レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

がんのこと

2015年02月22日 | 父の話
昨日たまたま、がんの「無治療」について
テレビで放映されていたのを見た。

父が悪性リンパ腫と分かった時
私は無治療という選択を知らなくて
ただ「ああ、これから抗癌剤による厳しい治療が始まるのだな」
としか思わず、それ以上調べもしなかった。
父の死後、がんの無治療や緩和ケアの本が
よく目につくようになったのは
有無を言わさずがんセンターに転院させた自分の行動が
正しかったとは思えない時があるからだ。


私は父の、最後の病床での姿をほとんど思い出すことが出来ない。
きっと見ているようで目を背けていたのだろう。
…こんな姿にさせたのは私なのだ、という事実から
目を背けていた。


番組に出ていた末期がんの女性は「元気なまま死にたい」と言い
実際それを敢行するべく生活している。
もちろん通常の生活とは違う、緩和ケアのための通院と服薬
抗えない体調不良に悩まされつつも、モニターの向こうで
彼女は変わらぬ生活を送ろうとしていた。


父も、そうありたかったのではないか?


全て過ぎた話で、実際それは難しかった。分かっている。
がんの進行は追々説明するけど驚くほど早かったし
歩けなくなるのも時間の問題だった。
腰痛イタタと言いつつ、好きな酒を飲み、煙草を吸って
飼い猫と一緒にそれなりに余生を過ごすのは
到底無理であったと分かってはいるのだ。


でも、分かってはいるんだけど。
時々ありもしない結末を想像しては思う。
治療はするべきだったのか?
まだ答えは出ないし、この答えはずっと出ないかもしれない。

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