
今日から夏キャンプに出かける。
先月、例年より早く梅雨入りしたときから、必ずや梅雨明けも早かろうと見越して、今月16日~18日の三連休にからめてのキャンプを予定していた。はからずも梅雨明けの予測は的中して今週からの出撃が可能になった。このキャンプには、姫路と飯田のキャンプ仲間も合流してくれることになっていた。
だが、関東地方が梅雨明けした9日の前日、つまり7月8日、わが家を突然、予期しなかった悲しみが襲った。むぎ(12歳♀Wコーギー)の死である。
金曜日のこの朝、いつものとおり散歩から帰ると、むぎの状態が尋常ではなかった。玄関ですぐには立てないほど苦しげに呼吸している。リビングまでやってきても、家人が声を震わせるくらい様子がおかしかった。
午前中に遅刻して病院のオープンとともに連れていくことにした。家人が外出の準備をし、ぼくはパソコンに向かって昼までに入ると会社へメールを送った。送信は7時54分、そのとき、家人の悲痛な声が響いた。
「むぎが息をしていない!」
外出のしたくをする家人のそばにはりついていたむぎに、「むぎちゃん、だいじょうぶ? どうしたの? むぎちゃん……」という家人の声を聞きながら会社へメールを飛ばしたばかりだった。あわてて寝室に駆けつけると、たしかにむぎの呼吸は止まっていた。
「むぎ、ダメだ! こんなに早く死んだらダメだ! むぎ!」
もう手遅れとわかっていたが、ぼくはむぎを抱き上げた。目を閉じて穏やかな寝顔だった。胸の上でむぎの首がゆっくりと落ちていき、ぼくの腕で止まった。
まさか、まさか、こんなことが……。激しい悔恨がぼくの全身を駆け巡った。
12歳と6か月の生涯だった。せめてもう少し生きてほしかった。
むぎは典型的な弱虫わんこだった。4歳年長のシェラ(♀雑種)に育てられ、守られて生涯を終えた。死ぬまで“母親”の保護下にあった、なんとも幸せな子だった。
シェラ同様、むぎもまた物心ついたときからキャンプに連れ出された。シェラもキャンプにくると生きいきとしたが、むぎはシェラ以上にキャンプに順応した。
シェラは、ときとして、得体の知れない恐怖から夜中に騒ぎだすことがあった。そのたびに、ぼくはシェラとクルマに籠り、朝までまどろんだ。クルマの中でぼくとふたりでいる分にはシェラの恐怖も軽くなるのか、吠えたり、怯えたりはしなかった。
そんなときでも、むぎは家人とテントにとどまった。むぎがシェラを追ってこない唯一のケースである。
キャンプの最中、むぎがシェラに張りついていることもたまにはあったが、たいてい、ひとりで行動した。テントの中から半身だけを外に出し、番犬と化していたのである。

これはウェリッシュコーギー・ペングローブのあるべき姿そのものである。まだ1歳を迎えたばかりのころから、この天賦の能力を見せつけてくれた。
しかも、いつのまにかわが家のテントを脱け出し、昼間、遊んでくれた女の子たちがいるテントへ出かけていってしまった。以来、いつもシェラに寄り添って行動しているむぎが、コーギーらしさを発揮できる唯一の場がキャンプだった。
そんなむぎを失って、今年の夏のキャンプをぼくはやめようと思い、むぎの訃報に続いて姫路と飯田の仲間にキャンプ中止のお詫びメールを送り、快諾してもらった。
だが、家人の反応は意外なものだった。家にいればなおさら悲しいから、予定どおりむぎが大好きだったいつものキャンプ場へ行きたいと言い出したのである。
むろん、キャンプ仲間もありがたいことに合流してくれるという。
もうひと組、急遽駆けつけてくれることになった蕨の仲間は、ことのほかむぎをかわいがってくれて、また、むぎもそれをわかって、シェラに張りつくのではなく、蕨の仲間に張りついていたものだった。
はからずも「むぎ追悼キャンプ」になってしまうが、にぎやかに、いつも以上に楽しんできたいと思っている。残されたシェラにとって、あと何回、キャンプに行かれるかわからないからだ。
