15日の東京株式市場の日経平均株価(225種)終値は、前週末終値比564円08銭高の3万0084円15銭だった。終値としてバブル経済期の1990年8月2日以来約30年半ぶりに3万円の大台に乗せた。日本中がバブルに湧いていた1989年12月29日、大納会でつけた3万8957円44銭が日経平均過去最高値。日経平均株価そのものはリーマンショックで9000円を切っている。「もうはまだなり、まだはもうなり」という相場格言がある。これは、「今に相場が崩壊する」という懐疑論が出るうちは強気の相場が継続し、楽観ムードが大勢を占めたところが大天井となる経験則。 下落の時期は予想できませんが、❝羹に懲りてあえ物を吹く❞相場崩壊を予想している人が多数を占めている、3月中は東京五輪開催が中止になっても大丈夫な気がします。
②16日午後2時15分時点の日経平均株価は、前日比607円19銭高の3万691円34銭。後場は、前場の好地合いが続き、徐々に上げ幅を広げ、3万700円近辺の高値水準で堅調に推移している。買い進む動きが続き、着実に上値を切り上げている。此の侭いけば年末5万円到達するかもしれません笑
以下抜粋コピー
日経平均株価が3万円を回復したことについて、三菱UFJモルガンスタンレー証券のチーフ投資ストラテジスト、藤戸則弘氏は、30年前は日本単独のバブルだったのに対し、今回は世界全体の流動性相場であることが異なると指摘する。企業収益の向上が見込めるため、なお上値余地があるとの見方を示している。
藤戸氏は、1979年に生命保険会社に入社後、ファンドマネージャーを経験。1999年に国際証券に入社後は調査業務に携わり、2010年から現職。80年代のバブルはバイサイドで運用、今回の上昇局面はセルサイドと、違う立場で市場をウオッチしている。
──30年半ぶりの3万円だ。
「最後に3万円に乗せていた1990年8月、起きた事件はフセイン大統領によるイラクのクウエート侵攻だった。平成の金融引き締め策も加わり、そこから株価は下げ続け、きょうに至るまで回復できなかったことを思うと感慨深い。当時、ファンドマネージャーとして、下落リスクから日経平均先物を売りまくっていたことを思い出す」
──80年代のバブルとは何だったのか。
「1985年9月のプラザ合意後の円高不況で、日銀が空前規模の利下げを実施、それによってカネ余りとなりバブルが生じた。ただ、バブルの中心となっていたのは土地であり、株式は二次的なものだった。そうした中、都内で土地を所有する企業が不動産代わりに物色された」
「当時はPER(株価収益率)が70倍に達した時もある。土地を買う感覚と同じだったので、フローの収益などは見られていなかった。債務超過であっても一等地を所有していさえすれば買われた訳で、今思えばかなり異常だった」
──当時と現在の違いは。
「景気悪化による金融緩和策と財政出動という仕組みは同じだが、前回は円高不況克服という日本単独のものだったのに対して、今回はコロナ禍克服のために、日銀、FRB(米連邦準備理事会)、ECB(欧州中央銀行)と世界3極がいずれも超緩和策を打ち出し、各国が巨額の財政出動を行うなど、世界的な潮流となっていることが根本的な相違点だ」
「かつてのPER70倍に比べると、現在のPERはS&P500で23倍、日経平均は24倍にすぎない。コロナ禍に対しイノベーション対応した企業の業績は好調だ。それらを買っている訳で、単に土地持ち企業を買っていた過去とは異なり、今は理性的な動きと言える」
──今後の日本株の見通しは。
「業績好調な業種は来期もさらに収益が上向くだろう。加えて、ワクチンの接種が始まれば、今後はコロナ禍で低迷した企業の業績回復も見込まれる。さらなる上値余地があるのではないか」
──現状はバブルではないのか。
「80年代後半は、東横線沿線の土地で1日に所有者が5人代わり、それぞれが20%ずつ利益を上げたという話もあったほか、料亭の女将に対して大銀行が投機目的の巨額融資をするなど、今では考えられないことも多かった。そうした意味では、今は理性がまだ残っている。株式市場でも好業績に沿って物色しているため、一概にバブルとは言えないだろう」