レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

境界3

2019年08月06日 | ぼそぼそ
ただ、
私の耳が雑音を拾いすぎるからといって
客観的に私は私のことを可哀想だとは思えない。
なぜなら私はそれを上回って
わがままで性格が悪いからだ.....。

友人と街へ出かけて、煩くて辛いなぁと思っても
ぐっと我慢し笑っている、
そんな人になれたら良かったが
実際の私は我慢が効かず
皆が笑っているときに1人だけ仏頂面。
なんでこんな煩い場所がみんな平気なの?と
自分の感覚中心の発言をしていた。

そう、そんな中でも
私は自分の感覚が正しいと思っていたので
楽しさに水を差すような発言を
繰り返していたのだ。

私が弱いものは他にもあって
強い風、強い日差し、強い光、暑さ寒さ、
細かい振動(地響きや航空機の音)
それら全てに私は弱っていきゃあいいのに
苛立ちと排除したい気持ちを持っていた。

私が私の友人だったら
こんな人は面倒だし嫌だな。
大変なのは分かるけど、が正直なところ。


もし私がこの事象に弱りきり
社会生活を送るにあたり支障をきたしていたなら
何らかの障害であると診断が下りたと思う。
友人が受けた発達障害のテストを
私も受けてみたが、どうやらそっちではなかった。
そっちではなくても、何らかの問題がある事は
間違いないと思うけど
社会生活を送るにあたり支障がない以上
境界にいる私はただ性格が悪い人、
という事で終わる。


この性格が悪い私に付き合ってくれる
数少ない友人のために
私の身体に起きていることを
わかってもらう努力、ではなく
自分の辛さを分析し
自分の中で排除する努力をしていこうと思う。
技術の発達で
デジタル耳栓なるものも出来ている事だし
きっと1つずつ自衛していける。
そうやって自衛した上でも忘れていけないのは
人の感覚は人のもので、自分の感覚は自分のもの
ということ。
お互いある程度推し量ることはできても
完全に理解することは無理だ。
それを前提にしておけば
誰も「察してくれない事への怒り」
を溜めなくて済むと思う。


この世の怒りの殆どが
「誰かが何かをしてくれないこと」
にあるんじゃないかと思う。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿