中小企業診断士 福田 徹 ブログ

経営コンサルタント・中小企業診断士・ビジネスファシリテーターによる経営者・起業家・管理者向けブログ

こんこん靴市

2008年04月27日 | 福田徹の製造業


 台東区清川にある玉姫稲荷神社「こんこん靴市」に行ってきました。小雨が舞う中にも関わらず、多くの人が訪れており盛況でした。地域柄、路上生活をされている方の多い地域です。近くのアーケード商店街「いろは会ショップメイト」は、空き店舗が多くなっており、各店舗の皆様は苦労をされているようです。

    

    
 
 
  「こんこん靴市」は、昭和59年から玉姫稲荷を氏神とする近隣の靴関連業者が、商売繁盛と地場産業の発展を目的に境内を利用して行っているイベントです。靴などの革製品、衣類などが安く販売されると評判のイベントです。私も、手ごろな価格で品質が良い革靴を一足買いました。

    

 東京都内には、靴・カバン・ベルト等の皮革製品を作る製造業者が集中しています。特に、玉姫稲荷のある台東区内には、靴の製造業が集積しています。その地場産業である靴製造業の方々が地域ではじめた 「こんこん靴市」は、今年で25回目となりました。

 このイベントは地場産業と地域が手を組んで地域内外から、多数の人をよぶよい例ですね。

 「こんこん靴市」は本日(4/27)まで行われています。お薦めです。

住所:台東区清川2-13-20

吉野家という企業(1):環境変化への対応

2008年04月25日 | 福田徹の飲食業
 数日前に発表された米ナショナルビーフ社からの輸入牛肉へのBSE危険部位の混入のニュースを皆さんはどう捉えたでしょうか。吉野家の工場で発見された特定部位を含む牛肉は、吉野家HDの親会社伊藤忠が輸入したものでした。
 新聞やネットからの感触では、悪いのはアメリカ合衆国とナショナル社の姿勢にあるという意見が多く、吉野家は信頼を失わなかったようです。

BSEと吉野家の歴史を振り返る
 2001年9月、千葉県で北海道原産牛のBSE感染が確認され、社会問題化し、吉野家も売上の大幅減少などの打撃を受けました。
 2003年の年末に明らかになったアメリカの牛へのBSE感染により、主な輸入先であったアメリカからの輸入が不能になり、在庫切れにより翌年の2月には牛丼の販売を中止しました。その当時の吉野家での行列騒ぎを覚えておられる方も多いと思います。また、その他の牛丼チェーン各社ともアメリカ産の牛肉を使っていたため同様に販売を中止しました。
 その後、競合他社が相次いで、アメリカ以外の国からの牛肉を輸入して牛丼の販売を再開する中、「味」へのこだわりを表明しアメリカ産牛肉の輸入再開までの間、牛丼の販売を中止し続けました。
 「味」へのこだわりとは、オーストラリア産の牧草を餌とする(グラスフェッド)ではなく、穀物で肥育した(グレンフェッド)牛の方が、牛丼に合い、吉野家の顧客はそれを望んでいるため、穀物肥育の多いアメリカ産牛肉を待つというものでした。
 2003年末において、競合他牛丼チェーンは、松屋は定食、すきやのカレー、なか卯のうどんなど他のメニューを取り入れた商品構成であり、BSEの打撃を受けたのの吉野家に比較すると客数の減少はわずかなものに留まりました。
 それに対して当時の吉野家店舗は、牛丼とその関連商品のみの牛丼単品の商品構成でした。そばやでそばを売れなくなる。うなぎ屋で・・・。想像に難くないとおり、相当な客数減少の打撃を受けました。

リスクは考慮されていたのか
 
この場合のリスクとは、単品メニューのリスクと一国からの仕入のリスクが主になると思います。
 一国からの仕入のリスクは、当時の牛肉市場の特質から考えると回避するのが難しく、リスクは認識していたが容認していたと考えられます。市場が大きいアメリカでは規模の大きな食肉加工業者・商社があり、特定の部位を大量に集める事が出来ます。吉野家が使用するショートプレート(バラ)という部位は、世界最大の牛肉生産・消費国であるアメリカであるからこそ、大量に仕入れる事ができたのです。
 単品メニューのリスクは、吉野家グループとして新業態を開発することにより回避を図ろうとしていました。古くは、カレー、うどん、また、近年は回転寿司やカレーうどん、惣菜店などの新業態店舗を数多く出店し、チェーン事業展開の機会をうかがってきたのです。

新業態開発の壁
 カレー店などは、店名やコンセプトを変えながら長年開発を続けていましたが、なかなかよい結果がでませんでした。
 それはなぜか。私は、吉野家の「吉野家」業態が強すぎたからだと考えています。「吉野家」の単品商品構成は、次のようなメリットを持っていました。
 1)材料の標準化(Standardization)による仕入コスト低減
 2)オペレーションの単純化(Simplification)による高効率
 3)牛丼への専門化(Specialization)による品質向上
 この1)~3)により、「吉野家」は外食産業でも高利益率と高い顧客支持を得てきたのです。
 吉野家自らの成功例が強すぎたため、内部で開発してきた新業態が社内で霞んで見えてきたのです。だから、業態開発が進まなかったのです。それでも吉野家の「吉野家」が好調なうちは良かったのです。

米国BSE発生後の対応
 企業が、最初に成長するためには吉野家の「牛丼」「吉野家」のように、大ヒットの商品や業態が必要です。しかし、企業が外部の環境変化を乗り越えて永続(ゴーイングコンサーン)して行くためには、社会や市場など外部環境の変化に次々と対応していかなければなりません。

 吉野家は、2003年末からどう変わったのでしょうか? そばやでそばがない状態から、どうやって立ち直ったか?その後の新業態は?これまで興味と関心をもって吉野家が今回の事態にどう対応したのか、私の興味は尽きません。
 次回は、2003年末からの吉野家の変化を見ていきます。

コンサルタントの仕事:山田日登志さん

2008年04月15日 | 福田徹の製造業
 NHKプロフェッショナル仕事の流儀「工場再建・山田 日登志」という番組を観ました。
 山田さんは、現場に潜むムダを徹底的に排除することで、工場の力を最大限に引き出すコンサルタントです。また、90年代にソニーやキヤノン、NECなどの工場でセル生産方式指導したことで有名な方です。
 番組では、山田
さんがコンサルタントとして、「ムダを見つけて指摘する」「あえて鬼になって意識を変えさせる」「さらに突き放して自分たちで考え、工夫させる」ことにより、工場の生産性を大きく向上させる様が描かれていました。
 山田さんは、「
社員のやる気を引き出せば、工場は無限に強くなる。」という信念を持っています。そのために、駄目な点はハッキリと指摘し、時には厳しいことを言う、また時には突き放して自主的現場改善を求めます。

 製造業の現場では、皆が真剣に良いものをつくろうとしています。ところが、作業者がよかれと思ってやっている事が「ムダ」であることがあるわけです。コンサルタントの目から見るとムダな事でも、作業している者からすると誇りを持ってやっている自分の仕事です。下手に指摘しても反発をされて改善は進みません。だから、作業者の意識を変えて、工程を改善していくことは非常に難しいことなのです。さらに、こうした工程改善を自律的(自分たちで考え、続ける)にさせることは困難を伴うことです。

 その点山田さんは、時には「冷静な専門家」として問題点をズバッと指摘し、また時には「信念を楯に一歩も引かない指導者」として意識変革を促進し、そしてやがて、育った子どもを親離れさせ巣立たせる「父親」役を演じます。状況に応じて一人で複数の役割を演じわけることにより、作業者の意識を変革し、作業者が自律して工程改善を続けるところまで現場を育てるのです。

 経営者の意図の元、企業外部の者として現場に的確な影響を与えて成果を上げていく。この仕事の魅力の一つは、人と組織の成長に立ち会える事だと、私は思っています。
 私は、この番組内で山田さんに導かれ本人の工夫により工程改善を果たした現場作業者のうれしそうな顔と、それをうれしそうに見つめる山田さんの表情を忘れません。これからのコンサルタント活動における励みにしたいと思います。

企業の社会貢献:日立中央研究所一般公開

2008年04月14日 | 福田徹の経営


 日立製作所中央研究所の庭園開放(一般公開)にいってきました。

 国分寺駅にほど近い日立中央研究所は、東京ドーム5個分の広さを誇り、敷地内は武蔵野の雑木林が広がっています。
 国分寺崖線と呼ばれる多摩川の河岸段丘谷戸が所内に広がっており、崖下から豊かな湧き水が湧きだし、一級河川野川の源流となっています。この地域から流れ出た野川は、世田谷の等々力渓谷までの約20?をこの崖沿いに流れ、やがて多摩川に注ぎます。

 この緑豊かな研究所が、年に二回だけ一般公開されています。
 当日は、小雨がちらついていたにも関わらず、多くの方が来場されておりました。私も特徴的な地形や湧き水、八重桜、珍しい御衣黄(ぎょいこう)などを堪能しました。

 この研究所は、周辺住民から見ると羨ましい自然空間であり、日立の合理的株主からは駅に近いまとまった土地は、売却して株主に還元出来るという意味でおそらく「現金」に見えることでしょう。そのため、この施設を維持するにあたり近隣への配慮と株主への説明が必要となるのです。
 近隣への配慮の一貫として、今回のような一般公開が行われていると考えられます。
 また上記リンクによると「日立中央研究所は昭和17年の設立以来、構内の自然環境の保全に取り組んでいます」とあり、日立はCSR(企業の社会的責任)や環境方針とからめて、この土地を維持することについて株主への説明を果たし、今後も維持・保存していこうという姿勢のようです。

 一つの企業が、維持・発展する事によって、武蔵野の姿が守られる。これは、その企業の価値の一つであり、顧客・従業員・経営者・株主の社会貢献への喜びに直接間接につながることです。

 こうした社会貢献はべつに大企業だけの話ではありません。中小企業においても、経営に活かして行くべき考え方です。日立のように大きな資産をどうこうする話だけが社会貢献ではありません。小さい企業がコストを掛けずにする社会貢献もあるのです。
 たとえば、ある小規模製造業企業では企業の目的として
「社員、お客様、取引先、そして地域が当社の仕事を通して幸せになる」
 とうたい、経営者がそれを社員に伝え、また自らが範を示して実践してきました。
 するとやがて社員の営業活動、製造活動が顧客本位の考え方に変化し、社員が個人としても消防団などの地域活動を積極的に行うようになった、という事例があります。

 本来企業とは「企業価値を高めながら永続すること」が存在する目的です。 しかし、それだけでは、
顧客・従業員・経営者・株主・といったステークホルダの満足を得る事ができません。「商品を買うかいがある」「働きがいがある」「経営のしがいがある」「投資しがいがある」ことの中身には、自分の行為が社会貢献につながるという「喜び」が含まれているのです。
 これは、大企業でも中小企業でも同じです。別にコストを掛ける話とは限りません。
 また、経営者の方の考え方一つで、企業の内部環境を変える事が出来る機会でもあります。ぜひ、「社会貢献」に取り組んでみてはいかがでしょう。
 私がお手伝いします。具体的提案については、お気軽にご相談下さい。


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ビジョンの大切さ:派閥資金集めパーティー

2008年04月11日 | 福田徹の経営


,△訐萓犬里款匆陲納嬰濤眤芝匹離僉璽謄忙臆辰気擦討い燭世④泙靴拭br>  参加というよりも、ほとんどミーハー気分で有名なセンセイ方を眺めてきたと言った方が正しいかもしれません。

 この種のパーティーには初めて参加しました。おもしろく感じたのは、いろいろなタイプの方がみえていた事です。センセイの地元のおばちゃんから、経営者、ドクター中松さん!など地域・年齢・立場もいろいろな方々に政治家は支えられているのだという事がよくわかりました。
 逆に考えると、こうした様々な方々の期待を背負っているわけで、政治家が支持者の代弁者となっている面が大きいことを感じます。
 政治家が支持者の代弁者となることが、悪いわけではないのですが、利益誘導とまでは言わないとしても、利益調整の比重が大きな政治になっているのはこまるな、と感じます。
 私は、政治家とは自分が持つビジョンを明確に示して、ビジョンの実現に向けて、支持者=国民をリードしていく存在だと考えています。
 そういう意味では、現在の政治家の多くが、個々の政策論を語ってはいても、魅力あるビジョンを語っていないと私は思います。
 別に、自民党とか高村派とかに限った話ではないのでしょうが、かのパーティーのどの方のスピーチも、権力闘争・政治日程の話が多く、日本の未来を語るお話がなかったのがとても残念でした。

 ビジョンを明確に示して、ビジョンの実現に向けて(企業を)導く。これは、経営者と同じですね。ビジョンがなければ、企業も、どこに進んで良いのかがわかりません。
 経営におけるビジョンとは、日常の業務から、投資などの大きな意志決定の場まで、社員など構成員の行動ひとつひとつに影響を与えるものです。「○年後~をめざす」といったビジョンがあってはじめて、社員など構成員は、同じ方向に向けて力を発揮する事ができるのです。
 社員のベクトルを合わせることができる企業は、成長のスピードが速くなります。ベクトルを合わせるためには、適切なビジョンを持つことが重要です。明確なビジョンをお持ちでない企業様には、このブログをお読みいただいたことを機会に、明確なビジョン策定をお薦め致します。

 明確なビジョンの策定方法については、このブログでご提案させていただきます。

経営コンサルタント宣言

2008年04月11日 | 福田徹の生き方


経営コンサルタントは、

 企業の顧客、経営者、株主、従業員(=ステークホルダ、利害関係者)の意をくみ取ること、そして鳥の目、虫の目、魚の目をでみる能力が要求されます。鳥は全体を俯瞰し、虫は部分を細かく、魚は流れをつかむことが出来ます。
 コンサルタントはこれらの人々の様々な利害と、視野や角度の違う視点でモノや事を捉え、企業の継続と発展に協力させていただくのです。
 私は、企業の継続と発展に協力することにより、企業と共にコンサルタントも成長させていただくことがこの仕事の最大の喜びであると考えます。

 ご存じのとおり、国内中小企業は原材料価格の高騰、需要の頭打ち、競争の激化等により厳しい経営環境にあります。また、事業継続が可能な企業であっても、後継者の不在や代表者の高齢化を理由にした事業縮小や廃業を検討しているケースが多くなっています。
 私はこうした厳しい経営環境下にある企業様に具体的な助言をおこない、事業を継続・発展させるお手伝いをしていきます。

 今後の日本経済発展は、国内企業の大多数を占める中小企業の継続と発展なくしてあり得ません。つまり個々の企業様の継続と発展は日本経済の継続と発展そのものであり、経営コンサルタントは社会の明るい未来のためのお手伝いが出来る素晴らしい仕事であると考えています。
 
 私は不足する知識経験を積極的に補いつつ、困難があっても乗り越えて、経営コンサルタント業を通じて企業様と共に成長していきたいと考えております。

 どうぞよろしくお願い致します。