今日は町会の会合があって、今まで時間がつぶれてしまいました。何処の町会も老人ばかりで、活力がないこと甚だしいのですが、町会の決まりとは言え、実に、義理で参加しているとしか思えない、不愉快な会合が続きます。地域の老人対策は、目に見えるところに予算を懸けますが、ゲートボールとか、グランドゴルフとかの大会を開くことが、老人対策だと錯覚しています。
・・・・・・・・・・・・
老人問題は、これからの日本における、面倒くさい問題として、あらゆる面に影を落としそうです。私たち老人は、本当はいつの政府でも、老人政策が老人を甘やかす政策にはしたくないはずです。しかし、現実は老人の数が思ったより増えはじめ、選挙対策にとって、無視できない勢力になってきていることです。老人は選挙運動に対して、無視できない一種の勢力になりつつあることです。
・・・・・・・・・・・・
ポピュリズムは政治の常道です。票田の多い老人層に、政策を甘く示します。日本の行方をある意味任されているというのが、現在の日本の姿です。これは、危ない危険を秘めているかも知れません。しかし若者に政治に対する関心がなかった時は、老人が日本の未来を決めかねない危険性を含んでいます。
・・・・・・・・・・・
はっきり言えば、老人は先がありません。カッコいいことを言っても、それは無責任の言葉としてしか思えない状況があります。日本の場合は、公の精神が多く残っていますが、戦後教育の成果として、個人主義が大きなうねりとなって、個人個人の、権利主張をどこまでも、保護し、その主張を、野放しにして、それこそがデモクラシーと勘違いしています。
・・・・・・・・・・・・
日本はそんな国柄ではないはずです。今日はこの辺で辞めます。なにしろ、酔っ払って、ここまで書いたことすら、奇跡と言えます。酔っ払っていてもこのくらいは、書けると言うことです。凄いと思いませんか。思わないでしょう。その通り。