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市営地下鉄呉服町駅から歩いて10分ほど、奈良屋町の裏通り、100円パーキングに隠れるように佇んでいるのが、「古渓(こけい)水」と呼ばれる井戸水です。太平洋戦争の戦火により焼失していましたが、2000(平成12)年に復元されました。
そもそも、この辺り一帯は、奈良屋町に統合される1966(昭和41)年までは古渓町という町名でした。その由来は安土桃山時代にまでさかのぼります。
かの千利休が秀吉の怒りをかったそのとき、京都の大徳寺山門に利休の木像を配置したのが、大徳寺の僧である古渓和尚でした。彼も秀吉の怒りにふれてしまい、当時筑前領主の小早川隆景に身柄預けとなり、博多の地へやってきたのが1591(天正19)でした。
そして、大同庵をひらき、点茶用の井戸水として使ったのが古渓水なのだそうです。現在も、火難除けに霊験あらたかとして地域の人に珍重されてるとか。
そういえば、明後日17日は命日「古渓忌」です。
そもそも、この辺り一帯は、奈良屋町に統合される1966(昭和41)年までは古渓町という町名でした。その由来は安土桃山時代にまでさかのぼります。
かの千利休が秀吉の怒りをかったそのとき、京都の大徳寺山門に利休の木像を配置したのが、大徳寺の僧である古渓和尚でした。彼も秀吉の怒りにふれてしまい、当時筑前領主の小早川隆景に身柄預けとなり、博多の地へやってきたのが1591(天正19)でした。
そして、大同庵をひらき、点茶用の井戸水として使ったのが古渓水なのだそうです。現在も、火難除けに霊験あらたかとして地域の人に珍重されてるとか。
そういえば、明後日17日は命日「古渓忌」です。
中でも枯野塚(2004年10月にはびっくりです。昔から好きだった芭蕉の枯れ野の句の記念碑が、小さいころよく行き来した道のそばにあったなんて。いままで全然知りませんでした。また訪れる機会があったらぜひ訪ねたいで
す。
特に「枯野塚」は、行かれればわかると思いますが、近所の方の協力なしでは、遺すのは難しいと思いますし。ぜひ、近所の方に迷惑のかからないよう、静かにご訪問ください。