goo blog サービス終了のお知らせ 

格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

大善裁判長の「無罪判決」は重大な「真実」を意図的に隠すための「目くらまし判決」!

2012-04-29 19:00:32 | 阿修羅

大善裁判長の「無罪判決」は重大な「真実」を意図的に隠すための「目くらまし判決」!
2012-04-28 01:31:34







一昨日(4月26日)午前十時東京地裁前に全国から集まった約400人の「小沢無実」「小沢無罪」を信じる支援者は判決結果を固唾を飲んで待ってい ましたが、突然正門付近から「無罪」の声が聞こえやがて「無罪」判決が出たことが確認されました。人々は笑顔で握手し抱き合い涙を流す人までいて 裁判所前は大きな興奮の渦が広がったのです。

大善文男裁判長と最高裁事務総局にぎりぎりのところで「有罪判決」を出させず「無罪判決」を出させたのは、国民の力であり国民の勝利なのです。

▲しかし手放しで喜べる判決内容では決してない!

しかし今日になって新聞報道で判決内容を読むと、手放しで喜べる判決内容では決してないことが明らかになりました。

大善裁判長の「無罪判決」は、小沢氏の虚偽記載の共謀は証拠不十分で無罪としましたが、石川知裕議員以下3人の元秘書が政治資金報告書に虚偽記載 したことを再認定し「有罪」を追認しているのです。

大善裁判長の「無罪判決」は、検察の捜査報告書の捏造や違法な取り調べを批判はしていますが、基本的な内容は昨年9月26日に「陸山会事件」の一 審判決で東京地裁登石裁判長が3人の元秘書の「虚偽記載」を認め有罪にした内容を引き継いでいるのです。

大善裁判長が「法の支配」の原則を尊重するであれば、検察による捜査報告書の捏造や違法な取り調べを認定して裁判自体を否定して「公訴棄却」すべきだったのです。

大善裁判長が「控訴棄却」せずに「無罪判決」を出したことの意味は、この「小沢裁判」がそもそも引き起こされた背景を一切不問にして国民の目から隠すためなのです。

2009年8月30日の総選挙では、小沢民主党が麻生自公政権を倒して本格的な政権交代を実現して小沢一郎氏が首相となることが確実となっていました。
戦後一貫して「特権・利権」を享受してきた米国支配層と自民党政治家と霞ヶ関官僚と財界と大手マスコミなどの「特権・既得」階層は、小沢政権が誕生によって自ら築きあげてきた「特権・利権」の基盤が破壊され崩壊する危機に直面したのです。

これら「特権・利権」既存勢力は小沢首相誕生阻止と小沢氏の政治生命抹殺の為に、検察による2度の強制捜査と検察と一体となった大手マスコミによる「小沢バッシング報道」による国民洗脳で小沢氏を民主党代表を辞任させ代わりに鳩山氏を首相にしたのです。

更に検察は小沢氏の政治資金管理団体「陸山会」の政治資金報告書の正当な記載内容にケチ付けして「政治資金規正法」違反容疑で3人の秘書を逮捕・ 起訴し、証拠がないために検察自ら起訴できなかった小沢氏に関しては、最高裁事務総局が実質敵に支配している「検察審査会」を使って捏造した捜査報告書を使って審審査委員を騙して「起訴相当議決」を2回出させ「共謀容疑」で「強制起訴」させたのです。

「小沢裁判」とは、「国民生活が第一」の政権公約を掲げ「特権・利権」勢力の支配構造に切り込もうとした小沢一郎氏の首相就任を阻止し彼の政治生命を抹殺し、民主党政権を乗っ取って骨抜きにした「戦後最大の政治謀略事件」であるのです。

大善裁判長の「無罪判決」は「小沢事件」は「戦後最大の政治謀略事件」であることを隠すための「目くらまし判決」なのです。

元検事で弁護士である郷原信郎氏はTwitterで「大善裁判長ら3人の裁判官としての矜持に敬意を表したい」とのコメントを書いていますが,彼は何もわかっていないのか、あるいはわかっていてもわざと触れないのか、どちらかでしょう。

(郷原信郎弁護士のコメント)

<小沢氏無罪。あまりに当然の判決だが、その「当然の判決」をすることが、大善裁判長ら3人の裁判官にとっては、とてつもなく大変なことだったの だろうと思う。主文を2回読んだ裁判長の気持ちもよくわかる。裁判官としての矜持に敬意を表したい。4月26日 郷原信郎?

▲2006年7月メキシコ大統領選挙と2009年8月日本の総選挙への「政治謀略」は全く同じ手口!

メキシコと日本の共通点は、共に米国の隣国であり共に米国の「植民地」であることです。

2006年7月のメキシコ大統領選挙では、「新自由主義」に反対する前メキシコシテイー市長のオブラドール氏が圧倒的な人気を得て新大統領に当選することが確実視されていました。しかしオブラドール氏の大統領就任を絶対阻止したい米国政府と保守政権は、強制捜査で秘書を逮捕し、大手マスコミを使って「バッシング洗脳報道」をさせ「投票結果を操作できる巧妙なソフトを仕組んだ電子投票機」を急遽導入して不正投票してオブラドール氏の 大統領就任を0.6%の票差で阻止したのです。

2009年8月の日本の総選挙では、「小泉構造改革」の失敗を批判し「国民生活が第一」を掲げた小沢一郎氏が率いる民主党が、自公政権を倒して政権交代することが確実でした。しかし米国と保守政権(自公政権)による強制捜査とマスコミによる「バッシング洗脳報道」によって、小沢首相は実現せず、逆に「虚偽記載の共謀容疑」で「検察審査会」によって強制起訴され刑事被告人となったのです。

小沢氏の代わりに首相となった鳩山由紀夫氏は「母親からの政治資金問題」で検察の強制捜査と大手マスコミによる「バッシング洗脳報道」を受け「普天間基地問題」で米国から「殺人脅迫」を受けて「辺野古移転」に転換して辞任したのです。その後首相に就任した菅直人氏は民主党内の「新自由主義・ネオコングループ」である仙石氏、前原氏、岡田氏、枝野氏などと一体となって「小沢民主党」を完全に乗っ取ったのです。

以下の記事は、3月28日に大阪で「なにわ市民セミナー団」が主催した「シンポジューム・検察・司法、マスコミを改革せよ」で「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」代表でラテン歌手の八木啓代さんが「メキシコの小沢事件」のテーマで話された内容を松代理一郎氏がまとめて「植草事件の真相掲示板」に投稿したものです。

●「メキシコの小沢事件」から学ぶこと「イカサマ電子投票、過激行動への挑発へ警戒を」松代理一郎氏

2012年 4月16日 「植草事件の真相掲示板」より転載

http://9123.teacup.com/uekusajiken/bbs/10240

3月28日のシンポジュームで、ラテン歌手、八木啓代(のぶよ)さんから「メキシコの小沢事件」と言われる話を聞いた。

 内容が、日本の「小沢事件」と、ほとんど瓜二つなのにびっくりした。

その「メキシコの小沢事件」とは、2006年7月2日のメキシコ大統領選挙に絡まる話でした。

その大統領選挙は、国民行動党 (PAN)のフェリペ・カルデロン候補と民主革命党(PRD) のロベス・オブラドール候補の一騎打ちだったそうです。

与党)国民行動党のフェリペ・カルデロン候補は、社会格差を広げる新自由主義政策を進めてきた現政府の継承による経済安定を強調。

一方、野党)民主革命党のロベス・オブラドール候補は、新自由主義からの転換と貧困層に光を当てる社会経済の格差是正を訴えて闘いました。

まさに、2009年の「小泉・竹中の市場原理主義」の自民党と、「国民の生活が第一」を訴える民主党の対決構図です。

 当然「権力」側に狙われたのは、「メキシコの小沢一郎」、こと、民主革命党のロベス・オブラドール氏です。

ロペス・オプラドール氏は、当時はメキシコ市長、腐敗した市政を改革。「市民のための政治」を実感させ、国民に高い人気がありました。

 脅威を感じた現体制側は、ロペス・オプラドール氏を、「政治とカネ」のでっち上げで追い落とそうと考えました。

現政権側は、まず「秘書がわいろを受け取った」と新聞に大々的に書かせることから始めました。

ところが、「これはでっちあげだ」ということがすぐ明らかにされ、このワナは失敗でした。

次は、ロペス・オプラドール氏に、「土地の買収で書類に不備があった」という疑惑を仕掛けました。

市の病院の前の道路を救急車が止められるように広げるにあたっての書類です。

事務担当が書類の訂正をすれば済む話です。

政権側は、執ように「政治とカネ」の問題としてキャンペーンを繰り広げ、人気を落とさせました。

この流れは、「小沢裁判」の「水谷建設から1億円のワイロ」「世田谷の土地購入疑惑」の流れとほぼ同じに見えます。

さらに、政権側は「大統領選にフェリペ・カルデロン候補が負ける」と見たのでしょう。

投票日直前に、大票田のメキシコ市に「電子投票」を急遽取り入れることにしました。

この電子投票とは、ブッシュ米大統領(当時)の弟が経営するフロリダにある、いわくつきの会社が得意とするシステムです。

 かねてより、「投票結果を操作できる巧妙なソフトを仕組んだ電子投票機」と言われていました。

 アメリカの大統領選挙で、ブッシュ氏がかろうじて勝利を得たとされるイカサマシステムです。

 民主党代表戦での「投票用紙集計の電子処理」、検察審査会の「イカサマソフト」、“ITの悪用”も一緒です。

 この”IT悪用”は、メキシコも日本も、どちらも、権力が絡み、周到に準備しないとやれない“大掛かりな謀略”です。

これらの「謀略」の結果、大統領選の結果は、わずか0.2%の差でロペス・オプラドール候補が”敗北”してしまいました。

選挙後、不正疑惑を抱き、オブラドール候補の呼びかけで、「大統領選挙の全投票数の数え直しを求める集会が開かれました。

メキシコシティの憲法広場には、7月16日、全国から80万人以上が参加して抗議しました。

30日には、メキシコシティで、オブラドール氏の支持者約120万人が抗議集会に集まりました。

支持者は、開票作業に不正があったと主張、集計のやり直しを要求しました。

このメキシコで、市民が100万人以上、“すぐに抗議に立ち上がる”というところは、凄い。

市民の行動力は、日本とはだいぶ違うようで、うらやましい気がします。

この国民の大きな抗議のうねりに、2006年8月5日、連邦選挙裁判所は、「全投票数の数え直し」と言うのロペス・オブラードルの異議申し立ては退け、「全体の約9%に当たる11,839の投票所についてだけ」開票やり直しを決定しました。

結局は、選挙結果を変えるには至らず、ロペス・オプラドール候補の「敗北決定」となりました。

この一連の「メキシコの小沢事件」の後ろには、当然、隣国アメリカの「謀略」の影がちらついています。

 日本とメキシコ、遠く離れた国で、瓜二つの事件が起こっています。「謀略」の作者、演出者が同じアメリカと言うことです。

この事件の相似性は、二つの国とも、「権力の中枢機能」が間違いなく、アメリカにある証拠かも知れません。

以上、八木啓代さん講演(動画&書き起こし)から、概略を整理致しました。

(参考)「シンポジューム 検察・司法、マスコミを改革せよ!(前):なにわ市民セミナー団(ツイートテレビhp)
<八木さん講演は、11m50s-30m45s>
http://www.ustream.tv/recorded/21418552

(転載終わり)

(終わり)



http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/4325a477cc986408ae095b7ce295e0fd






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小沢裁判:支離滅裂な判決文(徳山勝)

2012-04-29 18:27:55 | 阿修羅


小沢裁判:支離滅裂な判決文(徳山勝)
http://www.asyura2.com/12/senkyo129/msg/491.html
投稿者 判官びいき 日時 2012 年 4 月 28 日 18:35:47: wiJQFJOyM8OJo


26日の小沢裁判で「無罪判決」が下った。その判決要旨を一読した時、何とも言えない違和感があった。それは3つの争点の内、「公訴棄却」と「虚偽記載」については、指定弁護士の主張を入れたが、「共謀」については、「元代表の供述には、変遷や不自然な点が認められる」と述べながら、(小沢氏が)「05年分に計上すべきでないことを認識していなかった可能性がある」として推認無罪にしたことにある。

刑事裁判では公訴棄却でない限り「有罪」か「無罪」しかない。マスコミが言うような「クロに近い無罪」などは存在しない。そして有罪を証明するのは、本裁判では指定弁護士であって裁判官ではない。裁判官は「法と証拠」に基づいて、淡々と判決を下せばよい。処が大善裁判長は、独善的な論理を展開し、推認をした。一言で言えば「支離滅裂」な判決文で、彼の本質が登石裁判官と何ら変わらないことを示した。

小沢裁判の本質は、既得権益側が政権交代を阻止しようとして起こした事件である。このことについては、いずれ詳しく書きたいと思っているので省略するが、その事件の結末を、体制側は「有罪」で結びたかった。だが、検察審査会を悪用したことによって、一つの録音が特捜検察の腐敗を暴き、さらには検察審査会事務局から、最高裁事務総局の存在までが暴かれ始めた。そこで「無罪」で幕引きを図ったのだろう。

おそらく体制内部では、小沢潰しの「有罪派」と組織防衛の「無罪派」のせめぎ合いがあったと想像する。有罪判決を下せば当然控訴となる。控訴審で傷を負うのは体制側である。それを避けるには公訴棄却しかない。だがそうすると「有罪派」の面子は丸潰れになる。そこで体制側に近い指定弁護士に、彼らの主張を丸呑みするから、控訴はやめてくれというサインを送ったのが、この判決文だと推測する。

判決文でまず驚いたのが、公訴棄却をしなかった理由だ。まず「検察官が、任意性に疑いのある供述調書や事実に反する内容の捜査報告書を作成し、検察審査会に送付したとしても、検察審査会における審査手続きが違法となるとは言えず、そのことは事実に反する内容が意図的に作成された場合であっても同様である」と述べ、検察審査会に提出された捏造報告書を含む審査を正当化している。それだけではないのだ。

この文章を読めば誰もが、「今後も意図的に捏造報告書を作成しても良い」との意味に解釈する。もし検察審査会が公開され、不起訴とされた者やその代理人が、その審査内容を知る権利があるならば、百歩譲って、この論理を受け入れよう。だが、検察審査会は非公開である。そこでの審査の正当性を担保するものは、審査会に提出された証拠しかない。その証拠が事実に反しても良いとは恐れ入った話だ。

さらに「仮に、意図的に作成された事実に反する内容の捜査報告書のために、検察審査員が重要な供述の信用性を誤り、起訴議決に至ったとしても、それで起訴議決が無効であるとするのは、法的根拠に欠ける」と述べている。何を言うかである。公訴棄却を定めた刑訴法338条4「公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとき」に立派に該当するではないか。

この詭弁の逃げ道として、この前段で「証拠の内容に不備があることと、手続きに不備があることとは別問題である」と述べている。「公訴提起の手続き」とは、何も検察審査会での手続きだけを指すものではない。捜査手法や証拠の採取などから、裁判所への公訴までの全過程を指す。なぜ、このような詭弁がまかり通るのか。それは、無罪判決の小沢氏が控訴できないので、誰にも反論の機会がないからである。

公訴棄却をせず、かつ共謀共同正犯で無罪にするには、虚偽記載という犯罪を捏造せざるを得なかった。そこで、会計学の大家である弥永筑波大教授の証言への反証も論ぜず、05年1月に登記日に支払い計上をしたことを「虚偽記載」だと決め付けた。「虚偽」とは、田代検事のように悪意を以って記載することである。司法書士のアドバイスに従って、合法と認識して行なったのだから、犯意がなく犯罪は成立しない。

また、政治資金規正法では、政治家個人からの一時的な金銭の貸与は、収支報告書の記載要項では記載しなくてよいとされている。即ち小沢氏個人から「借りた」4億円は、陸山会の会計報告書に記載する必要はない。従って、04年の報告書にある小沢氏からの借入金4億円は、登記簿謄本に「仮登記」(公開)された土地の仮払い代金と見做される。つまり、悪意或いは隠蔽の犯意があった「虚偽記載」とは言えない。

公訴棄却をしなかった理由の詭弁も、05年に報告した4億円を、証言への反証なしに虚偽記載として犯罪とした判決文を書いたのも、無罪判決を下された小沢氏が控訴できないことを、悪用したということになる。指定弁護士に対し「控訴はやめてくれというサイン」と書いたのは、控訴審になるとこの二つの虚構が崩れるからである。さて、指定弁護士はこのサインをどう受け止めるのだろう。

最後に私ごとを書くが、ある大学で法律を教えている筆者の息子が、偶々来宅した。
息子曰く「(判決文は)自分の学生の試験答案なら赤点。論理的に支離滅裂」と。
http://www.olivenews.net/news_30/newsdisp.php?m=0&i=12




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小沢報道は全部ウソだったと謝罪の必要

2012-04-29 06:05:50 | 阿修羅



小沢報道は全部ウソだったと謝罪の必要
http://gendai.net/articles/view/syakai/136366
2012年4月28日 日刊ゲンダイ


 無罪判決でも犯罪人扱い報道

 小沢元代表は、大新聞テレビを訴えた方がいいんじゃないか。そうでないと、連中は懲りない。この謀略報道の洪水は止まりそうにない。
 検察のガセ情報をさんざんタレ流して小沢の政治生命を抹殺したくせに、無罪判決が出た後も、「それでも残る疑惑」だの「国会で説明責任がある」と書き立てている大マスコミ。中には、「ほとんど有罪」の大きな見出しを掲げたり、識者のコメントを使って指定弁護士に「控訴しろ」とそそのかす記事もある。こうなるともう完全な人権侵害だ。人物破壊だ。
 どうして、そこまでして狂ったように小沢を葬りたいのか。一体、大新聞テレビはだれの回し者で凶器を振り回しているのか。

 そもそもこの小沢裁判は、「無罪判決」の中身を論評する以前の問題である。その価値もない。起訴したこと自体が疑惑、間違いだったのだ。
 政権交代直前の09年3月、地検特捜部は小沢の元秘書を突然、政治資金収支報告書の「記載ミス」という微罪で逮捕し、その立証が困難とみるや、別の秘書を立て続けに逮捕。収支報告書の「記載ミス」は無数にあるのに、小沢以外の政治家には目もくれず、執拗に小沢を狙い、失脚をもくろんだ。
 当初、特捜部は「ゼネコンからの裏献金があるに違いない」「小沢をやれる」と“妄想”を抱いて突っ走ったが、結局、何もナシ。すると、今度は、デッチ上げの捜査報告書を作って検察審査会(検察審)の審査員を“誘導”。ムリヤリ、小沢を「強制起訴」させたのが経緯だ。

 検察が勝手に筋書きを描き、見立てに沿う作文調書を作り、それでも起訴がムリなら検察審を使う――。どう考えても不当不法。こんなデタラメ捜査手法、起訴が許されたら、司法はどんな冤罪もデッチ上げられる。民主主義国家じゃなくなってしまうのだ。
 元毎日新聞記者で、政治評論家の板垣英憲氏はこう言う。
「民主主義国家には基本的人権を守るためのルールが決められています。つまり、適正、適法な手続きです。ところが、今回、検察の捜査手法は無法の積み重ねで、検察審の審査内容はいまだに分かりません。つまり、適正、適法な手続きとは到底、言えないのです。『小沢氏ならいいだろう』と軽くみるムードもありますが、有権者の負託を受けた政治家だからこそ、より慎重な手続きが必要なのです。今回のような捜査手法、起訴が許されるなら、誰でもすぐに犯罪者にされてしまう。大変、恐ろしいことです」
 小沢事務所が問われた取るに足らぬ政治資金の記載ミスに比べ、検察、裁判所がやってきたことは数倍、数十倍も悪質なことなのだ。

<その批判もなく小沢は実質有罪、政治的けじめをつけろと叫ぶ大マスコミの狂気>

 その意味で、小沢事件は司法の信頼の根幹を揺るがし、ゾッとする検察官による捜査報告書の捏造まで明るみに出た。
 それなのに、大マスコミは批判の矛先を司法権力に集中させようとしない。
〈結論はシロだが、「潔白」ではなく「灰色」という司法判断〉(読売社説)、〈裁かれたのは、私たちが指摘してきた「小沢問題」のほんの一部でしかない〉(朝日社説)などと、改めて小沢を責め立てる。本末転倒だし、トチ狂っているとしか思えない。
 そもそも大マスコミの小沢追及の論調はブレまくってきた。もはや一行も触れようとしないが、批判の出発点は「ゼネコンからの裏ガネ」だった。
 ところが、今は「収支報告書は秘書任せ」「秘書への監督責任」のみをあげつらう。実にチンケな話で、小沢の「道義的責任」「政治的責任」「国会での説明責任」を仰々しく糾弾するのだ。
 振り出しの「ゼネコンからの裏ガネ」はどうなったのか。小沢に「収賄」の嫌疑をかけた特捜部の「小沢との全面戦争」は、とっくに検察の敗北でケリはついている。
 検察は一連の捜査で70社近くのゼネコンを絞り上げたが、出てきたのは不可解な「水谷建設からの1億円」だけ。捜査に参加した元検事の前田恒彦受刑者(証拠改ざん事件で有罪確定)は、小沢公判でこう証言した。
「佐久間達哉特捜部長(当時)は、胆沢ダムを受注した元請け・下請けのゼネコンごとに、○○社が1億、××社が2億と夢みたいな妄想を語っていたが、現場は厭戦ムードが漂っていた」
 水谷からのカネだって、「石川議員を調べた吉田正喜副部長(当時)も、田代政弘検事も『アレはないんじゃないか』との心証を抱いていた」(前田受刑者)という。小沢が問われた政治資金規正法違反事件は、検察の妄想捜査の残りカスをかき集めたに過ぎないのだ。
「それも今回の無罪判決によって、小沢氏を罪に問える材料は全て消えたのです。だから、メディアは『政治とカネ』や『道義的、政治的責任』という漠然とした言葉で責めるしかない。検察と一体になって『小沢はワルだ』とあおった非を認めようとせず、悪あがきを続けているだけです。朝日新聞は社説で『政治的けじめ、どうつける』と小沢氏に迫りましたが、けじめをつけるべきは朝日の側であり、小沢バッシングに狂奔した全メディアです」(元NHK記者で評論家の川崎泰資氏)
 その朝日は「報道検証」と称して、「本紙は有罪決めつけていない」「検察リークありえない」と自己弁護していたが、ゴタクを並べるのは、どうでもいい。朝日はじめ、大マスコミは「小沢報道は全部ウソでした」と謝罪する必要がある。

<これで消費増税がつぶれたら困ると書くスリカエ>

 大新聞の狂気はそれにとどまらない。判決翌日の紙面でさっそく「増税法案、小沢氏無罪も影響」(朝日)、「消費増税に『足かせ』」(毎日)、「小沢系 増税阻止へ反攻」(読売)と大騒ぎしていた。“小沢は数の力で野田政権の邪魔をする”“消費税問題を混乱させるだけで、良い結果を生まない”と、こんな論調のオンパレードだ。
 しかし、消費増税が暗礁に乗り上げているのは小沢のせいか? そうではないだろう。国民の6割がノーと言っている増税に突っ走ろうとする野田悪政に正義がないのだ。経済評論家の上念司氏が憤慨して言う。
「デフレ下で消費税率を上げれば、税収が減ってしまうのは常識です。もちろん、財務省は百も承知。その証拠に、今月4日の国会で、『デフレ下で国民所得が減っている中、税率を上げれば税収は増えるのか、減るのか』と追及された古谷主税局長は、『減少します』とハッキリ答えています。要するに財務省は、国民は幼稚園児程度だとバカにして、何も知らせずにダマしているわけです。いま重要なのは消費増税ではなく、デフレを脱却して税収を増やすこと。それなのに、大メディアは小沢氏が消費増税を潰すのが悪いと非難している。揚げ句、消費増税に反対する人のコメントは、すべて“小沢元代表に近い関係者”と書く。小沢氏が反対するものは善なんだと読者に思い込ませてしまおうと、悪質な印象操作をしている。戦前のファシズム報道そのもので、こんなデタラメはありません」
 国を滅ぼすのは小沢ではない。消費増税であり、それを強行しようとする野田政権と財務官僚、その走狗と化した大マスコミの方だ。露骨で薄汚いスリ替え報道にダマされてはいけない。

<政局を書くのはそれだけ小沢の強大な力を認めているからだ>

 どうして大マスコミはここまで小沢にこだわるのか。一方では「広がらぬ賛同者」「党内で孤立」と書いているのだから、無視すればいいのだが、それをしない。要するに、小沢が傑出した力を持っていることをマスコミが一番よく知っているからなのだ。
「戦後、刑事被告人になりながら、これほど力を持ちつづけた政治家は、田中角栄と小沢一郎だけです。3年間も検察と戦い、党員資格まで停止されたのに、同志が140人もいるのは驚きです。損得を考えたら、小沢について行くメリットはない。大勢の仲間がいるのは、政治家としての実行力やビジョンが並外れているからでしょう。大手メディアが、狂ったように小沢の疑惑を騒ぎ立てるのは、気になって仕方がない、無視できない裏返しです」(政治評論家・本澤二郎氏)
 もし、小沢が取るに足らない政治家だったら、有罪だろうが無罪だろうが、無視している。
 大新聞テレビが、小沢の力量を認めながら、いや、認めているからこそ、なにがなんでも抹殺したいと考えているのが真相なのだ。

「大手メディアは、小沢が目障りで仕方ないのですよ。社説などでは、政治に“強いリーダーシップ”を求めながら、ホンネでは傑出した人物を快く思わないのが、日本のメディアの伝統です。しかも、小沢は、大手メディアの既得権益をブチ壊そうとしている。記者クラブ制度にメスを入れ、テレビの電波行政を変えようとしている。既得権にあぐらをかいている大手メディアにとって、これほど怖いことはない。力のある小沢は、絶対に潰したいということなのです」(本澤二郎氏=前出)
 それで小沢が復権すると、民主党政権が分裂する、社会保障と税の一体改革が遅れると騒ぐ。世間に“小沢不安論”をまき散らす。何かにこじつけてでも、小沢を排除追放したくてしようがないのだ。

<この国の大マスコミは戦前戦中と同じ権力走狗>

 こうしてみると、日本の大マスコミがいかに次元が低いかがよく分かる。国民を賢くさせて、国を豊かにさせる発想などゼロだ。小沢無罪判決を受けて、自民党の代議士がツイッターでこうつぶやいた。
「小沢には監督責任、道義的責任はあるが、判決が出た以上、国会でこの問題を引きずり、時間を費やすべきではない。デフレ円高脱却など、国会は前向きな政策論争を行い、一つ一つ方向を出していくべき」といった内容だ。小沢喚問を要求して、民主党政権を引っかき回そうとする自民党執行部まで皮肉ったのだが、本当の報道の役割とは、こういうこと。無意味な小沢喚問を書き立てることでなく、国民のためになる知恵を授けることだ。そこを自覚しなければ、日本の沈没を止められるわけはない。政治評論家の森田実氏がこう語った。
「この国はマスコミによって、どんどん劣化している。それは権力のチェックをせず権力と一体化してしまったからです。戦前戦中、軍部のお先棒を担ぎ、国民を戦争に駆り立てたマスコミは、その反省に立てば、国民生活を滅ぼす消費増税など逆立ちしても推進してはいけない。大衆を犠牲にしてはいけないのです。ところが、財務省や大政党、アメリカの手先として大衆を脅かして増税を進めて心が痛まない。大衆増税に反対の小沢さんたちのグループを率先して潰そうとする。腐ってます。権力の犬に成り下がってしまったのです」
 大マスコミがしつこく小沢抹殺報道を続けるのは、「自分たちは権力の走狗です」という堕落の正体をさらけ出していることを意味するのだ。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小沢無罪判決の本質 (永田町異聞)

2012-04-29 05:54:57 | 阿修羅

小沢無罪判決の本質 (永田町異聞)
http://www.asyura2.com/12/senkyo129/msg/437.html
投稿者 旅烏 日時 2012 年 4 月 27 日 14:24:58: SWN/9Stw90kzo


2012年04月27日(金)
小沢無罪判決の本質
http://ameblo.jp/aratakyo/entry-11234671973.html (全文転載)


「これから控訴するというのはなかなかつらいというのが正直なところです」

記者に控訴するかどうかを問われ、小沢裁判で検察官役をつとめた指定弁護士は苦笑いしてそう言った。

もともと、お気の毒な立場の方々である。自分たちが捜査したわけでもなく、証拠はもちろん、さしたる信念もないのに、行きがかり上、役柄を割り当てられて、仕事をこなしてきた。失礼ながら、東京地検特捜部の下請けのようなイメージで見られることもあるだろう。

そのあげく、東京地裁の裁判長に、あなた方の言うことはよくわかるとその努力をたたえられたうえで、それでも小沢氏が元秘書と共謀したという証拠はないと突き放された。これ以上、我々になにができるというのか…そんな気分にもなるだろう。

小沢無罪は、当然すぎるほどである。もちろん、東京地裁の判決内容の細部には問題もあるが、「任意性の疑いがある捜査があった。あってはならないことだ」と東京地検特捜部の取り調べを批判し、虚偽捜査報告書について検察の自浄的調査を促した点は評価できる。

最高検は、大阪地検特捜部のFD改ざん事件で見せた身内への迅速な捜査を、東京地検特捜部についても進めるべきであろう。

さて、小沢裁判の本質は、政治資金収支報告書の記載方法というチマチマした問題ではなく、政権交代前夜の首相候補者を抹殺しようとした検察(行政)権力の企てに、司法権力がどう対処するかという、その一点にあった。

04年の陸山会収支報告書に「小沢一郎からの借入金4億円」と明瞭に記されている以上、小沢氏に4億円の資金提供を隠そうという意図や理由があったとは全く考えられない。

にもかかわらず、むりやり「4億円には水谷建設からの裏金が含まれている」というストーリーをでっちあげたのが東京地検特捜部だった。

2009年春、麻生政権は国民の支持を失ってダッチロール飛行を続け、誰の目からも民主党への政権交代、すなわち「小沢総理」の誕生が間近に迫っていると見えた。

しかし、そのころ東京地検特捜部では、小沢民主党政権誕生を阻止する方策が練られていた。

自衛隊は別として、現代の公的暴力装置といえるのは、人をお縄にかけることのできる検察や警察、そしてペンや電波の威力で世論を変えうるマスメディアであろう。

それゆえにこそ検察は、政治権力ににらみを利かし、政治家をバカ呼ばわりし、司法記者クラブを通じてメディアをコントロールして、正義を体現する国家の主人公であるかのごとき幻想にひたっている。

彼らにしてみれば、政治家は誰しも叩けばほこりが出る汚れた存在だ。不動産売買などが目立ち、つねに彼らがマークしてきた小沢氏が、仕留めたい政治家のナンバーワンだったことは間違いない。

加えて、官僚支配体制の解体を唱えていた小沢に反発する空気は霞ヶ関全体を覆っていただろう。

自公政権下で検察内部の「裏金問題」を隠し通してきたことも、麻生政権救済へのモチベーションを高めたはずだ。政権が代われば自分たちの組織も安泰とはいえない。

「その道の第一人者をターゲットにする」といわれる国策捜査への着手に向けた流れは検察の穏健派にも押しとどめようがなかった。

特捜部が政治家への捜査で目をつけるのは当然のことながら贈収賄の匂いがする資金の流れだ。政治資金収支報告書への記載方法をめぐる些細な案件で小沢の元秘書らを逮捕したのは、ゼネコンから裏献金を受け取ったと口を割らせたいからにほかならない。

特捜部は小沢から出た土地購入資金4億円に裏献金が含まれていると思い込み、元秘書らを締め上げるとともに、関連する建設業者への事情聴取を躍起になって続けた。

しかし、元秘書らは裏献金を全面否定し、服役中だった水谷建設元会長の「5000万円を渡した」とする供述を除いて、何一つ小沢サイドに不利な証言は出てこなかった。

しかも、水谷建設元会長は、冤罪の疑いが濃い佐藤栄佐久元福島県知事の汚職事件で、佐藤の弁護士に「検察の言うとおりに証言した」と告白したいわくつきの人物である。当然、その証言は証拠価値が極めて薄い。

結局、特捜部の手もとに残ったのは、建設業者への取り調べメモ70通だった。そして70通のすべてが、「小沢側にカネは渡していない」など、小沢有利の証言ばかりだった。

東京地検は上級庁と相談のうえ、やむなく小沢起訴を断念した。しかし、「小沢一郎との全面戦争だ」と意気込んでいた特捜部の急進派検事たちはこの決定に納得しなかった。真相の追求という本来の任務から逸脱し、自己目的化した小沢抹殺という、歪んだ情念をもはやかき消そうともしなかった。

彼らが目的達成に一縷の望みを託したのは、あろうことか、東京地検の不起訴処分が適正かどうかを判定する検察審査会の市民たちに与えられた強制起訴という新権力だった。

自分たちの組織が決定したことを不当だとして、小沢を強制起訴してもらうことが彼らの新たな目的になったのである。

吉田正喜特捜副部長は「今回は小沢を起訴できないけれども、検察審査会で必ずやられる」と、小沢の元秘書、石川知裕衆院議員に語ったといわれる。

自分たちの組織の決定を否定されることを望む一種の倒錯的な言動だが、彼らの「気分本位」な行動原理のうえでは一貫性があるのだろう。

この国の政治は、菅政権、野田政権と移りゆくうちに、脱官僚依存、政治主導という政権交代の看板理念はどこかに消え失せ、いまや自民党政権時代に逆戻りしたかのごとく財務省を中心とした官僚支配が復活している。

このため、省庁縦割りの壁がたちはだかって震災復興への足取りは鈍く、揚げ足取りに終始する国会のていたらくで、必要な法案もスムーズに通らない。

このような国難の時こそ、勇猛果敢に政治決断のできる人物が必要であり、日本の政界を見渡すとき、その適格者がいるとすれば小沢一郎しか思い当たらない。

ところがこの国には、はるか昔から、中央集権官僚を軸とした既得権を守護するモンスターのような強力免疫システムが存在し、小沢のような異端者を見つけると撃退にかかる。

そこにマスコミはおろか「市民感覚」の衣をまとった正体不明の新権力「検察審査会」までが小沢退治に加わって、暴力的な政治破壊へと突き進んだ。

それは、まさに小沢が法廷で次のように陳述した戦前の歴史を彷彿とさせる。

「日本は戦前、行政官僚、軍部官僚・警察検察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。その結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でありました。昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません」

モンスターのごとき官僚組織の最前線に立つ検察は戦前、天皇の名のもとに権力を使ったが、戦後は仕える相手を国家という抽象的な概念に置き換えて、国家の守護者たる自分たちこそ正義であると盲信し行動しているかに見える。

その傲慢な遺伝子のルーツをたどれば、平沼騏一郎に行き当たる。政治に介入する検察をつくった平沼の血を戦後に受け継いだのが「検察の鬼」といわれた河井信太郎といえるだろう。

警察より検察の力が強くなったのは1909年(明治42年)の日糖事件がきっかけだった。大日本精糖が衆院議員に贈賄攻勢をかけたこの事件で、検察は衆院議員二十数人と日糖の重役を起訴した。

もちろんこれほど多数の国会議員がからんだ汚職事件は初めてのことであり、ときの大審院(今の最高裁)検事だった平沼が、桂太郎首相の懇請を一部受け入れるかたちで貸しをつくりつつ、検察という組織への恐怖を政界に植えつけた。

これを機に検察の捜査権限、訴追裁量権が拡大され、平沼を中心とした思想検事たちの、いわゆる「平沼閥」が形成されてゆく。

平沼の指揮のもと「史上最大の暗黒裁判」といわれる大逆事件で幸徳秋水らが死刑になったあと、海軍疑獄のシーメンス事件の捜査では第一次山本権兵衛内閣が倒れるほどの衝撃を政界に及ぼし、平沼がのちに第二次山本権兵衛内閣が誕生したさい司法大臣として入閣する道を開いた。

そのころ、平沼は皇室中心主義の「国本社」なる修養団体を結成し、司法官僚や軍部将校、国家主義的政治家を集めて、国粋主義、右翼思想の拠点とした。

平沼は天皇の諮問機関「枢密院」副議長だった1934年、帝人事件の発覚と同時に、首相の座をめざして大勝負に打って出る。

斎藤信内閣を倒すために配下の司法官僚を動かし、検察に政財界の16人を贈収賄などで起訴させて倒閣に成功したが、全員に無罪判決が出て、「検察ファッショ」「倒閣目的のでっち上げ」と批判された。

自由主義的な政策を打ち出していた斉藤内閣が崩壊したことにより、日本は軍国主義の道をひた走る。平沼は1939年、念願の首相の座に就いたが、三国同盟をめぐる閣内対立により8か月足らずで早々と退陣した。

明治憲法においては行政官庁である司法省が裁判所の人事権を握っていたため、現実には検察が裁判所に干渉することが可能だった。平沼が登場してからは「検事司法」と評されたほど検察の優位がめだった。平沼主導のもと検察は政治性を強め、思想検察といわれるグループが主流派となっていった。

いまの東京地検特捜部を見ていると、その実態は平沼の「思想検察」とほとんど変わらないように思える。

平沼の強権性の遺伝子を受け継いだのは河井信太郎といっていいだろう。

1954年の造船疑獄は、誕生間もない東京地検特捜部が総力をあげて取り組んだ戦後初の本格的贈収賄事件だ。

マスメディアの「検察正義史観」は、河井が関わったこの事件に端を発しているのではないかと思われる。

戦争で疲弊した造船や船舶会社が経営再建のため、有利な立法を画策し、政官財界に巨額のカネをばら撒いた。

容疑者の一人が、政権を握っていた自由党の幹事長、佐藤栄作だったが、指揮権発動で刑事訴追を免れた。

政治権力に幹事長の逮捕を阻まれ、河井ら正義感の強い特捜部の検事が涙を飲んだという伝説がいまだに信じられている。

伝説をつくったのは、もちろんマスコミだ。政治家は自らの利益のために「正義の検察」を邪魔する悪党であるというイメージが国民の頭に刷り込まれた。

しかし実のところ、それは、検察が政治に敗北したのではなく、勝利したことを意味していた。

ジャーナリスト、渡邉文幸の著書「指揮権発動」が、その理由を解き明かしてくれる。

この本の核心は、事件捜査当時、法務省刑事局長だった井本台吉氏による40年後の証言だ。

それによると、河井信太郎ら特捜部が佐藤逮捕をめざして宣戦布告したものの、捜査が進むにつれ検察に勝ち目のないことが分かり、検察首脳の焦りはつのった。自ら撤退すれば検察の威信が揺らぐ。

そこで、東京地検検事正、馬場義続は、やむなく捜査を終結せざるを得ない状況をつくるため、副総理、緒方竹虎に「指揮権発動」を働きかけた。馬場の親友、法制局長官、佐藤達夫も援護射撃し、最終的に吉田茂首相が「指揮権発動」を決断したのである。

こうして東京地検特捜部には「名誉ある撤退」の道が開け、かろうじて面目を保った。その一方で、犬養法相は「指揮権発動」の翌日、辞任した。

河井信太郎について、元検事総長、伊藤栄樹は「河井の調べを受けて自白しない被疑者はいなかった。しかし法律家とはいえなかった。法律を解釈するにあたって、無意識で捜査官に有利に曲げてしまう傾向が見られた」と語ったという。

ここに、ロッキード事件から村木冤罪事件につながる数多くの強引な捜査の原型があるとはいえないだろうか。そしてそれは、石川知裕衆院議員への取り調べ録音テープでうかがえるように、陸山会裁判にも通底している。

河井の強引な捜査手法を形成したのは、やはり平沼騏一郎由来のDNAであろう。

マスコミによって「正義の特捜」vs「巨悪の政界」という単純図式を、世間は信じ込まされ続けてきた。

平沼から河井、そしてその後輩検事に受け継がれた独善・歪曲のDNAは、ロッキード事件、リクルート事件など、世間の喝さいを浴びる一方で冤罪の疑いも濃い捜査を生み出した。

その後は住専事件、鈴木宗男・佐藤優事件など、摘発のハードルを下げて、真実追求よりも、特定の対象を狙い撃ちにする国策捜査に堕落しながら、特捜の存在価値を維持しようとして間違いを犯してきたといえる。

陸山会事件は、政治資金収支報告書の記載方法をめぐる些細な解釈の違いをあげつらって、元秘書3人を逮捕し、国政に影響の大きい小沢という一人の政治家の政界追放を画策したものであり、まさに国策捜査のなかでも、最悪の部類に属する。

今回の小沢無罪判決は、元秘書三人への「推認」による有罪判決で「異常」を露呈したこの国の司法が、わずかながら、「普通」を取り戻したということであろう。

これを報じるテレビ、新聞は、三年余りにわたるほとんど誤報に近い小沢バッシングの自己正当化をはかるかのごとく、「グレー」とか「限りなく有罪に近い無罪」とか、判決の片面ばかりを異常に強調する。

どの民放テレビ局を見ても、高井康行、若狭勝といった特定のヤメ検弁護士が登場してこの判決のコメントをしていたのも気になった。

「小沢元代表無罪 許せぬ検察の市民誤導」と題する東京新聞の社説があったのは、新聞界にとってせめてもの救いといえよう。

 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)


(転載終わり)








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする