レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

長いトンネル(20)

2007年02月27日 | 昔の話
 Oはボタンをいじる傍ら、何度も頭に手をやり
頭の傷を包帯の上から掻こうとしていた。
お母さんはそれを幾度も制しながら
「掻いたらあかんて言ったやろ」と
Oの手をボタンまで導く。
するとOの興味はボタンに移り、又それをなぞりだすのだ。
「こんなんしてずっと弄ってるんやで、ところで●子さん
 これは誰や、これは」
お母さんは自分を指差す。Oはお母さんの顔をチラッと見て
知らん、と言う。
「違うやろ、教えたやろー。お母さんやで、お母様やで」
「おかあさん」
「そうやお母さんや、昨日まで言えたやないの」


私は何を考えられるでもなく、ただニコニコと
その会話を見守っていた。それだけで許容一杯だった。
身内であるご両親の方がどれだけ一杯一杯だった事か、
だけどお母さんはひたすら気丈に振る舞っていて
それがたまらない気持ちになった。


本当は一方的にK君を責めたというOのお母さんを
私は良く思っていなかった。
私は仲の良い二人が大好きで、二人ともが大好きだった。
二人に早く良くなって欲しかった。
K君は大した怪我ではなかったとはいえ、
大した怪我ではなかったからこその傷が残った。
例えOが全快したとしても
これから先ずっと苦しまなくてはならない傷だ。
…今考えると青ざめるけど、当時はそんなK君の事も
少しは分かって欲しいと思っていたのだ。


だけどこの状況で何を分かれと言えるだろう。


「又来てや!」というお母さんの言葉に
私達は頭を下げて病院を出た。
帰りの電車の中ではKちゃんと二人、
「…思ったよりもずっと元気そうだったね」と
話しながら帰った。
二人ともそう思い込みたかったのだ。
こういう言い方が適切かは分からないし、
誤解を招くかもしれないけど
当時の私が理解できる範疇の出来事ではなかったのだ。
『重体』と言えば少しも動けない状態、
意識が回復したと言えばもう大丈夫、
そんな安易なイメージだけで生きてきた私が
初めて捲った暗い夜のカード。

それは私の手に余り、だけど捨てられる物ではなかった。
一人でバスに乗り帰る道すがら
私は目の前に広がる道が
もう以前と同じではない事に気が付いた。
見えていたのに見ないふりをしていた道に
私の足は踏み込んでいた。


その暗い道の先に口をあける
長い長いトンネル。

長いトンネル(19)

2007年02月26日 | 昔の話
 奇跡は起こると思っていた。

本気で祈れば、必死で抗えば、何かを絶ったり
何かを犠牲にしたり、ともかく全身全霊で念じれば
起きない奇跡は無いとさえ思っていた。
Oが死の淵から生還したのは確かに奇跡だった。
そして私は当時、奇跡が起これば問題解決と思っていた。
実際奇跡が起こるか、起こらないか、の二択ではなく
その度合いが問題になってくる。
或いはいくつの奇跡が重なるか。



私達二人は緊張して、病院に着くまでの間無言だった。
受付でOの病室を聞き、エレベーターに乗り込むと
ようやく顔を見合わせてちょっと笑った。
Oに会えるのが嬉しかった。時間は掛かるかもしれないが
きっと又元のように仕事をしたり、休憩したり
旅行に行ったり遊んだり出来る。
記憶がほとんど無いと言うが、もし仮に戻らなくても
もう一度私を覚えてもらおう。
最初に何と言って声をかけようか。
ここはやっぱり自己紹介からかなあ。


病室の扉をノックすると、Oのお母さんらしき人が出てきた。
Oのお母さんに会うのは初めてだったが、
全然Oに似ていなくて驚いた。控えめなOに対し
典型的な大阪のおばちゃん、といった感じのお母さんは
すぐに私達が会社の友人と分かり、大喜びで出迎えてくれた。
会ってやって会ってやって!と私達を病室へ
導こうとしたが、唐突に振り返り声を潜めた。

「ちょっと待ってや。あのな、
 …あいつの話だけはせんといてな」

私達は黙って頷き、大丈夫ですと言った。
呼びかけテープにもK君の声は入れられなかった。
事故以来、お母さんはOにK君の話は一切していない、
まるでそんな人は最初から居なかったかのように。
この問題は時が経たないと解決しない。
K君を弁護したい気持ちは山ほどあったが
今どうこうしてはいけない事なのだ。


「●子さん●子さん、お友達が来たで」
Oの名前を呼びながらお母さんが先に入り、
次いで私達は恐る恐る中へ入った。
広い個室のベッドサイドには沢山の機器があり
そこから伸びたチューブに埋もれるようにOのお父さんがいて
落ち着いた笑顔で迎えてくれた。
そのお父さんの袖口のボタンを弄る
包帯を巻いた手があった。ベッドから伸びた青白い手。




「●子さん、この人誰や?お友達やで」
Oにそう聞きながらお母さんは振り返り、
お名前は?と私達に尋ねる。
私が名前を言い、Kちゃんも言った。
その名前を繰り返してOに話しかける。
ほら●子さん、○ちゃんと△ちゃんが来てくれたで。

そうしている間、私達はOから目が離せなかった。
顔に怪我をしているのは分かっていたから
覚悟はしてきたつもりだった。
だけどそれは怪我以前の問題だったのだ。
…この人は誰だろう?
無表情にボタンを弄っている彼女は
顔半分を包帯で覆い、額から上はさらしのようなもので
巻かれていた。包帯から出ている左の顔面には
目立った傷も無く、だから余計に不思議だった。
何も変わっていないはずのに
どうしてもこの人がOと思えないのだ。


******

ドラマでよく「記憶をなくした人」を見る。
あなたの名前は?家は?この人は誰?等聞かれた助演女優が
眉間にしわを寄せて「分からない…」と言う。
それを聞いてがっかりした顔をする主人公、
ごめんなさい、でもあなたの事、分からないのと
女優は申し訳なさそうな顔をする。

*****

記憶を無くした人とは恥ずかしながら
そんな感じかな、と思っていた。
お母さんが嬉しそうに、これ誰や?と私を指差す。
知らん、とOが言う。
これは誰や?とKちゃんを指す。
知らん、とOが言う。
そしたらこれは誰や、とお父さんを指差すと
暫く間があっておっちゃん、と言う。
じゃ●子さん、これは?
お母さんが自分を指差す。Oは又少し黙って
分からん、と言う。

そこには忘れてしまった、どうしようという焦りも
思い出せなくて悔しいという苛立ちも
喪失感も悲壮感も無かった。
Oは誰の顔も見なかった。
ただ見るともなくボタンを見て、それを
ずっと指先でなぞっているだけだった。

長いトンネル(18)

2007年02月26日 | 昔の話
 Oは事故から数え切れないくらい多くの手術を経て
二週間目の終わりか三週間目に、何と意識が戻った。
二三日持つか持たないかと言われていたのに
すごい回復力だと医者も驚いていたそうだ。
奇跡が起こったと思った。よく映画やドラマで起こるあれが
私達の元にも起きたのだと。
もう大丈夫だ。これで全てが上手くいく。


事故があった直後、私は病院にOを見舞いに行く夢を見た。
一般病室の扉を開けると、頭に包帯を巻いたOが窓辺にいて
K君と談笑している。
私はそれを見てその場に座り込み、大声で泣くのだ。
意識が戻ったOに会ったら、私は夢と同じように
安心して泣いてしまうだろうなあと思った。
しかし少し前に聞いたOの容態は決して
安心できるようなものではなかったはずだ。
その辺りが気になって部長に聞いたところ
(部長が病院の様子を伝える係りのようなものだった)
部長もOと会った訳ではないのでよく分からないが
Oのお母さんからの情報では

・脳に損傷を受けたため、危ぶまれていた半身不随だが
 元気に両手両足を動かしているので多分大丈夫
・頭蓋骨はまだ外したままである
・頭以外の、例えば手足などはまったく無事である
・記憶がほとんどなくなっている

という事だった。


幾つかの物凄く気になる点があるが、
見舞いに行っても良いかと伺った所
Oのお母さんは是非娘に会ってやってほしい、
そして記憶を戻す手助けをしてほしい
と言っていたそうだ。
一日も待てなかった私はその日仕事が終わった後、
後輩のKちゃんと一緒にOに会いに行った。
その後何度も乗ることになるH駅行きの電車に乗って。

長いトンネル(17)

2007年02月23日 | 昔の話
 最初から先行きが不安だった。

Oの家族とK君は面識があったものの
特にこれといって悪意を持たれていた訳ではない。
…が、好意を持たれていた訳でもない。
迎えに行った時にちょっと挨拶をする程度で
いつもそれ以上の話にならなかった。
事故直後、K君はあまりの事に混乱してしまい
駆けつけたOの家族とろくに話が出来なかった。
K君は感情が表情に出にくいので
Oの家族にはそれが、事故を起こしておいて
ボーっと突っ立っている男に見えたのだ。
実際にこんな事故を起こしてしまったらどうだろう、
泣いたり喚いたり家族に謝ったり出来るだろうか。
ショックから逃れるために現実ではないと思い込み
K君のようにぼんやりとしてしまうのではないだろうか。

Oと日ごろから仲の良かったOのお兄さんの
怒りは凄まじかった、と
事故直後に病院に駆けつけたOの上司が言っていた。
Oのお母さんもK君の事を大声で罵っていた。
ただ一人だけ、Oのお父さんが大変冷静な人で
「娘が助手席で寝ていなかったら、
 事故は起こらなかったかもしれない」と言ったそうだ。
Oのお兄さんとお母さんに大変な反感を買ったそうだが
身内でもなかなか言える事じゃないよな、と
上司は深い溜息をついた。

長いトンネル(16)

2007年02月23日 | 昔の話
 事故から二週間くらい経ったころ。
Oの脳は事故直後から頭部への衝撃で膨れあがり、
頭蓋骨の中に納まらなくなっていた。
だから今は頭蓋骨の上部分を外した状態で治療を受けているそうだと
毎日のように病院に通っている部長から聞いた。

…え、「頭蓋骨を外した状態」って?

私は一度神妙に頷いてから、慌てて二度聞きした。
Oのことを心配に思う気持ちもあったが
その時ばかりはただ純粋に不思議だった。
私も脳に詳しい訳じゃないけど知っている事だってある。
血、とかは出ないのか。脳漿、とかは何処にいったのか。
脳は水に浮いている豆腐のようなものだと習ったが、
豆腐本体だけで平気なものなのか。
…乾いたりとかしないのだろうか。
一体そんな事になっているOは大丈夫なのだろうか。
聞きたいことと、しかし聞いてもいいのだろうかという思いで
頭の中がかなり混乱した。
そうと聞いてきた部長も話しながら、何だか複雑な顔をしていた。
次めくるカードには一体何が出るのだろう。
先は全く見えない。


Oの意識はなかなか戻らなかった。
回復を待つ身としてその間何も手助け出来ないのは実に歯がゆい。
じりじりした気分で出来ることを探していると
Oのお母さんから部長づてに職場へお願いがあった。
「呼びかけテープ」を作ってほしいという。
Oのお母さんは毎日娘の枕元で呼びかけているが
なかなか反応が得られない。
なるべく沢山の、しかも知りあいの呼びかけが
意識回復の手助けになるそうなのだ。
これはやらないわけにはいくまい。

しかしやはり照れくさいので
小さな部屋にカセットレコーダーを置き
(病室にカセットしか持ち込めないそうなのだ)
それに向かって職場の皆が一人ずつメッセージを入れていった。
声を掛けたい事が色々あったはずなのに、いざレコーダーに
吹き込もうとすると口が動かなかった。
元気?も変だし大丈夫?もおかしい。
随分時間をかけた挙句、月並みな台詞を吹き込んで終わったと思う。
本当は言いたい事がひとつあった。
K君は無事だよ、だからOも早く良くなってねと。



しかしこれだけは言えない。
Oのお母さんはK君の事を ひどく憎んでいたからだ。