌を三冊購入しています。10年ぐらい前はそれに加えて週刊誌を4冊必ず買っていました。興味があれば何時もは読まない週刊誌も買いました。今、すっかり週刊誌は読まなくなりました。一種の癖みたいなもので、別に活字と違って中毒では無かったのです。
 市の図書館は私の本棚代わりでした。毎月30冊以上借りて来ました。全部読むわけでは有りません。たまに途中で止める場合があります。その目安は40ページまでに判断します。これ以上読んでも面白くなる要素が期待できない時は、その本は止めます。
 雑誌を買う時に、気になった本は一応買う時もあります。そんな本がかなり溜まっていて、積み重なっています。なんかの拍子に手をとって読みだしたら、面白いと言うのが、何とも言えない至福の時です。そんな中に『赤めだか』と言う本が有りました。著者は立川談志の弟子の立川談春氏です。
 なぜ今まで読まないで2年間以上ほっぽり出していたかと言うと、この本が結構評判がいいのと、もう少し後にして詰らない本からカタズケて行こうと言う料簡だったかもしれません。勿体ないと言うような気がしたのです。読む時の体制が良好な時に、読もうと考えていたのかもしれません。私はとにかくまだ読んでいない本を読むように、例えば、病院の待ち時間に読む、種類の本とか電車に乗ったときに読む本とか、運転していて時間が早く着いた時のための本とか、あっちこっちに本を用意しています。
 『赤めだか』はそんな中、トイレ用になりました。私は結構トイレが長く、今まで手ぶらで入った事は有りません。だいたい単行本や新聞の時もあります。長いと言っても10分足らずですから、めんどくさい本は持ち込みません。
 今迄に落語関係の本は大分読んで来たと言えます。談志の『現代落語論』などはもう紙の色は黄ばんでいますが捨てずに時々取り出して読んでいます。安藤鶴雄氏の本などは4~5冊ありますし、図書館にある落語関係の本はほとんど借りてきて読みました。
 この『赤めだか』全部で283ページ有りますが今72ページ目です。しかし何と言うか口では一言で表せない面白さと悲しみが有りますし、読む時間では4~5ページくらいしか読めませんが、それが忘れずに心に残る不思議な本です。
 短いなかに必ず山があります。大した書き手だと思います。談春の落語は一席まるまる聞いたことは有りません。ドキュメント番組では、何回か取り上げられ、大阪ホールの2千人を超える会場で、満員にして「芝浜」を演じた番組が有りました。これも落語は少しだけしか出て来ませんが、口調リズムは中々の者だと思います。
 落語の世界でも立川流と言うと、一目置かれるそうですが、その中で噺のうまさはぴか一だと言うことは他の本では何度も耳にしましたが、中々見る機会がありませんし、テレビにも登場しません。
 私も子供の頃から、落語は好きでした。一番好きと言うわけでは有りませんが高校生の頃新宿の末広亭に何日も通ったことがあります。その頃は良く浪曲の廣澤菊春師とかマジックの足立龍光師とか、講談の一龍斉貞山師とかが出ていました。
 漫才では獅子てんや、わんや師とか大神楽の染一、染太郎師だとか、漫談の牧野省一師とか名前が間違っているかも知れませんが、子供の私に出さえ毎日のように通えたのですからいい時代でした。
 落語の方は、柳亭痴楽全盛のころでしたが私はあまり好きになれませんでした、その頃好きだった噺家は、三遊亭柳好師とか柳枝師とか、けちん坊で有名な文治師とか、先代の馬風師のとぼけた噺が好きでした。
 その頃から一寸生意気な俺はミーハーではないと言う一種の見栄が有りました。三遊亭円生、桂文楽、古今亭志ん生の三羽ガラスは大体が良い出来だと思いましたが、まだ未熟な私にはこれからだという勢いのいい噺家に魅力を感じていた頃でした。
 いつも鼻の頭を赤くして寒そうに身をチジコませて高座に上がって来る、金原亭馬生師はその頃一番見ましたし、好きでした。何とも言えない品の良さとゆったりとしたおかしみが有り、一番好きな噺家でした。
 柳家子さんも好きでした。これは凄いと言ううまさを感じたこともあります。にこりともせず笑わせる、和術とは大したものだと感じ言ったことは何度もあります。どうゆうわけか、談誌の二つ目の小えん時代はそこだけ空白のように記憶にないのです、もっと後の時代になるのでしょうか、見たとしても目立たなかったのでしょうか。
 林家三平が突然売れだしたのもその頃からは大分経った後です。私が寄席に通った頃はまだテレビ時代に入る前でした。流行歌手と言ってた時代です、ライブなどとは呼ばず、実演と言ってた時代です。随分昔の話でした。