博多★のらくら日記

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博多の町を東奔西走しております。
気が向いたときに更新します。

福岡県物産観光展示室

2006年03月27日 | 写メ日記
 さて、問題です。今回の画像の眺め、どこで撮影したものでしょう。正解は、福岡県庁の11階です。絶景でしょ? 県庁の11階には、「福岡県物産観光展示室」があって、展望室も兼ねています。
 その眺望もさることながら、展示室にある福岡県のいろいろな民芸品も一見の価値あり。福岡市にいながらにして、八女提灯や北九州の孫次凧などをみることができます。
 平日(年末年始除く)の 9:00~17:15 に開放されています。なかなか県庁に行く機会がない人も、ぜひとも足を運んでみましょう。なんだか、今回の日記、福岡県の広報みたい…。


博多漁港・かもめ広場

2006年03月21日 | 写メ日記
 2005(平成17)年3月20日午前10時53分頃、福岡県西方沖で発生した地震により、福岡が震度6弱の被害を受けてから、昨日で1年が経ちました。
 最も家屋の倒壊が激しかった玄界島の被害に限ると、負傷者19人、家屋の全壊107戸、半壊46戸、一部損壊61戸。島のほとんどの人が現在も、島と博多漁港かもめ広場に各100戸建設された仮設住宅にお住まいです。
 画像は、かもめ広場の仮設住宅。まわりにはマンションが建ち並び、近くには造船所もあります。この見知らぬ土地に1年…、故郷玄界島を思い出させるのは、潮の香りだけでしょうか。
 早々に玄界島の再建が始まって、島の方たちが以前のように家族で暮らせる日が戻ることを祈ってやみません。


奈良屋・古渓水

2006年03月15日 | 写メ日記
 市営地下鉄呉服町駅から歩いて10分ほど、奈良屋町の裏通り、100円パーキングに隠れるように佇んでいるのが、「古渓(こけい)水」と呼ばれる井戸水です。太平洋戦争の戦火により焼失していましたが、2000(平成12)年に復元されました。
 そもそも、この辺り一帯は、奈良屋町に統合される1966(昭和41)年までは古渓町という町名でした。その由来は安土桃山時代にまでさかのぼります。
 かの千利休が秀吉の怒りをかったそのとき、京都の大徳寺山門に利休の木像を配置したのが、大徳寺の僧である古渓和尚でした。彼も秀吉の怒りにふれてしまい、当時筑前領主の小早川隆景に身柄預けとなり、博多の地へやってきたのが1591(天正19)でした。
 そして、大同庵をひらき、点茶用の井戸水として使ったのが古渓水なのだそうです。現在も、火難除けに霊験あらたかとして地域の人に珍重されてるとか。
 そういえば、明後日17日は命日「古渓忌」です。


合格!(5) サクラサク

2006年03月08日 | 写メ日記
 本日は「ミツバチの日」、それはどうでもいいんですが、九州大学前期試験合格発表初日にして、福岡県立高校入試日。いろんな世代の受験生がドキドキした日です。
 賑やかそうなので、JR箱崎駅から歩いて10分ほど、九州大学箱崎理系キャンパスに潜り込んできました。たくさんの受験生がされてましたよ、胴上げ…。大学から出るときに待ち構えてたサークル勧誘、不動産案内の人達から声を掛けられまくりでした。さすがに私は受験生には見えないと思うんですが…、いったい私は何浪してるんだか。
 最後に、これから合格発表の人、来年またがんばる人に、最近は使われなくなった縁起のいい呪文を。

ゴウカク  サクラサク  オチャカオル  ダイブツヨロコブ
クジラガツレタ  ホクシンカガヤク  オバコワラウ
コマクサノハナヒラク  ゲンジカツ  モモタロウオニタイジ

そして、あなたにも
ミチザネコウノカオモホコロブ


那珂八幡古墳

2006年03月02日 | 写メ日記
春は名のみの
 風の寒さや…

 寒いですねぇ。今年も弥生に降る雪が見られるかも。この寒空の中、お散歩してきました。JR竹下駅の正面の通りを歩くこと約5分、左側にこんもりとした小山があります。そこにあるのが那珂八幡宮です。
 実はこの小山、元々は4世紀中頃に築かれた前方後円墳の一部なんです。推定全長85m、後円部の高さ約15mで、福岡平野の古墳では最古にして最大規模なんだそうです。
 副葬品に三角縁神獣鏡が出土していることから、古墳時代初頭の首長墓とされています。