レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

2011年09月24日 | ぼそぼそ


首がすごく凝ったのを、そのままにして寝たら
翌朝全方向に寝違えたかのように固まっていた。
ストレッチくらいはすれば良かった、時すでに遅し。

丸二日狂言のような動きで本部をうろつく私。

飛梅

2011年09月24日 | ぼそぼそ


素敵なお屋根


何気なく見たランキング番組に梅ケ枝餅が出ていたので嬉しくなって
お風呂で顔を洗いながらさだまさしの「飛梅」を歌っていたら
調子に乗って全部歌いきってしまい
顔が石鹸でかぶれた。
二番のサビの辺りでもうヒリヒリしてたので
洗顔は二分半が限界だと知りました。

Heartbeat

2011年09月21日 | ぼそぼそ


昔「学校へ行こう!」という番組の中で
高校生のカップルが夏休みを利用して同棲体験をする、という
コーナーがあった。
高校を卒業したら結婚する予定の高校生が
双方の親にそのことを認めてもらうために
擬似同棲をしてみて「ほら、上手くいくでしょ?」
という事を証明するという。

女の子は高校卒業後専門学校に行きたい、
男の子は女の子の夢を叶えるために卒業後は働き
家庭を支えるという
もう見なくても先が一本に決まっているような内容だった。
Tahiti80の素敵な曲にのせて
最初は勢い良く、徐々に互いが苛立ち、すれ違っては仲直りし
最後は「同棲ムリ」の結論に至るまでが
モニタの中でイライラと繰り広げられた。

私も当時は「ああ、ムリだろうな…」と感じたけど
年をとって、今になってこの曲を聞いてみると
上手くいってたら良かったのにな、と思う。
いつか嫌というほど噛み締める現実を
何も用意して見せなくても良いじゃないか…。
多感な時期の恋愛なんて
ただただロマンチックなだけで良いじゃないかと思うのだ。


Tahiti80のHeartbeatを聞くたびに
胸に湧き上がるほろ苦さと

…料理が全然できない女の子が
初日に作った変な汁物の見た目をなぜか思い出す。


http://www.youtube.com/watch?v=VlPgkaq2xmw

オノ・ヨーコ

2011年09月04日 | ぼそぼそ


オノ・ヨーコって好きじゃなかった。

元々解説のいる現代アートが好きじゃなくて、
抽象的な作品に「これは何々を表現しました」とか書いてあるのを見ると
無条件で「ケッ」となってしまう。
今でも現代アートは好んで見に行ったりしない。
思わせぶりで自己満足っぽい、そういう僻みとかやっかみに近い評価を
今でもちょいと持っている。

オノ・ヨーコの何を知っている訳でもなかったけど
オノ・ヨーコに対する思いは現代アートに対するそれに近かった。
なんだか分からないものに対する僻み、やっかみに拒絶。
それが変わったのはあるテレビ番組を見てからだ。


それは数多くあるバラエティー番組のひとつだったと思う。
オノ・ヨーコが「表現」の講師として登場した。
オノ・ヨーコの事を好きじゃない割に何も知らない私は
いったいどんな事をするんだろうと思いながら、興味薄く画面を見ていた。
椅子を使ったパフォーマンスとか、土器のかけらをくっ付けていくパフォーマンス
それは私が現代アートに抱いていた印象そのままで、
やっぱり好感を持てないはずだった。
だけど私の中の「オノ・ヨーコ」という人は
そんなバラエティー番組ひとつでがらりと変わってしまったのだ。


彼女は番組の間中、一切の否定を口にしなかった。


ゲストの芸能人が椅子を使ったパフォーマンスを勧められ、
苦笑いを浮かべながらほんの小さなアクションをする。
ふざけたアクションをする。
アクションとは呼べないほどの動きでごまかす。が、
その全てに対してオノ・ヨーコは
賛辞を送り、肯定し、手放しの拍手を送った。
土器をくっ付けるパフォーマンスの時も同じ、それはただただ
割れた土器をゲストみんなでくっ付けていくだけのパフォーマンスなんだけど
ひとつ何かをするたびに素敵な言葉で肯定するオノ・ヨーコの周りには
いつしかゲストが手に手に自分の「成果」を持ち、
賛辞と彼女の言葉を求めて集まっていた。
これは実際の番組を見てもらえば分かるんだけど、ゲストは皆子供のように
彼女の周りに集まっていたのだ。
「先生、これはどう?」「先生これは?」「これは?」


人は誰でも心の底で肯定を求めている。
そこに理由は無くてもいいのだ。
何がどうだから良い、なんて考えなくてもいい。
ただ肯定するだけで人は明るい顔になり、屈託が消え、
自分に他人に素直になっている。
たった数十分のパフォーマンスの中で
とんでもなく大きなものを表現して、オノ・ヨーコは平然と去っていった。


今でも私は現代アートが苦手だけど
オノ・ヨーコの事は心から尊敬している。
あんな風に周囲を肯定出来る人になれたらな。
否定的な気分になるたびに、心の小さな自分を省みて
いつもそう思うのだ。