中小企業診断士 福田 徹 ブログ

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BSE発生が吉野家を救った話~成功体験からの脱却

2010年01月28日 | 福田徹の経営

 「企業を元気にして日本の明るい未来をつくりたい」

 皆様、おはようございます。私は中小企業診断士の福田徹です。

 今日は、米国でのBSE発生による米国産牛肉の禁輸措置が吉野家を救ったという話です。

 タイトルからしてなんだと思われる方が多いと思いますが、常識とは裏腹にBSEが吉野家を救ったとも言えることを書いてみます。


 2003年に米国内でBSEが発生したことにより、米国産牛肉を使用して牛丼を販売していた吉野家は、2004年から主力商品の牛丼を販売中止せざるを得なくなりました。

 米国BSEの発生当時は、単品メニューによる効率化を追及してきた創業以来の経緯から、吉野家のメインメニューは牛丼だけでした。

 もとから牛丼だけしかなかったわけですから、牛丼がなくなった吉野家は、そば屋にそばがない状態よりも(そば屋にはうどんも丼物もあることから)なお悪い状態におちいったのです。

 当然に売上と利益が大幅に低下し、吉野家が取ってきた「単品メニュー政策」と「牛丼用の牛肉仕入のほぼすべてを米国に頼っていた点」が、マスコミなどに批判されました。


 さて、ここで確認しておきたいことがあります。

 実は、吉野家も以前から、「単品メニュー政策」や「単業態」であることのリスクを認識しており、米国BSE発生まで20年以上に渡り実験店舗での新メニューの販売実証や新業態の開発を繰り返してきました。

 それは、牛丼以外の丼メニューであり、うどん店やカレー店などの新しい業態の開発や回転寿司への進出などです。

 また、BSE発生以前から、すでに中期ビジョンとして牛丼業態店を「牛丼専門店」と「新メニューと牛丼の併売店舗」に分けることを掲げていました。

 そこにもビジネスチャンスがあることは、以前より「松屋」「すき家」などの他の牛丼チェーンが、定食や牛丼以外の丼物を導入してきたことからわかっていたからです。

 しかし、牛丼以外の新メニューや牛丼業態以外の新業態は、吉野家という企業の枠の中ではなかなか育っては来ませんでした。

 当時の吉野家は、なぜ牛丼以外の新メニューや牛丼業態以外の新業態を育てることができなかったのでしょうか?


 それは、牛丼の商品力や牛丼業態のビジネスモデルが強力でありすぎたからです。

 吉野家の牛丼業態は、米国では用途が限られていて安価であった牛肉部位(ショートプレート)に目を付けたことをはじめ、集中仕入やセントラルキッチンなどのチェーンシステム、独自の味付けとローコストかつスピーディな店舗オペレーションが一体となって成り立つビジネスモデルでした。

 それは、牛丼が顧客に高い支持を得て来たということでもあります。

 この強力なビジネスモデルは、企業としての吉野家の成長とともに完成度を上げ、長期間にわたり高い利益率を誇っていました。

 新メニューや新しい業態を開発している際に、単品が前提の牛丼専門チェーンの利益率を基準にして考えてしまうと、どんなに優秀な商品や業態を開発したとしても利益率が低く見えてしまいます。

 牛丼専門店に集中してきたことは、有限な経営資源を利益率の高い事業に集中して振り向けてきたとも言えます。

 しかし、過去(その時点では現在の成功ですがビジネスモデルを作るという意味ではすでに過去)の成功体験に溺れていたとも言えるかもしれません。

 つまり、吉野家は「牛丼」が強力でありすぎたために、「牛丼」が利益を生み出している間は、「次の一手」を繰り出すことに本気になれなかった面があるといえるのです。


 ここで、自分からは変わることが難しかったこの企業に対して、強力な外圧として現れたのが、米国BSEによる米国産牛肉の禁輸措置です。

 2003年の年末になって米国産牛肉の禁輸がきまり、店舗で売る商品が無くなるという非常事態が発生しました。

 この非常事態に、吉野家は今までに開発してきた商品「カレー」や、グループ内の連携による商品「鮭いくら丼」などをメニューとして加えるなど、企業としての力を最大限に発揮して対処して、危機を乗り切りました。

 そして、さらにこれを契機に中期ビジョンにあった「牛丼専門店」と「新メニューと牛丼の併売店舗」に分けるという大改革をあっという間に成し遂げてしまいました。


 ところで、中食など食の形態の多様化や人の伸びが止まったこと、そして団塊世代の現役引退などから、外食産業は全体として衰退の過程にあります。

 少ないパイを外食各社で奪い合うにあたり、吉野家を含めた各牛丼業態チェーンも多彩なメニューで少しでも顧客をつなぎ止めるという状況にあります。

 すでにチェーンとしての店舗数や客数・売上について「すき家」グループに抜かれ、牛丼業界の首位を明け渡している吉野家の現状を考えると、BSEの時に変わることができなかったとしたら吉野家のシェアは現在よりもさらに低下していると考えられます。

 それは、牛丼単品によるボリュームディスカウント仕入や高効率オペレーションにこだわり続けて今にいたっていたなら、効率は高いままであったかもしれませんが、当然に相対的規模は現在よりもさらに縮小していたはずだということです。


 だから、逆説的ですが米国BSEが吉野家を救ったとも言えるのです。

 
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