ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

5つの指摘(2)

2007-02-21 | 親切なお医者さん/ 5つの指摘
[指摘2]
「イエスが身代りの血を流し、このイエスを信じた者だけが救われる」というが、しかし霊界のどこを見てもそのような事実はない。イエスを信じたということだけで救われた人は、霊界には一人もいない。罪を贖ってくれる救い主は不要である。


[検証2]
その文章を書いた人たちは、霊の世界と「交信」をした結果、「霊界のどこを見てもそのような事実はない。イエスを信じたということだけで救われた人は、霊界には一人もいない」とわかったようです。だから、イエスが身代りの血を流し、このイエスを信じた者だけが救われるといことは、事実ではない。罪を贖ってくれる救い主は不要である、と指摘しています。

彼らがわかったこと自体を否定するつもりはありません。彼らが「交信した」霊たちは、確かに、そのように告げたのでしょう。そこから言えることは、あくまでも、彼らが「交信した」霊界の、そこにいる霊たちには、イエスを信じて救われた人がいない、あるいは、いることがわかっていない、もしくは、いることを話さなかった、それだけのことでしかありません。

たとえば、「スイカは暑い夏の日に食べるものではない」と言われたら、皆さんは、どう思うでしょうか。日本人なら、たぶん誰もが、「スイカ、暑い夏の日に食べんかったら、いつ食べんねん。アホなこう言うな」と思うでしょうね。ところがどっこい、インドシナ半島には暑い夏の日にはスイカを食べようとしない人たちがたくさいんいるのです。ただ、日本人がその人たちのことを知らないだけのことです。自分が知らないことは、いないことを意味しません。ただ、自分が知らない、それだけのことです。

その文章を書いた人たちが、霊の世界と「交信」をした結果、「霊界のどこを見てもそのような事実はない。イエスを信じたということだけで救われた人は、霊界には一人もいない」、だから、イエスが身代りの血を流し、このイエスを信じた者だけが救われるというのは事実ではない、という指摘は、あまりにも幼稚な思い違いです。単に、その霊たちのなかに、イエスを信じて救われた人がいない、あるいは、いることがわかっていない、もしくは、いることを話さなかった、たったそれだけのことです。自分が知らないから、いないと断定するのは、誤りです。

(つづく)