釈さんに、もっと具体的な政策を示してほしかったというコメントなども散見されてますが。。。
私が本当に大切だと思う事は「理念を打ち出すこと」だと思います
私は釈さんの言論に同意します
私はこの日記において、以前にも、「以下の内容」を語ったことがあるかもしれません
「人間が人間として生まれて、働かずに楽をして、享楽の限りを尽くしながら生きることだけが目的なら
わざわざ人間として生まれてくる必要など無かったのではないか?」
それが私の偽らざる本音です
なぜかというと、そんな暮らしは、生まれる前の世界においては、すべての人間が。。。いやすべての魂が、ごく普通に得られていたものだからです
人間が生まれてくる前の、魂の世界においては、人間はある程度自由自在な存在です
そもそも、人間として生まれてくる前の魂は、生きるための労働をする必要が「一切」ありません
食事をする必要もなく、思いを集中すれば好きなところへ移動ができ、好きな景色を眺めながら、気の合う仲間たちと暮らしています
服装などは、ブランドなどを着飾らなくても、思いによって好きな服に着替えることもできるし
その気になればおいしいものを食べるような感覚を味わうことだってできます
テレビや映画のようなものだって好きに見る事ができるし、それによってお金を要求されることもない
この世で多くの人が憧れる贅沢な調度品や住居だって、思いを集中することで好きなように手に入る
もちろん、魂は睡眠をとる必要はありませんし、お腹が減ることもない、働いてクタクタになることもない
そんな暮らしを、程度の差はあれど、実はすべての人が経験しているわけです
さて、そんな自由な暮らしを満喫していた魂が、なぜにこの現世に、まさに地獄のように不自由な地上に生まれてくるのか?
その理由は一つなんですよ。。。それは「別の体験がしたい」ということなんです
ずっと何不自由なく暮らしてきた魂が苦痛を感じるとき、それは「退屈してきたとき」なんですよね
自由で何不自由ない暮らしの中で、「幸せを感じなくなる」ときが来るわけです
そんな時に、新たな体験として、「不自由な人間の世界に生まれて、新たな経験をしたい」と考えるわけです
これが、魂が人間として生まれ、転生輪廻して、新たな個性として生まれ変わることの理由なんですよね
私は思うんですが、神様って本当に粋なことをするなって思うんですよ
魂として、ずっと同じところに、同じ個性で、同じ名前で存在していたとしたら。。。それは魂がまったく喜びを得られなくなる
変化がない日常が苦痛になる
だからこそ、この地球において、地上と霊界との間で魂が生まれ変わる仕組み(転生輪廻)を創った。。。と思われるのです
生まれ変わりなんてあるわけない。。。と思われる方がいるのは自由ですが
実は、人間よりももっと高次な存在が、人間がもっと幸福を感じられるようにと、日々変化し、進化していく仕組みを作ったのだと思います
要するに、転生輪廻というものは、その仕組みを考案し、実際にそれを創造した高次な存在がいるのだと、私は思います
「思いは実現する」という、成功哲学の言葉がありますが、まさに魂の世界においては、思いが具体的で、かつ緻密で高度なほど
綺麗に光り輝く世界で、自らも光り輝く存在として生きる事ができるそうです
要するに、すべては心の中の思いが具現化、具体化する世界であり
その人その人、各人の心の(想像力の)能力差が、魂の世界においては、住む世界の違いを決定づけることになります
つまり、努力によって自らの心を磨いた者が、さらなる進化を遂げて高次な世界へと移行していく
これが真実の世界観だと言われています
つまりですね、この地上世界は魂を磨くための、一つの経験学習の場なんですよ。。。神様が我々に体験を通して成長する喜びを与えてくださっているわけです
誰かに何もかも与えられ、楽して享楽的に生きられたとしても、それによって人間の魂が成長することはありません
それは自らが努力して得る喜びを、自ら放棄しているからです
動画の中で言われていることとして、トラックの運転手が、家族のために少しでも努力して、お金を稼ぐという事は素晴らしい事じゃないですか
日本人はいつから、勤勉に働くことを「ブラックだ」などとして、嫌悪するようになったのでしょう
過去、イギリスが世界のリーダーとなったとき、イギリス人の中で盛んに読まれたのがスマイルズの「自助論」でした
これは「勤勉の精神が道を開く」という体験談を数多く記録したものです
アメリカが世界のリーダーになったのも、その立役者たちはWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)であり
その彼らの精神的主柱は、カルバニズム的なキリスト教精神による世俗内禁欲と、天職を全うすることを善とする勤勉の精神でした
つまりキリスト教的な「我欲を慎み、勤勉に働く」という宗教的精神でした
今の政治のように、政府が民間企業に制限をつけてコントロールする。。。国民に余暇とゆとりを強要するなんてことはまったくお話になりません
私は、国民が今の政府への批判をすることはまっとうだと思いますが
しかしながら、自らもまた、国民として大切な精神性を置き忘れてきてしまっていることを、思い出すべきだと思います
釈さんの動画、一度ご覧ください。。。素晴らしい内容でした
それでは、また
私が本当に大切だと思う事は「理念を打ち出すこと」だと思います
私は釈さんの言論に同意します
私はこの日記において、以前にも、「以下の内容」を語ったことがあるかもしれません
「人間が人間として生まれて、働かずに楽をして、享楽の限りを尽くしながら生きることだけが目的なら
わざわざ人間として生まれてくる必要など無かったのではないか?」
それが私の偽らざる本音です
なぜかというと、そんな暮らしは、生まれる前の世界においては、すべての人間が。。。いやすべての魂が、ごく普通に得られていたものだからです
人間が生まれてくる前の、魂の世界においては、人間はある程度自由自在な存在です
そもそも、人間として生まれてくる前の魂は、生きるための労働をする必要が「一切」ありません
食事をする必要もなく、思いを集中すれば好きなところへ移動ができ、好きな景色を眺めながら、気の合う仲間たちと暮らしています
服装などは、ブランドなどを着飾らなくても、思いによって好きな服に着替えることもできるし
その気になればおいしいものを食べるような感覚を味わうことだってできます
テレビや映画のようなものだって好きに見る事ができるし、それによってお金を要求されることもない
この世で多くの人が憧れる贅沢な調度品や住居だって、思いを集中することで好きなように手に入る
もちろん、魂は睡眠をとる必要はありませんし、お腹が減ることもない、働いてクタクタになることもない
そんな暮らしを、程度の差はあれど、実はすべての人が経験しているわけです
さて、そんな自由な暮らしを満喫していた魂が、なぜにこの現世に、まさに地獄のように不自由な地上に生まれてくるのか?
その理由は一つなんですよ。。。それは「別の体験がしたい」ということなんです
ずっと何不自由なく暮らしてきた魂が苦痛を感じるとき、それは「退屈してきたとき」なんですよね
自由で何不自由ない暮らしの中で、「幸せを感じなくなる」ときが来るわけです
そんな時に、新たな体験として、「不自由な人間の世界に生まれて、新たな経験をしたい」と考えるわけです
これが、魂が人間として生まれ、転生輪廻して、新たな個性として生まれ変わることの理由なんですよね
私は思うんですが、神様って本当に粋なことをするなって思うんですよ
魂として、ずっと同じところに、同じ個性で、同じ名前で存在していたとしたら。。。それは魂がまったく喜びを得られなくなる
変化がない日常が苦痛になる
だからこそ、この地球において、地上と霊界との間で魂が生まれ変わる仕組み(転生輪廻)を創った。。。と思われるのです
生まれ変わりなんてあるわけない。。。と思われる方がいるのは自由ですが
実は、人間よりももっと高次な存在が、人間がもっと幸福を感じられるようにと、日々変化し、進化していく仕組みを作ったのだと思います
要するに、転生輪廻というものは、その仕組みを考案し、実際にそれを創造した高次な存在がいるのだと、私は思います
「思いは実現する」という、成功哲学の言葉がありますが、まさに魂の世界においては、思いが具体的で、かつ緻密で高度なほど
綺麗に光り輝く世界で、自らも光り輝く存在として生きる事ができるそうです
要するに、すべては心の中の思いが具現化、具体化する世界であり
その人その人、各人の心の(想像力の)能力差が、魂の世界においては、住む世界の違いを決定づけることになります
つまり、努力によって自らの心を磨いた者が、さらなる進化を遂げて高次な世界へと移行していく
これが真実の世界観だと言われています
つまりですね、この地上世界は魂を磨くための、一つの経験学習の場なんですよ。。。神様が我々に体験を通して成長する喜びを与えてくださっているわけです
誰かに何もかも与えられ、楽して享楽的に生きられたとしても、それによって人間の魂が成長することはありません
それは自らが努力して得る喜びを、自ら放棄しているからです
動画の中で言われていることとして、トラックの運転手が、家族のために少しでも努力して、お金を稼ぐという事は素晴らしい事じゃないですか
日本人はいつから、勤勉に働くことを「ブラックだ」などとして、嫌悪するようになったのでしょう
過去、イギリスが世界のリーダーとなったとき、イギリス人の中で盛んに読まれたのがスマイルズの「自助論」でした
これは「勤勉の精神が道を開く」という体験談を数多く記録したものです
アメリカが世界のリーダーになったのも、その立役者たちはWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)であり
その彼らの精神的主柱は、カルバニズム的なキリスト教精神による世俗内禁欲と、天職を全うすることを善とする勤勉の精神でした
つまりキリスト教的な「我欲を慎み、勤勉に働く」という宗教的精神でした
今の政治のように、政府が民間企業に制限をつけてコントロールする。。。国民に余暇とゆとりを強要するなんてことはまったくお話になりません
私は、国民が今の政府への批判をすることはまっとうだと思いますが
しかしながら、自らもまた、国民として大切な精神性を置き忘れてきてしまっていることを、思い出すべきだと思います
釈さんの動画、一度ご覧ください。。。素晴らしい内容でした
それでは、また
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