ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

5つの指摘(1)

2007-02-20 | 親切なお医者さん/ 5つの指摘
つい最近、キリスト教信仰、あるいは聖書が間違いであると論じている文章を読む機会がありました(残念ながら、書いた人の名前も、ペンネームもありませんでした)。そのなかにあげられている理由は、サラッと読んだだけだったり、話し言葉をとおして説明を聞いただけなら、「なるほど」と思ってしまうものです。が、じっくり読むと、論理上エラーがあります。

今週は、キリスト教信仰、あるいは聖書が間違いであると指摘する彼らの説明を検証し、その論述の中にあるエラーをあげていきます。


[指摘1]
聖書は神の言葉ではなく政治的陰謀から人間が作り上げた書である。聖書は一応、西暦九十年に完成したことになっているが、それは編集の形に整えられたというだけのことである。それ以前にもその後にも、多くの改ざんが為されているのである。


[検証1]
聖書の成立年代については、諸説ありますが、「西暦九十年に完成した」とするのは、一応も何もあまりにも早すぎます。というのは、ヨハネの黙示録が書かれた時期を、西暦95-96年とみるのが一般的だからです。

今回あげるエラーは、上記の年代のことではありません(そんな揚げ足取りみたいなセコイことはしません)。「聖書は多くの改ざんが為されているから、人が作り上げた書である、神の言葉ではない」という指摘です。

一世紀、二世紀には、コピー機はありませんので、人々は、聖書を手で書き写しました。その際に、写し間違えが生じます。無意識にある部分を飛ばしてしまうことも起こります。あるいは、意識的に書き加えたり、削除されたこともあったでしょう。改ざんがなされたという指摘は、この意識的に書き加えられたり、削除されたことを主に指していると思われます。

そのような「改ざん」があったから、「聖書は人が作り上げた書である、神の言葉ではない」という指摘は、正しくありません。なぜなら、意識的な「改ざん」はもちろん、写し間違えたものは、正確にはもう聖書ではないからです。聖書として扱われているのは、写し間違えのない、「改ざん」がなされていないものだけです。

「改ざん」があったから、「聖書は人が作り上げた書である、神の言葉ではない」という指摘は、まるで、ルイ・ヴィトンのバックは模造品、偽物が存在するから価値がないと言っているのと同じです。どんなに模造品、偽物が存在しようと、本物のルイ・ヴィトンのバックが有している本物のルイ・ヴィトンのバックとしての価値を変えることはできません。

(つづく)