落ちこぼれ
落ちこぼれ
和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
いまは自嘲や出来そこないの謂(いい)
落ちこぼれないための
ばかばかしくも切ない修行
落ちこぼれにこそ
魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
はい 女としてはとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げ(うまげ)に成って
むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
結果ではなく
落ちこぼれ
華々しい意志であれ
茨木のり子
先週、尊敬してやまない、大好きな詩人のこの詩を
読んでもらう機会がありました。
茨木さんの詩は、いつもストレートに、心のやわらかい部分を
刺激し、背筋をぴっとひきのばしてくれる気がします。
落ちこぼれが、実りの宝庫だという視点は、
ふだんの生活には、なかなか見いだせない。
落ちこぼれという言葉じだい、悲しく、切ない響きを
感じるというのに、この偉大なる詩人は、和菓子につけたい
ほどやさしいというのですもの。
ほんとうに・・・その視点が優しすぎて、涙が出そうです。
女としての落ちこぼれ。はい!わたしも自信あり。
その点の開き直りも、実に小気味よく、実際そんなことは
ないに違いないけれど、とても親しみを持ってしまうのでした。
『おんなのことば』 茨木のりこ 童話屋
この大好きな詩集には、いつでもはっと気づかされることが
詰まっていて、わたしはいつも気持ちよく叱られ、
襟を正さなくては・・・と思うのです。
この「落ちこぼれ」
おつきゆきえさんの大人のための絵本の会の
最後に読んでもらった詩の一編です。
今回のテーマは、「受容」
なぜこのテーマ? もう驚きです。今まさに私に必要なこと。
この出会いにまた感動し、わたしは終始こっそり涙しながら、
お話に聞き入ったのでした。
今回読んでもらった絵本たちのことは、また後日、書きたいと
思っています。
落ちこぼれ
和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
いまは自嘲や出来そこないの謂(いい)
落ちこぼれないための
ばかばかしくも切ない修行
落ちこぼれにこそ
魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
はい 女としてはとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げ(うまげ)に成って
むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
結果ではなく
落ちこぼれ
華々しい意志であれ
茨木のり子
先週、尊敬してやまない、大好きな詩人のこの詩を
読んでもらう機会がありました。
茨木さんの詩は、いつもストレートに、心のやわらかい部分を
刺激し、背筋をぴっとひきのばしてくれる気がします。
落ちこぼれが、実りの宝庫だという視点は、
ふだんの生活には、なかなか見いだせない。
落ちこぼれという言葉じだい、悲しく、切ない響きを
感じるというのに、この偉大なる詩人は、和菓子につけたい
ほどやさしいというのですもの。
ほんとうに・・・その視点が優しすぎて、涙が出そうです。
女としての落ちこぼれ。はい!わたしも自信あり。
その点の開き直りも、実に小気味よく、実際そんなことは
ないに違いないけれど、とても親しみを持ってしまうのでした。
『おんなのことば』 茨木のりこ 童話屋
この大好きな詩集には、いつでもはっと気づかされることが
詰まっていて、わたしはいつも気持ちよく叱られ、
襟を正さなくては・・・と思うのです。
この「落ちこぼれ」
おつきゆきえさんの大人のための絵本の会の
最後に読んでもらった詩の一編です。
今回のテーマは、「受容」
なぜこのテーマ? もう驚きです。今まさに私に必要なこと。
この出会いにまた感動し、わたしは終始こっそり涙しながら、
お話に聞き入ったのでした。
今回読んでもらった絵本たちのことは、また後日、書きたいと
思っています。
なんか、とても納得です。
別の人の物言い
許すと言うことは、全て許すと言うこと
ここまでは許す、ここからは許せないと言うのは、
最初から何も許してないのだ
だったかな…。
受容って、人間的な器が大きくないと出来ないですね。
私には、まだまだ。^^;
今朝もこの詩と『受容』という言葉が身にしみる出来事がありました。冷静に受容するというのは本当に難しい。感情的な自分を反省しながらこの詩を読ませてもらいました。
そして最後の2行、『落ちこぼれ 結果ではなく 落ちこぼれ 華々しい意志であれ』というところに感動します。やはり茨木さんという人は・・・すごい。
大好きな詩人です。
新聞や雑誌や・・・そういう所で出会うことが多く、
いつか、詩集を手元に欲しいと思っていました。
これは、表紙も素敵♪いいですね。
手元に置くなら、この詩集にしようかな。
「受容」というテーマの講演会も、とても面白そう。
「受容」。言葉にするほど簡単に出来たら、どんなにか、良いかと思います。
深く感じいった、息子も旦那もお出かけの、寂しい土曜日の朝でした。
(さあ、パソコンを閉じて、娘が起きるまで、しばし、考えにふけってみよう。)
とっても大好きな人にいただきました!
むふ。
私は、詩を親しむ心を持っていないな~と常々思っているのですが、フラニーさんの、詩を体内にスッと取り入れるそのなんていうの?、詩と体に境界がないというか、バリアのない、その純粋な心の持ちようにいつも恐れ入っています。
私も時々この本を開いて、自分体内に取り入れようと試みています。
それが無意識にできるフラニーさんのようになりたい。
持ち上げすぎ?
「受容」については、毎日の生活の中でよく考えるテーマの一つですね。色々なドジをやってきて思うのは、「待つ」ということの大切でしょうか?特に老いた母との関わり合いの中で、気づかされたことで、ようやくその入り口が見えてきたところだと思います。まあーるい、まあーるい心が持てたらいいなあ。
昼間に読んだときよりも、夜になって、しかも
ちょっとビールを飲んだときのほうが、この詩が
すっと入ってくるのは、なぜなんだ?と思いながら
また読んでます。
マーガレットさんも書いてらっしゃるように、最後の
「華々しい意志であれ」にぐっと息が詰まります。
受容…。受け入れるということ…かな。
またまた、ご無沙汰してしまいました。
ずっとご訪問したいと心の片隅にあっても、
重いのはお尻だけではない私・・。
でも、画面がみどりの船になったとたん、
やっぱりホッとするのでした(笑)
心の中にいつもある詩、詩人は糧になりますね。
受容か・・。
私も聞いていたら涙してしまっただろうなぁ。
ぜひ、お聞きしたかったです。
↓バレエ絵本。
ピーター・シスさんの作品、知りませんでした!
すぐに読んでみたい衝動にかられました。
探してみますね、ありがとうございました!
それと。
フラニーさんとお知り合いになってから
ずっとずっとここへ来る度に伝え忘れていることが。
ぜひ、リンクさせてくださいませ♪
先日のパソコン修理時もそうでしたが、愛用PC以外のパソコンからご訪問させていただくことも多いため、リンクがないとご訪問に時間がかかってしまう次第なのです。
ご面倒でなければ、ぜひ☆
よろしくお願いいたしますm(_ _)m
してみると、わたしは全然許せていないってことだ。
あー、痛いです。
本当に、一波去ってほっとしていると、次の波にのまれそうになっていて、受容の難しさを日々実感しています。
でも受容って、子だけじゃなく、夫に対しても、自分の置かれた立場にも、ぜんぶあてはまること、なんですよね。
わたしもまだ、まだです。
その言葉にどれだけゆさぶられるか。
厳しい、けれど、優しい。そんな言葉は、つい感情的になりがちな自分の戒めにもなっています。
マーガレットさんに、受容の度量がないなんて、それはうそですよー。
どーんと全部受け止めてくれそうですよ。
プラス、明るさとおちゃめさで、うんとまわりの人を和やかにしてしまう魔力をお持ちですしね!!
ウラヤマシイデス♪
この詩集、とてもおすすめですよー。
まずあの有名な、自分の感受性くらいが載っていて、
のっけからガツンガツンきます(笑)
この童話屋さんのポケット詩集のシリーズは、すてきな詩集ぞろいで、そういえば、この会でもう一編読んでもらった吉野弘さんの詩も、童話屋さんのポケット詩集からでした。
昨日は、あかちゃんとこももさん2人の土曜だったのですね。
もしかして、サイエンスでしょうか!?
受容は、ますます切実に、自分の問題になっていきますね。ほんとまだまだ青ーいです。