レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

やれば出来るのか 無理なのか

2019年08月23日 | 難病の話
 母を見ていてすごく辛くなることがある。
主に食事の仕方に関してだ。

病気になる前の母は食事の仕方が
すごくきれいって訳ではないかもしれないけど
箸はきちんと持てるし、音を立てたりしないし
寄せ箸や指し箸をしないなど
基本的な礼儀作法は整っていた。
でも今はそうじゃない。

この「そうじゃない」のは
本人が滅茶苦茶嫌なのにそうせざるを得ないものなのか
なんとなく楽な食べ方をしている内にそうなっているのか
私には分からない。
私としては最大限努力をしてこうなっているのだろう、と
思っているけど、時々すごく悲しくなる。


後々、今の自分がこう思っていたという事を
記して残しておく役目をこのブログが担っている。

食卓についたときに身体が斜めだったら
そのまま食べだしてしまうものなのか。
プリンは啜らないと食べられなくなっているのか。
口の中に入り切らないほどの食べ物を
無理やり突っ込んで食べてしまうのか。
(一口大にするのが億劫になってしまうのか)
むせ防止に、口の中のものが無くなってから
次の一口に移る、はそんなに守れないものなのか。
口の周りについた食べ物は
舌を思い切り伸ばして取ってしまうものなのか。
要するに、小さい子の食べ方に戻ってしまうものなのか。


私はこうなるまで「やれば出来るでしょ」の
典型であった自覚があるので、
本当にやれば出来るのか、無理なのかを
自分の身体で実験していこうと思う。
そして私以上に主人が「やれば出来るでしょ」の
人であるので、
「私は汚い食べ方が本当に嫌だけど、
 この病気になってしまうと頑張っても無理だわ」と
言い残すために記しておこうと思う。


私は自分の食べ方が汚いのは本当に嫌だ。
だからもし、私の食べ方が汚くなったら
散々あがいた末の行動だと思ってほしい。
もし一緒に食べるのが嫌なら別々で全然いいよ、
でも努力は最後まで続けるから、
その事だけはわかってください。

ちょっと思うところ

2019年07月23日 | 難病の話
 仕事先の人と世間話をしていたら今回の選挙の話になって、
その人がれいわ新選組をよく思っていなかったらしく
当選した二方のことを
「どうして支援者は当選させたんでしょうね?」と言って
私はどう答えて良いか分からずに、曖昧に相槌をうって終わった。

あの二人を送り込んで何がしたかったのか、とか
いろいろ言っていたけど、要するに
意思疎通もままならない人を討論の場に送り込んで
なにが出来ると思ったのかよくわからない、という事らしい。

病気ってなるまでは他人事。
それが身内であってもまぁまぁ他人事。
自分がその立場に置かれて初めて
扱いにうわぁ、と思うことなのだ。
政治家は病気になったら政治生命終わりと言うけど
そもそも「声が大きくて体力があって言いたいことを言いたいタイミングで何度でも早口で言える」のが政治家なんだろうか。
どれだけ高潔な考えがあろうとも
それを同じタイミングで出せないというだけで、ダメなんだろうか。

どれだけ頭が回転し、気の利いた台詞が浮かんでも
それを即座に口に出せなくなる。
でも、それさえ出来ればさほど扱いは変わらない。
出来なければ腫れ物に触るように扱われ
厄介なのを送りこんで来たなあと言われる。


いやぁ、なんと悔しいこと。
あんたたちと何の違いもないのに。

発声

2018年12月02日 | 難病の話
母はケアマネジャーと話したり、
ベッドや車椅子の業者と話す時に
私が同席するのを避ける。
「今日は何時に誰々が来るから」
(だからその時間、家にいるのを避けてね)という
メールが事前に来る。

母は都合の悪い事をごまかす癖があるので
何か私に聞かれたくない話があるのかな、
と思っていたのだけど
納品が差し迫った時に、家でどうしても仕事をしたくて
車椅子の業者さんと鉢合わせた。


この病気の症状に
呂律が回らなくなる、というのがある。
今の母の言葉はかなりレロレロしていて
話し方もゆっくりなので(発声がうまくいかない)
慣れていないと聞き取りにくい。

居間で仕事をしながら
業者さんと母のやり取りを見ていた時に気づいた。


業者さんが私にばかり話しかけるのだ。


どこか気になるところは無いですか?
不具合やお気付きの点はございませんか?
タイヤの空気は、あ、定期的に入れているようですね
ありがとうございます


これは全部母に聞くべきなのに
ああ、この業者さんはもしかしたら
母に聞いてもよく分からないと思っているのかな
と思った。


私の車椅子じゃないし、何より私はとても抜けているので
しっかり者の母の方がよっぽど色々考えていて
覚えているのだ。要望だってあるだろう。
それでも目の前の母をスルーして私に聞くのは、
「言葉がハキハキしていてすぐ答えが返ってくるから」

私はいちいち母に聞き、母の口から喋ってもらって
車椅子の定期検診は終わった。


呂律が回らなくなるだけで、発声が難しくなるだけで
しっかりしていない、分かっていないと思われるのは
悔しいだろうな。私だったらすごく悔しい。
今の業者さんもケアマネジャーさんも、
母が病気を発症して間もなくの人から何人も変わって
皆呂律が回らなくなってから、の人だから
ハキハキと早口で喋っていた母を知らない。
だから対応もそれ相応だ。
すなわち
「相手と目線を合わせて、大きな声でゆっくりと」話す。


母がはっきりと話せていたら
そんな子供にするみたいな対応、されていなかっただろう。
身体が思い通りに動かせないだけだということを
回らない呂律で分かってもらうのはとても難しい。


今度、ケアマネジャーと会って
そこら辺をしっかり話してみようと思う。
これは母だけの問題じゃない。
将来の私の問題でもあるのだ。

増えるもの

2018年11月04日 | 難病の話
意外なことですが
病気になると幸せが増えます。
幸せだなあと感じる瞬間が増える、というのか
あれは「戻ってくる」感覚です。
子供の頃の、明日から夏休み!とか
給食に好きなものが出る!とかの
なんというか、心の底から湧き上がるような幸福感。
が、日々の生活の中で
ちょいちょい感じられるようになりました。

友達と会える幸せ
シュークリームとコーヒーを買える幸せ
傘をさして自分で移動できる幸せ
作りたいものを作れる幸せ
自分で家の掃除ができる幸せ

いつか失われてしまうからこそ
今出来る喜びというのは半端じゃありません。
母の世話を出来るのはあと何年だろう。
だから今晩、鉄腕ダッシュやるかなあ、
一緒にテレビ見られるかなあと思うだけで
ものすごい喜びが湧き上がってくるのです。
(今朝一の幸せ感)

無題

2018年10月20日 | 難病の話
今日は主人にプロポーズをした時の事を書こうと思っていたけど、調子が悪くて書けないみたい。
なんだか涙が出て仕方ない。
これ以上目の周りが湿りっぱなしだと
乾いた時にはそりゃあひどいんだけどなあ。