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格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

松岡農相変死事件を徹底解明せよ

2007-06-08 10:28:27 | Weblog

れんだいこのカンテラ時評300【2007.6.7たすけあい党声明、松岡農相変死事件を徹底解明せよ】
http://www.asyura2.com/07/senkyo36/msg/195.html
投稿者 こげぱん <st1:OLKEVENT w:st="on" AllDayEvent="0" End="2007/06/07/01/34" Start="2007/06/07/00/34">日時 2007 6 07 00:34</st1:OLKEVENT>:29: okIfuH5uFf.Lk <o:p></o:p>

http://otd10.jbbs.livedoor.jp/1000013618/bbs_plain <o:p></o:p>

152 返信 Re:れんだいこのカンテラ時評300 れんだいこ 2007/06/07 00:20

【2007.6.7たすけあい党声明、松岡農相変死事件を徹底解明せよ】 <o:p></o:p>

 去る2007.5.28日正午過ぎ、現役大臣松岡農相が、よりによって議員会館宿舎内で白昼堂々パジャマ姿で首吊り自殺?するという前代未聞の不祥事事件が発生した。事件は変死の様相を数多く示しているが、与野党メディア総揚げで「臭いものに蓋をしたまま松岡農相が自殺した」と認定し、事件を一刻も早く風化させようと呼吸を合わせている感がある。 <o:p></o:p>

 我がたすけあい党はこういう体制翼賛式不正を許さない。我が党は、松岡農相を自殺認定するには早過ぎると考える。何よりもこのところの政局の裏指揮官である飯島前小泉首相秘書官の公然登場による事件もみ消し工作の臭いが強過ぎると考える。飯島がどう関与したのか徹底解明せずんば、事件は総括され得ないと主張する。飯島を直ちに国会へ喚問せよ、証言させよ。 <o:p></o:p>

 国会に議席を持つないしは持とうとする党派は、議会制民主主義の名誉にかけて、国会開会中の国会議員の国会議事堂近くの変死に関して徹底解明を要求せねばならない。ましてやこたびは現役閣僚である。現役閣僚の死がかくも粗雑に処理されることは断じて許しがたい。このような事態が横行するのは、現国会議員が総じて識見を喪失しているとみなさない訳にはいかない。総員脳死状態にあると断ずる。 <o:p></o:p>

 メディアは、松岡の愛人問題、事件の参院選への影響、安倍政権の命運等々に話題を転じているが、野党は早くも次のネタで政府批判に向かって正義ぶっているが、一蓮托生の政治ゴロでしかない無様さを見せていよう。一事万事で、一つのことをきちんと突っ込めない者が何を取り上げても同じことの繰り返しだろう。今為すべきは、徹底した事件解明以外に有り得ない、有り得てはならない。これが見識とならなければならない。 <o:p></o:p>

 我がたすけあい党は、政界全体がそれほど深くネオ・シオニズム派に篭絡されている様を認める。事件はネオ・シオニズム派により引き起こされ、真相隠蔽と風化も叉ネオ・シオニズム派により画策されていることを見て取る。日共が次の政治ネタで目をそらさせようとしても、既にお里が知れている。我々は何度も騙されない。 <o:p></o:p>

 まもなく参院選が来る。我が党が自前候補を立てられない現状に於いては、憲法改正を廻る党派の見解と立候補者の姿勢を支持基準にしようとしている。我がたすけあい党は、松岡農相変死事件の由々しき闇と不可解により、各党派各議員のこの事件に対する態度をも基準にしようと思う。目下、まともな見識がどの党派からも出されていないが、事件そのももの持つ重みが否応無く政界を揺さぶり続けることになるであろう。今からでも遅くない、事件声明を発し直せ。 <o:p></o:p>

 思うに、この事件の遠因と真因を解明する過程そのものが、小泉-飯島派を駆逐する闘いとなろう。逆に言えば、小泉-飯島派はあちこちに手を回し、鎮火に躍起となろう。だがいけない、こたびは飯島が現場へ出向き過ぎた。出向かざるを得なかった緊急さがあったものと思われるが、これが致命傷となった。松岡事件はいわばニトロとなり、小泉-飯島派の心臓部へ吸着している。後はいつ発火するかだけのことである。 <o:p></o:p>

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「行き過ぎた自由」の名のもと、永遠に奪われようとしている自由;その代償は命にまで。

2007-06-04 09:49:56 | Weblog

「行き過ぎた自由」の名のもと、永遠に奪われようとしている自由;その代償は命にまで。
http://www.asyura2.com/07/senkyo35/msg/743.html
投稿者 heart <st1:OLKEVENT w:st="on" AllDayEvent="0" End="2007/06/04/02/14" Start="2007/06/04/01/14">日時 2007 6 04 01:14</st1:OLKEVENT>:02: QS3iy8SiOaheU <o:p></o:p>

自由が根付かないうちに、また、真の自由とは何かということを考えることもしないまま来てしまったがゆえに、巷では、自由とわがままが混同されています。国民の努力不足です。 <o:p></o:p>

結果、「行き過ぎた自由」などということが自民系の政治家やその御用弁舌家の口から平然と語られるようになり、国民も、この「自由」には確かに歯止めが必要かもしれない、などと思い込んでしまう。国民を思うように操りたい政治家の思うツボです。 <o:p></o:p>

集団の中で個を殺すことで生き延びてきた日本国民のサガかもしれませんが、集団の中で自分の意思を殺すということがすなわち自由の死だと私は思います。もちろん、集団の中では他人の意見に従うことが必要なことも多々あります。しかし、自分の意見を言い、皆で議論し、納得した上で集団意思に従うのと、自分の意見を抹殺された中で集団意思に無理やり従わされるのとでは、精神の自由度、精神の生き具合は全然違います。
「行き過ぎた自由」論は、究極のところ、精神の自由を殺すことを目的としたものだと思います。 <o:p></o:p>

今の教育改悪もその一翼を担うものです。
子供に、「国を愛する態度」表明を力づくでもさせる。君が代を歌うか否かだけでなく、声量までチェックするということが、一部の学校だけでなくすべての学校でまかり通るようになるでしょう。
また、型にはめた、おそらくは奴隷根性レベルの忠誠心だけを強調した道徳教育を推し進める。 <o:p></o:p>

最近、とある書店で、
「道徳の教科書善く生きるための七十の話 」
という本がずらりと表向きにして三段ほど うずたかく積まれているのを見ました。
著者は、「愛国心の教科書誇り高く生きるための五十の話 」を書いたのと同じ、渡邊 毅という人です。 <o:p></o:p>

内容は、一見、納得してしまいそうな「いい話」も含まれているようでした。
しかし、文面、言葉の端々からは、ナショナリズムを煽り、日本を批判する者を「反日」呼ばわりする者たちと同じにおいがしてきます。 <o:p></o:p>

「日本は素晴らしい<自分が日本人であることに対する誇り>
その日本を批判するなどもってのほかだ<自尊心を傷つける言動に対する拒否反応>
日本を批判する奴は日本人ではなく、「朝鮮人」か「支那人」に違いない<相手を排除し、(彼らの基準の中での)蔑視対象と同一視する、また、思い込むことによって、安心を得、自分を守ろうとする>」 <o:p></o:p>

こういう思考回路を持ち、間違った安心感に満足してしまった人たちが、今の安倍・ネオナチ政権を支えていると言っていいでしょう。 <o:p></o:p>

本当の安心感は、人を排除することからでなく、人を受け容れることから生まれてくると思います。 <o:p></o:p>

また、本当の精神の自由も、お互いがお互いを受け容れることから生まれてきます。 <o:p></o:p>

日本を批判する者を反日呼ばわりしてきた者は、「ちょっと日本、ここがおかしいんじゃないか」と思うことがあっても、それを口にしたら自分も反日視されるのではないかと怖くて、言えない。
つまり、人を排除することにより安心感を得てきた者は、自分が排除されることを極端に不安視するのです。したがって彼らは、自分の考えを無視してでも、周りに付和雷同するしかなくなります。自分の感覚を無視することで安心感を得る。まさしく精神の死です。そこにあるのは、他者に追随するという選択肢のみ。自分の意思が入る余地はないのです。
精神の自由とは自分の意思に従って物事を考え、場合によってはそれを行動でも表す自由ですから、付和雷同しか選択肢のない人には精神の自由はないということになります。
そして、なぜ付和雷同しか選択肢にないと思い込んでしまうかと言えば、それは、排除により安心感を得るという心のもちように問題があります。
排除でなく、相手を受け容れる心、すなわち寛容の精神を持ち、そこに安心感を見出せるようになれば、皆精神の自由を得ることができる。
私はそう考えます。 <o:p></o:p>

しかし、政府は国民に精神の自由を享受させるつもりはさらさらない。
精神の自由などを下手に国民が学ぶ前に、取り上げてしまおう、という魂胆です。 <o:p></o:p>

共謀罪という名の密告・監視社会化、精神の抹殺を目的とした法案に対し与党がずっと執着してきているという事実も、このことを証明しています。 <o:p></o:p>


<o:p> </o:p>

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暴政 続

2007-06-01 18:25:15 | Weblog

<o:p></o:p>


このように健全な歴史観に基づく高い精神に比べると、「価値観外交を推進する議員の会」(古屋会長、中山顧問、http://www.furuya-keiji.jp/images/19_05_17%BC%F1%B0%D5%BD%F1.pdf/比喩的に言えば、この会のメンバーの多くも寄生虫のような二・三・四世の世襲政治家!/当会の古屋会長は、皇室典範改正・靖国参拝・民法772条などを列挙しつつ同じ方向をめざす同志を糾合し、青藍の天空を貫く行動ができる集団機能の役割を果たしたいと述べており、それはまるで『エイリアンのように寄生的で特異な意志』(=外見的立憲君主制の復活への意志)を新しく美しい日本の国のかたちにするなどということが、いかに<恐るべき権的な時代錯誤>(=暴政・悪政の標本のような化石的アナクロニズム)であるかが分かるはずです。 <o:p></o:p>


死者に鞭打つ意志は毛頭ありませんが、先進民主主義国家の一員たることを少しでも意識する国々のなかでは<前代未聞の現役閣僚の自殺>という出来事を「一政治家個人の内心の問題」と片付けることは無理なことであり、むしろ、それは<暴力的・カルト的で異常な政治のあり方ゆえの悲劇的な矛盾の現れ>であったと見做すべきです。 <o:p></o:p>


今からでも未だ遅くはありません。美しい国なるものの実像が、実はこのようにおぞましくも非倫理的、非人道的、非人間的、非平和的な、そして暴力的な<暴政>であることに我われは一刻も早く気づくべきです。 <o:p></o:p>


・・・・・・・・・・ <o:p></o:p>


当記事と関連するものとして、以下に[kaisetsuさま  http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070531]TB(追加部分)の内容を転載しておきます。 <o:p></o:p>


KJ
さんへ 追伸 2007.06.01 Friday
toxandoria の日記、アートと社会』より、暴力的本性を直視する『平和主義』の意義 <o:p></o:p>


2007.05.31 Thursdaytoxandoria の日記、アートと社会』 暴力的本性を直視する『平和主義』の意義を読んで感じたこと。) <o:p></o:p>


 上記の記事を書いて、KJさんのことを思い出しました。と言うか、ずっと心に残っていました。 <o:p></o:p>


 前に、一度書いたと思いますが、もう少し、具体的に書いてみたいと思います。 <o:p></o:p>


KJ
さんは政府系機関に勤めておられました。若くて優秀な方でした。でした、と言うのは、結論から先に言ってしまいますが、「決別」という強い表現で、その政府系機関を自主的に退職されました。内心を詮索することは不可能です。 <o:p></o:p>


しかし、海舌宛の手紙に、その政府系機関への「決別」という表現とともに、司馬 遼太郎氏への思いと海舌への感謝の言葉が在りました。確かに、KJさんは、或時、とても眼を輝かせて、「坂の上の雲」を全部読破したと語っておられまし た。本当に、何かとても澄んだ眼で、何かを掴んだような様子でした。そのことと「決別」に直接の関係があるのか、海舌は判断出来ませんし、しません。 <o:p></o:p>


 また、海舌は、決して「決別」と言う行為が正しいとか、間違っているとかの判断をするものでは在りません。問題が在れば、内部で変革することも重要なことだと思っています。 <o:p></o:p>


 海舌が、ここで言いたかったのは、日本の若者の中には、特に官僚や政府系機関の人々の中にも、司馬遼太郎氏が描いた明治の精神、或いは、他の時代であっても、しかし、決して昭和では無い、張り詰めた透明感を確かに、司馬遼太郎氏は「凛とした」という表現をされていたように思いますが、それを心に抱いた方 も居られるということを申したかったのです。 <o:p></o:p>


 但し、執拗ですが、司馬遼太郎氏は明治時代の精神を「凛」と言っているのであって、決して昭和の精神を、そのような言葉で現していないということです。 <o:p></o:p>


 安倍晋三首相が、もしも万が一、昭和の戦前・戦中・戦後の精神を「凛」という言葉で表したことが在るなら、それは完全にアナクロニズムであり、大きな誤解であり、司馬遼太郎氏を冒涜することだと思います。 <o:p></o:p>


 

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暴政

2007-06-01 18:23:19 | Weblog

[暴政]暴力的本性を露にした美しい国の横暴
http://www.asyura2.com/07/senkyo35/msg/662.html
投稿者 鷹眼乃見物 <st1:OLKEVENT w:st="on" AllDayEvent="0" End="2007/06/01/16/19" Start="2007/06/01/15/19">日時 2007 6 01 15:19</st1:OLKEVENT>:32: YqqS.BdzuYk56 <o:p></o:p>

[暴政]暴力的本性を露にした美しい国の横暴 <o:p></o:p>


<注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/2007060 <o:p></o:p>


 


当内容は[2007-05-31/暴力的本性を直視する『平和主義』の意義]の補足版の位置づけです。本体記事(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070531)と併せて、ご笑覧ください。 <o:p></o:p>


・・・・・・・・・・ <o:p></o:p>


社会保険庁を廃止・解体する改革関連法案と、年金支給漏れ対策を盛り込んだ与党提出の年金時効撤廃特例法案は、6月1日の未明に衆院本会議で、自民、公明の与党の賛成多数で可決し(肝心の5,000万件の何処かに消えた年金について解決のための具体的手掛かりが何も見えないままで!)、参院に送付されました。 <o:p></o:p>


もはやここまで来ると、これもその具体的な顛末は藪の中ながらも、現役閣僚の一人であった松岡利勝前農水相の自殺で公然となった<政府自身の暴力性・ヤクザ化・凶暴化の問題=美しい国の暴力的本性の露呈>に大わらわで蓋をすることしか眼中にない、まるで国民の立場などクソ喰らえの悪鬼かサタンのような形相と化した安倍晋三首相は、両法案の成立を急ぎつつ「消えた年金」問題についても国民へ目眩ましをブチかまして参院選へ突っ走る覚悟のようです(出典:北海道新聞ネットニュース、http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/29468_all.html)。 <o:p></o:p>


これは、全身が総毛立ち、ひたすら狂気と餓鬼道に堕ちてゆく、まことにおぞましく<見苦しい暴政>の姿に他なりません。それは、【<小泉クーデタ劇場>が「三権分立の原則」を無視して蒔き散らした『無数の子ダネ』の中に「外見的立憲君主制」が仕込まれていた、そして、今やその『小泉クーデタ劇場の外見的立憲君主制の子ダネ』が、妖しく美しい<厚化粧の安倍劇場の子宮>に着床した】という現実の流れの中で起こりつつあることなのです(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070522)。 <o:p></o:p>


つまり、国民を体よく騙し、小バカにしながら衆院議席数の2/3超を手に入れた「小泉政権」による「憲法違反クーデタ劇」からすべてが始まったことを我われは思い出すべきです。これこそ、安倍首相が掲げる『戦後レジームからの脱却』のフレーズが見据える『美しい国の暗いシナリオ』(=国民一般の人権と利益、そして本当の国益を無視した暴政)のプロローグ(始まり)だったのです。 <o:p></o:p>


いま我われ日本人は、ドイツの元外相ハンス・ディートリヒ・ゲンシャー(Hans-Dietrich Genscher)が好んだとされるトーマ・スマン(Paul Thomas Mann/1875-955)の『我われはドイツのヨーロッパではなく、ヨーロッパの(そして世界の)ドイツを欲する』という言葉の深い意味を理解すべきです。それは、一国の政治権力者であればこそ、そのような立場の人々は、人間性と社会、そして一般市民に対する責任・責務として普遍的な関心と健全な倫理観を必死で持ち続けるべきであり、決して一部の身内や派閥、あるいは少数の閉鎖的で妖しげな徒党集団(狂信カルト集団・暴力団・ヤクザ・ゴロツキおよび特定企業グループなど)の利益だけを優先してはならない、という警告です。 <o:p></o:p>


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先週に続いて3回目のとうえい温泉

2007-05-29 12:14:37 | Weblog

昨日は1週間ぶりにとうえい温泉に3回目のドライブを兼ねて行って来ました。温泉は心身をリフレッシュにするのに最適です。特に5.6月はドライブを兼ねた旅は好きで思い出すだけでも98.5.2から名古屋空港・法隆寺、99.5.2から5.5に恵那峡・<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="20:長野県松本市;" Address="松本市">松本市</st1:MSNCTYST>・<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="20:長野県長野市;" Address="長野市">長野市</st1:MSNCTYST>・安房トンネル経由で<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="21:岐阜県高山市;" Address="高山市">高山市</st1:MSNCTYST>・名古屋のボストン美術館、2000.4.9白川郷翌日高遠へのバス旅行、5.19から5.22の北京旅行、2003.5.3から5.5に名古屋経由42号線で那智の滝・白浜・高野山で934キロ走った。6.10から6.12に京都旅行へ行き、6.18から6.20に箱根・久能山東照宮・六本木ヒルへ行き、2004.4.18から4.21に和歌山・那智の滝、6.7に草津温泉に行って車ぶつけられて翌日自宅へ帰ったが、再度6.25から4泊5日の旅行は、1291キロ走行しました。ガソリンも途中で72.5リットルいれて、白樺湖のパイプのけむりに1泊2食5000円、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="09:栃木県日光市;" Address="日光市">日光市</st1:MSNCTYST>のホテルユーロシティー 全室部屋付露天風呂の宿 1泊2食10800円
菅平高原のシルキー菅平1泊2食 7500円。私にはとても贅沢な快適な旅行でした。カーナビを付けてはしったので知らない土地でも安心して走れた。白樺湖より女神湖経由で軽井沢、鬼押し出しへ行き、そこで2時間滞在してその後伊香保を目指したが、ロマンチック街道走る予定が、18号中山道を通ったので大変でした。でも途中妙義の山がみえたので急遽行く先変更して妙義山を見に行った。そしたら三奇勝の1つだそうだ。他は耶馬溪と小豆島の寒霞渓だそうだ。そこから伊香保へ向かい階段を歩いたが、温泉にも入りたかった。そしたら、今日テレビで放送していた。その後日光方面へ353号から122号を渡良瀬川沿いを走って日光に到着しガストで食事をとり唯一今晩だけ車で寝たが予定外だったので背中が痛くて不快であり、朝4時頃には目が覚めて、コンビニで弁当食べていろは坂を上り中禅寺湖と湯の湖へ行き帰りに華厳の滝はとてもいい眺めで気分良かった。虹もかかっていた。でもエレベータが500円もしてちょっと残念だった。そしてひさしぶりの東照宮へ3時間ほど回ってきた。その後ユーロシティーに泊まったが露天風呂など料理もおいしく1万円したが満足できた。至福のひとときを味わう事ができた。翌朝9時出発してロマンチック街道を走って沼田から三国峠を越えて越後湯沢を経由して117号から<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="20:栄村;" Address="栄村">栄村</st1:MSNCTYST>を通り、野沢温泉をちょっと立ち寄り菅平温泉のシルキー菅平に泊まった。ここも露天風呂があった。翌朝9時18分ホテルを出て、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="20:長野県上田市;" Address="上田市">上田市</st1:MSNCTYST>通過してビーナスラインを走り、霧が峰で買い物をした。そこの店の人の言葉が耳に残った。それは、空気と水と温泉は長野県はいいが、税金は高いなどと話していてもっと話を聞きたかったが時間がなくてやめた。そして諏訪湖も通り153号経由して19時30分自宅に着いた。2005.5.11に土肥温泉に2泊三日で下田に行った。6.15 3時に家を出て午後6時に昼神温泉に着いた。
6.16
 昼神を8時44分に出て、岡谷郵便局に11時18に着き梓川PA15:30三条燕に18:40弥彦温泉に泊る。
6.17
 8:03出発温海685.3 乳頭温泉917キロ。
6.18
 田沢湖 鹿角1008キロ 十和田・八幡平1043 奥入瀬ホテル1154
6.19
 8:33→<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="02:青森県青森市;" Address="青森市">青森市</st1:MSNCTYST>1205→ふかうら道の駅1312キロ 象潟道の駅1520→ねむの丘
20:05→
6.20
 道の駅<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="20:栄村;" Address="栄村">栄村</st1:MSNCTYST>7:11→道の駅さかきた1952キロどんぐりの湯2141キロ16:47→20:05 2228キロ 自宅着。

先週は、10時にでて渋滞に巻き込まれたので昨日は6時50分にでて途中田峯観音の近くで水をもらおうと出かけたが、間違えて赤沢弁財天のところへ着いた。そこの水は1リットル20円と表示してあり驚いてしまった。昔、田峯で「いくらですか」と聞いたところ、有料だと保健所からいろいろ難しいことがでてくると言われていたのを知っていたので、念のためにもう一度聞いてみたがやはり有料だといわれ支払った。その後8キロ離れた田峯で水をもらったがやはりこちらは昔のように無料であった。鳳来寺山パークウェイ(昔は930円の有料)経由で湯谷温泉に出た。そこからとうえい温泉は20キロで12時に着いた。先週は12時から17時まで滞在して3回でたり入ったりしたが、今回は1時20分ごろから1時間入って温泉を後にした。最初の予定ではもう少しのんびりできると思ったので、昨日から消えた年金問題をしっかり調べようと岩瀬達哉著の“年金大崩壊”を持参したが読めなかった。帰宅途中、携帯電話の解約をした。

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「宙に浮いた年金」5千万件

2007-05-25 22:45:29 | Weblog

「宙に浮いた年金」5千万件(JUNSKYblog2007)  最初は55人  次は30万人  ついに5000万件
http://www.asyura2.com/07/senkyo35/msg/192.html
投稿者 gataro <st1:OLKEVENT w:st="on" AllDayEvent="0" End="2007/05/25/10/08" Start="2007/05/25/09/08">日時 2007 5 25 09:08</st1:OLKEVENT>:54: KbIx4LOvH6Ccw <o:p></o:p>

http://blog.goo.ne.jp/junsky/e/4bdcfa9bee2c5c3afd34faf58bebf762 から転載。 <o:p></o:p>

「宙に浮いた年金」5千万件
2007-05-24 <o:p></o:p>

社会保険庁に該当期間の記録がなかった人は最初は55人だった。
【国民年金の保険料を納めたことを示す年金手帳や領収書を本人が保管しているのに、社会保険庁に該当期間の記録がなかった人が55人いたことが9日、分かった。このうち12人はすでに年金を受給しているが、本来よりも最大で年間2万数千円少ない額の年金を受け取っていた。】 200759日(水)23:39 asahi.com <o:p></o:p>

まあ、その時も「氷山の一角」だろうと言われていた。 <o:p></o:p>

次のニュースでは30万人になった。
【 公的年金を一元管理する「基礎年金番号」に統合されていない年金加入記録約5000万件のうち、生年月日が間違っていたり記載そのものがないケースが、厚生、国民両年金を合わせ約30万件にのぼることが11日、厚生労働省が衆院厚生労働委員会に提出した資料で明らかになった。これとは別に、年金記録をコンピューター化した際の入力ミスも判明。社会保険庁のずさんな管理の実態が改めて浮き彫りになった。】 2007512日(土)03:25  産経新聞Web
 これは、『生年月日が間違っていたり記載そのものがないケース』のことだ。 <o:p></o:p>

そして昨日は5千万件である。
最初ニュースを聞いたときは5千件の言い間違いだろうと思っていた。
しかし、今朝の各局のニュースで5千万件であることを確認した。
「朝ズバッ!」では、この話でもちきりだった。
【社会保険庁が管理する年金保険料の納付記録のうち約5000万件が該当者不明となっている問題で、政府は23日、現在の年金受給者約3000万人を対象に、該当するものがあるかどうか調査する方針を固めた。】2007524日(木)03:03  讀賣Web
そして、現行法では、社会保険庁の管理婦行き届きが原因であるにも拘わらず、請求漏れの年金は時効が5年であり、それ以前のものは、受給する権利が消滅するという。とんでもない話である。 <o:p></o:p>

さらに、記事を読んでゆくと、現在年金を受けている人びとの数が約3千万人と書いてあったから、この行方不明の5千万件の規模の大きさが解る。 <o:p></o:p>

もっとも、赤ちゃんから百歳を超えた人までの全人口が1億2千万人台だというから、殆ど全ての年金資格者のデータが不明になっていると言えるのではないだろうか? <o:p></o:p>

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〈B.フルフォードの憂国対談〉で…「アメリカの走狗」自公連立政権は夏の参院選挙で敗退する

2007-05-25 09:21:12 | Weblog

〈B.フルフォードの憂国対談〉で「アメリカの走狗」自公連立政権は夏の参院選挙で敗退する(森田実の言わねばならぬ)
http://www.asyura2.com/07/senkyo35/msg/188.html
投稿者 天木ファン <st1:OLKEVENT w:st="on" AllDayEvent="0" End="2007/05/25/08/14" Start="2007/05/25/07/14">日時 2007 5 25 07:14</st1:OLKEVENT>:22: 2nLReFHhGZ7P6 <o:p></o:p>

2007.5.24(その2)
森田実の言わねばならぬ[260 <o:p></o:p>

平和・自立・調和の日本をつくるために【177
月刊経済情報誌『ZAITEN(財界展望)』6月号〈B.フルフォードの憂国対談〉で私が語ったこと――「アメリカの走狗」自公連立政権は夏の参院選挙で敗退する <o:p></o:p>

「人間は、他のものを苦しめたいという以外のどんな目的ももたずにそれを痛めつける、唯一の動物だ」(ショーペンハウエル「倫理について」) <o:p></o:p>


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 4月中旬『ZAITEN(財界展望)』編集部の依頼を受け、B.フルフォード氏と対談した(「憂国対談」)。 ベンジャミン・フルフォード氏は、1961年、カナダ生まれ。外交官の家庭に育つ。元・米経済誌『フォーブス』アジア太平洋支局長。現在はフリージャーナリストとして、日本の権力構造の暗部を精力的に取材している。著書に、『ヤクザ・リセッション』ほかがある。(『ZAITEN』6月号より引用) <o:p></o:p>

 フルフォード氏は「対談を終えて」でこう述べている。《森田実氏のようなバランス感もあり、弱者に対する温かい視線を持った政治評論家をテレビから追放するのは、一種の言論弾圧である。これは国民をバカにしていくという情報操作の一環でもある。米国系企業が広告ボイコットなどをちらつかせてメディアを脅迫した結果、いま、テレビに出ている評論家のほとんどは親米国派となってしまった。こんな情報操作に国民もNOを突き付けなければならない。夏の参院選については、森田氏の分析にほとんど同意するが、与党が野党にスキャンダルを仕掛けてくる可能性も否定できない。まだ、油断は禁物である。》
[フルフォードさん。いたらぬ私に過分のお言葉を賜り深く感謝します。たしかに与党が野党つぶしを仕掛けてくる可能性は考えておかなければならないと思います――森田実] <o:p></o:p>

 以下、対談の要旨を紹介する。《(石原都知事の今後)石原には、大きなテーマとしては「オリンピック」しかありません。2009年秋に開催地が決定しますが、これが決まらなかったら、石原都知事は終わりだと思いますね。ただ、五輪だけでは求心力が発揮できないので、いま以上に右翼的な政策を採るでしょう。中国を挑発したり、学校の先生を弾圧したり、と相当荒っぽいことをする。こんなことをすると、『読売新聞』や『産経新聞』は大喜びして、石原をバックアップします。しかも、ほかの新聞は読売のナベツネ(渡邉恒雄会長)とケンカするのは嫌なもんですから、大人しくなってしまう。こうやってメディアを取り込んで窮地を脱しようとするでしょうが、もう国民的には石原への信用は崩れていると思います。そもそも、選挙中は低姿勢、当選すれば傲慢という態度を見せられて、多くの心ある人は編された!と思っているのではないでしょうか。》
《自民党は参議院選挙を勝つためには、大きな選挙は全部勝ちたいわけです。安倍音三首相への支持が弱いですから。大きな選挙で負けたら、やっと維持されている安倍政権が崩れるという危機感があるんです。実際、東京都知事選と北海道知事選は成功しました。ただ、岩手、神奈川では民主党が推した候補が圧倒的に勝利した。だから、自民党の実力もこのへんが限界でしょうね。》 <o:p></o:p>

《ところが、もっと大きな選挙が行われていたんです。東京、茨城と沖縄を除く44の道府県で県議会議員選挙。これこそが本当の地方選挙だったんですね。東京の新聞がおかしいのは、都知事選ばかりで、道府県議選を一部しか報道しなかった。大半の国民が参加した選挙を報道しなかったのは、偏向報道です。
 実はこの選挙、民主党だけが勝ったんです。民主は新しい政党だから、地域基盤がなかった。しかし、今回の選挙で自民にはまだ及びませんが、自民の3分の1程度の勢力を固めた。いままではゼロのような状態でしたから、この勝利は奇蹟に近いものがある。一方、自民党はかなり議席を減らしました。公明党だけは議席を守りましたが、逆にいえば、公明党は現状維持が精一杯ということを露呈しましたね。
 野党は共産、社民、それから一時流行した市民ネットといわれる地域政党ともに衰退してしまいましたので、地方でも「自民・公明vs.民主」という時代が始まったということです。ただ、民主党にとって大きいのは、今回の選挙で、みんなが自信を持ったということ。しかも、勝ち方が変わった。これまで民主はマスコミを利用していたけど、小泉政権以降、メディアが自民に傾いた。だから、いま、民主でテレビに出られるのは自民のお先棒を担ぐ連中ばかりです。結果、普通の候補者はいわゆるドブ板選挙をやって、勝利したんです。これが今回の大躍進の原動力でしょう。》 <o:p></o:p>

《小沢の登場まで、民主はこんな選挙をやってこなかった。それまでは「中央で勝てばよい」ということで、東京のマスコミ争奪戦に集中していました。でも、それが変わったんです。》 <o:p></o:p>

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95年のビデオを見ての感想

2007-05-25 08:33:52 | Weblog
昨日は、95年のビデオを見た。阪神神戸の大震災とオウム事件、無党派の知事が誕生。青島都知事・横山ノック大阪府知事。参議院選挙で村山首相の社会党激減で首相辞退を申し出るが自・社・さの与党が過半数を維持したので続投。新進党が比例区で第1党になる。新進党は党首選挙で小沢氏が羽田氏を破り党首に、自民党は橋本氏が小泉氏をやぶり自民党総裁になった。山口労相逮捕(背任・横領・詐欺の容疑)され、官官接待が続々とニュースになり、金融機関の破綻が相次ぎ、大蔵・日銀の銀行への天下りが多数を占め、これにより護送船団方式の政策が行なわれていた。大和銀行の不正が行なわれ、アメリカから追放された。さきがけの武村大蔵大臣。村山総理が自衛隊・憲法9条などで方針の大幅見直し。このような事が選挙で信頼を失い大幅に議席を減らした。このニュースをみて相変わらず政治の腐敗が全然よくなっていない。反対に巧妙になって呆れ返る事態になっていると思う。
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【政府プロパガンダしか伝えない日本の「マスメディア」】アベ内閣の自作自演【きっこの日記】

2007-05-24 17:38:04 | Weblog

【政府プロパガンダしか伝えない日本の「マスメディア」】アベ内閣の自作自演【きっこの日記】
http://www.asyura2.com/07/senkyo35/msg/148.html
投稿者 傍観者A <st1:OLKEVENT w:st="on" AllDayEvent="0" End="2007/05/24/07/35" Start="2007/05/24/06/35">日時 2007 5 24 06:35</st1:OLKEVENT>:01: 9eOOEDmWHxEqI <o:p></o:p>

(注:ブログ主には転載のおことわり送信済み) <o:p></o:p>

http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20070523 <o:p></o:p>

■2007/05/23 () アベ内閣の自作自演 1 <o:p></o:p>

地元の住民たちのほとんどが反対してるのに、環境アセスメント法を無視してまで、アメリカのジェノサイドに協力するための殺人基地を造ろうとしてるアベ内閣だけど、完全非暴力で座り込みを続ける地元の人たちを排除するために、憲法や自衛隊法を無視して海上自衛隊を動員するという呆れ果てた蛮行まで披露してくれた。ホニャララ団とベッタリ癒着してるナントカ還元水のナメクジ大臣のことは擁護しまくってるクセに、自分が気に入らない国民のことはカタッパシから暴力で排除するなんて、まるで北朝鮮並みに狂った政府だと思う。そして、これで、アベシンゾーお得意の「既成事実」が出来たワケだから、今後は、地元のスーパーの商品の不正表示に抗議するために団地の主婦たちが集まっただけでも、自衛隊を動員して暴力で黙らせることになるだろう。サスガ、拉致被害者までを支持率稼ぎに利用する売国奴は、やることがワンダホーだ。 <o:p></o:p>

それにしても、何よりもビックル一気飲みなのは、完全非暴力で、相手の体に指1本触れないように座り込みを続けてる辺野古の人たちに対して、潜水作業員がレギュレーターを外されたとか大ウソをついてまで、「反対派は過激だ」っていうプロパガンダを流し始めたことだ。あたしは、辺野古のカヌー隊の人たちと毎日のようにメールでやり取りしてるけど、辺野古で座り込みを続けてる人たちは、平均年齢が50才以上で、中には70才、80才のオジィやオバァもいる。カヌーや素もぐりで海上座り込みを続けてる人たちだって、ほとんどが50才以上で、カヌーの人の中には泳げない人たちだっているのだ。そして、辺野古の人たちは、陸上での座り込みも、海上での座り込みも、「絶対に指1本、相手の体には触れない」ってことを絶対のルールとして、今まで何年間も平和を訴え続けて来た。 <o:p></o:p>

あたしが、辺野古のカヌー隊の人から聞いた話では、政府に雇われた売国企業の作業員たちが、サンゴを破壊して水中に杭を打ち込もうとしてるのに対して、素もぐりの人たちは、水中の岩にしがみついて、自分の体を盾にして、息が続く限り阻止してたそうだ。つまり、両手両足は岩にしがみついてるワケで、「相手の体には指1本も触れない」って決まりごとがなくたって、岩から手は離せないワケで、こんな状態で相手のレギュレーターを外すことなんてできるワケがないと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか? <o:p></o:p>

■2007/05/23 () アベ内閣の自作自演 2 <o:p></o:p>

‥‥そんなワケで、まるでどっかの匿名掲示板に集まってるバカどもみたく、幼稚な自作自演を披露し始めちゃった政府だけど、この作業員による自作自演は、今に始まったことじゃない。一例を挙げると、2年半前の2004年12月10日、海上に足場で作業を始めた作業員たちに対して、地元の人たちが、指1本触れずに、テイネイな言葉だけで「作業をやめて欲しい」と訴え始めたら、高い場所にいた作業員の1人が、誰も体に触れてないのに、「暴行された!落ちる!落ちる!」と大声を上げながら、海へと飛び込んで行ったのだ。また、別のほうでも、1人の作業員が、誰も指1本触れてないのに、おんなじように大声を上げて、自分から海に飛び込んで行った。そして、これらの様子は、後ろのほうから、防衛施設局員がビデオで撮影してたのだ。ようするに、この作業員たちは、防衛施設局員から、前もって「反対派から暴行を受けて海に落とされたように演技しろ」って命令されてたってワケだ。 <o:p></o:p>

そして、それどころか、どんなに訴えても作業や演技をやめない作業員たちに対して、もっと近くから訴えようと足場を上って行った人たちは、首をつかまれて叩き落とされ、鉄柱で後頭部を強打して、意識不明の重体になってしまった。それなのに、叩き落とした本人も、その一部始終を見てた防衛施設局員も、そろってトボケきってるのだ。この時の詳しい状況や写真の証拠などは、最後にリンクしておくので、ぜひ見て欲しい。これを見れば、悪質極まりない政府のやり方と、政府に雇われた売国企業の作業員たちの暴力の数々が良く分かると思う。 <o:p></o:p>

それで、辺野古の人たちは、この時の経験、つまり、作業員たちに指1本触れなくても、自分たちから暴行を受けたことにするために、こんな自作自演をするってことが分かったから、それ以降は、今まで以上に「絶対に相手の体には触れない」ってことを鉄則として来た。指1本触れなくても、大声」を上げて自分から海に飛び込むくらいだから、もしも手を触れたりしたら、何を言われるか分からないと思ったからだ。こんな状態なのに、水中で作業員のレギュレーターを外すなんて、誰がどう考えたってアリエナイザーだ‥‥っていうか、十八番の自作自演に決まってる。 <o:p></o:p>

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九条護憲国民戦線 = 日本ジャーナリスト会議

2007-05-23 08:03:42 | Weblog

九条護憲国民戦線 = 日本ジャーナリスト会議
http://www.asyura2.com/07/senkyo35/msg/107.html
投稿者 ダイナモ <st1:OLKEVENT w:st="on" AllDayEvent="0" End="2007/05/23/00/18" Start="2007/05/22/23/18">日時 2007 5 22 23:18</st1:OLKEVENT>:31: mY9T/8MdR98ug <o:p></o:p>

http://www.jcj.gr.jp/view.html#20070521 <o:p></o:p>

その昔、「議会は資本家の支配の道具に過ぎないのかどうか」と随分議論した。頭の片隅で「その通りだ」と思いながら、それでも「人間は理性の動物。議論すれば、間違った方向にはいかないはずだ」と言ってきた。 <o:p></o:p>

だがいま、この国会はどうだろう。公聴会の意見は「馬の耳に念仏」だし、質問にはしどろもどろ。なのに、すべてスケジュール通りの決着。改憲手続き法は18項目の付帯決議で強行され、イラク特措法延長では世界で唯一「イラク戦争は正しかった」という主張が罷り通った。教育三法での思想統制や免許更新での締め付けも論議は素通り。図式はどれも「安倍極右・靖国政権」に自民党が盲従、民主党が対決ポーズと「対案」でそれを助けた。 <o:p></o:p>

「議会は権力の道具」という主張への反論は「国民は選挙で政権を変えることができる」ということだった。しかしそれも、小選挙区制の中では影が薄い。「自公vs民主」ではなく、憲法を軸に、「自公・民主」に対し「社・共」で対抗軸が作られ、護憲勢力が結集できなければ、それこそ「靖国派」の思うツボだ。 <o:p></o:p>

「共産党と一緒にやると組織がつぶされる」「社民党は共産党の組織を利用しようとするだけだ」。そんな意見を随分聞いた。当たっているのかもしれないし、双方の不信があるだけかもしれない。だが、そんなことでいいのだろうか。もう「九条護憲救国戦線」を真剣に考えるときではないのか。 <o:p></o:p>

「『九条護憲』候補次々当選。国民投票法廃止へ」。参院選でそんな記事を見たいのは私だけなのだろうか。<o:p></o:p>

<o:p> いいえ、私も同じ気持ちです。</o:p>

<o:p>今日はとてもうれしい。それは、アクセスが増えて366と新記録。今後もこつこつとやっていこう。</o:p>

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