みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

略してみちゃばこ。泣いたり笑ったり

無言の訪問者

2009年01月08日 23時18分05秒 | 日常のあれこれ
正午より少し前のことでした。

ピンポーン

インターホンのチャイムが鳴りました。タイミングが悪いことに、手を洗っている最中です。インターホンに出るのが遅くなってしまいました。

「どちら様でしょうか」
返答がありません。

インターホンのモニターには、頭髪を両サイドと後頭部に薄く残して はげ上がった男の姿が映し出されています。
「どのようなご用件でしょうか」
まったく返答がありません。インターホンに気づいていないのでしょうか。先ほどインターホンに出るのが遅れたので、留守だと思ったのでしょうか。

直接接したくはありませんが、仕方ありません。ドアを閉じたまま、ドア越しに男に尋ねました。
「どのようなご用件でしょうか」
「……」
返答はありません。男はドアに正対して立っています。
「どのようなご用件でしょうか」
「……」
男は相変わらず無言のまま。声が届いていないのでしょうか。

今度は、ドアを数cmだけ開けて尋ねました。
「どのようなご用件でしょうか」
男は、ドアから50cmほど離れて立っていました。目を閉じたままガムをクチャクチャかみ、ときどき深呼吸をします。

クチャクチャクチャ、スー、ハー、……

辺りにはミントの香りが漂っています。

男は薄緑色の作業服を着ていました。ベルトの上に鎮座しているのは、それはそれは立派なビール腹。左手には分厚く膨らんだ黒いポケットファイルを水平に持ち、そのファイルをテーブル代わりに住宅地図のコピーを携えています。住宅地図は蛍光ペンで色が塗られています。工事関係の人でしょうか。工事関係の人にしては変です。用件を聞いても返答がありません。

「どのようなご用件でしょうか」

クチャクチャクチャ、スー、ハー、……

男は相変わらず目を閉じたままです。しばらく待っても返答はありません。

ドアを挟んで不思議な対峙 (たいじ) が続きました。用件を尋ねても返答がないまま、時間だけが過ぎていきます。この男の相手をしていても仕方ないと判断し、ドアを閉めました。

インターホンの画面で男の動きを観察します。男は、しきりに表札を見たり、手元の地図と照らし合わせたりしています。ポストがいじられる金属音もしました。去る気配をなかなか見せません。このまま男が去らないなら、警察を呼ぼうと決めました。

男は何分も玄関先に居座った後、ようやく離れました。引き続きインターホンの画面を注視していると、近隣の家を順に回る男の姿を確認できました。留守宅はそのまま去り、人が応対した家では何か話しています。

ひとまず男は去ってくれました。

しばらくするとまたチャイムが鳴りました。私は、今度はインターホンで出ました。
「どのようなご用件でしょうか」
「……」
「どのようなご用件でしょうか」
「チラシを入れておきますので、見ておいてください」
初めて男が言葉を発しました。この言葉が最初で最後になりました。男は、再びしばらく玄関先に居座った後、去っていきました。

後でポストを見てみても、普通の郵便物以外、チラシらしきものは入っていませんでした。