蓮乗院は以前よりこの地にあり、光明寺が材木座に移って来た時、
開山の良忠上人はこの寺で落成を督励したと言いますが、
光明寺の草創については、話がこんがらがってるようです。
光明寺開山の然阿(然阿弥陀仏)良忠上人(記主禅師)は
千葉県での活動の後に鎌倉に移住しました。
飯島の正覚寺の前身、住吉ヶ谷の悟真寺に居住していると、
1240年(仁治元)に北条経時が佐助ヶ谷に蓮華寺を建立、
1243年(寛元元)に材木座に移され「光明寺」と改められた説とか、
大仏聖の浄光の坊に仮り住いの後、大仏流北条朝直の帰依を受けて
佐助ヶ谷に創建した悟真寺が、後に蓮華寺と改名され、
中興の祐崇上人の時に光明寺として現在の地に移転した説とか、ありますが、
後者は辻褄合わず、風土記稿も前者だし、たぶん前者一択です。
本尊の阿弥陀如来は千葉常胤の守り本尊だったとか、
お寺の紋が千葉家の家紋の月星なのも関係がありそうです。
中央の厨子に札所本尊の十一面観音さまが見えてます
文殊菩薩坐像(下段)や弘法大師像(中段)
昔は真言宗だったそうですから
内陣の格天井絵は大町の松岡家の行業で1978年に荘厳されました。
月岡栄貴画伯を主宰とする16人により描かれたそうです。
第20番 天照山・千手院(浄土宗)【千手観音】
もとは光明寺の寺僧寮、江戸時代は寺子屋だったそうです。
昔は専修院と称しましたが、千手観音が知られて改名したようです。
清水寺式の千手観音が見たかったのですが、
公開してませんと断られてしまいました。住職変わったのかな?残念
本日いただいた御朱印です
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