それにしても、この2月はあっという間だった。眠りこけている間に、目を覚ましたら、もう8時間で3月である。然しながら眠りこけていた間様々なことが起こって居たことは間違いない。
7日には母が亡くなった。94歳である。気持ちが悪くなって病院に行き帰って来て床に付いたら、そのまま亡くなっていたらしい。母は妹と同居していた。夢の様な大往生である。
その他はあまり記憶にない。まさに地味な2月である。昔、今も居るが全盛の頃、高橋道雄と言う将棋の棋士がいた。大柄な体でと言っても棋士の中ではだが眼鏡をかけた、口調もおだやかな、柔和な控えめな、棋風も人柄を現した様な、ケレン身のない、正統派だったが、付いた、あだ名が、「じみちたかみち」だった。私はこのあだ名が大好きだった。本人は多分そんなに好きではないだろうと、推測する。
兎に角地味なのである。一日中黙って居ても誰も気にしない位、静かで地味なのだ.しかもA級で勝ち上がり名人戦に挑戦し3連勝のあと4連敗して惜しくも名人位を得ることはなかったが幾つかの、タイトルは獲得した。
地道孝道。漢字で書いたらこうなるのだろうか。本名より好きでいつもこう呼んでいた。
一年のうち。地道孝道は2月である。私には真似の出来ない事である。存在感は、圧倒的にある。ますます真似が出来ない。ところで、日本で一番地味な県はどこかと、自分なりに考え、わざわざ正月休みを利用して一人で、3泊4日の旅をした。それは多分19歳くらいの頃である。金もない頃だが良く行けた物だ。鈍行列車に乗るのは当たり前の、時代である。
それは「鳥取県」だった。京都駅で乗り換え、山陰本線で鳥取まで行ってきた。そのころは旅行会社など在りはしないし、在ったとしても利用することの知恵もない。行き当たりばったりの、私の旅は何時でもこうだ。向こうに着いてから旅館を探す。
道中は長かった。20時間位汽車に乗ったと思う。熊本に行った時は24時間だった。私は神経質で、絶対に汽車の中では眠れない、駅弁を幾つ食べたことだろう。若い時でなければできない事である。
「鳥取は」好い所だった。私はすぐそこの環境に馴染む、柔軟性に富んでるが、それにしても大らかな人が多かった。言葉が違うのは旅の醍醐味である。そこに住んでいる生(なま)の生活感が味わえない最近のツアー旅行はその点、実に詰らないが、便利なことは捨てがたい。
人の温かさをしみじみ感じたのも、帰って暫くしてからだ、まだ若い私は一方で警戒心を持ち続けて居たのである。随分御馳走になった。鳥取砂丘もまだ大きく、広かったし美しかった、バスに乗って連れて行って貰った。
鳥取市は県庁の所在地で、10万人位のこじんまりとした、地方都市だった。でも地味だなーと思い、ヤッパリ東京が好いと若い頃の私は考えて居た。
◎、地味な2月にカナダのバンクーバーで冬季オリンピックは開かれているもうすぐ終わるだろう。日本の成績は2月の如く地味なものであった。バンクーバーは今中国人問題で大変らしいが、メディアは一切、報道しない。報道しないと言うことはなかった事になるのだ。何時もの手だ。
ブログの世界ではフィギャスケートの採点で、盛り上がっている、浅田真央は3回半回転を2度も成功させた。今世界最高の選手だと、イタリアとかフランスで、報道されている。審査員のうち3人が怪しいと騒いでいる、異様にキム・ヨナに高い点数を付けて居ると言うのだ彼女は3回転半を一度もとんでない、おかしいと騒ぐのだ。
いやだ、いやだ、人が判断して点数を付ける競技は何時も、すっきり行ったことがない。買収とか不正が行われているという噂が飛び交う。勝っても、負けてもだ。
今日のNHKはあきれ返る、南米チリで27日午前3時34分頃、マグニチュード(M)8,8の大地震が起きた。今日の朝刊では死者82人と出ているがこれから増えて行くことだろう。それよりあきれ返ったのは、他の番組を全部午後2時頃日本に押し寄せる津波の、ニュースをおんなじことを繰り返しつつ流し続ける。
其のしつっこさ、面白い事は要求しないが、決まり切った、場面と同じアナウンサーが何度も出て、深刻ぶって、大袈裟に騒いでるとしか思えない、他のチャンネルに変え又戻すと、同じ事を続けている。公共放送としての使命に燃えて居るのかと言えば、尾のような気配は一向に感じられず、詰まらなそうに上司の命令ならば是非もなしとばかり、機械的に口をパクパク。
こんな放送局は要らない、問題が多すぎる。12チャンネルは立派だ、何があっても我が道、を行く放送局はこうで無くては成らぬ。