安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

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緊縮財政と健全財政の違い。。。減量の経済学

2022-06-18 02:23:40 | 政治
この方の動画を引用すると、私の意見が説明しやすいので、どうしても紹介することになります
今日も動画を先にご紹介します


容姿のことを言うと失礼になるかもしれませんが、最近、三橋さんの人相があまりよろしく見えないのが気になります
最近は国会の積極財政派が強く意見を言うようになってきているわけですが
私の考えでは、政府が債務を一時的に増やすのは別にかまわないのですが、本当はそれとセットでやらないといけないことがあります
それが”政府の減量化”です

結局、貨幣の仕組みを理論で解明したまではよいのですが
その理論が広がっていった場合に結局どうなるのか?結果が良いのか?悪いのか?という事が一番大事なわけです
そこまでのことに理解が及ばないことが、三橋さんの限界なのだと、私は感じるわけです
これは「知性」というよりも、むしろもう一段上の、「認識力の問題」、つまり「悟性」の問題だと思います
「理論的に正しければ、それを進めていけばいいのだ」となった場合、「何が問題になるのか?」にまで想像力が及ばないわけです

哲学者カント以降、世界は人間の理性というものを最上の価値として、価値判断を下すような風潮、流れが起きてきましたが
もともと、ギリシャ哲学を祖とする哲学は、「神」とか「イデア」というような
形而上学上の存在を、至高の価値として認める価値観の上に構築されていました。。。人間の理性が最上の価値ではなかったのです

例えば、三橋さんが正しいと思っている反グローバリズムの国家、つまり「国民国家」という国の形は
実は、人間の理性によって民主主義的に創られた国家ではありません
「国民国家」という、反グローバリズム的な国家は、もともと旧約聖書の時代に「神の啓示」によって創られたものです
カナンの地、つまりイスラエルは、神の啓示による国民国家として
「他国を侵略せず、すべての国の自決権を尊重する」ことを、「神の定めた法」として原則化した国家として建国されたものでした

この国民国家の根本原則は、当時の人間の頭で考えたものとは、私には到底思えないのです
それは、弱肉強食の時代において、多様性を認め合い、他国の権利を認め合う
そうした、「人間の目よりも、もう一段高いところから見た国家のあり方」だからです
それを神が啓示という形で降ろし、人間に法として従わせた。。。というのは、とても頷ける話なのです

逆に、カントが人間の頭で理性的に考えたのは、世界を一つの考え方で統一するという
グローバリズム的な世界統一政府というものでした
その理想論によって、多様性を認めず、多言語を認めない、不寛容な全体主義国家がいくつも生まれてきています
確かに、世界を一つの価値観でまとめてしまえば、理論的には平和が来て、上手くいくように思うかもしれませんが
現実にはそうはならず、グローバリズム的な統一政府の考え方は、様々な不幸を生み出すことになったのです

人間の理性は確かに素晴らしいように見えるし、民主主義も素晴らしいように見えるのだけれども
本当は、それほど万能でもなければ、素晴らしいものでもないのです

ソクラテスが「ソクラテスの弁明」で語った、ギリシャの民主主義制度の矛盾も
民主主義社会は、多数の意見を神の意見のようにありがたがるが
多数の意見はまた、判断をよく間違えるものだという事を明らかにしています
プラトンが「国家」で語ったことも、民主主義的な多数の意見よりももっと高次な、形而上学的な正しさというものがあり
イデアや神を至上の価値として置いた哲人政治がありえる、ということを説いたものです

難しくなりましたが、要は私が何を言いたいかというと
論理的に正しいものだとしても、それを推し進めていくときに、「人間の頭で考えたようにはならないことが多い」という事です

三橋さんは、ニューディール計画を非常に美化していますが、ニューディール計画は、何度も言いますが失敗しています
その原因は、人間の理性というものが、それほどあてになるものではなく、国のすべてを見通せる人などいないからです
人間は権力を持つと、その力を拡張したくなるものです
たとえば、政府が強大な予算を得て権力を持つと、その力で国民をコントロールしたくなるのです。。。
つまり、自らが国民の支配者として、「神」に成り代わりたくなるのです

いま、政府はワクチンを国民全員に打たせようとしているようですが、これなどちょっと考えられないような横暴です
緊急事態法だって、必要だという人もいますが、私はそうは思いません。。。政府が国民を号令一つで動かしたいのではないですか?
政府の命令一つで、経済を止めさせてでもロックダウンをしたりね
最近でもありましたね?カナダのトルドー首相がトラック運転手を緊急事態法の乱用で不法に拘束した事件が

政府が使えるお金を増やすということは、政府の権限を肥大化させるという事なのです
政府がバラマキを増やすという事は、「国民が、時間をかけてじわじわと政府に飼いならされる」、ということです
デジタル庁とか、子ども家庭庁とか、環境省とか、とかく政府は大きくなる傾向があります
そういう省庁が作られるたびに、実は国民の自由度は下がる、ということなのです
これはね。。。ここに気が付くのは「悟性」が必要なんです
物事の道筋を見通す目が必要なんです。。。

自由というものは、大事にしなくちゃならないんですよ。。。ここに気が付くのは、理性だけじゃ無理なんです
これは一種の「悟り」なんですね。。。三橋さんに足りないのは、実はここなんですよ
ということで、また次回に
コメント
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